第13話:失敗の山、その先に見えるもの
翌朝。
鳥の声が聞こえるより先に、俺の体は自然と目を覚ました。
体は疲れているはずなのに、胸の奥がざわざわして眠っていられない。
――昨日の火花。
あの一瞬を、もう一度……いや、もっと大きく。
ちゃんとした“炎”にできたら。
それだけで、心が逸った。
「おい、朝から落ち着きがねぇな」
小屋の入り口で、カナムが腕を組んで立っていた。
昨日と同じ薄いローブ姿。
髪は結わず、肩にかかるまま揺れている。
不思議と寝起きの気配がなく、いつも整って見えるのが腹立たしい。
「……いや、その……早く続きがやりたくて」
「いい心意気だ。だが、焦ると大体失敗するぞ」
彼女は鍋を火にかけながら、軽く指を動かした。
空気が震え、小さな炎が鍋底に灯る。
「昨日は火花が出ただろ? 今日は、それを“持続させる”練習だ」
◆
午前。
俺は同じ姿勢で両手をかざし続けていた。
「燃えろ……燃えろ……!」
頭の中で念じても、掌は冷たいまま。
ようやく出たと思えば、火花がパチンと弾けて消える。
繰り返し。繰り返し。
「……はぁ……はぁ……!」
「言ったろ、焦るなって」
「でも……!」
「でもじゃない。炎ってのは、命みたいなもんだ。無理やり灯せばすぐ尽きる」
カナムは飄々とした口調のまま、俺の頭を軽く小突いた。
「呼吸だ。吸って、吐いて。心臓の鼓動に合わせろ。
残業じゃねぇんだ、効率を考えろ」
「……今、残業って言いました?」
「言ったか?」
とぼけるように笑うカナム。
胸の奥がざわつく。
――この人、ナニモノだ。
◆
昼過ぎ。
火は出ない。息は切れる。汗は滝のように流れる。
胃が空っぽで、体も言うことを聞かない。
「……やっぱ、俺には無理なんじゃ……」
ぽろりと弱音がこぼれた。
社畜時代、よく口にできなかった言葉。
でも今は自然と出ていた。
「……無理かどうかは、やる前に決めることじゃない」
カナムの声が、やけに静かに響いた。
「私は昔、誰より魔力が強いって言われた。
でも制御できないから“危険だ”って追放された」
その横顔は、いつもの飄々とした仮面ではなく、少しだけ寂しさを帯びていた。
「強すぎても、弱すぎても、人は文句を言う。
結局は“自分がどうしたいか”だ。ツバサ、お前はどうしたい?」
「……俺は……パンを焼きたい」
言って、自分で可笑しくなった。
大真面目に言う台詞じゃない。
でも、それが俺の本音だった。
カナムは吹き出した。
「ははっ……お前、面白いな。魔法を学んで目指すのがパン屋か」
「笑わないでくださいよ……!」
「笑ってねぇよ。……いい夢だ」
琥珀色の瞳が揺れ、真剣さを帯びる。
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
◆
夕方。
呼吸を整え、再び両手をかざす。
昨日より落ち着いて。焦らず。
燃えろ、と心で叫ぶのではなく――灯れ、と囁くように願った。
ぽ、と小さな炎が生まれた。
昨日より確かに大きく、数秒だけだが揺らめき続けた。
「……出た……!」
「おう、やっと形になったな」
嬉しさに震える俺の肩を、カナムが軽く叩く。
「初めてにしちゃ上出来だ。……まあ、普通は子どもがやることだけどな」
「言わなくていいです!」
二人で声を上げて笑った。
炎はすぐに消えたけど、心の中には確かな火が灯っていた。
◆
夜。
小屋の窓から見える星空を眺めながら、俺は呟いた。
「カナムさん……なんで、そんなに俺にしてくれるんですか?」
「さあな。……昔の自分を見てる気がするからかもしれん」
「昔の……?」
「気にするな。ただの独り言だ」
そう言って彼女は焚き火を見つめる。
その横顔が、どこか人ならざる深さを秘めている気がした。
やっぱり――この人も、俺と同じ……?
答えはまだ分からない。
だが、確かに一つだけ言える。
俺は、一人きりじゃない。
そして俺は改めて誓った。
必ず魔法をものにして、力をつける。
グルを迎えに行くために。
そのための火は、もう心に灯っているのだから。