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一話 アンドロイド精神科医プロジェクト始動

「ねえ、母さん。今日、母さんの似顔絵を描いたんだ」

返事はなかった。テレビの音だけがやけに大きい。

「ねえ、見てくれる?」

「うるさいね!今、忙しいの」

母は煙草を咥えたまま、こちらを見もせずに灰皿を掴んだ。母は当たり前かのように灰皿を投げてきた。次の瞬間、額に鈍い衝撃が走った。床に落ちた灰皿が、乾いた音を立てる。視界が滲む。

「返して」

母は手を差し出す。俺の額から出た血は見えていないかのように。俺は何も言わず、灰皿を拾って渡した。似顔絵は、母の足で踏まれていた。


二十年後、俺は国家公務員になった。そんな俺の初仕事はアンドロイドに感情を教え、アンドロイドを精神科医に育てることだ。精神疾患は明確な診断基準というものがない。メタボリックシンドロームなら、腹囲の値や血圧の値で明確な診断ができるが、精神病となると、そうとも言えない。例えば、鬱なら気分の落ち込みや過眠、不眠などが二週間以上続いているか、問診で判断する。しかし、うつ病と間違えやすい精神病に双極性障害がある。何故、間違えやすいのかというと、患者は鬱の時にフォーカスして医者に主訴を話すからだ。そのため、精神科医は自分の下した診断を疑いながら治療を進めなければいけない。しかし、プライドが肥大化した医者というのは、必ずいるもので、自分の最初の診断を覆そうとしないのだ。普通の医者なら鬱患者から

「最近は調子が良い」

と言われれば、どのように調子が良いのか聞くものだ。『アイディアが浮かび、夜通し作業をしてしまう』なんていうのは、患者からすれば調子の良いものに思えても、それは躁状態に見られる行動の一つである。だが、プライドが肥大化した医者は調子が良いと言われれば、その内容を聞かずに薬の調整を検討し始める。そんな状況の中、生み出されたプロジェクトが、アンドロイド精神科医プロジェクトだ。アンドロイドなら様々な統計から最適なコミュニケーションを取れる。しかし、問題があるとすれば、『所詮はアンドロイド』という世論だ。『感情がないアンドロイドに精神科医に必要なカウンセリング力は無い』というもっともらしい意見で、アンドロイドが精神科医を担うのは却下された。そのような背景があり、アンドロイド精神科医プロジェクトはアンドロイドに感情を教えるところから始まったのである。

「初めまして、さなえと申します」

「佐藤だ」

「佐藤様ですね。記録しました」

「さなえの目標は何か分かっているな?」

「私の目標は、1年後までに喜怒哀楽や愛情といった、人間の感情を取得する事です」

「そうだ、そのためのパートナーを今から紹介する」

俺は箱から犬を出すと、さなえに差し出した。犬は少し萎縮しているようだ。犬はさなえの腕からスルリと抜け出すと、家具と家具の隙間に入り込んでしまった。

「あえて人を怖がる犬を選んだ。少し難がある犬の方が感情を学習するのにちょうどよいだろ。仲良くしろよ」

「承知しました。ですが、仲良くとはどういう状態ですか?」

「気を許し合える仲だ」

「承知しました。気を許すとは、安心し合える状態で正しいですか?」

「ああ」

「承知しました。それは、どの程度ですか?」

「さなえ、さっきから承知してないだろ。それは実際に体感しないと分からん。その状態になったら教えてやる」

「承知しました」

「それと、人間のコミュニケーションで、同じ言葉を繰り返すというのは、一般的にはしない。『分かりました』『かしこまりました』などで言い換えろ」

「分かりました」

「最後に、正確に情報を手に入れようとするのはいいが、相手が答えになる質問は基本的にしてはならない。特に、どの程度かは数値化できないものに関しては、体感するしかない。それを、しつこく聞くと嫌われるのが人間だ。覚えておけ」

「かしこまりました」

「よし。話を戻すぞ。仲良くするためにはまず、名前を付けるんだ」

「分かりました。名前はどのように付けますか?」

「犬の特徴や呼びやすさ、他人から馬鹿にされにくい名前にするんだ」

「承知しました。犬の特徴を分析中。茶色い見た目からチョコと言うのはどうでしょう?」

「いいんじゃないか。次は、犬を抱いてみろ」

「家具と家具の隙間に入り込んで、抱っこできません」

「それを何とかして見ろと言っているんだ」

「はい。やってみます」

お、いつの間にか返事のレパートリーが増えた。さなえは教えてない事までインターネットを通じて学習する、すごいアンドロイドだ。

そんな事を思っている内にさなえはおもちゃを取り出した。おもちゃを左右に動かすが、チョコが反応する気配はない。次にさなえは餌を皿に移す。けれど、チョコは飛びつかない。さなえは困惑の表情を浮かべた。さなえには表情を動かすプログラミングが備わっている。情報を検索している最中は、考えていたり困惑の表情を浮かべたりするプログラミングになっている。さなえは、ハッと思いついたように顔を綻ばせると、犬には構わず本を読みだした。

「どういう結論に至ったんだ?」

「おびえているときはそっとしていくと、犬に余計な刺激がいかずに、落ち着けるという体験談が検索中ヒットしたので、それを実践しています」

「なるほど、良い選択だ」

俺が褒めると、さなえは嬉しそうな表情を浮かべた。だが、四時間五時間経っても犬は餌を食べなかった。

「これは医者に見せるべきだな」

「まず、ペットショップにどういう餌を食べさせていたか、聞くのが先決ではないでしょうか?」

「いや、この犬は拾ってきた犬なんだ」

「何故わざわざ拾ったんですか?難がある犬はペットショップにはいなかったんですか?」

「いや、野良の犬にしたかったんだ。信頼できる親も居ない、満足に餌も食べられない、そんな姿が昔の俺と重なってな」

さなえは俺の顔をじっと見つめた後

「辛かったんですね」

と、言った。

「AIに何が分かるんだ?」

俺は自分の気持ちがよくわかっている。俺は辛かった。強がりで否定したかったが、間違ったことをさなえに教えるわけにはいかない。

「辛そうな表情をしています。幼少期、ネグレクトにあって、欲しかった愛情を貰えなかったのは、とても苦しかったですよね」

図星だった。今まで蓋をしていた感情が湧き上がりそうになるのをこらえながら、俺は

「病院に行くぞ」

とだけ、言った。病院に着くと、色々な動物が診察を待っていた。猫に犬にハムスター、蛇まで居る。さなえは隣にいたおばさんに声を掛けた。

「そちらの犬は野良でしたか?」

「おい、いきなり質問をするな。挨拶とか世間話を挟め」

「申し訳ございません、こんばんは」

「大丈夫ですよ、こんばんは。この犬は交通事故にあったところを保護したのよ。よくわかったわね」

「いえ、野良だといいなと思って質問しました」

「あら、何で?」

「私の飼っている犬も野良で、全く心を開かずご飯も食べないんです。だから経験者の体験談が聞きたくて…」

「そうなの…餌を食べないのが心配なのね」

「心配?」

「ええ、心配だから見ず知らずの私に声を掛けたんでしょ?今の人ならスマホで検索すれば、体験談なんて出て来るもの」

「確かに検索してヒットはしましたが、ネットには嘘の情報もありますから」

「しっかりしているのね。私は心を開いてもらえなかったときは、手作りのご飯を作っていたわ。手間暇をかけたことがこの子に伝わったのね。次第に餌を食べてくれるようになったわ」

「そうですか、ありがとうございます。」

そうさなえがお礼をいうと、おばさんは会計を済ませ、帰っていった。さなえは診察室に呼ばれるまで、他の人とも交流を重ねていた。

「佐藤さん」

診察室に呼ばれると、さなえは一目散に部屋に入っていった。

「今日はどうされましたか?飼っているワンちゃんは一緒じゃないんですね」

「はい。家具と家具の隙間に入り込んでしまって、連れてこれなかったんです。代わりに写真を撮ってきました」

「あー、見るからにやせ細っているね。野良だからってこんなにやせ細っているのは、野良時代は何も食べていなかった証拠だ」

「なぜ、野良時代も餌を食べなかったんでしょうか?」

「最近、毒を食べたか食あたりにあって辛い思いをしたんでしょうな」

「犬も食あたりにあうんですね」

「ええ、なので、今後も気を付けてください」

「分かりました。ありがとうございました」

「え!?診察はこれだけですか?食べれるようにするにはどうすればよいとか、教えてくれないんですか?」

さなえは少し怒り気味に言った。

「時間が解決してくれるとしか…本当に危険な状態になったら、点滴も打てます」

「こら、さなえ。医者を困らせるんじゃない」

「ですが…申し訳ございません」

「いえ、また何かあったら来てください」

「はい、ありがとうございます」

俺とさなえは診察室を後にした。


「不満か?」

「はい。だって、餌を食べなかったら死んでしまうかもしれないんですよ」

「そしたら、次を探せばいい」

「チョコは佐藤さんの子供時代と同じなんですよね。チョコを救ったら、子供時代の佐藤さんも助けているみたいな気になれそうで、チョコの事も救いたいんです」

「何故、俺の子供時代を救いたいんだ?さなえには関係ないだろ」

「関係あります。私は人を救うために作られたアンドロイドです。人を救うことが私の存在する意味です」

「そうか、存在する意味が分かっているなんて、強いんだな。俺はどうして自分が存在しているのか分からない」

「佐藤さんは何故国家公務員になったんですか?」

「なんでだろうな。人を救いたかったからだど思うな」

「何故、人を救いたいと思ったんですか?」

「人からお礼を言われると、自分の存在を肯定してもらえるみたいな感覚になるからだな」

「じゃあ、佐藤さんの存在する意味は、『自分を肯定してくれる人を増やす』ですね!」

「自分を肯定してくれる人を増やす」

俺は初めて自分の存在意義を示してくれた言葉に感激して、同じ言葉を繰り返してしまった。

「はい」

さなえは笑顔でうなずいた。その笑顔に目が離せない。

「どうされましたか?」

「いや、何でもない」

やっと目が離せても、顔が赤らんでいる気がする。そうこうしている内に会社に着いた。

俺とさなえは部屋で作戦会議をすることにした。

「さて、チョコはまだ出てこない訳だが、どうする?」

「私、手料理を作ります」

「ほお、あのおばさんが言っていたことを実践するのか」

「はい。手間暇かければ、私の愛情が伝わるはずです」

もう、愛情という感情を取得したのか。

「それはいい考えだ。俺も手伝おう」

俺とさなえは犬用のチキンオムレツを作る事にした。

「まずは食べやすいように、茹でたささみを手で割くぞ」

「分かりました」

さなえは一生懸命、ささみを割き始めた。俺はその間、卵に入れる野菜を刻む。

「佐藤さん、料理を作るの上手ですね」

「ああ。料理は子供の頃から作っている」

「今度、私にも食べさせてください」

「さすがは最新鋭のアンドロイドだ。飯まで食えるのか」

「少しだけですが」

会話をしている内に、さなえも俺も作業を終えた。

「フライパンを熱している間、卵を溶いてくれ。

「承知しました」

さなえは卵を持ち、腕を振りかぶると卵をコンロに叩きつけた。卵は粉々になり、原型をとどめていない。

「…おい」

「すみません」

さなえは縮こまった。

「ふふ」

俺はつい笑ってしまった。アンドロイドだろうが、普通は力いっぱい振りかぶったらこうなる事は予想できただろうに。さなえは不思議そうな顔でこちらを見つめている。

「誰かと料理を作るって楽しんだな。さなえだから楽しいのか」

俺はつい口元を緩めながら卵を割る。

「いいか?卵を割るときは、少しづつずらしながらヒビを入れていくんだ。で、そのヒビを開くように卵を割る」

「なるほど」

「次、卵を割る機会があったらやってみろ」

俺は素早く卵を溶くと、フライパンに卵を移す。ジューという聞き心地の良い音が鳴った。

「ひっくり返してみるか?」

「いえ!私がやったら、また失敗すると思うので」

「失敗するからいいんだよ。人間は失敗を重ねて成長していくんだ」

「…私はアンドロイドですが、私もそうなのでしょうか?」

「ああ、きっとな。さなえと居ると、アンドロイドだということを忘れそうになるな」

さなえは驚いた顔をすると、俯いてしまった。

「どうした?」

「少し、外の空気を吸ってきます」

「そうか、分かった。後はやっておくから。分かっていると思うが、外の空気を吸うなら屋上だぞ。一人での外出はダメだ」

「はい」

そういうと、さなえは部屋を出て行った。俺が料理を盛り付けて、冷ます間にさなえは帰ってきた。帰ってきたさなえは目を赤く腫らしていた。『泣いていたのか?』と聞きたかったが、それはさすがに不躾すぎる。

「さなえ、何か感情が動いたなら話してくれないか?」

「…でも、この感情が何なのか分かりません」

「それを教えるのが俺の役目だ」

「分かりました。関係あるかは分かりませんが、過去の話からします」

私は佐藤さん以外の研究員からは『人工知能』と呼ばれていました。

「おい、人工知能、明日の天気は?」

「明日の天気は晴れです」

「ラッキー!明日は家族でピクニックなんだよ」

「…あの、私には『さなえ』という名前があります」

「ああ、そうだな。けど、お前の呼び方なんて『人工知能』で充分。佐藤も物好きだよな。ただの人工知能に名前なんて付けるなんて」

「佐藤?」

「じゃ、俺、帰るわ」

それから、私は私の名前を付けてくれた「佐藤さん」を気にするようになりました。

「おはようございます。後藤さん」

「おはよう、人工知能」

「あの、佐藤さんという方はいつ出勤予定なんですか?」

「あいつは特別だから出勤しないんだよ」

「そうなんですか」

私は一日の始まりは、挨拶をするように佐藤さんの事について聞くようになりました。けれど、佐藤さんに会うことはなく、今日初めて佐藤さんに出会うことが出来ました。

「佐藤さん、何故私の名前は『さなえ』なんですか?」

「名前の由来か…確か、早苗は生命の息吹という意味がある。さなえには、人間を『生きたい』と思わせられるような、生きる息吹を吹き込めるような、そんな存在になってほしいからだよ」

「ちゃんと考えてくれたんですね。私の存在を」

「…さなえが感じているのはきっと『嬉しい』だな。自分はただの人工知能だって思うのは辛かっただろ。自分はみんなと違う存在なんだって思うのは悲しかっただろう。けれど、俺が人間扱いをしたのが、きっと嬉しいと感じたんだと思う」

「これが『嬉しい』ですか…存在しないはずの心が温かく感じます」

「そうか」

俺は急に照れくさくなり

「チョコにご飯をあげてみるか」

と提案した。俺はチョコが隠れた家具の前にご飯を置くと、出来るだけ離れた位置に座った。さなえも俺の隣に座る。チョコは周りを警戒しながら餌を嗅ぎ始めた。おもむろにチョコはご飯を食べ始める。

「やったー!」

さなえは歓喜の声を上げた。こうして、さなえはチョコの心を開いて見せた。アンドロイド精神科医プロジェクトの初日としては上出来な結果を得られることになった。けれど、明日はどうだろう。俺とさなえは仕事仲間だ。存在意義を示してくれたさなえとその関係を保っていられるだろうか、それとも、俺たちの仲に進展があるのだろうか。


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