第3章 延長と、行き場のない帰路
「……延長って、なんだよ。」
俺は、死神の言葉を反芻していた。
終わるはずだった命を、夏の終わりまで延ばす。
たったそれだけのことなのに、足元がふらつくほど重かった。
「言葉のとおりだ。回収日を後ろにずらす。」
「そんな簡単に言うなよ。」
「簡単な話だ。どちらにせよ死ぬ気もないままここにいたのだから。」
図星だった。
死神は淡々と続けた。
「三十二回。飛び込んだほうが楽かどうか考え、結局やめた回数だ。」
「数えんな……」
「仕事だ。」
くぐもった声のまま、死神はホームの柱にもたれた。
「ただし延長に応じる条件をひとつ。」
「条件?」
「死ねなかった理由を答えろ」
心臓がひどく強く鳴った。
「……怖かっただけだよ。」
「それは知っている。それ以外だ。」
「それ以外なんて、ない。」
「ある。三十二回も迷った人間は、必ず何かを思い踏みとどまっている」
死神は淡々と言った。
「俺たちは自殺志願者を回収するが、全員が迷いなく死ねるわけではない。死ねない理由を共有できれば、後の回収が効率化する。」
「お前ら、そんな業務改善みたいな理由で……?」
「働き者の死神は、情報を欲しがる。無駄に苦しまなくて済む者が増える。」
それは優しさなのか残酷なのか分からなかった。
「だから答えろ。死ねなかった理由をひとつ。それが分かればお前は思い残すことなく逝ける。しかも俺は魂の回収もできて書類にも明確な理由まで書ける。お互いWin-Winな関係だな」
その言い方は、どうなんだと思った。
終電が去り、再びホームが沈黙する。
「帰る場所、あるのか」
死神が問う。
「一応……アパートはある」
「行くぞ」
「は? なんでお前が来んだよ」
「延長の監査が必要だ。サボると書類が増える」
「死神ってやっぱり書類から逃げてんのかよ!」
「逃げられるなら逃げたい」
そいつは死神としてどうなんだ。
改札を抜け、階段を上がり、アパートまで歩く。
街灯の下でも、死神の顔は影に沈んで見えなかった。
気配が薄れるわけでもなく、ただ静かに横にいる、それだけだった。
部屋に入ると、薄暗い六畳間に死神が普通に入ってきた。
「お前……実態ってあんの?」
「幽霊ではない。死神だって実態や能力くらいある」
「死神の能力ってなんだよ。」
「主に透過、浮遊とかな」
死神にありきたりな能力だなと思ったが、気になった点があった。
「そういえばお前死神なのに鎌持ってないよな?」
「あぁ、それは俺が自殺者の魂回収専門だからだよ」
死神にもそんな専門あんのかよとは思ったが、死神なのに部署なんてものがあるなんて言っていたため深く考えず納得した。
俺は冷蔵庫を開け、コンビニの水を取り出した。
死神は部屋を見渡し、ぽつりと言った。
「空気の置き場所に困らない部屋だな」
「言い方が死ぬほど悪いな!」
だが否定はできなかった。
布団。机。着替え。
それ以外はほとんどない。
部屋には、生活ではなく「痕跡」だけがある。
死神は座布団に腰を下ろし、言った。
「寝ろ。肉体が震えている」
「震えねぇよ」
「震えている」
今になって言われて気づく。
手が微かに揺れていた。それはそうだ先程まで自殺するつもりでいたのだから。
「……寝れる気がしない。」
「寝ろ、今寝ておけ。夏は長いが、思っているほど長くない」
その声は、ひどく静かだった。
俺は死神が部屋にいるのなど気にせず明かりを落とし、布団に潜った。
死神はフードの影のまま動かなかった。
寝息は聞こえない。存在の気配だけがそこにあった。
「延長か……本当に延長なんだな、もうどうにでもなれ」
そんな小言を吐きながら眠りについた。




