第2話:脱出計画は、まず“パン”から
「……パンって、どうやって作るんだ?」
次の日。食事の時間になっても、俺はゴブリンの顔を見るまでその言葉を引きずっていた。
昨日の夜、グルは“鍵のことを聞いたことはある”と口にした。
それはつまり──可能性はゼロじゃないってことだ。
鉄格子の外から、例の足音。いつもより少しだけテンポが早い。
……機嫌が良いのか? それとも、ただ忙しいだけか。
「よう、飯の時間だぞ。ほら、今日はちょっとマシな粥だ」
「黒くないだけで、マシって言えるのか?」
「色じゃねぇ。心意気だ」
「だったら心意気でパン出してくれよ」
俺が冗談めかしてそう言うと、グルは一瞬きょとんとしてから、ぽつりとつぶやいた。
「……で、パンってどうやって作るんだ?」
「え?」
「昨日、お前が言ってたやつ。白くてふわふわして、焼くといい匂いがして……。
それ、どうやって作るんだ?」
俺は少し考えて、にやりと笑った。
「じゃあ、まずは“脱出計画”の前に、パン計画だな」
* * *
「まず必要なのは、小麦粉、水、イースト菌……」
「待て、待て待て。何言ってんだお前、いきなり知らん単語出すな」
「そりゃそうだよな……えっと、簡単に言えば、“小麦の粉を水でこねて発酵させて焼く”」
「は、はぁ……。小麦って、あの畑に生えてるやつか?」
「そう。あれを粉にする。まあ本来は石臼で挽くんだけど、……この牢にはねえな」
俺は、牢の中でしゃがみながら、床にパンの作り方を指でなぞって描いた。
今思えば、こうして人とパンの話をするなんて、転生前でもなかったかもしれない。
会社では誰かと何かを語る暇なんてなかった。
毎日がタスクと納期の連続。目を合わせたら「相談があるんですけど」って話しかけられて、
定時はただの幻影だった。
グルはじっと俺の説明を聞いていた。
「焼くってのは、火を使うのか?」
「そう。薪と石釜があればベストだけど、鉄板でもなんとかなる」
「へぇ……。魔王軍の厨房で“灰パン”とか出るけど、あれとは違うんだな」
「全然違う。ちゃんと発酵させて、ふわっとしたやつじゃないとダメ」
「……発酵?」
「……説明がめんどいから、まあ、泡が出てきてプクーって膨らんだらオッケーってことで」
「なるほど、分かった(分かってねぇ)」
俺たちはパンの話を続けながら、少しずつ「もし牢を出られたら」という未来を口にし始めていた。
ただの妄想。そう言えばそれまでだ。だが、想像する自由くらいは誰にも奪えない。
「でさ、パンだけじゃなくて、トマトも育てたい。チーズもあれば最高だな。
あー、でも魔王軍って牛とかいないの?」
「いるぞ。“モーモー”って鳴くやつ。デカくて、よく寝てる」
「よし、乳牛確保だ。で、ベーコンエッグもあれば最高。朝はパンとベーコンエッグと……」
「お前、想像力だけで1冊本書けそうだな」
そんな風にバカ話をしていたら、ふとグルが真顔になった。
「なあ、人間。パンって、そんなに……自由な味がするのか?」
「……自由の味ってのはよく分かんねーけど、
少なくとも、あの真夜中の蛍光灯の下で食うカップ麺よりは、何倍もうまいよ」
グルは小さく笑った。
「カップ麺ってやつはわからねぇが...
そっか……。じゃあ、作るか。“パン”」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
まるで今にも脱出が始まりそうな、その一言。
だがそれは、ただの料理の話のはずだ。
けれど、グルの目には覚悟のような何かが灯っていた。
「パンを焼くには、まず外に出なきゃな」
「……ああ、そうだな」
その夜、俺は久々に夢を見た。
焼きたてのパンの匂いと、昼下がりの木漏れ日。
グルと並んで腰を下ろし、トマトスープをすする。そんな未来が、
案外悪くないなと思った。




