プロローグ
賢者の死は、誰にも知られていない。
――人間には。
その最期を見送ったのは、名もなき小さな者たちだけだった。
外界を拒む、森の奥深く。
一度迷えば、二度と戻れぬと恐れられるその場所に、彼らの村がある。
人間が決して辿り着けない、ただ一つの安息の地。
――その安息を与えたのが、今、棺に眠る男だった。
「賢者」と呼ばれた、その人が。
棺の周りには、小人族が静かに集まっている。
捧げられた花は、生前、賢者が好んだもの――空のように真っ青な花。
棺にそっと触れれば、その木肌は氷のように冷たかった。
「さあ……賢者様に、最後のお別れを」
長老の声を合図に、すすり泣きが広がる。
彼らは忘れていない。
人間に囚われ、鎖を嵌められていた日々を。
そして――この森へ導き、守り続けてくれた存在のことを。
村を覆う結界が、かすかに揺らめく。
魔獣すら寄せつけぬその力もまた、賢者が遺したものだった。
やがて長老が、深く頭を垂れる。
「賢者様……我らを救ってくださったこと、生涯忘れませぬ」
その言葉に、誰もが同じ記憶を呼び起こしていた。
――数刻前のことを。
「俺の命は、もう長くはない」
賢者は静かに告げた。
奴隷紋を破壊した代償として、魔力が尽きかけているのだと。
だが、それでも彼は続ける。
「安心してくれ。次の賢者は、必ず来る」
そのための術は、すでに完成している。
「俺の命と引き換えに、召喚魔法を起動させる」
止める声を振り切り、賢者は微笑んだ。
空が曇り、雷が走る。
荒れ狂う魔力の奔流の中で、その身体は光の粒を撒き散らせながら崩れていく。
――最後の想いが賢者の口からこぼれる。
「……君を……救えなかった……だが、次は……必ず……」
その言葉は雷鳴に呑まれ、誰の耳にも届かない。
そして――今。
賢者は、静かに眠っている。
小人族は棺の前で誓う。
彼の言葉を信じ、待ち続けると。
いつかこの森に現れる、黒き瞳の賢者を。
――その存在だけを、希望として。




