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私の息子は賢者らしい  作者: 梅丸みかん


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第10話 宴へ

 ふと見上げれば、枝葉の隙間から橙と紫が溶け合う夕空がのぞき、細い光の帯となって地面へ差し込んでいた。

 村の輪郭がはっきりしてくると、陽はすでにだいぶ傾き、屋根や壁に長い影を落としていた。


 いつの間にか、ラウロとシュシュの姿は見えなくなっている。


 私は理玖を抱いたまま、長老の案内で歩き出そうとした――そのとき。


「あるきゅ」

 腕の中で理玖が身をよじり、降ろしてほしいと訴える。


「歩くの? でも、ここ……坂道よ?」

 少し迷ったものの、「あるきゅ」と譲らない理玖に、私はそっとしゃがみ込み、彼を地面へ下ろした。


「理玖、ちゃんとお手てをつないでいないとだめよ。転んじゃうかもしれないからね。走らないで、ゆっくり歩くのよ」

「うん」

 私は理玖が差し出した小さな手をやさしく握り、ゆっくりと歩き始めた。


「ほほほ、リク様は好奇心旺盛ですな」

 長老が穏やかに目を細める。私は苦笑で応じた。


 足を踏み出すたび、落ち葉がかさりとやわらかく音を返す。

 樹皮の匂いと湿った土の匂いが、ゆるやかに立ちのぼり、胸の奥まで満ちていく。


「何してるんだよ。早く来いよ」

 先を行っていたラウロが、こちらへ引き返してくる。


「これ、ラウロ。イオリ様に失礼ですぞ」

 長老がたしなめると、ラウロは口を尖らせた。


「イオリ様に言ったんじゃない。そこのチビに言ったんだ」

「ラウロ。賢者様は『チビ』という名ではありませぬぞ。リク様とおっしゃる」


「はぁ、分かったよ。リク様、行くぞ」

 そう言って、ラウロは理玖の反対の手を取った。


「あら、ラウロ。シュシュは?」

「チュチュは?」

 理玖も私の真似をする。


「先に行った。それと、チュチュじゃなくてシュシュだ。俺はラウロ」

「りゃーろ?」

「違う! リャーロじゃなくて、ラウロだ」


「りゃーろ」

「ったく……ラウロだって言ってるのに」

 ラウロはあきらめたようにため息をついた。


「ごめんね、ラウロ。理玖はまだ二歳だから……。そうだ、ねえ、ラウロ。あなた、理玖のお兄ちゃんになってくれないかしら?」

 私がそう提案すると、ラウロは驚いたように顔を上げた。


「俺が……?」

「ええ。理玖はまだ知らないことがたくさんあるの。でも、あなたはいろんなことを知っているでしょう? だから、それを理玖に教えてあげてほしいの。それに、長老はああ言ったけれど、理玖に『様』はいらないわ。呼び捨てでいいの。お兄ちゃんが弟を“様”呼びなんて、おかしいでしょう?」


 ラウロは少し考え、それから照れくさそうに鼻を鳴らした。


「……そうか。分かった。じゃあ、リク。俺は今日からお前の兄ちゃんだ。兄ちゃんって呼んでいいぞ。……まあ、賢者かどうかは分からねぇけどな」


「にーたん……?」

 理玖がきょとんとした顔でラウロを見つめる。


「ふふ。決まりね。理玖、よかったわね。お兄ちゃんができたわよ」

「にーたん……」

 そう呼ばれたラウロは、誇らしげにうなずいた。


 その横顔は、どこか満更でもなさそうだった。

 坂道をゆっくり下りながら、進んでいく。


 乾いた土の匂いと、樹皮の香りが混ざり、夕暮れの光に照らされた木立の隙間から、柔らかな影が揺れている。

 理玖が私の手を引っ張り、わざわざ木の枝に触れようとしながら進む。


 そのとき、理玖の足が小さな石につまずいた。思わず前のめりになり、バランスを崩す。


「わっ!」

 理玖の声と同時に、ラウロの手がさっと差し伸べられ、彼をしっかりと支えた。


「だいじょうぶか?」

「うん……あんがと、にーたん」

 理玖が安心したように笑う。


 ラウロも少し照れくさそうに肩をすくめたが、その瞳には誇らしさが浮かんでいた。

「……ふふ、さすがお兄ちゃんだね」

 私は微笑みながら二人を見つめ、心の中で小さな安堵の息をついた。



 案内された村の広場は、窓から灯りが溢れる小さな家々にぐるりと囲まれていた。

 まるで家の形のランプのようだ。


 地面には色とりどりの敷物が広げられ、その上の低い卓には、所狭しと料理が並べられている。

 私たちの姿を見つけると、皆がいっせいに顔を上げ、ぱたぱたとこちらへ駆け寄ってきた。


「賢者様……ようこそ」

「イオリ様、こちらへ」


「お待ちしておりました」

 口々にかけられる歓迎の声に、私は思わず背筋を伸ばす。


 赤、茶、金……小人たちの髪色はそれぞれ違う。

 でも、瞳の色はみんな同じ深緑色だということに気がついた。


「えっと……よろしくお願いします」

 恐縮しながら、無難な挨拶を返す。


「おねぎゃいちまちゅ」

 理玖も私を真似て、ぺこりと頭を下げた。


「いえいえ、こちらこそ。あたしはマーラ。そこのラウロの母親さ。ほら、ラウロ、ぼさっとしてないで、イオリ様と賢者様をご案内しな」


 声をかけてきたのは、小人たちの中でも小柄でふくよかな女性だった。

 朗らかな物言いと、ラウロと同じ色の髪が、一目で親子だと物語っている。


「イオリ様、こっち」

 私と理玖の姿に気がついたシュシュが傍に来て、そっと私の手を取って導いてくれる。

 卓に並ぶ料理へ目を向けた瞬間、思わず声がこぼれた。


「え……お寿司? しかも、握り寿司?」

「イオリ様、お寿司好き?」

 私の呟きを拾ったのか、シュシュがきらきらと目を輝かせて尋ねてくる。


「え、ええ。もちろん好きだけど……どうしてここにお寿司が?」

「お祝いの席ではお寿司を食べるものでしょ? おじいちゃんが先代賢者様に聞いたんだって。異界ではそうするんだってさ」

 異界って……日本のことだよね。


 決まりがあるわけじゃないけれど、祝い事といえばお寿司、というイメージはたしかにある。

 妙に納得してしまう自分がいた。


 ――いや、ちょっと待って。

 米……はともかく、魚……って……


「あの、お寿司っていうくらいだから、魚が使われているのよね? ということは、この近くに海があるの?」

「海……?」

 シュシュが不思議そうに首を傾げる。


 あれ? 海はないの? じゃあ川魚……とか?

 うーん、握り寿司に川魚ってあまり聞かないけど……


「イオリ様。この村の少し先に“小海”があるのです」

「しょうかい……?」


「ええ。先代賢者様、どうしてもお寿司が食べたくて、ミズチ様に作ってもらったんですよ」

「ミズチ……様?」


「我らの神のような海竜じゃ。人間から見れば恐ろしい魔物らしいが」

 いや、その神で恐ろしい魔物がどうして先代賢者様のために小海というものを作ってくれたのかわからない。


「なんでも、かつて先代賢者様がミズチを助けたことがあったとか……そのお礼ということみたいですよ」

 私の疑問を察したように長老が教えてくれた。


 お礼にしてはずいぶんスケールが大きいわね。

 さすが神といわれるほどだ。

 どうやらとんでもない力の持ち主らしい。


 でも、お寿司を食べたいがためにそんなものを所望するなんて、どんだけ寿司好きなのよ。


 呆れるどころか、思わず尊敬の念すら湧いてきた。


「さあ、イオリ様。こちらへおかけくださいませ」

 マーラさんに促されるまま椅子に腰を下ろし、理玖をそっと膝に乗せる。


「あら……暖かい?」

 座った瞬間、じんわりとした温もりが腰に広がった。冷えはじめた空気とは裏腹に、敷物からは春の日だまりのような熱が伝わってくる。


「それは先代賢者様が開発された“ホットシート”なのですぞ」

 長老が白い髭を揺らし、いかにも誇らしげに胸を張る。


 思いがけない仕掛けに、私は目を丸くしたまま言葉を失った。

 けれど、日が落ちて肌寒くなってきたところだったから、その心遣いが身にしみてありがたい。


 やがて、小人たちが次々と集まり、卓を囲む。高い声と鈴のような笑い声が重なり合い、広間はたちまち賑やかな空気に包まれた。


 こうして、祝宴の幕がゆっくりと上がろうとしていた。



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