家路
思えば私は常に支配する者を望み続けてきた半生を過ごしてきたようだ。
幼少期は母から、壮年期は妻に
常に支配され、搾取され、それを憎みながら、求め続ける人生であった。
支配されていないと私は、所在無げで自信なく、糸の切れた凧のようにふらふらになってしまうのである。
酒に溺れることが出来る体質であればまだ良かったのだろうが、生憎酒を受け付けない体質であった私が溺れるのはもっぱら薬物であった。
咳薬から大麻、マジックマッシュルームにウェブサイトで手に入れた怪しげな化学物質やら、トべると噂がある物は、とにかく摂取して、自らの身体で試すような日々であった。
そんな中でも覚醒剤やLSDに手を出さなかったのは、おそらく「ダメ、絶対」の標語で有名な、日本の対薬物教育の刷り込みの賜物であろう。
(先ほども伝えたと思うが、根本的なところで、私は反逆者ではなく、従順な家畜である。)
とにかく、私は支配されていない時は何かに酔っ払っていないといられない性質なのだ。
にもかかわらず、私のような者にも中途半端に自我やら自意識やらプライドが存在するところが人間という生き物の厄介なところである。
いや、むしろ人一倍か?
素直に自らの性質を認めて、受け入れてしまえば楽なのだろうが、抗い、反抗し、世界の全てが憎らしく、自我とそれ以外をいっしょくたにして、全てを粉々のぐちゃぐちゃに叩き壊し、踏み躙り、反吐を吐きかけたいと、そのように生きる日々もあった。
だが、やはり最後には支配を受け入れて頭を垂れるのが我が人生であり、憎々しい私の性質であった。
私が支配を受け入れる対象は、もっぱら女であった。
母、妻、上司、子供。
常に女は私を支配し、私を引き裂き、踏みつけ、安定させた。
女という生き物は常に支配者であり私の恐怖の象徴であった。
私は女が怖かった。
今、女という言葉を使うのでさえ怖い。
こうやって、心の中でさえ、「女」という総称語を使うと、誰かに見咎められるような気がして、踏み絵をするキリシタンのように、罪悪感と覚悟の狭間で心が軋む思いである。
崇拝の対象、崇高で自らよりも遥か高みに存在する物を、貶める行為をするかのような罪悪感である。
しかし、私の矮小な自意識は、「女性」と書くのを許さない。
だから、私が「女」と書くのは、奴隷である私の痩せっぽっちなプライドの精一杯の反抗であると思っていただければと思う。
さて、件の女という者について、女は男の対義語でもあり、類義語でもある。
相反するようで、引かれ合うようでもあり、仲間でもあり敵でもある。
その相対関係はおおよそにして何らかの上下関係であり、その様相は各個体により様々なケースがある。(これは、他の生物に見られない、不思議な人間特有の社会性ではあるまいか?)
私のようにひたすら相手に虐げられたいと望む者もいれば、相手を服従させることに満足を覚える者もいるだろう。
ただ、これは感覚としての感想に過ぎないが、総量的に見ればちょうど半々になるように不思議にバランスが取れているのではないのかな、などと私は考えている。
ただ、それは永遠のものなのだろうか?
己の性質を克服することは出来ないのか?
服従を求める己の本質を変えることは出来ないのか?
支配と服従の関係は逆転させることは出来ないのか?
それを試してみたい。
私は私自身に挑戦したい。
今日。この日に。
そのために準備をしてきたのだ。
今日。この日のために。
決行に相応しい場所、逃走経路、凶器、相手、大丈夫、抜かりはないはずだ。
心臓が早鐘のようにがんがんと胸を叩く。
緊張で手が汗ばむ。
うまく呼吸ができない。
妻にわかってもらおうと無駄な努力と半ば解りつつも、想いを伝えようとする時に似ている。
汗で滑らないように、もう一度手に持った金槌を握りしめた。
雨合羽を通して、雨の滴りを背中に感じる。
雨は私の存在も洗い流してくれるだろう。
来た。
果たして私は準備はできているだろうか?
見落としはないか?
決意に揺らぎはないか?
…ない、大丈夫だ。
今日こそこれまでの自分を変える日だ。
克服せよ。
来た…雨音に紛れたカツカツとアスファルトを叩く靴音。
通り過ぎた。
私には気づかなかった。
雨の夜は暗い。
そっと跡を追う。
手早く、俊敏にことを済ませなければ。
私は手に持った金槌を女の側頭部に、横殴りに振り下ろした。
ごつんと金槌と頭蓋骨が当たる音がした。
声を発することなく、女は崩れ落ちた。
まだだ。
続け様に、私は女の頭に金槌を振り下ろした。
冷静になれ、よく狙って、確実に。
予想した抵抗はなかった。
髪の毛でよく見えなかったが、金槌を通して伝わる女の頭の感触が、砕けた頭蓋骨でざりざりになったので、おそらく女の頭はぐちゃぐちゃに変形しているであろう。
充分だ。
時間はかけていられない。
さあ、走れ、予定したとおりの道を辿る。
路地に入ったところで、取り壊し予定の廃屋の軒下で雨合羽を脱ぎ、金槌と一緒にビニール袋に放り込む。
それを鞄に入れ、傘をさして家路についた。
心臓は相変わらず破裂せんばかりに胸を叩いたが、えもいわれぬ高揚感と達成感で私は経験したことのないほどハイになっていた。
やった、やってやった。
私にだってできるのだ。
私は無力な羊ではない。無抵抗な家畜ではない。今日それが証明されたのだ。
と、同時に恐怖もあった。
やった。やってしまった。
もう取り返しがつかない。
私は殺人者だ。
捕まらないだろうか?
見落としはないだろうか?
女はちゃんと死んだだろうか?
私の貧相な頭で考えた計画など、警察は通用しないのではないか。
もし逮捕されたら、周りの者はどう思うだろう。
親は?妻は?子供は?
私にだって肉親の情がある。
私が逮捕された時の子供の思いやその後の人生を想像すると、胸が痛んだ。
よくない方に考えるのは良きにつけ悪しきにつけ、私の性分だ。
大丈夫だ。今までだって乗り越えてきたのだ。
苦難やピンチも、結局は乗り越えてきたではないか。
大丈夫、大丈夫だ。
落ち着いて、今は自分の行った革命的快挙に胸を張るのだ。
俺は今夜やり遂げたのだ。
己に勝ったのだ。
コンビニに入る。
いつもと違う道で帰ったのはこのコンビニに寄るためだったのだから。
私はそのコンビニのPBで、自分が好きそうなものをいくつか購入する。
このコンビニに寄る必要性を演出するためだ。
さぁ、落ち着け、冷静に。
何食わぬ顔で会計を済ませいつもと変わらぬ日常を演じるのだ。
今夜一匹の羊が、狼へと変わったのを悟られてはいけない。
羊の皮をかぶるのだ。
会計が進み、カードで支払う。
変わらない日常。
どんなに私にとって革命的な、素晴らしい日であろうと、世界は何事もなく流れて行く。
それはそうだ。
そうでなくては。
変わってたまるか。
私はこの世界の主人公ではないのだから。
だが、そんな役名もないような端役の私でも、革命的な劇的な瞬間があるものだ。
人知れず、世界の片隅で私は変わることができた。
それで充分だ。
世界を変えたいとか、主役になりたいだとか、そんなことは思わない。
ただ、そっと、静かに、私は私と戦い、勝ちたかっただけなのだ。
そしてそれは遂行された。
私は幸せだ。
コンビニを出て再び家路に着く。
帰ればまた、妻と子に媚びるように帰宅の挨拶をし、びくびくと顔色を伺いながら食事をし、風呂に入り、眠りにつくのだろう。
だが、私はやれる男なのだ。
今夜それは証明された。
誰も知らなくて良い。
私自身が知っていればそれで良い。
私はやれる。
家が見えてきた。
窓には暖かい灯りが灯っている。
愛しい私の支配者たちが待つ家だ。
心が締め付けられるように幸せな気持ちになる。
さあ、帰ろう。
私は玄関のドアに鍵を差し込んだ。
ただいま。




