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第10話:森の中の出会い、名はカナム

森を歩く音だけが響いていた。

枝を踏みしめるパキリという音が、やけに大きく聞こえる。

鳥の声は遠く、虫の鳴き声もやんでいる。

ただ、自分の荒い息と、腹の中から響く鈍い音だけが耳を支配していた。


「……はは。やっと自由になったってのに。」


声は掠れていた。

牢から抜け出して、まだ数日。

あの石と鉄の世界から逃げた先に待っていたのは、思い描いた“自由”ではなく、過酷すぎる大自然だった。


空腹は、常に喉元を締め付ける。

川の水をがぶ飲みした結果、腹を下す。

どんぐりを齧れば渋みに顔が歪む。

キノコをかじれば吐き気に襲われ、慌てて吐き出した。


「……俺、キャンプとかサバイバルとか……したことねえんだよな」


現世の俺は社畜サラリーマン。

最終電車に揺られ、カップ麺をすすり、机に突っ伏して眠る毎日。

自然の中で生き延びるなんて、テレビやネットでしか見たことのない世界だ。


牢を出た時の高揚感は、もう跡形もない。

代わりに広がるのは、足を動かすたびに重くなる疲労と、心を蝕む孤独だけ。


「結局……また社畜時代みたいに……命を削ってんじゃねえか……」


乾いた笑いが、喉の奥でひゅっと漏れる。

自嘲混じりのその声さえ、森の中に吸い込まれて消えていく。


 


足がもつれ、膝をついた。

体は鉛のように重い。

頭がぐらりと揺れて、視界の端が黒く染まっていく。


「……グル……」


最後に浮かんだのは、牢屋の中で出会った奇妙な仲間の顔。

あの小さなゴブリンの姿。

「パンを焼け。俺は食う係だ」

そう言って笑ったときの声が耳に蘇る。


思わず胸が詰まる。

俺はまだ、あいつにパンを食わせていない。

けれど、このままじゃ――。


 




──そのとき。






「……おい」


耳に飛び込んできたのは、澄んだ女の声。

けれどその声音には不思議な調子があった。

柔らかく、どこか眠たげで、掴みどころのない響き。


「なんだ、こんな所で倒れてんだ。死ぬ気か?」


ぼやけた視界に、影が差す。

逆光で顔はよく見えない。

けれど、すらりと伸びた脚線、無造作に流れる長い髪、しなやかに動く腰つきが目に焼きついた。

ローブの隙間から覗く体の曲線は、妙に人離れした存在感を放っていた。


……人だ。


「……人……間……?」


掠れた声で問うと、その影は小さく笑った。


「まあ、一応な。安心しろ。食うつもりはない」


次の瞬間、肩に細く長い指が触れた。

冷たく荒んだ世界で、初めて感じた温度だった。

じんわりと体に沁み込み、崩れそうだった心の壁を支える。


 


「……助かった……」


その言葉を最後に、緊張がぷつりと切れた。

意識が暗闇に落ちていく。


まぶたが閉じる直前、彼女の顔がかすかに見えた。

琥珀色の瞳が揺らぎ、口元に浮かんだ笑みは美しすぎて現実味がなかった。


 


──そして俺は眠りに落ちた。


この世界で初めて、安心という名の眠りに。


目を覚ましたとき、彼女は自らを名乗ることになる。


カナム。

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