表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

妖怪大百科より、愛を込めて《元大妖怪×健気な妖怪》

俺はぬらりひょん。現代に ひっそりと生きる妖怪だ。俺の 祖父さんの頃は、ぬらりひょんといえば妖怪の中でも強大な力を持ち、かつ その頭脳で数多の妖怪を従えてきた。


だが、時代とともに 力は薄れ、今の俺の代に至っては、妖怪の力なんて微々たるもの。第一、妖怪は ほぼ姿を消してしまった。俺たちの一族は、力が強かったが故に生き残ったのだ。


しかし、俺に残された妖怪の力なんて…





「あらあら、お味はどうだった?若いお兄ちゃんにご飯食べてもらうのは 久しぶりだから嬉しいわあ」


「本当に久しぶりじゃのう。いつもばあさんと二人っきりじゃから、誰かが一緒に食べてくれるのは嬉しいのう」


じいさんとばあさんと、夕食を共にしていた。白米、味噌汁、鯖の塩焼き、漬物。どれもうまいが、ちっと塩分が多すぎやしないか。


もくもくと箸を進めて、皿をきれいにする。そして箸を置いて、手を合わせる。


「ごちそうさま」


「お粗末さまだよ」


「いい食いっぷりじゃった」


ニコニコと笑うじいさんとばあさんに礼を言って、玄関に向かう。そして、玄関の引き戸を閉める時に。


「やっぱり若いもんが一人いると、楽しいものねえ」


「そうじゃの、そうじゃの。…して、ばあさんや。今のはどこのあんちゃんじゃったかのう?」


「ええ?えっと…どこだったかねえ」


「ん?そもそも、もう一人居たのかのう?」


「あらやだおじいさんたら、何を言うの


―――――今日も、私とおじいさんの二人だけでご飯を食べていたんじゃないの」


「そうじゃった。そうじゃった。ちとボケ始めたかの」


ハハハ、と笑い合う二人の声を聞きながら、俺は そっと引き戸を閉めた。





と、まあこんなもんだ。要するに、知らない奴の家にいって飯を食おうが、風呂に入ろうが、ベッドを占領しようが。俺は何をしても違和感無くその場に馴染む。誰も俺を咎めないし不自然にも思わない。


そうして、俺がその場を去れば、俺が居たという記憶は なかったことになる。


………俺の力なんて、そんなもんだ。








毎日ふらふらと渡り歩き、適当な家で飯を食わせてもらって、適当な家で寝床を借りる。


そんな暮らしを何年続けたのか。なんで生きているのか、わからずに俺は今日も適当な家で生きるための糧を探し歩く。

別に飯なんて食わなくても死なない。寝なくても支障はない。妖怪だから。

だが、俺は ふらふらと家から家へと渡り歩く。これも ぬらりひょんの本能と言うべきか。


糸の切れた凧のように、あてもなくさ迷い、一つのところに長くは留まらない。それが ぬらりひょんたる俺の生き方だ。





…だったんだが。



「今日はカレーですよ」


「……いただきます」












俺は、この家にもう一週間も留まっている。それはなぜか。―――答えは至極簡単なことだ。この家の飯が美味いから。







「ちょっと煮込む時間が足りなかったから、あんまりコクが出なかったんですけど…どうですか?」


今時珍しい、真っ黒な髪を肩まで伸ばした若い女が、心配そうにこちらを伺っている。俺が今 居候している先の家主だ。



「美味いよ」


口一杯に頬張りながら、返事を返す。行儀が悪かろうが、俺は妖怪だ。人間のルールなんて気にするものか。


女は俺が一口、二口と口に詰め込むのを見つめながら、 頬を桜色に染めて、顔をほころばせた。



「よかった」


透き通った女の声が脳に響いて、胸のあたりに じんわりと火が灯ったように熱い。









昔は名の知れた大妖怪の ぬらりひょんも、こんな娘一人に 胃袋を捕まれてしまって。



祖父さんが俺を見たら、頭をぶん殴られていたかもしれないな。


麦茶をグラスに注ぐ女を、女に気づかれぬように盗み見ながら。



それでも、いいかと思った。























私は、はまぐり女房。現代にひっそりと生きる妖怪。私のお祖母さんの頃は、はまぐり女房といえば、妖怪の王に食事をつくる、専任の料理人だった。ちなみになぜ、はまぐり女房かと言うと、私の本性は はまぐりだから。昔、網にかかったはまぐりを逃がしてくれた漁師に恩返しをしようと、人間の姿になって漁師に尽くしたのが始まりらしい。




でも、時代とともに力は薄れ、今の私の代に至っては、妖怪の力なんて、微々たるもの。第一、妖怪は ほぼ姿を消してしまった。私の一族なんて、たいした力もないのに どうして生き残っているのか わからないくらい。



しかも、私に残された妖怪の力なんて…


「すっげえ!今まで食べてきたご飯のなかで一番美味いよ!」


「本当?よかった」


「ほんとほんと!うわーすごい、なに食っても美味い!」


「…好きな人につくる料理は、特別に美味しくできるんですよ」


いやーなんだか照れるなあ、と笑う男に、冷えた麦茶を出した。




と、まあ こんなものかな。要するに、好きな人につくった料理は、その人にとっては極上の食べ物になる。他の人が食べても、そこそこ美味しい料理だけれど。


でも、私の愛情が冷めてくると。




「…あれ?なんかさ、前の方が美味かったような…」


「―――そうですか?いつもと同じにつくったんですけど…」


「え?あ、いや、いつも美味いし、今日のも もちろん美味いよ!」


「―――そうですか。よかった」


冷えた麦茶をグラスに注ぎながら。私は、また ダメだったなあ。と落胆しながら、目を細めて笑顔をつくった。








男とは すぐに別れた。ぐだぐだと引き留められたけど、面倒くさくなってありったけの妖気を纏って睨み付けると、青くなって逃げていった。妖怪に 馴染みのない現代日本人は、わずかでも妖しい気に触れると、途端に気味悪がって怖じ気づく。





自分で追い出したとはいえ、また一人に なってしまったなあ、としんみりしていた時だった。


あの人が私の家に来たのは。







その日は、いい肉が手に入ったので ウキウキしてキッチンに立っていた。


厚みのある肉を焼いていると、男が一人入ってきた。


驚く私に、男は「いい匂いがする。…肉?」とナチュラルに聞いてきた。それがあまりにも自然だったから、私が おかしくなったのかな、と錯覚するほどだった。


でも、男の目と目が合って、纏う妖気に気がついた時、


「…よかったら、食べます?」


するりと、口から言葉が滑りでた。男が 家に入ってきたことに対して、警戒も疑問も、何も頭に浮かばない。


それで わかった。この男は ぬらりひょんだって。人間は騙せても、同じ妖怪の私は騙せない。








もともとは私一人分のステーキ肉一枚を、半分に切って男が座る食卓に出す。男はご飯と肉を一口食べると、目を見開いて笑った。


「今まで食べてきたなかで、一番美味い」


「……やっぱり、いいお肉は特別ですよね」







いい肉だから。それもあるけれど。一番のスパイスは、私があなたに一目惚れしてしまったから。はまぐり女房が恋する人につくったものは、全てが極上の食べ物になる。












食事が済んでも、彼は帰らず。私は彼に風呂と寝床を提供した。


ぬらりひょんは一つところに長く留まらないと聞いたけれど、一週間たっても男は ここに居た。



たまに ふらりと出掛けては、夜遅くに帰ることもあった。私は なに食わぬ顔で おかえり、と言っていたけれど、内心は穏やかではなかった。


いつか、おかえりも言えなくなる日が来る。私はそれが、怖かった。


でも、まだここにいてくれますよね?と聞くのは禁句。男には、自然に接しないと おかしいと思われる。誰も、ぬらりひょんに干渉してはいけないのだ。


男は私を人間だと思っている。もし私に正体がバレていると知ったら。―――逆に、私が妖怪だと知ったら…



何も言わずに、出ていってしまうの?それとも、妖怪同士、永い命をともに生きてくれる?



真実を打ち明けるのは、あまりにも大きな賭けだから。私は知らない振りをする。











―――私は今日も、ご飯をつくる。一人分をつくる体で、本当は二人分を。彼が来たら、私は笑顔でこう言うのだ。



「ちょうどよかった。つくりすぎちゃったんで、よかったらご飯食べていってください」



男は、笑って頷く。







その笑顔が、ずっと私の隣に在ればいいのに。












男が我が家に来てから一ヶ月がたった頃。男が私に、厚みのある紙袋を渡してきた。


「明日、また来るよ。それまでに それに目を通しておいて」


朝起きてすぐに、枕元に立つ男から手渡されたそれ。すぐに中身を確認しようとすると。


「心臓に悪いものだから、俺がいなくなってから見て」


そう言い残して、男は出ていってしまった。


心臓に悪いもなにも、男が今日は家に来ないと朝イチで教えられて、もう心臓は ペチャンコにされた気分だった。



でも、明日来ると言った。それなら。


「―――それなら、明日は二人分のご飯をつくってもいいのかな…」


呟いて、頬が熱くなる。じゃあ、明日はご馳走をつくらなきゃ。


嬉しくなって、手にしていた紙袋を抱き締める。


ビリビリッ


「あ、あっ、私ったら…!」


力が入りすぎて、思わず紙袋を破いてしまった。中身を傷つけていないかと、慌てて袋から出してみると。


「妖怪、大百科…?」


頭から、さあ、と血が引くのがわかった。なぜ、私に妖怪の本を?




…怖々と表紙を開いてみると、おどろおどろしい妖怪の絵が目に入った。そして一枚の付箋が、目についた。


付箋には、~(ページ)を見て


と書いてある。私は その通りにページをめくった。

すると そこにあったのは







「……っ…!」




私は、息を飲んだ。





指定されたページには、「はまぐり女房」についての記述が載っていたのだ。






―――私が妖怪だって…はまぐり女房だって気づいていたの?いつから?なんで言ってくれなかったの?



どうして。なぜ。混乱して本を手にしたまま茫然とする私の指に、カサリ、と何かが触れた。


目をやると、はまぐり女房のページの下の方に、また同じ付箋が貼られている。


そしてまた、ページを指定する内容。





あの男は、私に何を伝えたいのだろうか。ページをめくった先に、私に どんな答えを用意しているの?


怖かった。先に進むのが。もし、今まで男と過ごした一ヶ月が、全部嘘だったとしたら……ぶるり、と私は体を震わせた。









初めて会った時、男の目を見てすぐに惚れた。どこか寂しさを滲ませた虚ろな目が、私に そっくりだったから。その寂しさを、なくしてあげたい。いつ終わるか知れない永い命に付きまとう寂しさから、解放してあげたい。…できることなら、ともに生きたいと思った。









――――――本当は分かっていた。ずるずると曖昧な生活を続けてはいけないことを。このままでは、いられないことを。わかっていて、私は知らない振りをしたのだ。

…男も それをわかっていて、私に本を渡したのだろうか。それなら、私がとるべき行動は決まっている。







私は、ふう…と息を吐いて、そっと本のページをめくり、目的のページを開く。








そして私は、自分の目を疑った。


このページは、あの男について――――――ぬらりひょんについて書かれたページだった。


…なぜ?なぜ男は、自分の正体が書かれたページを私に読ませるのか。こんがらがっていた頭は、更に混乱した。


なんとか男の意図を汲み取ろうと、一瞬見てすぐに目をそらしてしまった「ぬらりひょん」のページを再度見てみると。


またしてもページの下の方に、付箋が貼ってある。厚さからいって、二・三枚が重ね付けしてあるようだ。



震える指を制しながら、まとまっている付箋を本から剥がす。一枚、二枚と 馬鹿みたいに時間をかけて、慎重にゆっくりとめくる。




――――――最後の付箋に書いてあったのは。








“はまぐり女房と ぬらりひょんって、お似合いの夫婦だと思うんだけど”





と、小さな字で隅に書かれていた。












「ふふ、本当…心臓に悪い…」


目尻に滲む涙を指ですくいながら、ぬらりひょんのページを優しく撫でて、本を閉じた。






―――ご飯をつくろう。


今日のうちから仕込んで、手の込んだものをつくろう。明日、男が来たらご馳走と笑顔で男を迎えよう。そして、「おかえり」って言って。







最初から、二人分につくった料理を、二人で食べよう。そうして私は、男に こう言ってやろう。



「私も、お似合いだと思います」


と―――。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ