第20話:師の言葉、歩き出す翼
森での生活は、気づけば数ヶ月を数えていた。
朝は川で水を汲み、木々を切って薪を集める。
昼は魔力の制御訓練。
夜は焚き火を囲み、カナムに叩き込まれる魔法理論。
最初は魚一匹満足に獲れなかった俺が、今では数分で焚き火を起こし、水の浄化もできるようになった。
掌に乗る水球は、もう震えもしない。
意志に従い、自在に形を変える。
――少しだけ、自分が変われた気がした。
「……俺も、やれるようになったな」
川辺で水を操りながら呟く。
あの牢屋で震えていた自分は、もういない。
守られるだけの無力な自分も。
思い浮かぶのは、鉄格子の奥に残した小さな緑の背中。
「グル……待ってろよ」
拳を握りしめる。
ここで得た力があれば、今度こそ――
◆
その夜。
焚き火の火がぱちぱちと弾ける中、俺は意を決して口を開いた。
「カナムさん。俺……決めました」
琥珀の瞳がちらりとこちらを向く。
「グルを助けに行きます。牢から、必ず連れ出す」
強い決意を込めて言い切った。
数ヶ月の修行を経た今なら、言葉にする資格があると思った。
だが――
「……バカか」
低い一言が、鋭く突き刺さった。
「なっ……!」
「数ヶ月修行したぐらいで、魔王軍の拠点に挑む気か? それを自惚れって言うんだよ」
焚き火の火が揺れるたび、カナムの影が大きく森に踊る。
その存在感に、喉が詰まった。
「でも……!」
言葉を絞り出す。
牢屋の冷気、グルの疲れた笑み。
あの光景が頭から離れない。
「俺は……仲間を置いてきたままなんて、耐えられない!」
「気持ちは理解する」
カナムは静かに息を吐いた。
「だが、現実を見ろ。昨日までの自分を思い出せ。
森の小さな襲撃ですら、私はお前を守らなきゃならなかった。
それが数ヶ月経ったぐらいで変わるわけねぇだろう」
「……っ」
言葉を返せなかった。
悔しさが喉の奥に詰まる。
「ツバサ。考えろ」
カナムの声は静かだが、確かな力を帯びていた。
「今の自分に、本当にできることは何だ?」
◆
その夜、眠れなかった。
焚き火の火を見つめながら、何度も考えた。
――今の自分にできること。
水を操れる。
火を起こせる。
魚を獲り、薬草を見分け、飯を作れる。
だが、それで魔王軍と戦えるか?
牢に突入し、グルを連れ出せるか?
「……無理だ」
小さな声が夜に溶けた。
胸が締めつけられる。
でも、それが現実だった。
◆
翌朝。
ツバサは焚き火の前に膝をつき、カナムに向き合った。
「カナムさん……俺、分かりました。
今すぐグルを助けに行くのは、俺には無理です」
カナムの瞳が細められる。
だがその中に責める色はなかった。
「だから……まずはこの世界を知ります。
だけど、このままじっともしてられない...。
その為にも、見聞を広めて、力を蓄えて……それから必ず迎えに行く」
言葉にすると、胸が少し軽くなった。
無力を認めるのは苦しい。
けれど、それが次の一歩になると分かった。
「……カナムさん。俺にとって、あなたは“師匠”です。
本当に感謝してます」
深く頭を下げた。
牢で絶望していた俺を拾い、力を与えてくれた人。
師匠と呼ぶ以外に、言葉がなかった。
「……師匠、か」
カナムは少し驚いた顔をし、それから口元を緩めた。
「悪くない響きだな。……なら、もっとマシな弟子になれ」
「はい!」
胸の奥から自然と声が出た。
◆
数日後。
ツバサは森の出口に立っていた。
背には小さな荷物、腰にはカナムが削ってくれた杖。
「北に三日歩けば街に着く。……死ぬなよ」
カナムが焚き火跡に腰を下ろしたまま、軽く手を振る。
その飄々とした仕草に、胸が熱くなる。
「行ってきます、師匠!」
ツバサは大きく息を吸い込み、森を踏み出した。
グルを助ける旅は、まだ遠い。
けれど、まずは世界を知ることから始めるんだ。
――翼が、この世界で羽ばたく音がした。




