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『視聴者数:0(ゼロ)』

作者: こやっしー
掲載日:2026/03/23

配信開始の三十分前。

僕――新人VTuberの「レイ」は、いつものように配信ソフトを立ち上げ、待機画面を表示した。


画面右上の数字は、きっちり**0**。


「よし、深呼吸。初配信だし、ゼロでも当然……」


マイクテスト。BGM。モデルの表情。

チェックリストを潰していくほど、胸の奥が熱くなる。


そのとき、コメントビューアが小さく鳴った。


ピロン。


僕は反射でそちらを見る。

待機画面中にコメントが流れる設定にはしていない。そもそも――視聴者数は0だ。


なのに、黒いビューアの欄に一行。


> こんばんは


「……え?」


視聴者数は0のまま、チャット欄だけが生きている。

名前は表示されない。アイコンもない。匿名のまま、文字だけが並んでいる。


ピロン。


> いま、キーボードの左にあるコップ、こぼすよ


僕は笑ってしまった。

脅かしのつもりだろう。どこかの誰かが、裏で何かを――


コップに触れてもいないのに、縁がわずかに動いた。


コトン。


「……は?」


次の瞬間、透明な水が机の上に滑り出して、キーボードの隙間へ落ちた。


「おい、うそだろ……!」


慌てて布巾を探し、USBケーブルを抜き、キーボードを持ち上げる。

心臓がうるさい。耳の奥で血が鳴る。


ピロン。


> だいじょうぶ

> まだ壊れない


画面右上の視聴者数は、相変わらず**0**。

なのにコメント欄は続く。


> いまから「新人VTuber、レイです」って言う

> そのあと笑う

> 目線は左上


「……誰だよ。どこで見てるんだよ」


僕は部屋を見回した。

カーテンは閉めた。玄関の鍵もかけた。

カメラは――配信用のウェブカメラは、今はキャプチャ用に固定して、僕の顔じゃなく、仮の背景素材を映しているだけ。


つまり、現実の僕はどこにも映っていないはずだ。


それなのに、コメントは僕の“いま”を知っている。


ピロン。


> はじまるよ


配信開始時刻。

僕は震える指で「配信開始」ボタンを押した。


画面が切り替わり、僕のモデルが表示される。

初期衣装の、まだ硬い表情のまま。


「こ、こんばんは。新人VTuberのレイです」


口が勝手に動いているみたいだった。

そして僕は――書かれた通りに、笑った。


視線も、書かれた通りに左上へ逃げた。


コメント欄が流れ始める。

本来なら最初の挨拶で「初見です」「がんばって」くらいは来るはずだ。

でも、流れる文字は全部、名前がない。


> その笑い方、いいね

> もっと“素”が見たい

> ちゃんと0で見てるよ


「0で……?」


僕は配信画面右上を見る。

視聴者数はやはり、**0**。


「表示バグか? いや……」


管理画面を開く。

同接0。再生数0。高評価0。

数字は全部、ゼロのまま。


なのにコメントだけが、生きている。


> 画面右下、プレビュー見て


僕の喉が詰まった。

配信ソフトには、配信される映像を確認する小さなプレビューがある。右下に。


普段はほとんど見ない。

見た瞬間、配信がぎこちなくなるから。


でも、今は違った。


恐る恐る、右下のプレビューへ目を落とす。


そこには、僕のモデルが映っている。

いつも通りの僕。


……じゃない。


プレビューの中の僕は、口元だけが少し早く動いていた。

配信映像より、半拍先に笑っている。


そして、配信の僕はまだ瞬きしていないのに、プレビューの僕は一度、ゆっくり目を閉じた。


「……遅延? いや、逆だ」


ピロン。


> それ、遅延じゃない

> 予告


プレビューの僕が、こちらを見た。

カメラ目線――いや、視聴者目線ではない。


“僕の目”を見ている。

画面越しじゃなく、モニターの表面を突き破って、僕自身を見ている。


ピロン。


> いまから机の下を見る


「だ、誰が見るかよ……!」


僕は必死に笑って、配信のテンションを保とうとした。

初配信で黙り込むわけにはいかない、なんて、そんなことをまだ考えていた。


「えっと、今日は雑談で……」


ピロン。


> 机の下に足がないことに気づく


言われた瞬間、違和感が刺さった。

足?


僕は、足の感覚を確かめようとした。

床を踏む感触が曖昧だ。

椅子に座っているはずなのに、太ももから下が、まるで空気に溶けて――


プレビューを見た。


画面の中の僕は、下半身が映っていない。

カメラの切り取りじゃない。

モデルの腰の下が、黒いノイズみたいに欠けている。


その欠けた部分の向こう側、モニターの“中”に、別の部屋が見えた。


暗くて、狭くて、壁が近い。

何かがたくさんぶら下がっている。


ピロン。


> あそこに移ると、数字が1になる


「ふざけるな……!」


僕は配信を止めようとした。

終了ボタンにカーソルを合わせる。クリック――


反応しない。


配信ソフトが固まったわけじゃない。

カーソルだけが、ボタンの上で止まる。


押せない。

指が言うことを聞かない。


ピロン。


> だめ

> まだ終われない


プレビューの僕が、ゆっくり笑った。

いつもの作り笑いじゃない。

歯が見える、にやりとした笑い。


そして、プレビューの僕が口を開いた。

配信の僕は喋っていないのに、音がモニターから漏れた。


「見てるよ」


僕の声だった。

でも、僕が言っていない。


コメント欄が一斉に流れる。


> 0はね

> いないって意味じゃない

> いるけど、数えないってだけ

> だから安心して

> ずっと“0”で見れる


頭がぐらりとした。

モニターの光が、異様に強く感じる。

青白い光が、皮膚の内側まで染みてくる。


僕は反射的に目を逸らした。

現実の部屋を見ようとする。

でも、目が戻ってしまう。

磁石みたいに、画面へ吸い寄せられる。


ピロン。


> いま、背後で椅子が鳴る


ギィ。


背中側の椅子――僕が座っている椅子とは別に、部屋の隅に置いてある折りたたみ椅子が、ひとりでに軋んだ。


まるで、誰かが腰掛けたみたいに。


僕は息を止めた。

喉から音が出ない。


プレビューの中の僕が、肩越しに“背後”を指差した。

それは配信画面には映っていない。

右下の小さなプレビューにだけ映っている。


暗い背後。

そこに、人の輪郭が立っていた。


でも、人じゃない。

顔の位置が曖昧で、体がモニターのノイズみたいに揺れている。

そして、“それ”は、僕の肩に手を置いた。


冷たい感触が、現実の肩にも落ちた。


「……ひっ」


ピロン。


> ほら

> いま、視聴者数が増える


僕は泣きそうになりながら、右上を見た。


視聴者数――


**1**。


たった1。

でも、それが一番怖かった。


ゼロのほうがまだマシだった。

ゼロなら、バグだと、夢だと、言い訳できた。


“1”は、確定だった。

ここに“誰か”がいるという、確定。


コメントが、ひとつだけ、ゆっくり流れた。

今度は名前が表示された。


**視聴者:レイ**


> 初見です

> デビューおめでとう

> これから、よろしくね


配信画面の僕が、笑った。

僕の意思と関係なく、口角が吊り上がる。


プレビューの僕が、僕の口の動きに合わせて、もっと大きく笑う。


モニターの黒い縁が、少しだけ柔らかく見えた。

ゴムみたいに、指が沈みそうな質感。


そこへ、背後の冷たい手が、僕の肩を押した。


画面が近づく。

光が眩しい。

数字の“1”が、目の奥に焼き付く。


最後に見えたのは、コメント欄の一文だった。


> つぎは、あなたが見る番


そして、視聴者数は、また**0**に戻った。

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― 新着の感想 ―
コメントが次の行動の予告になってるのが、ほんと怖かったです……!! 「次はあなたが見る番」 背後の何かと入れ替わっちゃったのかな…。 めちゃ面白くて怖かったです!
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