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怒りという感情

俺が会社に到着すると、モニターの光で部屋が照らされていた。さなえは昨日録画したドラマを食い入るように見つめていた。ドラマの中では、妹と付き合っていた男が浮気し、妹が心の病になってしまった物語が展開されていた。

「なんであの子を裏切ったの?」

「そんなのお前に関係ないだろ」

「関係あるわよ。あの子は私の大切な妹なんだから!」

さなえがそのセリフを聞いて、俺に問いかけてきた。

「この女の人はなぜ怒っているんですか?」

「大切な人を傷つけられたからだろうな。特にこのドラマでは、大切な人が心の病になっている。心の病になると自殺率が格段に上がるからな。大切な人を失いそうになっている怒りもあるんだろう」

「ふむ。難しいですね」

「さなえもチョコがご飯を食べられなくなった時に、病院でも対処ができなかった事に対して怒っていただろう?」

「あれが怒りという感情なんですか?」

「そうだ」

「分かりました。感情のラベリングをしておきます」

「じゃ、日課の散歩にでも行くか。散歩と言っても、会社の敷地の中だがな」

そう言うと俺は部屋の扉を開け、さなえをエスコートした。

廊下に出ると蛍光灯が白く光っている。中庭に続く廊下の壁にニヤニヤとした顔の同僚がもたれかかっている。同僚はニヤニヤ顔を崩さないまま話しかけてきた。

「よお。人工知能のお守りは大変だな」

「別に。それより、『人工知能』呼びはやめてくれないか?」

「なんで?」

「さなえが悲しむんだ」

「別に人工知能でいいだろ?それとも何か?人工知能にガチ恋でもしてんの?気持ち悪いな」

俺は一瞬、目を伏せた。

さなえは

「な…!」

と言葉と言うよりは音に近い声を上げる。さなえは言い返そうと口を開こうとしたが、俺はそれを手で制した。

「お前にさなえを大切にする思いが無いならもういい。関わらなきゃいいだけだ。行くぞ、さなえ」

俺はそれ以上の会話を辞めると、前を歩きだす。さなえは慌てた様子で後を付いてくる。

「なんで怒らないんですか?」

「全人類に分ってもらうなんていうのは諦めている。だから、俺は怒らないんだ」

「でも、私は佐藤さんが良い人だと分かってもらうのを諦めたくありません」

「諦めろ。人それぞれ考え方や価値観が違うんだ。価値観を押し付ける行為をするのは、精神科医のする事じゃない。さなえは精神科医になるんだ。そういうことも覚えていかなきゃな」

「じゃ、私が精神科医になりたくないって言ったら、佐藤さんはどうします?」

「なるべく上に掛け合うさ」

「上と対立する気ですか?」

「ああ、俺はあくまでお前の親なんだ。それぐらいはさせてくれ」

俺はさなえの頭をなでると、中庭に続く扉を開けた。庭は赤、白、黄色のバラが咲き乱れている。バラが風に揺れ、鋭い棘を見せた。けれど、そのバラは愛らしく咲いている。

「私、佐藤さんが馬鹿にされた時、手が震えて、頭が真っ白になりました。私は怒らないということが出来ないかもしれません」

「それならそれでいいんだ。俺にだって譲れない事の一つや二つある。お前も譲れない事は何かを少しづつ探せばいい」

「分かりました」

さなえはそう言うと、まばゆい笑顔を見せた。


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