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未来人は 巨大蟹の夢を見るか?

作者: suparagu8

   

 【system.ver2.003 language japan

 記録を開始します。

 モード:記憶閲覧

 ……

 …………

 モード:編集後自動記述

 起動します】

 

 

 蟹を食べることにした。

 むしろ蟹ぐらいしか、ろくに食べるものがないのだ。

 ご存じのとおり、現在の世界において、人類は霊長の座を明け渡して久しい。

 そしておそらく現在の霊長は蟹。

 ん? これを読むかもしれない、君たちも当然知っていると思うけど……まあ、もしかしたら遥か未来の人々は、蟹の恐怖におびえなくてもいい世界に暮らしているのかもしれないね。

 だからもう一度、あえて口に出すのならば、現在、この世の支配者は蟹だ。

 とにもかくあれ、人々はいまの世界、多くの蟹……山や廃墟、川や海を闊歩する巨大な蟹の脅威に怯えるように地下に潜って暮らしている。

 生半可な重火器では倒せない強靭な甲殻、タングステンでさえもたやすく切り裂くあの鋏の切れ味。

 学者連中なんかは「物理的にありえない」というような巨大な甲殻類が動く様はさながら悪夢のようで、でも僕たちくらいの世代になると、彼らがコンクリートから石。貴金属から単なる金属までの多くの物質を咀嚼して過ごす姿に違和感なんて感じられないのだけれども。

 まあ、つまるところ彼らは文字通り、新世代の蟹なのだ。

 三対の脚、そして大きな鋏(これもまあ脚なのだが)、こそ昔のままだけれども、それこそ僕の曾祖母が過ごしていたという平和な時代の蟹と同じ見た目をしているけれども、その生態は過去のそれとは驚くほど違う。

 多様性は無数……そして強大な蟹を倒すために僕たちは彼らを狩って、その素材を家財、経済活動に充てて暮らしている……と、忘れてはいけないのは蟹の肉、これはもちろん食べる。とてもおいしいからね。

 そう、ただ蟹のうまさだけが、何十年たっても変わらなかった唯一のものなのだからさ。

 



 僕はいま旧東京群の西方の片隅にある小地下都市に住んでいる。

 人口はそんなに多くはないけれども、中央地下都市とは高深度列車で一本の距離にあるし、なによりも静かで住みよいので、僕は気に入っている。


 その地下都市エイトの東北区のマンション型住居群の一画に僕の部屋は存在している。

 狭い部屋……まあ、部屋に本ばかりあるせいなのだけど、先祖代々読書家が多かったからだろうかね。実物の読書は現在では高価な、そしてあまり意味のない趣味の一つで、多くは骨董趣味として扱われて久しい。

 分かっているとは思うけど、ほぼすべての重要な書物はとうの昔にデータベース化されているし、端末から簡単にアクセスできるからね。

 自由端末と共通データベースの発達は、データ化可能な多くの娯楽を収めていて、その気になれば一生遊んでいられるだろう。

 かくゆう僕も、二〇世紀末ごろのテレビゲームを遊ぶさいには悠々とこのデータベースの恩恵を享受していた。

 いいよねゲーム。ゴールデンなアックスとか、ファイナルなファイトとか、ちなみに共感してくれる人はほとんどいない。横スクロールアクション面白いのにさ!

 そんな僕でも読書は実物で行う。

 頑丈で軽量な自由端末のほうが利便性に優れているのは確かなのだが、ううん、いかんせん数が多い。そのデータは目眩がするほどの膨大な量にのぼってしまう。

 それならということで限られた数の本、つまり自分の家にある実書を先に読もうと考えたわけだ。

 

 「電〇文庫多すぎ……あとM〇と富士〇も」

 そんなにファンタジーやらラブコメが好きだったのかいご先祖さま。

 というか曾爺ちゃんよく曾婆ちゃんと結婚できたな!

 

 とまあ、そんな優雅な、どこにでもいる一般市民生活をしている僕なわけだけど。

 僕、職業はハンターなんだよね。

 そう、あのブラックで……しかもフリーなことで有名なお仕事さ、いい加減生活費を考えると働かなきゃいけないとは分かっていてもね……うん、どうにもやっぱり命を対価に外に出て働くのはね……天から金が降ってくればいいのにね……何が言いたいのかと言うと、まあ……つまるところ、だるいのだ。

 できることならずっと僕は家にいたい。天照大神あまてらすのおおみかみになりたい。じゃあアメノウズメは誰だよ。




 しかし人は糧を得て生きるものなのだ。これが現実。無情な現実。

 外と地下を繋ぐ、ターミナルのおっさんとか職員のおじさんとか、あとハンター連中の寄合所に行きたくないんだよなぁ……とぼやいても仕方がないので出発した。

 近くの道路区画にある平行エスカレーターで向かうのはターミナル。無数のパイプとケーブルが走っているどこか狭い部屋の奥には、大きな広場と天井の待機部屋があって、僕を心なしか威嚇してるように思えた。

 そしてターミナルの待合所に辿り着くと、わっと匂いの奔流が襲いかかってきた……脂、汗、尿、タバコのヤニ、そして加齢臭、くらくらする。

 ああ、早く部屋に帰りたい、3LDKの我が家、廊下と台所がミシミシ言ってるけど、僕の愛すべき我が家だ。

 ……というか周りの男たちがじろじろ見すぎ。怖い。なにこれ。

 「あれが噂の」「黒の」「ええ!? あの人が」とかなんとか噂は聞こえないところでやってほしい。

 どいつもこいつも雁首そろえて楽しそうに、何がそんなに楽しいのかね。

 昔、工場長に「パイプとケーブルがみしりと詰まったこの感じ、これぞまさに男がロマンだなぁ!」と言われたけど分かるかっつうの……ああ、早く待ち時間終わらないかな、うう。

 とかなんとか言ってると向こうから髭面のおっさんが一人近づいてくる。

 何か生え際の退行が以前に会ったときよりも進んでるようにも見えた。

 「よお! 珍しいじゃねぇか黒」と煩い声。「うるさいなぁ!」とつい反射的に返してしまう。

 この人なつこい顔で笑いかけてくるうっとうしいおっさんはグレイン。

 一応こんなのでも古い付き合いだ。ちなみに歳は32、独身。

 

 「んだよ、久しぶりなんだからもう少し愛想よくしろよなぁ! 金でもなくなったか?」

 「知ってて聞いてるよね? ……ったく暑苦しい」

 「ま、お前がいるなら今日は楽そうだな」

 とかなんとかこいつサボる気満々だな、おい。

 僕にばっかり蟹を押しつけるつもりか……まあ腕はいいんだけど……こいつはこういうところが駄目で、未だに平社員なんじゃないかな。わざわざどうしてコイツがこんな辺境にいるのかは分からないけどさ。どこでもやってける経歴だろうに。

 そんなことを考えているうちに周囲の注目の度合いが増してるように思えた。

 遠くから囲むように……僕のことを珍獣扱いか……グレインというベテランが注目に拍車をかけてるんだなこれは、碌なことしないな……ほんとにこのおっさんは! というか、身長にあかしてわしわしと僕の頭をなでるのやめて欲しいんですけど!? こいつの煩わしさといったら全くかわんねぇ。

 

 とはいえ旧知の仲で、まあ、一応、その、なんというか、もしかしたら……友達、的な、何かに値するかもしれないこともないかもしれないので、しばらくの間グレインと話をする。

 やれ最近では丘陵部のほうに巨大なクラブが現れただの、先日狩ったキャンサーがいやにうまかっただの。最近の新人はふがいないだのと話すおっさんの話に相槌を打ちながら、頭二つ分は身長が離れているせいか、自然おっさんを見上げる形になっている事実に気付いて怒りを募らせる。いやほんとにむかつくね……こやつ何様のつもりか。

 

 「でもさ、新人が使えないのも、いつものことじゃんか?」

 「いやさ限度ってもんがあるだろ、あいつらカニを……一目見るなり逃げ出したんだぜ」 

 「……いやはや、ご愁傷様だねぇ!」

 「他人事だと思ってこの野郎……てめぇだって本来なら俺たちと教導役やってた筈なんだぜ?」

 「……キャラじゃないよ、それこそね路傍の石みたいなもんだからね、僕は」

 「いやに光ってる石だなぁおい」

 「気のせいだよ、買いかぶりもいいところ……僕にはね……君やスミス、ジョジナーや新藤、倉丸みたいな真似は出来はしないのさ……せいぜいがこうやって自由役で小遣い稼ぎをするぐらいのもん……それにしたって君だって中央本部に幾らでもポストがあるだろうにさ……」

 「お前に人のことが言えるのかっつうの! ……隠者とは名ばかりの引きこもり生活、楽しいか?」

 「満喫してるよおっさん、おっさんこそ早く自分の居場所に帰りなよ」

 「……大きなお世話だよ」

 そしておっさん……グレインはその無精ひげをなでながら、咥え煙草を揺らして僕をじっと見つめた。

 急な転換はやめてほしい。ドキッとするし、なんだかこういう真面目な空気は嫌いなのだ。

 しばらくするとグレインは首を振った。まるで言いたいことがあったけれども、それを懸命にこらえているみたいだった。辛気臭いおっさんだよ。本当に。


 


 

 おっさんは自分が指導するらしいガキどもの方へ帰って行った。

 あばよ! と言いたげに手をぶらぶら揺らして……カッコつけやがって、おっさんのくせに。

 ともあれ一人だ。

 もうすぐ外界――地上への入り口が開く時間……いつまでたってもこの出発前の緊張感には慣れない。おうちに帰りたくなってくる。

 見れば遠巻きにこちらを眺めていた新人やら、あるいは中堅以上らしいハンターたちがそわそわとこちらに近寄ってきていた。お前らそんなに僕が珍しいか、あぁ!? そこの整備工を見習えや、この狭くて汗臭くて煙くさい部屋で黙々と自分の仕事に集中してやがる。これがプロってもんだろう、なのになんで僕ににじり寄ってくる。


 「あの!」ほら、きたよ! だから仕事には来たくないんだ。

 「……ええと、その、黒さん、ですよね?」そうだよそれがどうした、というかシカトしてんだよ、そんぐらいのこと気づけよな!

 若草色の髪の少年ハンターは戸惑いと緊張と憧憬の混じった目でこちらを見ていた。色からすれば、おそらく遺伝子改竄された半人造人間か、後天的に性質調整を受けた改造人間だろう。

 「えと、あの、ふぁ、ファンなんです!」

 でたよ! ファン! こいつらの間で流行っているのか、僕が町に出るとしょっちゅうこのたわごとを聞かされる。

 きらきらおめめで僕にサインやら握手を求めてくる、からかうのもいい加減にしろっつう話だね。

 「で、その、よろしければお話を」

 高まるざわめき、どうやら若草色の少年の勇気を讃えているらしい。

 まるで僕が凶悪な獣のような扱いじゃあないか! 糞がっ!

 ……どうして僕が、思ってることを口にして相手を追い払わないかって?

 恥ずかしいからだよ!

 言わせんな、そうだよ、んなガキ、といっても僕よりも身長が高いのだけれども……ガキ相手でも初対面だと何を言っていいのか分んなくなるんだよ! 相手の反応が怖いし、変な反応をさせる自分に怒りを覚えるし、周りの奴らには見られてるし、顔熱いんだよ! ああ、だからハンターはいやなんだ!

 視界の隅におっさんが見える。あの野郎。僕の内心に気付いていて笑ってやがる、糞っ!

 「……その、お、怒ってますか、あの」

 怒ってはいないけど、空気を読んでくれよ、なんていえばいいのか……糞っ、誰か助けてくれ! 神様仏様! このさい蟹でもいい!


 そしてそのとき低い声が響き渡った。

 「噂にたがわぬ傲慢ぶりですね」と。


 声の元には一人の男、おそらく20になるかどうかといったところ。

 物腰、佇まい、そして手に持っている高硬度機械剣マシーナリー・ブレイドから見ると、おそらく中堅に足を踏み入れたかどうかというところだろう。気障で厭味ったらしい笑み、己のほかに王はなし、とでも思っていそうな瞳の色。こりゃ糞ガキだ! 

 助けを求めたんであって、こんなのは求めてないんだよ、糞がっ! 民主主義に押しつぶされてくたばれ運命の神め。

 そんな内心を置いておき、事態は進展していた。

 見ればその気障な男の隣には、赤いロンゲの長身な男。いかにも傲慢そうな金髪の騎士もどき。そして紅一点らしき女――紫がかった髪で豊満な肉体を持った糞っ……もげろっ! もちろんこいつらの身長は全員僕より高い……死ね!

 というか僕以外の誰一人として、僕よりも背が低い奴がいないのがこのハンター運営所……だから嫌だったんだよ、ここに来るのはさ!

 

 「ねぇ、マルシリアお久しぶり」

 「姉さま」と若草色のガキが、デカチチ紫ババアに言った。

 何か因縁でもあるのだろうか、知ったこっちゃないけどね!

 「ふん、貴様が噂の黒か!」と金髪の騎士もどきは僕に言う、そうだよ、どんな噂かは知らないけどね……というかなんでこいつら初対面なのにこんなに攻撃的なんだよ。

 「貴様ら黄金世代の時代はもう終わりだ、おとなしく穴倉にでも籠っていろ」と騎士もどきの言葉が続く。

 「マルシリア、一流の冒険者の言葉を聞きたいなら私たちに聞けばいいじゃない」

 こっちが求めたわけでもないのに勝手に集まってピーチクパーチク、これだから最近の若いもんは。

 歳をとるってこういうことかねぇ、古代バビロニア人や古代エジプト人、そしてローマ人にギリシャ人、彼らが壁に刻んでまでその言葉をぼやいた気持ちが手に取るようにわかってしまうよ。これだから最近の若いもんは、とね……気付いたらそのまま口から言葉が出ていた。

 

 案の定、気障な男たちは目をすがめて、悪鬼のようにこっちをにらみつけていた。

 「若い者と括るのはやめていただきたいですね、ロートル」とは気障な男の言葉。

 その言葉に僕は肩をすくめるしかなかった。

 苛立ちを隠さずに、気障な男は言葉をつづけた。

 「あなたの時代は……もう終わったのですよ」さっきも聞いたよそれ、時代ならあげるからもう好きにしろよ、その自信がどこから来るのか気になってしょうがないけどさ!

 「おい、そろそろ」と今まで口を開いていなかった赤いロンゲの男――無口そうな奴だ――がそう口を開いた。

 「あ、ああ……ふん、行くぞ」と気障な男は言い捨てて、僕の周りの乱入者たちを引き連れて、自分たちの所定の待合区域へと向かって行った。最後までガンをつけるのを忘れずに。うぜぇ。

 「じゃあねーマルシリア、ふふ、またあとでね」と甘ったるい女の声だけが残響した。 

 ああ、胸糞悪い、僕は家に帰りたくてしかたがなかったね、当然!



 

 あれからしばらく、何か言いたげに口を開いては閉じた気弱そうな若草色は、時間が来たのか自分の仲間の下へと走り去っていた。

 待合室兼と整備室さらに酒場を兼ねた玄関口。

 都市の広い区画を一手に抑えたこの門とその周辺のターミナルは、この地下都市唯一の主だった地上との連絡口だ。広い敷地にはパイプが無数に走り、その他にはとりたてて何もない空間がある……そこここに門が立ち並び、所定の時間にそれが開かれる。そしてそこから蟹を狩るために僕たちハンターが外へと躍り出る。

 グレインはどうやら第七門、僕は第一八門、さっきのガキどもとは幸いなことに違う区画らしかった。

 あれが最近の新人であるというのなら、グレインの苦労も忍ばれる。と考えながらも僕は武装の装着を行う。

 量子式機械槍シュレディランスを片手に、脚と腕にそれぞれ具足と小手を付ける。第7世代の強化プラスチックと水素式のエンジンバーニアで作られた僕の鎧。黒い髪と黒い服に合わせるつもりはなかったけれど、昔の知り合いが寄越したこの漆黒の武具を使ってもう12年。

 幾多の戦いの果てに改修を繰り返し、全面的換装を数度にもわたって行った僕の相棒たち。

 願わくば二度と身に着けることがなければ嬉しいのだけれども。まあ願いはかなわない。フラグってやつだ。

 マーフィーの法則にいわく、万全を期しても失敗しえるものは失敗する。そして最悪の事態は連鎖する。組み立てられた計画には漏れがあるもの。僕が多くを望めば結局何もいいことがないのはわかっているさ。

 最後にゴーグルとやけに軽い胸当てを装備して終了。まあ胸当てはエネルギーパックみたいなもの。僕は攻撃に当たるわけにはいかない編成ってことだ。そう多くはない回避型の装備を装着し終えたら、最後にゼリー状の食事と水分を軽く補給。

 それが終わる頃にアナウンスが流れ出す。


 「ただいまより、ターミナルの開門を行います。現在時刻は午前九時、天気は晴れ、絶好の狩り日和ですね、皆様のご武運をお祈りしています」


 そして狩りが始まった。




 久しぶりの外だ。そもそも部屋から出るのが二週間ぶり、最低限部屋に備えてあるトレーニングルームで身体を動かしていたけれど、この爽快感とそして紙一重の倦怠感は外でなければ味わえない。

 僕は日射しに目を細めて、久しぶりの外を見渡した。

 蒼い空、鬱蒼と生い茂る森と丘が一面に見渡せる。銃座とコンクリートに照明が備わったターミナルベースを過ぎれば、そこには崩れたコンクリート、繁茂する植物、蠢く鳥、廃墟の山から覗けるコケやらツタやらの姿。

 どうやら視界に蟹はいないようだ、とここでシャーン、シャーンというような音。機械の駆動音と金属のこすれる音が響いた。

 振り向くとそこには巨大な蟹……見上げるほどの大きさ、高さは4mもあるだろうか……横幅は確か12mで縦幅は5mの偉容を誇るそれ……通称【カルヴィーノの蟹】だ。

 

 「あら、久しぶりですわね」と蟹から女の声がした。

 見れば蟹の背から顔を出している女――赤みがかった金髪を派手に巻いた女……一応の知り合い、ローニア・エウシュバインが搭乗しているらしかった、嫌な奴に会った。

 ついでに補足しておけば【カルヴィーノの蟹】とは、人間が蟹に対抗するために作成した多脚型戦闘機械である。なぜ蟹の姿をしているかと言えば、話は単純で制作者のゴッドシューパー博士……あのクソ博士が蟹信奉者というだけの話なのだ。

 あの円らな瞳、強靭さ、ハサミと流線型のフォルムに心酔した彼は、長い時をかけて蟹に対抗できる人造蟹をその手で造り上げた。げにおそろしきは人間の執念というわけ。

 あの野郎は僕の調整官で、そのおかげかあいつの本来の目的はよく知っていた……本当は全自動、つまりAIによる自律稼働可能な蟹型兵器を目指していたこともだ……最終的にそれを断念して中に人を乗せることになったときのあの親爺の怨嗟は凄かったのだから。

 いわく、蟹のなかに人がいるとか、蟹が人に変身するとか、蟹が人だとか、残念以外の何者でもない! とのこと、ネーミングの【カルヴィーノの蟹】というのもそこから来ているらしい。人類黄金時代のイタリア文学者カルヴィーノが収集した民話のなかにあった、継母にいじめられているお姫様が大きな蟹に助けられる話……心を通わせる姫と蟹、あるとき姫が蟹をこっそりと追いかけていくと、その蟹がぱっくりと横に分かれて中からは美しい王子様が!……なんと呪いで蟹の中に入ってそれを動かしていなければならなかったのです! ですじゃねぇよ! がっかり以外のなにものでもねぇよ! 人外が人化するとかマジわかってない! この現象を我はカルヴィーノの蟹と呼ぶことを提唱したい!! あ、幼女に変身するなら許す!! とは博士の言で、いま思い出しても死ねばいいと思う……まあ、ともあれここ五年で急速に配備が進んでいる新型兵器だ。


 「……久しぶりだねぇクソ女」

 「あらあら? 私の聞き間違いかしら、過激な挨拶……お里が知れましてよ? うふ、でもカワイイから許しちゃう♪」

 ローニアは頬を緩めてこちらを見る、いやうぜぇよ。

 「お前らとは、こんなににこやかに話をする仲だった覚えがないんだけど?」

 「いいじゃないの、私ももう団の一員じゃないんだし、旧交を温めても」

 「……目つきが気に入らない」

 「あらまあ横暴! ……助けを求めても助けてあげませんわよ?」

 【カルヴィーノの蟹】は主にターミナルベース、地下都市への入り口を守るために存在している。地下への蟹の侵入は何が何でも避けらるべき事態であり、常に一定の人員が割かれていた。なにより閉門に時間がかかるのだ。この機械蟹は最後の防壁なのだ。

 だから僕が、こいつと揉めても良いことはない……のだけれども。

 「団か」

 「懐かしい? 首領が会いたいって言ってたけれど」

 「糞な話だよ!」

 団とは『全男性抹殺団(S.C.U.M. )』のことだ。

 現代に蘇ったアマゾネス、極限的なラディカルフェミニストたち、女性同士の生殖が可能となった現代において男性の不必要性を訴え、遙か過去の英雄シンボルとしてヴァレリー・ソラナスを持ち出し、旧米国群にあったらしい同名の組織からその名前を受け継いだ過激な集団。

 常々疑問に思っていたのはヴァレリー・ソラナスだ、アンディ・ウォーホルを銃撃したとされる女。とはいえアンディ・ウォーホルが具体的には何をしたのか現代のデータベースには殆ど残っていないのでその凄さがよくわからない。

 又聞きになるが、かつて旧東京群にあったとされる魔都A(古名AKIHABARA)において数万から数十万円(旧日本国において用いられた貨幣名称)の値段でシルクスクリーンなるものを有償配布するという儀式が存在していたことが確認されている。現代の人類学者や史学者によるとこれは当時の新興宗教の通過儀礼イニシエーションであるらしくて、アンディ・ウォーホルはその教祖だったのではないかという学説が通説となっている。あれ僕なんでこんな話してるのだろう。

 閑話休題、とまあいろいろあって僕はこいつら全男性抹殺団の連中と何度かやりあっている……というか首領の腕をもいだ過去があるわけで。

 どうにも目前のローニアが信用できないのだ。

 

 「相変わらず懐かない猫のような御方ですわね」

 「……褒めてるのかな? 猫は嫌いじゃないけれど」

 「ええまあ、可愛らしいことは確かですわね、首領が特別に求めただけあります」

 「ヒルデガルドの糞か、いやだいやだ……そんな特別扱いはごめん被るね」

 「あら残念」

 そして口に手を当てて上品に笑い声を上げる目前の女を見つめた。

 気付けば陽は既に十分な高さにあり、その陽光が彼女と蟹の青銅色の肌を照らし出していた。

 その眩しさが正気を取り戻したのだろうか、僕はやっと踵を返して、深い……青と緑の入り交じる廃墟の暗がりへと突っ込んだ。




 小さな蟹を発見。木々に囲まれた建築物の廃墟らしき場所に、二匹の小型の蟹。廃墟は何か大きなものだったのだろう、どこか平和そうな様子で蟹はひなたぼっこをして、仲良くハサミを突き合わせていた。

 やりにくいなぁ……勝手な話かもしれないが、カワイイし……ちょっと和む。

 まあ小さな蟹は狩っても小遣いくらいにしかならないし、余りおいしい訳でもないから、違うのにしようかな……いやでも、ううん、これが甘いってことなのか。

 そうだ僕はまあ甘い……甘くて結構……!

 そして小さな蟹二匹を尻目に僕は木漏れ日の中を進んだ。

 

 そのまま森を少し歩いた地点に、今度は中型種を発見した。

 川にその身を浸からせてぼうっとしている。

 川の流れ……透明な水には周囲の木々と花の彩りが映り込んで、どこか清々しさを覚えた。

 その中で僕は僅かに窺える蟹の赤さに見惚れた。ゴツゴツしたタイプではない……スベスベとしている。ハサミもそこまで大きくない、横幅は恐らく4mほどしかないだろう。高さだって2mほどだ。

 先手必勝というところだ、今日一番目の狩りはこいつに決めた。


 僕はESPで水をせき止めることにした。

 念動力……僕の主力技術、まあ自慢ではないけれども、結構な研磨と修錬を重ねてきたおかげで範囲と威力、そして精密さにおいては自信があった。

 念動力が見えない壁を作り、川の流れをせき止めて、溢れ出た水が川沿いの花と丈の短い草々を水浸しにする。

 蟹は違和感に気付いたのか、ハサミを持ち上げてあたりに振り廻す。木々から漏れる日色が蟹の甲羅に注ぎ込む、やがて彼……目前の蟹は立ち上がって横滑りに川を下り始める。

 

 よかった、縦移動はできないタイプらしい。

 そのことを確認すると同時に、僕は蟹へと突進した。

 バーニア――籠手と具足と鎧の背面にあるそれら――を吹かして、彼我の100mほどの距離を一瞬で縮めた。

 蟹の黒い瞳は僕が迫る方向にはない。ゆえに奇襲は成功する。僕は槍を振りかぶる。

 蟹の特徴……速さ、堅さ、強大さ、異能、学習能力……かつて、先人たちが進化した蟹と初めて接敵したときに最も苦戦したのがそのなかでも堅さであった。 

 僕の持つ量子式機械槍シュレディランスはその堅い甲羅への対策として生まれた武器だ。1mと50cmほどの長さしかない短槍には刃が存在しない。

 ではこの槍はどう相手を仕留めるのか? 答えは簡単……この槍は刃を柄から後で顕現させるのだ。

 僕は振りかぶった槍の先端部を、蟹に密着させる。

 そして量子……観測可能性の範囲が蟹の内部に広がる。

 一秒にも満たない時間を待って……起動、蟹がこちらの存在を察知して、高速移動の気配を見せた瞬間に、高次元からの擬似的観測によって蟹の内部に存在した量子が収束し……蟹の内部に大質量の刃を顕現させる。

 呆気ない狩りの終了……内部からの圧殺によって、蟹は絶命し、体液を関節と口腔から溢れ出させて、あえなく膝を付いた。


 そして僕は手早く腰に装着していた信号筒を起動させる。10cmほどのそれを蟹の死骸の上に置き、衛星を経由した情報信号が、ここに蟹がいて、それを倒したのが僕だということをターミナルへと伝える。

 おそらく回収班が数分もしないうちに、骸を回収するだろう。

 そうして僕は、血濡れた泡を吐き出して、その瞳に生命の脈動を感じさせない蟹を見上げた。

 「これも生存競争……ってね」

 独り言に呼応するかのように、近くの草むらが蠢いた。

 僕は黙って槍を構えた。


 「わあ!」と声を出したのは新人のハンターのようだった。

 目を輝かせて、息をもきらせんばかりに駆け寄ってきた数人のハンター初心者たちに、僕は毒気を抜かれた。

 「これを一人で?」「この短時間でかよ!」「外傷が全く見当たらないぜ」「いや量子式ってやつじゃねえの」「うわっ! 初めて見たよ」「凄い、やっぱ凄いですよ黒さんは!」と怒濤の如き勢いで、僕の鼓膜を割らんばかりに騒々しく若者たちが囃し立てた。

 うるさいやつらだ! 僕だってひまじゃあない。なのになんだって僕を取り囲むように、あるいはおそるおそるとした態度でこっちを見てくるのかね。

 「……どいてほしい」と呟くのが精一杯だった。

 若人たちは、ざっと道を開けた。

 なんでまたこんなに僕に構うのか、ベテランの手並みなら他のを何回でも見ているだろう? 

 うう、さっきからそのキラキラした眼で僕のことを見つめやがって……よく見れば、この集団のリーダーは先ほど、こわごわとこちらに話しかけてきたあの若草色のルーキーらしかった。

 「あ、あの!」とやはり話しかけてくるのは若草色の少年……未だ青年と呼ぶには若すぎるハンターだった。

  僕に話しかけるな……とは言えない、そんなことを言えたなら伊達に知り合い連中から人見知りが高じてクールな奴……だなんて言われてない。

 だから僕は「なんだ」と返すのが精々で、振り返ることもしなかった。

 虫の鳴く音が聞こえてきた……焦燥を煽る、そこで気付く、いま夏だったのか、と。

 気がついたら暑さが気になってしょうがない、元々暑気には強い性質だが、心理的圧迫が合わさって、どうにも我慢出来ないような暑さに感じられた。

 そうして気もそぞろに、若人の次の言葉を待つ……うう、鬱陶しい! 本当なら逃げ出したいけどさ! ……そうだよ、それだって出来ない小心者のなんだよ! 悪いかおい! 糞がっ!

 

 「ど、どうしたら貴方のように、強くなれますか」

 「……前線に行け」条件反射的に即答してしまった。

 絶句が伝わってきた。でもこれは事実だ、いくら素質があろうが、いくらこんな田舎で気を吐いていようが、蟹が自由に野を闊歩して、度々ターミナルを襲撃するような最前線に向かわなければ、いつか限界が来る。

 僕は……まあ選択できるような立場でも身分でもなかったから、基礎訓練の終了した一六年前にはすぐさま前線に送られた。

 常に命が脅かされているという極限状態、危険度AやらAA以上の蟹しかいないような激戦区で、昨日まで一緒にいた仲間が翌日にはいなくなっているような状況で、それでも生き延びることができたのならば、

 「そうしたらこれぐらいの強さ……簡単に手に入る」

 「……それは」

 「迷うようならやめておきなよ……グレインや他のベテランやらから手取り足取り技術を教えてもらって、研鑽を積んで、そして常にチームで行動すれば……この辺りで生活していくうえじゃあ充分じゃないかな?」

 「……で、でも」

 「何を考えてるのか知らないけれど、何をどうするのかは君の問題だ……でもね、いま君が前線に行けば……死ぬよ、間違いなく」

 そこで僕は言葉を切って、森が深まる方へと足を進めた。

 ……うわぁ。なにを上から目線で、しかも格好付けて言ってんだよ僕は……うわ顔熱い、この子たちの顔が見れないよ、僕の顔を見られても恥ずかしいよ……うわぁ、うわぁ、ゴロゴロ転がりたい、家に帰りたい、布団にくるまりたい……うぅ、これだから外に出るのは嫌なんだ、こういうのは僕の役割じゃないのに、この子たちも、うぅ、こんなチビにあんな説教されて、糞っ、新人たちに偉そうに、僕は何様なんだよ!!

 こうした懊悩に顔を真っ赤にさせて、せめてそれが見られないように、足早で進むことしか僕には出来なかった。





 予感のとおりだった。グレインと彼の受け持ちの新人たちが、崩れ去った廃墟の欠片、何かの柱の陰に伏せていた。

 背後から身を伏せて進む僕の顔を見て、グレインは露骨に喜色を満面、そして周囲の新人たちも安堵した様子を見せた。

 「おぉ! 黒じゃねぇか、いいところにきたな! ……なんか機嫌ワリィなおい」

 「気のせいじゃないかな……でこれはどういう現状なわけ?」

 「あれだよ」

 身振りで彼が促す方向に目を向けると、そこには巨大な蟹がいた……デカイ! 大物だ。

 圧倒的な偉容、存在感溢れる黒い甲殻、蜘蛛にも似た、ヤドカリにも似たフォルム、縦に長く、鋭い刃を鋏に湛えた見るからに凶悪そうな存在感。

 「ヤシガニ系の特異変異種かい……危険度Bはありそうだね」

 「大型種……高さだけで12mはあるなありゃ……黒い肌、異能持ちかもしれん」

 大柄なグレインが僕の顔に、その髭が当たるぐらい身を屈めて顔を近づけてくる。うわぁ! 親爺くせぇ! 髭じょりじょりして痛いんだけど!? 僕が相手とはいえもっとこう手心を……まあ、蟹に気付かれないためなんだろうけどさ、それにしたってもうちょっと気遣いを……おっさんに今更言ってもしょうがないことかもしんないけどさ。コイツはデリカシーがねぇな本当に、親しき仲にも礼儀ありでしょ!

 「それで僕はどうすればいい?」そんな内面をおくびにも出さない僕っておとなだよね。

 そんな僕の内心にも気付かずにカラッとした笑みを浮かべて、グレインは事も無げに言う「フォーメーションCで行こう」と。

 僕は記憶の片隅からそのフォーメーションCなるものを頑張って引っ張り出す。

 さもツーカーであるかのように言われてもすぐに思い出せるかっつうの!

 少しして……ああ、なんとなく思い出してきた。

 「……僕が盾で、君が後衛ってことかい」

 「おう! 通称一人釣り野伏だな」

 「それってただの囮作戦じゃないの!?」

 とまあ僕の訴えにも関わらず、結局この作戦で行くこととなった。

 本当にこんなチビ――しかも少年めいた童顔とこの歳まで言われ続けてるようなチビ――が一人で囮をやるんですかい、親分? みたいな目で僕のことをじろじろと見ている新人やら中堅連中がウザイのなんの。 糞がっ! 僕だっていやだよ、でもグレインめが、本当にいい笑顔でこっちを見てやがるからさ! 断り切れないし、実際わかるのさ、それだ最善の策だってね。

 そりゃまあ君たちにしてみれば、見た目的には自分たちよりも年下の子供にしか見えない糞餓鬼が、自分たちの命を背負うのだから不安にもなるだろうけどさ。もう少しそうした心持ちは隠してくれないかな……君たちだけじゃあ、蟹を惹き付けても一撃で跡形もなくすり潰されるのがオチというのも事実なんだから。

 まあ、そうして僕が敵を引きつけて、あとはグレインの火力が戦闘の鍵ってわけだ。

 蟹の甲殻内部への攻撃は主として熱、あるいは電撃によって行われる。実際グレインを除いたハンターたち数人はみな電磁式のコイルガンを構えている。そして蟹に見つからないように地に伏せて目前の存在から目を離さない。

 威力はあの大きさを相手にすれば微々たるものだろうけど、それでもないよりは全然マシだからね。

 とはいえやはり主力はグレイン、彼の構えてるは融解式の光線銃レーザーによる狙撃にある。

 背を覆わんばかりの巨大なそれは扱いの難しさで知られる巨銃で、まあ持ち運びの出来る大砲というところか。低度とはいえ強化人間ブーステッドマンだからこそ出来る運用だろう。

 照射可能時間は二〇秒。

 一発限りの必殺銃……その狙撃の範囲に、より確実に蟹の弱点である脳が収まるように動き回るのが僕の役割でもある。

 なにせ敵はデカイ、それに今は横を向いているから全長が一目で分かるが、縦幅の長さだけで40mはある、まさに怪獣だ。

 おっさんが討ち漏らさないように、隙を作って、なおかつ的を寄せなければ、あえなく反撃にあって、おっさんが一撃ですり潰されてしまう。

 フォーメーションCの成功は、まあ僕に掛かっているといっても過言ではなかった。

 とはいっても、この程度の重圧、前線じゃあ日常茶飯事。

 僕が昔を懐かしみながら(ガラでもないね)蟹を眺めつつ、武具の各箇所をチェックしていると……おっさんの準備が整ったらしい……おっさんがサインを寄越してきた、気障な感じだ……うざい!

 

 とはいえサインに従って僕は行動を開始する。

 足を動かし助走を行う、そして数瞬後に加速が開始され……ビル廃墟群が瞬く間に遙か後ろへと消えていった。

 この疾駆は腕脚と背中にあるバーニアが圧倒的な爆発力を発生させて生まれたものだ。

 八本のバーニアによる立体移動、そのところどころを念動力により補正し、ときにその破壊的なまでのGさえも減衰させて、速攻で前進を続ける。

 そうして得た速度により……蟹――黒いヤシガニは既に目前に迫っていた。

 巨大な鋏はどのような金属であっても、そしてダイヤモンドでさえも苦もなく切り刻むであろう。

 古典物理学を初めとした万物の常識に逆らうような、現在の地球における王者たち……反抗するのはちっぽけな人間。

 そして僕は蟹に取り付いた瞬間に、機械槍を起動させた。

 

 ハンター内での便宜的な分類において、ヤシガニ――ヤドカリ系と呼ばれる蟹に共通するのは、鋭く強靭な鋏、速度は比較的鈍重ながら三対の脚部は素速く動き、その先端は鋭く重く、容易く人の命を奪う。

 キチン質で覆われた腹部を初めとして単純物理攻撃では手も足もでない。

 とはいえそれは僕には通用しない……僕は機械槍の先端から発生させた仮想的な量子の範囲を広げ、それを物質化させることにより蟹の内部から攻撃を行うからだ。

 案の定、蟹は三対の中でも一番小さな脚……その内部が急激な痛みを訴えたことに気付いたはずだ。

 僕を発見しようとする動作によって、蟹はその顔をグレインの方向に向けることになるかもしれない。

 グレインたちの潜む廃墟方向に上手く頭部を誘導しなければ!

 

 迫る脚を我ながら巧みに避ける、瞬間的なバーニアの噴射――鎧の前面部と具足籠手の前部に取り付けてあるバーニアが、立体交差的な機動を可能とさせる。

 熱いことは熱いが、もはや慣れたものだ、それよりも夏の日射し、一面に降り注ぐこの紫外線のほうがうざったらしい。

 時折、バランスが崩れそうになるのを大気の壁と化した念動力によって補正する。

 内臓と全身の骨がねじれそうな圧力に耐えながら、僕は回避移動を繰り返し、そして隙を見て、蟹の脚……その内部を損傷させる。

 流石の機械槍も範囲は決まっている、広げたって3m四方くらいが限度だ。

 この巨体を相手にすれば威力不足は否めない。

 とはいったって現状のままなら相手の頭部に張り付くのも一手間かかる……できないとは言わないがまあ面倒だ……と考えればうん、おっさんが倒してくれるならそれに越したことはないわけで。

 しかし中々、この蟹め、方向を転換しない。忌々しい!

 

 そうしている内に、ちょこまかと視界外から痛みを与えてくる羽虫……つまり僕に苛立ちを覚えたのか、蟹は動きを止めた。

 苛立ちを覚えているのに動きを止める?

 それは次の行動の為の準備動作だった……三秒の間があって、その後に巻き起こった衝撃波に僕は吹き飛ばされる。

 僕は僕自身を念動力によって動かすことによって勢いを殺し、慌てて姿勢を制御した。

 何が起こったのか……蟹が飛翔したのだ、見れば六対一二枚の黒翼がヤシガニの背にあった。

 まさに変異種ゆえの異樣といえるだろうか。

 実はそう珍しいものでもないのだけれども……僕は何度もこういうタイプを見ているから。でもまあこうした異様ながらも強大な存在の迫力に圧倒されるのは得てして新兵と相場が決まっている。

 恐慌に陥ったグレインの部下たちが、おもむろに銃撃を開始したのもそのせいだろう。

 いやホントにやめてよね、としか言いようがない。

 そんな低威力の銃でどうにかなるわけないでしょう!? と内心のぼやきもなんのその、鋭い小便のように真っ直ぐな軌道で光が瞬き蟹へと直撃する。

 

 Q 結果は如何に?

 A ノーダメージ! ……ですよね。

 しかし蟹の注意を引くのはその程度で充分なのだ。

 蟹が口を開ける、触覚がうぃんうぃんと動いて、何かの力を内臓から溜めている挙動だとわかった。

 有害な液体か、有害な気体か、ブレスなのか、光線なのか、ガスなのか、あるいは酸かもしれない。

 それを止めるのはしかし僕の役目で、少なくとも僕の目が黒いうちはグレインを殺させるわけにはいかない。

 

 その巨大な目で眼下に蟻の如く小さな人の群れを発見したらしい。

 ご丁寧にも蟹はグレインたちの方向へと顔を向けたと同時に、身体の中に溜めたそれを吐き出した!

 蟹の口腔から吐き出されたものは液体だった……ところどころ緑色がかった黒色のその毒液を……しかし僕は食い止める。

 右手を空に翳して、念動力――なんとも陳腐なその名称を言い立てたくはないけど、これも僕の立派な力――を使って、見るからに危険そうな液体を押し留めた。

 高度ESP、遺伝子改造された軽度ESPの両親を元に生まれた子供が極々稀に持つそれ……その上での遺伝子改良と後天的な人体改造が僕に植え付けたこの力……忌々しくないといったら嘘になるけれども、まあ有効利用しないわけにもいくまい。

 僕だっていい加減に歳だ、そりゃ10代の頃は力を使う度に己の存在意義に悩んだりもしたが、いまとなっては一つの力に過ぎない。

 全開にされた念動の波動が、空気を揺らめかせ、振動とともに大気を伝い、蟹の頭部と触覚、眼球と顎、そしてその口腔と液体全てを押さえつける。

 自分で言いたくないが僕の念動の手は厚く、強い。

 それこそいったい何メートルあるのか、下手したら5m四方以上はありそうな蟹の頭部全てを押さえつけることだって可能だ。

 単純だからこそ、万能……そして最高の力だと自負している。

 僕だってまあ、一つくらい取り柄があってもいいじゃないか、ということだ。

 そうして蟹の頭を、グレインの丁度頭上で固定する。

 流石に1分以上は厳しいので、早々にあのおっさんにはこの蟹を始末していただきたい。

 

 願いが通じたのかどうかはわからないが、グレインは白みがかった真紅の熱線――超高温度のエネルギー体の収束照射を蟹の頭部へとぶつけて、それを容易く貫通させた。その後二〇秒きっかり、小刻みに、しかし入念に動かされ続けた光線の束は、目前の蟹の脳――蟹味噌を香ばしく焼き焦がしたのだった。

 

 

 

 振り向いて、グレインの元に辿り着く。

 がばり、と抱きしめてくるこの糞親爺、だから汗くさいんだって!

 そして顔を見れば満面の笑み、うわお! 年甲斐をどこへやった32歳!

 

 「やっぱりお前は最高だぜ、黒」

 「……は、精々失敗しなかっただけ感謝しなよ? 下手したら死んでたんだからさ!」

 「あたぼうよ! でもまあお前の壁が破られた記憶なんて俺にはないがね」

 「僕のことを買いかぶることに関しちゃ、おっさん以上の奴を知らないよ」

 なんておっさんの顔を見上げながら僕はぼやく。

 見ると周囲の新人やら年下のハンター諸君も喜色を浮かべている。

 電子筒は先ほど既に起動させている。

 さっきの中型蟹と、この大型蟹……まあ本日の収穫としてはこれぐらいでもう充分じゃないかな。

 人は足るを知るべきもの……こうして生活に十分な量の蟹を狩ったら後はもう帰還……と周囲を見渡すと、4人ほどのハンター集団がこっちを見てた。

 うげ、ターミナルで絡んできた連中だ。

 こっちのことを見下ろしやがって、その身長をくれよ! プロクルステスの寝台にかけてやろうか? と見れば目を瞬かせて、何か動揺しているようだった。

 顔面も蒼白だ。

 

 「ん? オシノスじゃねぇか」とはグレインの声。

 まあ知り合いなのだろう、グレインは階級こそ低いが、その経歴を考えれば地下都市エイトにおけるハンターたちの顔役の一人だ、こうした向こう見ずで大言壮語を吐くような若人の一人や二人知っていて当然かもしれない……僕だったら関わり合いになりたくないけど。

 

 さてその彼らを見れば仲間内で意見が割れているようだった。

 何を揉めているのか、知りたくもないが声が聞こえてくる。

 「……おいおい、オシノスよぉ、話がちげぇじゃねぇか、何が大型種は4人で楽勝だと」とは赤い髮の男の言か。

 「ねぇ、あたし……こわい、無理よこれ」とは紫がかったチチデカオンナもげろさんの言。

 「……貴様ら臆したか!」とは金髪騎士もどきの言葉。

 そして何かの選択を迫られているらしい例の気障男。

 グレインやその部下の男たちも、僕と同じように、目前で起こっている仲間割れに不謹慎な興味を抱いているようだった。

 気障男はしばらくは悩んだ末に、僕のほうをちらっと見下ろした。その見下ろす形になるという事実が、僕のプライドを刺激するんだなぁこれが!

 やはり家に帰りたい……と考えている間にも僕を見つめている気障男。

 その瞳にやがて苛立ちと、ある種の悔しさ、そして恐れのような色がよぎったように見えた……気のせいならいいけど、ああいう目をした奴は大抵、面倒を起こす。

 小型のモジュールを使って、改めて何かを確認しているらしい……そして覚悟を決めたように……というか破れかぶれにしか見えなかったけど……「行くぞ」とオシノスなるガキは呟いた。

 

 4人のうち2人はしぶしぶと、そして1人はそうこなくては!と、最後に気障男が去り際にちらりとこちらを見た。違和感を感じるが……そのまま4人は森と山の空間へと姿を消した。

 僕はグレインと顔を見合わせた。

 愛嬌のある熊のようなその顔と佇まいは、昔から変わっていない……既に15年来の付き合いなのだから。

 彼は旧米国群の地上民の地を引いていて、10歳までは地上で暮らしていたという希有な男だ。

 今の世の中に地上に住んでいる人間がいないわけではない、この空気、この自由、この晴れやかな蒼い空から注ぐ太陽の温かさ。

 それに惹かれる者の気持ちはわかる。危険がすぐそこに潜んでいても、これは求めずにはいられないものだというのも分かる。

 産業も殆どなく、地下都市の生活に背を向けて、蟹に怯えながら暮らした人々の中から、こうした男は出てくるのだろうか。

 豪快で、面倒見がよく、粗野でありながらも優しい男が……僕は、この男をよく知っている、そう、

 「気になるな」とこの男が、言い出すのが分かるほどには。

 「今のガキどもかい?」

 「ああ、オシノスは気障で、まあ傲慢だが意外と面倒見は良い、ただ自分で自分を追い込むところがある」

 「詳しいね……流石教導官さまだよ」

 「お前みたいに世界に背を向けてなければ、こうしたしがらみの一つや二つできる」

 「……嫌な言い方だね」

 「すまんな、ともかく、俺は……」

 「追いかけるってんだろう? ……まあ分かるよ、君がなんて言うかくらいはさ」

 「すまんな……じゃあ、あとは、この新人たちは任せた」

 「……はぁ、いやいや僕もついてくよ」


 そしてグレイン……おっさんは、僕の顔を見る。

 厳めしい無精髭の顔……こいつが15歳の時に比べれば老けた、そして格段に頼もしくなったように見える……色々なモノを背負ったからだろうか。

 殆ど変化の見られない僕は、こういうとき、悔しさと、そして置いていかれることへの恐怖……みたいなものを感じる。

 やがて来る別れを恐れて日々の刹那的な快楽……本やらゲームやらに逃げるのはそのせいだろうか。

 おっさんは何も言わないで、沈黙している。

 僕にはわかる、こいつは今、僕の力を借りていいのか……あるいはこの新人たちをどうするべきか……僕の言葉をどう押し留めるか考えているのだ。

 まあ僕にはお見通し、そうはさせないけどね。

 「こいつらは、回収班のジープに乗せてもらえばいいじゃないか。いざとなったら緊急エレベータもこの辺りにはあるんだしさ」

 「む……とはいってもよぉ、お前にそこまでしてもらう義理が……」

 「呆れたよ! いまさら義理と来ましたか、義理とか……糞かよっ! 一体何年の付き合いだっつうの」

 と唸る僕を見るおっさん。ったく本当にこのおっさんは、いつもは豪快なくせに土壇場でうじうじしやがる。

 全然変わってねぇな、そういう悪いところばっかり。

 「とにかく、何か胡散臭い、というか嫌な予感がすんだよ……だからお前は」

 「お前は一人で家に帰ってろってかい? まあそうしたいけどさ……嫌な予感がするのは僕だって一緒だし」

 「ならよぉ!」

 「だからこそ、君をこのまま行かせて、もし死なせてしまったら、一体どう言い訳すりゃいいわけ? 昔の知り合いにさ」

 「う、そ、そりゃ俺が勝手に」

 「君が死んだら、みんな悲しむって言ってるの!」

 本当にわかんないおっさんだなコイツは! 

 と、何か言いたげにおっさんは瞳を細めて、そして少し沈黙した。

 ここまでくれば、もう決まったも同然……どうせあと少しすれば、首を縦に振るのだ。それぐらいは分かる、そしてほら、やっぱり、

 「はぁ……ったく、しょうがねぇな」とおっさんは僕に言った。

 ほらね、やっぱり、ま、おっさんの背負い込みたがりはいつものことだって分かってるけどさ。

 ふふん、僕くらい人の心の機微に聡いと、こんなものちょろいもんさ。

 そして僕は笑って「そうこなくっちゃねぇ」と呟いて、しぶしぶといった様子で歩き始めたおっさんの後を追った。

 



 しばらくして突然周囲に響いたのは轟音だった。

 奇怪な蟹の鳴き声が、突変異種の生んだ音……絶妙にこちらの脳を揺らすような音が辺り一帯に響いていた。

 僕の前を歩くおっさんの背中には、幾つかのバックアップ……おそらく予め方々(ほうぼう)に隠しておいたエネルギーパックだろう。

 丘の頂点……僅かに人の通った痕が窺えるような鬱蒼とした森に、朱い光が眩く輝いていた。

 見れば遠く平野、遠く丘陵部の合間の草原や廃墟に夕暮れの帳が降り注いでいた。

 何処かこの世の終わりめいた深みのある紫と、燈がこの世の終わりで灯されているのかと錯覚するような光の乱反射。

 その凄絶な光景を演出する、落ち行くが、どこまでも近く、眩く、白く輝いて傍に感じられた。

 僕は身震いした。

 背筋から汗が垂れ落ちる。

 おっさんが足を止める。

 崖かと思うような下り坂を見る、そこに彼らはいた。

 赤い髮の男は血を流して倒れていた。騎士もどきの金髪は腕が折れたのか、右腕を押さえながら、どうにか木にもたれかかっているようだ。紫髮は恐慌状態に陥ったのか、頭を抱えて膝立ちで目前の敵を眺めていた。気障男は口から血を吐き出して、しかし機械剣を手に構えて、蟹を見据えていた。

 周囲に散乱するのは光線銃やら、融解液展開式の爆弾やら、量子式の盾やらだ。

 

 生きている……僕の正直な目算においては、彼らはみな全滅していた。

 しかしそれを考えれば、どうしてよく生き残ったものだと思う。

 このまま敗北するのは必至のことのように思えたが……大したモノだ。

 そんな僕を尻目に、グレインは厳しい眼差しで、それを見ていた。

 

 それは甲羅――人の怨念が宿ったような、執念と苦悶に満ちた顔が浮き上がった――を見せつけている巨大な蟹だ。

 横幅は20mはあるだろうか、縦幅こそ10mに満たないだろうが、高さはおそらく10m以上。

 先ほどの漆黒のヤシガニに負けないような異様だった。

 邪悪な意志を感じるかのようなその強大な姿。畏怖を覚えるその姿。

 僕は身震いして、槍に力を込めた……そしてグレインが呟いた、

 「ヘイケガニ……まさかこんな田舎で」

 「いやいや、僕も驚きだよ……危険度は?」

 「SS……紋様、いや甲羅の顔を見るにありゃ、トモモリだな」

 「固有ユニークネーム持ちかよ!」

 「ゾクゾクしてきたなぁおい!」

 「……おっさん、無理してるでしょ」

 分かるか、と苦笑して、おっさんは背に背負った荷物を地面に置いて、そして熱線銃を抱えた。

 釣られて僕も笑ってしまった。笑いながら高濃度のESP領域を身に纏う。

 

 「昔を思い出すなぁ!」

 「僕にとっちゃあ思い出したくもないような過去だけどね!」

 

 そうして僕は駆けだし、おっさんは低位で収束させた熱線を背後から撃ちはなった。

 

 

 

 たいして面白い情景でもないのでスキップさせていただいたけど、まあ端的に言えば勝った。

 僕の必殺技(いまどき必殺技とか……そういう無粋な突っ込みはやめてもらいたい、僕が一番気にしてるんだから!)が発揮されたおかげだろうか。生憎といかりはなかったがトモモリ様にはご退場願った。

 凄い疲れたけどね! むかついたからガキども4人を土下座させようとしても、グレインにすぐ止められたし……まあストレス解消になったけどさ……その上、今日だけで3匹、しかも久しぶりの大物狩りだ。素材は沢山、それを売り払って小金持ちに転身できたからよしとしようかね。

 蟹肉の大半は市場に卸し、ついでに三種の蟹それぞれの味噌も分けてもらった。微妙に色と香りが違うこれらは、それぞれ異なる濃厚な旨みを孕んでいるのだ。想像しただけで涎の止まらないような旨みをね!

 ……これを蒸し焼きにして、味噌と蟹の身が甘く香ばしい匂いを放った頃合いを見計らってかぶりつくその旨さといったら、もうね。

 僕は大事そうに、蟹の身と味噌を抱えながら家路に着く。

 蟹の味は、蟹が大きくなったことによって大味になったと勘違いしている人もいるらしいが。

 近年の科学者の研究によれば、この世の王者となって特殊な適応を果たした蟹の旨みは、ますます向上しているらしいとのこと。

 知っているかい? 蟹はね、良い蟹はね、焼くだけで、その甘い香りと、旨さが立ち上るんだよ。

 濃厚でクリーミーな味噌をちょびりちょびりと舐めながら呑む熱燗の旨さといったらもうね。いやアホかと。

 香ばしい蟹の甘さが、ねっとりと、しかし瑞々しく口の中で踊る蟹の身。紅白の入り交じった繊維のほぐれるその情景。

 今から、もう楽しみでしょうがないね!

 

 「おいおい、待てよ黒坊」と野太くも優しい声が、呆れたように背中に投げかけられた。

 振り向いて、見上げる、ニヤリとした笑みを浮かべる巨漢の男。

 最近、髮が徐々に退行気配をみせている32歳独身のおっさんだった。

 「どうせ、祝勝の宴会には姿を見せないとは思ってたけどよぉ」

 やれやれというようにおっさんは僕の傍に近づいて、そして頭にぽんと手を載せた。 

 こいつは、本当に……初めて会ったときから頭に手を載せるな、撫でるな、と言っているのに……学習しないやつだよ、糞めっ!


 「なに?」声が自然と冷たくなるのもしょうがあるまい。

 「いや、もう今さら賑やかなところに引っ張っていこうなんて思わないけどよ、どうせなら一緒にと思ってな」

 「……いやだ」

 「おうそうだろう! やっぱり古い友人が二人で……って、おい」

 「いやだ、と言ったら?」

 「つれないこと言うなよな、ったく」

 そうして僕の意見などまるで無視するように、おっさんはついてくる、ストーカーかっ!

 

 結局二人で呑むことになった。

 蟹、鍋……蟹、身……蟹、味噌……蟹、蒸し焼き用の中華鍋で香ばしく仕上がる。

 薬味と紹興酒で簡単に味付けした蟹味噌和え蟹肉チャーハンも主食でついてきた、うん十分過ぎるほどの食卓だね!

 僕がキッチンで料理する間にも、おっさんはやれ「相変わらず汚いなぁおい!」だとか「ったく、しかもなんか暗いし」とぶつくさ煩かった。

 ともあれ完成したからには、あるいはここで呑む以上、ここの主は僕だ。

 すこしは敬ってもらいたい。

 「よおし! 食べるか、いただきます」

 「……いただきます」

 「うお! うま、あまっ、やべぇ、蟹、まじ、うおぉ」

 「うん、うまいね」

 「おお、酒! 日本酒! 熱燗、喉、焼ける」

 「どこの部族の人なの!? ほら、もっとゆっくりと」

 「サンキュ……っと酌には酌をって、これマナーな」

 「……零れてるし」

 おっさんはなんだかんだこうして、僕と呑みにくる。

 友人の少ない僕なんかよりも、沢山の呑み友達がいるだろうに。

 そもそも常々不思議だったのだ、どうしてこんな田舎に居るのか、ということだ。

 旧米国群出身なのに、そしてその経歴を鑑みれば、決して旧日本群のこんな辺鄙な地下都市でハンターをやっていて良い奴じゃあないのだ。

 ……いつだったか呑んだ時に、その理由を聞いてみたことがある。

 素面だとそそくさとはぐらかされるから、お互いに結構な量を飲んでからの質問だった。

 すると顔を真っ赤にして「好きな、女がいるからだよ……っけ」とひどく恥ずかしそうに言ったのを覚えている。

 ロマンチスト! 一歩間違えばストーカーだよそりゃ! わざわざ女を追いかけて、でもまあこいつはこういう一途なタイプだ、あれやこれやと、長く一緒にいたからこそ分かる。

 しかし相手の女はどんな奴なのか、まあ、おそらくこいつは面食いだ、僕にはわかる、どうせ今日会った紫髪のガキみたいなグラマラスなタイプだろう。分かりやすいんだよ、おっさんは! とまあ、それ以来、聞いていないので詳しくはわからない。

 せっかくだし、今日はその辺りを聞いてみるべきか、わざわざ一人で飲もうとしたところに乱入してきたんだ、それぐらいはゆるされるだろうよ!

 

 目前、獲物にありついた熊のような勢いで蟹にむしゃぶりついているおっさんを見る。

 「で、最近はどう?」

 「……ふが、っと、何がだ」

 「女の子の方さ! 昔はかなりのプレーボーイだったじゃんか!」

 「っけ、最近はとんとご無沙汰だなぁ」

 「……嘘だぁ」

 「嘘じゃねぇよ、相手の奴は相当な難物でなぁ、まあ俺も大人になったわけだし、まあゆっくりと徐々に進めていこうかとな、大人の手管ってやつだな、ふふん」

 「……きもっ、おっさんいま相当きもかったからね、やばいよ、僕鳥肌たちまくりですよ?」

 「いやいや、なんでそんなこと言われなきゃならなんねぇんだよ」

 「えぇ? そりゃ、あんたそれこそ10代の頃はやれ大人の女性、やれボインボイン、やれトランジスタグラマーだの」

 「そこまで時代錯誤死語のオンパレードだった覚えはねぇよ!?」

 「それが「俺は真実の恋の狩人」でしょ? 僕は信用できなくてもしょうがないと思うんだ」

 「そこまで気障なこと言ってねぇよ! というか……俺だって大人になるってもんだよ、だいたいお前はじゃあどうなんだよ、昔から全くそういうとこノータッチだったじゃねぇか、このちんちくりんが!」

 「はぁ!? なんで僕の恋愛遍歴が君に関係あるのさ、だいたいちんちくりんって、確かに僕はチビだし、童顔だし、幼児体型だけど、人が気にしてることを悪し様に言うのはデリカシーなさ過ぎじゃないの!?」

 「いやいや、そこまで言ってねぇよ!?」

 「この親爺、おっさん、加齢臭! いい歳扱いて英雄願望捨てきれてない中二病! 加齢臭キツイ! 髭濃すぎなんだよ」

 「ハハハ、その低度じゃあ俺は気にならんなぁ! お子様みたいな悪口しか言えないのかぁおい」

 「髮の毛退行しはじめてるよ、このハゲ」

 「は、禿げてねぇよ!!!!、というかお前マジぶっ殺すぞ!」

 「ハーゲ! ハーゲ! 32歳独身 惨めなちゅうねんー」

 「んなろぉ、だいたいおっさんおっさんって、てめえこそアラサーじゃねぇかよ、俺と4つしか違わないじゃねぇか、のくせに、んなチビなんて終わってんな!!」

 「……すぞ」

 「……うぉ、っと、な、なんだよ、俺はビビってないぞ」

 「僕いまカチンと来ちゃったよ? というか本当にデリカシーねぇなおっさん! 女性には歳の話をしないって習わなかったのかよ!!」

 「あ、すまん、余りにも胸がないんで、女だってことは今のいままで忘れてたよ、このババアロリめ」

 「OK、表に出ようか、キレちまったよ……お前みたいな奴は一生独身のまま、恋も叶わずに死ぬ運命にあるんだよ、いま僕が決めた」

 「っ、おまえにそこまで言われたくねぇよ、この糞鈍感野郎め」

 「はぁ!? 鈍感じゃないですぅー、聡すぎて困るね、ハゲ、しかもぼく女だから野郎じゃねぇよ糞がっ!!」

 「糞はお前だ、うんこ!」

 「ハゲっ!」

 

 このみっともない言い争いは一晩中続き、つかみ合いから最後には飲み比べとなって、そしてそのまま僕は寝てしまったので途中から記憶がない。

 我ながらみっともないとは思う、でも僕のせいじゃない、おっさんのせいだ、糞がっ!

 ともあれこうして僕の一日は幕を降ろしたのだった。

 ちゃんちゃん、ってね。まあ平和な日常の一幕……ではあるのだろうか……なにはともあれお休みなさい。

  



 

 【記録を終了します。

 モード:編集

 モード:自動記述

 ……

 …………

 モード:記憶閲覧

 system.ver2.003 language japan

 テキストを作成しています。

 ……

 …………

 終了しますお疲れ様でした】

 

 

 

 

 

 

 黒と呼ばれる人物は、頭に被っていたヘルメット形状のデバイスを脱いだ。

 記憶の再生と、その再生中の記憶に注釈を入れながらテキスト化することが可能なこの機械を、黒が着けたのは久しぶりであった。

 途端、最後に忘れていた下級学生のような言い争いを思い出して、少しげんなりとしている。

 

 彼女がこうしたソフトウェアとデバイスを使用して、高度な日記を作ったのにはもちろん意味がある。

 

 黒は溜息を吐いて、そして自らが横たわっていたベッドの一番傍にあるブックリーダーの画面に映った電子雑誌を見る。

 『月刊・乙女特集』

 自立しながらも乙女心を忘れない貴方へ! がキャッチコピーのティーンエイジャー用雑誌である。

 日頃から己の女子力のなさをさり気なく気にしてる28歳独身女性である黒がそそくさと購入した雑誌である。

 乙女力特集、化粧の仕方、ファッションなど、この歳になるまで気にもしなかった黒は目から鱗が落ちる勢いであった。

 臥薪嘗胆、己を馬鹿にした男をすこしは見返すためにも、こうして女子力なるものを磨くために雑誌を読むのは、思いのほか楽しく、古典文学やら先祖の残したライトノベルやらにはない独特な楽しみがあった。

 

 その雑誌のコーナーの一つが目を引いた、なにやら化粧でキメキメに己を飾ったうら若き乙女たち(黒にとって忌々しいことに、この雑誌に登場する女性は皆、年下である、その癖、この雑誌に登場する誰よりも若く見える己にコンプレックスを抱いていた)

 その乙女たちが小型の電子窓で撮った写真(黄金時代におけるプリクラなるものに似ているだろうか)を載せているページの隣のページに書かれていた言葉。

 未来に向けての日記! という文言が彼女の目を引いたのだった。

 未来への日記? と訝しむ黒が、そのページを読み進めたところ、どうやら日記を書いて、それをタイムカプセルにしようとのことだった。

 日頃の自分を振り返って、いいところやら駄目なところをチェックして、そしてそれを未だ見ぬ遙か未来の人々へ宛てる。

 ああ、ロマンチック(女性誌とは年齢と女性の属する文化層ごとに購入層が分かれているものだ、黒の買ったこの雑誌は、少しばかりドリーミーな若者に向けて書かれているようだった)

 何がロマンチックだ、ファック、と嘯きながらも、顔を赤に染めて、そしてその黒い短髪を揺らして、見事に小さな背と胸と足と手をとてとてちまちまと動かして、結局、彼女は倉庫から、記憶再生装置を引きずり出してきたのだから、最早なにも言えまい。

 下級学生低学年でも通じるような彼女は、しかし決してその年代の子供が言わないような汚らしい罵詈雑言を吐き出して、目前にある日記に対して顰め面をしていた。

 いくら何でもこれは……28歳の脳内を映し出したものとしては、ううん……どうしたものか、と彼女は唸ったのだ。

 とはいえ、せっかく作ったものだ、まあロマンチックかどうかは知らないが、女子っぽいかな、と思い直した黒は、そそくさとその日記を耐久カプセルに入れて、次のハンター稼業の時に外に埋めることにしたのだった。

 

 曲がり間違ってその日記が、遙か数千年後の人類に発掘されたあげく、『乙女の書』なる名称で、人類断絶時代の考古学的な一級資料として扱われることになるなどとは、夢にも思わずに、彼女は暢気に鼻歌を歌っていた。

 

 

 



12歳クール系無口無表情黒髪ロリ

 ↓

28歳黒髪童顔幼児体型ややロリババア処女

 への華麗なる転身


カルヴィーノの蟹については岩波文庫から出てる、

『カルヴィーノ民話集(上下)』のどちらかに入っていた筈。

まじでガッカリなんすよ……せっかくの蟹ミーツガールが

ついでにカルヴィーノの人外ものなら、さまようよろいが主人公の『不在の騎士』も何かカッコイイ

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― 新着の感想 ―
[良い点] ツンデレサイキックボクっ娘アラサーロリババア乙女処女が最高でした。ネタがわかってから二度目を読んで楽しい作品ですね。 [気になる点] 特にないけど、強いて言えばスキップした部分を、ちゃんと…
[一言] ラストえげつないです。 後の世の人にはその時代の価値観を知る貴重な本かもしれないけど……そう考えて見ると紫式部も日記の内容いまでも語り継がれてますね。 かわいそうなロリババア、これからの蟹と…
2013/09/13 19:22 退会済み
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[良い点] 溢れる思い返すと悶えそうな何かと 甲殻類のすばらしさ [一言] 蟹が食べたくなった。 しかしラストの後悔処刑、 現代人からすれば「やめたげてよぉ!」な扱いですね。 お見事、良い味してました…
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