第26話 「……脱ぐから、後ろ向いて鍵閉めてくれる?」
「……じゃあ、あの。……脱ぐから、後ろ向いて鍵閉めてくれる?」
「……おう」
二人きりになったシャワーブースの密室の中。
Tシャツと短パン姿の瑠偉にそう言われた俺は、言われた通り素直に後ろを向いてかちゃりとシャワールームのドアを閉める。
…………鍵を閉めたら、やりたい放題なのでは。
一瞬、そう思ってしまったことで、再び妄想が始まりそうになった自分にブレーキをかける。
いやいやダメだろ今妄想しちゃ!
帰ってこれなくなるぞ……! 現実に……!!
ごそごそと後ろから聞こえる衣擦れの音だけでも、激しい心臓の動悸と緊張でおかしくなりそうなのに、これで妄想なんてしたら完全にぶっ倒れる。
そんなことを思っていると、後ろでごそごそと服を脱いでいた瑠偉から、「……脩、まだこっち向かないでね」と言われ、脱ぎたての服を差し出された。
……え、と。濡れないように、ドアに掛けとけってことですよね……。
多分そういうことだろうと理解し、綺麗に畳まれた服を受け取った俺は、そのままドアについているタオル掛けにかけた。
「……いいよ、こっち向いて」
…………ごくり。
瑠偉の言葉に、息を呑みながらゆっくりと振り返る。
ほくろやしみなどひとつもない、真っ白な背中。
華奢な細い肩から伸びる滑らかな二の腕が、恥じらいながら前を隠すようにタオルを抱き抱えている。
ちらっ……、と薄めで下半身を覗き見てみると、どうやらボクサーパンツは履いたままで行くらしい。
「あのっ……、下は、自分でできるから……」
俺の視線に気付いたのか、瑠偉がそんなことを言ってくる。
ああ……。
ちょっと、ほっとした。
残念なような気がしなくもなくもなくもないが、これで瑠偉の白くてもちもちした柔らかそうな生のお尻とかが見えてたら、俺多分死んでた。
ここで臨終してた。
そう考えると、下半身がちゃんと布で覆われてくれているのは、俺の精神衛生上ものすごく助かることだった。
「じゃあ、あの……。脩」
いいよ、と瑠偉から言われ『来たか――』と思う。
大丈夫だ、俺。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
これは、邪なことでもなんでもない。
ただ、困っている幼馴染、兼、ルームメイトを助けるだけの行為だ。
――凪。
俺は凪になる。
何が起こってもそよぐことのない無風地帯。
それが凪だ――。
「あんっ……」
「おい、妙な声あげるな……!」
無理でした。
俺、凪じゃなかった。
「だって、脩が……」
「俺がなんだ」
「脩が、気持ちいい触り方するから……」
「………………」
……おわかりいただけるだろうか?
俺、多分、今から十分ちょっと、これと戦わなきゃならないわ。
ダメだこいつ。
だって絶対変な声出すんだもん……。
「んっ……」
「お前、俺まだ泡立てたシャンプーつけただけだぞ」
「だって……んっ……」
おい。
これ俺、どうすればいいんですかね……。
なんの邪な気持ちもなく真っ当に頭洗ってやってるだけなんですけど!
「んっ、んっ……」
俺が注意したせいか、声を出すのを我慢しようと堪えるところがまたエロい。
「ん……はぁ……」
あー。
可愛い。
もの凄く可愛いし、なんだかわかんないけどエロい声でちゃうのも可愛いと思うよ? それを一生懸命我慢しようとしてるのも含めて。はい。
「あんっ! 脩、やだぁ! それだめ……っ!」
なんとか髪を洗うのを終わらせると、今度は背中で苦戦する。
突き指をしていない方の左手で胸元を隠すタオルを押さえながら、濡らしてはいけない怪我をした方の右手を高く壁に突き、腰を逸らしながらあんあん鳴くのだ。
――お、お前なあ――――!!
可愛さ余って憎さ百倍とは、こういう時のことを言うのかもしれない。
「あっ……、しゅう……っ。あんっ、あっ……」
一応言っておきますけど、マジで俺、背中をごしごし洗ってるだけです。
泡立てたタオルで。邪な気持ちなど一切なく。無心で。
「あっ、脇やだ! くすぐったい!」
「ここやれば終わりだから。ちょっと我慢しろ……!」
「あん、やだっ、しゅうぅ……!」
……なんの苦行だろう。
まあ、役得でなかったとは言わない。
でもそれ以上に削られたものの方が多かった気がするのは、俺だけだろうか……?
「……終わったぞ、瑠偉」
俺が、ようやく瑠偉にそう言えるまでに任務を完遂した時。
俺も瑠偉も、虫の息だったことは言うまでもない。
◇
あ…………。
あああああああ。
よくやった……、俺…………。
『……後は自分でできるよな』と言い残し、シャワーブースを出た瞬間、がくりと膝から崩れ落ちる。
あの後、出て行こうとする俺に『……前はいいの……?』とか言い出してきた瑠偉には、気を失いそうになったが。
いや……、言ってただろうが……、前は自分でできるって……。
……ああ。
勝った……。
勝ったよ……、母さん……。
俺、ちゃんと瑠偉を守ったよ……。
肝心の瑠偉の方は、俺をあんまり守ってくれなかったけど。
男として守るべきものを守りました。
そうやって俺がシャワールームの前で一人、勝利の余韻に酔いしれていると。
『しゅ……しゅう……』
と、シャワールームの中からくぐもった声が聞こえてきた。
「……なんだ?」
『あの、背中と髪が、ちゃんと拭けなくて……』
「………………」
……うん。
もうわかった。
今日はこういう日だ。
大丈夫。
俺は今日、もうちゃんと、心が修行僧になってるから。
だから大丈夫だ――、と思いながら、「ちゃんと後ろ向いてろよ」と言ってかちゃりとシャワールームのドアを開けた。
それから、背中を拭き、服を着せてやり、ドライヤーで髪を乾かすのまで手伝ってやり。無事、全てが終わったかと思ったのだが――。
◇ ◆ ◇
翌日――。
「う〜〜ん。一応、念の為もう1日だけテーピングしとこうか」
という養護教諭の言葉で俺の心が完全に消滅したのは、推して知るべしである。




