第11話 好きだけど
ふと違和感を覚えて、卓の上に目を落とす。
目の前にあるのは普通サイズの寿司と箸と皿。
明らかに小人たちのものと大きさが違う。
食べ物の大きさもだ。
小人たちはちゃんと私と理玖のために大きさを調整したものを差し出してくれる。
それだけで、私たちを歓迎してくれてるように思えて、奥底で何かがほどけていく感じがした。
「さあさあ、イオリ様。遠慮なさらず、どんどん召し上がってくださいね。お酒もありますよ」
そう言って、マーラさんがコップにビールらしき琥珀色の液体を注いでくれる。
「あの……これ、ビールに似ていますけど……」
「まぁまぁ、イオリ様はビールがお好きですか?」
――いやいや。似てるって言っただけだよ、私。好きとは言ってない。
指先でコップを軽く触れ、液体の琥珀色を眺める。
箸もきちんと並んでいる。完全に和食スタイルだ。
先代賢者様の知恵、ということにしておこう。
「ほら、お寿司もどんどん食べてくださいね」
マーラさんが小皿に醤油をとろりと垂らす。
「え? 醤油?」
「まぁまぁ、イオリ様は醤油もお好きですか?」
だから、好きとか嫌いとかの問題じゃないのよ、それは。
……まぁ、嫌いじゃないけど。
「イオリ様? どうなさいました? どうぞ召し上がれ。皆、張り切って準備したのですぞ。遠慮なさらずに」
今度は長老がにこにこと食事を勧めてくる。
思考が追いつかない。
米。魚。ビール。醤油。
――見慣れたものばかりが、次々と目に入ってくる。
「ちゅち、ちゅち」
膝の上の理玖が、テーブルへ小さな手を伸ばす。
二歳を過ぎてから生魚の味を覚えた理玖は、寿司が大好きだ。
特にマグロが。
そのマグロの握りが、今まさに目の前にある。
本当にマグロかどうかはわからないけど。
これだけ日本の食材が揃えば、原因は一つしかない。
「あの……これって、もしかして先代賢者の……?」
「そうです。先代賢者様は博識でしてな。さまざまな食材の美味しい食べ方を教えてくださったのですぞ」
やっぱり。
理玖がそわそわと身を乗り出し、寿司を見つめている。
でも――これ、生だよね? 本当に大丈夫?
「イオリ様。この魚は心配いりませんぞ」
長老は胸を張りながら説明する。
「先代賢者様の知恵で作った保冷庫に入れておりましてな。時間をほとんど止める仕組みで、鮮度も寄生虫もばっちり管理してあります」
「時間を止める……?」
思わず聞き返すと、長老はにっこり笑った。
「魔法と科学を組み合わせたんですな。安心して召し上がってくだされ」
「はぁ……」
私は曖昧に答える。
「先代賢者様は、実に面白いものをたくさん考案してくださったのです。物作りはわしら小人族の得意分野ですが、そこに先代賢者様の知恵が加わったのですぞ」
長老は胸を張る。
いや、そんな簡単に信じられないんだけど。
「かぁたん、おいちいね」
「え? 理玖?」
長老の話に気を取られている間に、理玖はいつの間にかマグロの握り寿司らしきものを手にとっていた。
しかも、もう一口かじった後だ。
「理玖? 食べちゃったの?」
「うん、おいちい……」
もぐもぐと幸せそうに頬を動かす姿を見て、私は一瞬、絶望しかけた。
「だ、大丈夫? お腹痛くならない?」
「かぁたんも、たべりゅ?」
差し出された寿司は、握りしめられて少し変形している。
……ああ、もう。
覚悟を決めて、それを口に入れた。
――あら?
確かに、美味しい。
でも、マグロ――と呼んでいいかどうかわからないけど――は美味しいけど、ご飯は酢飯じゃなくただのご飯だ。
それに、わさびもついてないし……
いや、そういう問題じゃない。
これでお腹を壊さなければいいんだけど。
その後も、焼き魚や、茹でたじゃがいもに似たもの、野菜の浅漬け、素材の味を活かした素朴な料理が次々と並べられていく。
そして、目の前に置かれたのは、きゅうりと味噌らしきもの。
……これって料理?
「イオリ様。このきゅうりに味噌をつけて食べると美味しいのですぞ」
うん。知ってる。
やっぱり、きゅうりと味噌だった。
そして――。
最後に運ばれてきたのは、ご飯と卵。
あの白いご飯が茶碗にこんもりと盛られ、隣には小鉢に入った殻つきの生卵がちょこんと置かれている。
「えっと……これは……?」
「もちろん、卵かけご飯ですぞ。卵もきちんと除菌してありますゆえ、心配はいりませぬ。なんでも異界では、卵かけご飯を嫌いな者はいないとか。ささ、遠慮なさらずに」
長老が得意げに胸を張る。
「いや、確かに嫌いな人はそんなにいなかったけど……でも、どうして宴の席で卵かけご飯……?」
「先代賢者様が、この料理をことのほか好まれておりましてな」
……やっぱり。
とはいえ、これを“料理”と呼んでいいのだろうか。
ここまで並んだ品々を思い返してみる。
寿司に焼き魚、漬物、きゅうりに味噌、そして卵かけご飯。
どれも素材そのものを活かした、というか――ほとんど手を加えていない。
一番手が込んでいるのは、むしろ調味料の醤油と味噌なのでは?
どうやら先代賢者は、あまり料理が得意ではなかったらしい。
……いや、もしかしたら“素材を最大限に尊ぶ”という思想だったのかもしれないけど。
それでも、これだけ食材が豊富に揃っているのはありがたいことだ。
私はそう前向きに考えることにして、湯気を立てる白いご飯へと視線を落とした。
溜息を一つ吐くと、卵を器に割り入れる。
日本とは変わらない普通の卵だ。
かき混ぜて、醤油を垂らしほかほかご飯にかけると紛れもなく卵ご飯が出来上がった。
一口食べると、日本で食べたものと同じ味がした。
お腹が痛くなることもなく、宴会は意外に楽しく過ごせた。
珍しい植物の話や、この村の周辺にしか咲かない発光花の話、山奥で採れる薬草の効能など、次々と話題が飛び出す。
「この紫の花はの、夜になると葉脈が青く光るのですぞ」
「それは魔力に反応しておるのです」
小人たちは身振り手振りを交えながら、誇らしげに語る。
卓の上にはいつの間にか簡単な写し絵まで広げられ、まるで即席の講義だ。
私はビール……に似た飲み物をちびりと口に含みながら、相づちを打つ。
異世界の植物学講座を受けながら卵かけご飯を食べる日が来るなんて、人生わからない。
「かぁたん、みてー」
理玖が私の袖を引っ張る。
小人の一人が、小さな光の玉を宙に浮かべてみせていた。理玖は目を輝かせて笑っている。
にぎやかな笑い声が広場を賑わす。
そんな中、私はこの世界で何とかやっていけそうな気がしてきた。
だけど、そう思ったのも束の間。
――オオォォォォン……。
その声に、広場の空気が一瞬で凍りついた。
小人たちは手を止め、卓の上の料理にすら触れる気配すらない。
私の耳に届くのは、遠くから波打つように反響する、腹の底まで震える低い唸り声だけ。
風はないのに、頬を撫でる空気が突然ひんやりと動き、背筋をぞくりと這った。
ひとつ。
またひとつ。
まるでこちらの存在を確かめるかのように、遠くで声が重なる。
「かぁたん……?」
理玖が小さく身体を震わせ、私にしがみつく。
「大丈夫よ」
そう言いながら、私は無意識に理玖を強く抱き寄せていたのだった。




