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第11話:師の名はカナム

かすかに漂う香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

それはこの世界に来てから、初めて嗅ぐ“まともな食べ物の匂い”だった。


目を開けると、天井は木材で組まれていた。

苔むした岩の洞窟ではなく、簡素ながらも生活感のある小屋の中だ。


「……ここは?」


声を出した瞬間、乾いた喉に痛みが走った。


「起きたか」


その声に顔を向けると、彼女がいた。

長い髪をひとつにまとめ、薄いローブを羽織った女。

スラリとした体つきは、立っているだけで視線を奪う。

手には木製の杓文字、足元には小さな鍋。

その中で湯気を立てるスープが、部屋に食欲をそそる香りを満たしていた。


「……あんた、俺を……助けてくれたのか」


「通りすがりにな。家の近くでで死にかけの人間なんざ、勘弁してほしいね。」


軽く肩をすくめる仕草。

言葉はぞんざいだが、声には温かみがあった。


 


「ほら、食え。毒は入ってねぇよ」


木の椀に盛られたスープを差し出される。

口をつけた瞬間、舌が痺れるほどの塩気と、根菜の甘みが広がった。

それは涙が出るほど美味しかった。


「……うまい……」


気づけば、夢中でかき込んでいた。

器の底が見える頃には、体の芯から温かさが広がっていた。


「命拾いしたな」


「……ああ、本当に」


自然と頭を下げる。

礼を言うのなんて久しぶりだった。

社畜だった頃は「感謝」よりも「罵声」の方が多かったから。


 


「名前は?」


ふいに問われ、俺は名乗った。


「......ツバサ。」



異世界でも日本名を名乗るのは場違いかと思ったが、偽名を思いつく余裕はなかった。


彼女はしばらく俺を見て、ふっと笑う。


「そうか。……私はカナム」


「カナム……」


「好きに呼べ。師でも、魔女でも、変人でもな」


 


奇妙な自己紹介だった。

だが、その飄々とした雰囲気が逆に安心を与える。


 


「カナムさんは……なんでこんな森に?」


「昔は王都にいたさ。魔術師団に所属してな。けど、まあ……居場所がなくなったんだ」


「……追放、か」


「簡単に言えば、そうだ」


彼女は肩を竦め、窓の外の森を眺める。

その横顔はどこか寂しげで、同時に清々しくもあった。


 


しばらく沈黙が流れた。

けれどその静けさは、不思議と苦ではなかった。


 


やがて彼女は、唐突に切り出した。

「そういえば―...」



「お前……魔力、感じたことあるか?」



俺は唖然とした。


「?????...……魔力?」


「この世界じゃ、生きる上で必須みたいなもんだ。

 飯を食うのと同じ。眠るのと同じ。呼吸するのと同じ」


そう言いながら、彼女は指先をひらりと動かした。

すると掌に小さな炎が灯った。

ろうそくの火より小さいが、確かにそこに“魔法”は存在していた。


「……っ!」


思わず息を呑む。

牢屋にいたときも、脱出の時も見たことのない光景。

それは俺が夢想した“異世界”そのものだった。


「驚くことじゃねぇよ。これくらい、子どもでもやる」


炎はすぐに掻き消えた。

だが胸の高鳴りは消えない。


 


「お前も、できるようになりたいか?」


問われ、俺は即座に頷いた。


「……やりたい」


迷いはなかった。

魔法を覚えれば、森で生き延びることができる。

そして何より――パンを焼くための火を、自分の手で手に入れられる。


 


カナムはにやりと笑った。


「なら、教えてやるよ。

 どうせ暇だしな。退屈しのぎにはちょうどいい」


 


その言葉が、俺の新しい日々の始まりを告げた。

グルと別れた痛みを抱えながらも、前に進むために。

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