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私の息子は賢者らしい  作者: 梅丸みかん


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第6話 賢者の家②

 足を一歩踏み入れる。

 靴裏に感じるのは冷えた石ではなく、丁寧に叩き締められた三和土の感触だった。


 外の森の匂いとは違う、乾いた木の香りが、ほのかに鼻をくすぐる。

 正面には低い上がり框。


 濃い色の木で艶がある。

 これって、やっぱり靴を脱いで上がるんだよね。


 入って右側には棚がある。きっと靴を置くためだろう。

 私は理玖を框の上に立たせた。


 ずっと二歳の子供を抱いていたため、流石に腕がきつくなったのだ。


「かぁたん……」

 理玖の不安そうな声が空気を揺らす。


「大丈夫だよ。今靴を脱ぐからね」

 板間を一段上がると、少しだけ視線が高くなった。


 すかさず私の足にしがみついた理玖を安心させるため、優しく手を繋ぐ。


「理玖、今日からここが母さんと理玖のお家だよ」

「りくのおうち……?」


「そう、理玖のお家」

 さっきまで不安そうだった理玖の瞳が、ふっと輝いた。


 正面の引き戸を開く。

 室内は、天井が高く、思いのほか広い。


 低い梁は古木そのものの曲線を生かして組まれ、天井はゆるやかに弧を描いている。

 壁は丸太の質感を残したまま磨き上げられ、年輪が淡く灯りを受けて浮かび上がっていた。


 足元の床板を踏みしめると、きしむというより、深く息をするような音が返る。

 まるでこの床が大樹の一部であるのだと思い出させるように。

 

 部屋の奥で、石の暖炉が静かに口を開けていた。

 その隣の壁一面には、本棚。


 天井まで、びっしりと本が詰め込まれている。

 先代賢者様はかなりの勉強家だったのかもしれない。


 背表紙には日本語。

 魔法という文字が目につく。


 やはり、この世界には魔法が存在する。

 そして、間違いなく先代賢者は日本人。


 もしかして、その賢者様はいずれ自分と同じ日本人がここに訪れることをわかっていたのかもしれない。

 机の上には羽ペンとインク瓶、そして、何かが書かれた紙が置かれている。


 右手には小さな丸窓。蔦の影がレースのように揺れ、森から入り込む薄明かりが部屋を少しだけ明るく照らしている。


 目線を下に向けると、部屋の中央には木の温もりを感じる小ぶりなアンティーク調のソファと低いテーブル。

 そのテーブルの上には何やら不思議なものが置かれている。

 丸い網かごの中にこんもりとピンポン玉くらいの黒い玉が盛られていたのだ。


「何かしら?」

「ぼーりゅ……」

 理玖が手を伸ばした。


「あ、ちょっと待って」

 理玖の手を掴んで止めた。

 得体の知れないものに安易に触ると危険かもしれない。


 理玖はきょとんとした顔で私を見つめる。

 この玉が何なのか後で長老に聞いてみよう。

 たぶん、部屋の中に無造作に置かれているということは、危険なものではないだろうけど。


「理玖、こっちにも行ってみようか」

「うん」


 私は気を取り直して理玖の手を取ると部屋の奥に進んだ。

 正面には、素朴な木造りの階段があり、その両脇にはアーチ型の入り口が口を開けていた。



 階段はゆるやかな弧を描きながら円形の壁に沿って伸び、淡い光を放つ上の方へと続いている。

 まるで巨木の内側をそのままくり抜いたかのようで、触れれば脈打ちそうなほどに生々しい木肌が、そこに息づいていた。


「外から見たときは、木に包まれているみたいだと思ったけど……中は、こんなふうになってたんだぁ」

 思わず、感嘆の声がこぼれ落ちた。

 その時、理玖が私の手を離し、階段に近づいて登ろうとした。


「あ、ちょっと待って理玖」

 私が声をかけるときょとんとした顔で一瞬こちらを見つめ、すぐに階段の上を見た。


「落ちたら大変だから、後で母さんと登りましょう?」

「かぁたんと……」


 理玖はもう一度階段を見つめてから再び私の手を握った。

 どうやら、よっぽど気になるらしい。


 まあ、理玖の気持ちはわかる。

 大人である私でさえ、ファンタジー世界を彷彿とさせるこの家は、ワクワクさせる何かが潜んでいるような気さえしているのだから。


 左側にある入り口には、トイレとお風呂が隣り合っていた。

 トイレの奥も木肌がそのままの形で存在している。


 お風呂はまるで森の真ん中に存在しているようで、全面の壁の向こうには木々が生い茂ってる。

 

 全面ガラス……ってわけではないようだ。

 間取り的にありえない。

 後ろにはこの家を抱き抱えるように巨木が聳えていたのだから。


 ふと、風に木の葉が揺れ、小さな小鳥が枝から飛び立つのが見えた。


 これは……森の景色を投影しているってこと……?


 だとしたら、夜になれば、木々の隙間から月光が差し込み、露天風呂のように湯面に銀の模様を描くかもしれない。


 まるで森の中の露天風呂みたい……

 先代賢者は、お風呂にこだわりがあったみたいだ。さすが、日本人。


「お風呂に入るのが楽しみねぇ」 

「たのちみねぇ」

 私の漏らした言葉を理玖が真似る。


「理玖、後で母さんとこのお風呂に入りましょう」

「うん、はいりゅ」

 元気よく答えた理玖に頬がゆるむ。


 次は右側の入り口へ向かう。

 え? IHキッチン……?


 電気……ではないよね。

 元の世界のように電気が通っているとは思えない。


 もしかしたら、以前ここに住んでいた賢者というのは、私と近い時代から来たのかもしれない。

 作業台は薄灰色の石で作られているが、広々として使いやすそうだ。


 小窓から差し込む光が、壁に吊るされている銅鍋や鉄鍋に淡く反射して、温かな輝きを放っている。

 シンク台の引き出しを開けるとお玉やフライ返し、菜箸まであった。

 最低限の調理器具が揃えられていることに安心した。


 さて、いよいよ階段を登ってみよう。

 

 上には、何があるのだろう。

 ふと胸が高鳴る。

 私は理玖を抱き上げ、ゆっくりと一段目に足を乗せた。


 最後の段を上り、扉を開けた瞬間、思わず動きが止まった。

「……え」

 藍色の天井いっぱいに、星が広がっている。


 え? もう夜……?

 違う……天井が星空になっているんだ。


 そして、その下、部屋の中央には大きなベッドがあった。

 星空を見ながら眠りにつけるなんて……すてき……


 どうやら先代賢者はかなりのロマンチストだったみたいだ。

 ベッドは無垢の木枠で布団はふわふわで羽布団のように柔らかそうだ。


 これなら理玖と二人で寝ても余裕だろう。

 少しだけど、不安が薄れたような気がした。



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