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プロローグ


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 あざむき あざむき

 あざむき あざむき

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 

 真昼の快晴、溢れる陽光の下、

 立てかけられた国章入りの青い旗がはためく。

 祭りの前日のためか、

 街全体が浮き足立っている。

 

 屋敷近くの孤児院にも

 高揚感が漂う。

 

 子どもたちは輪を作り、

 声を合わせて童謡を響かせていた。

 弾む輪唱は風に乗り、空へと溶けていく。



♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 あざむき あざむき

 あざむき あざむき

 人をまどわす 甘い声

 赤目の女 魅了の悪魔


 おバカの王子 とりこになり

 わがままふたり 手を組んだ


 おとうと王子 かしこくて

 兄のゆくすえ なげいてた


 あざむき あざむき

 あざむき あざむき

 悪魔と兄を 捕まえて

 ふたりなかよく 断頭台に


 あざむき あざむき

 しあわせのくにに 赤目は

 どこにも どこにも いてはいけないよ

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 輪になっていた子どもたちは、

 リュクシア王国に古くから伝わる童謡を、

 歌い慣れた様子で口ずさんでいた。

 時折、リズムに合わせて小さくステップを踏む。

 

 涙を浮かべた“赤目”の男の子は、

 ひとりポツンと離れたところで座り、

 芝生を指で弄る。

 

「……驚いたわ。

 この国にはこんな歌まであるのね」


 幼い娘の手を握りながら、小さく呟く貴婦人。

 よく仕立てられたつばの広い帽子に、

 ピンクブロンドの髪。

 

 孤児院への慰問に、

 自分とよく似た五歳になる幼い娘を連れてきた。

 もとから慈善活動に熱心なわけではなけれど、

 これは、娘のためだ。


***

 

 案内のシスターは不思議に思った。

 

 ――リュシアンナ・アルベリオ侯爵夫人。

 

 この歌を知らないなんて、

 相当浮世離れしているのか――。


 それでも、そんなことをおくびにも出さずに、

 シスターは軽く微笑む。

 領主の奥様の機嫌を損ねるわけにはいかない。


 箱入り貴婦人に教えてあげなきゃ。

 

「昔、少数民族の赤目女が、

 王子を誑かして国が傾いたそうなんですよ。

 それで赤目狩りが行われて、

 今では随分と少ないそうで……。

 ふふっ、物騒ですよね。

 もちろん大昔の話ですが」


 シスターは、軽い調子で肩をすくめながら思う。

 あの頃は“魅了の力”なんてものが

 本気で信じられていたらしい。

 くだらないと思いつつ、続ける。


「……まあ、今では“誘惑に負けてはいけない”、

 という教訓みたいなものです」

 

「そ、そうなのね……」

 歯切れの悪い返事をする貴婦人。

 

 領主の奥様だっていうのに、

 歴史を勉強しないのだろうか。

 これだから、貴族っていうのは……。

 

「……もう少し、ここにいていいかしら」


 眉尻を少し下げた彼女が、

 庶民の私に向かってお伺いを立てる。

 まだ、もう少し見学するようだ。


 案内は正直、めんどくさい。

 でも寄付金がもらえるなら、

 それに越したことはない。

 

「もちろんです。

 私は、仲間外れのあの子のところに行きますね。

 感情の昂りで“赤目”になるなんて、

 正直気味が悪いですけど、これも仕事なので。

 ではどうぞ、ごゆっくり」


 あくまでも、

 この場を離れるのは

 仕事のため。

 

 微笑みの表情を崩さず頭を下げたシスターは、

 子ども達の方へと向かった。


***


 シスターが歩みを進めたあとは、

 そこにいるのは親子の姿、ただ二人だけ。

 

 吹き抜ける風が、二人の美しい髪を靡かせる。

 思わず見惚れるほど絵になる親子。

 けれど陽光の中、その二人だけが、

 見えない檻に閉じ込められているようで――


 リュシアンナは小さくなっていく

 シスターの後ろ姿を睨むように見つめる。

 

 そして、独り言のように小声で吐き捨てた。

 さきほどとは打って変わって、

 侮蔑を隠そうともしない。

 

「滑稽ね……。

 前世でも、この国でも、人は差別が大好き。

 それでもあんな歌を子どもに歌わせるなんて、

 普通じゃありえないんだけど」


 ――この狂った世界に来て、もう五年。


「ねぇ、お母様」

 

 母親に繋がられた小さな手に、

 力がはいった。


「悪い子なったら……だんどうだい、になるの?」

 

 娘であるララリアは、母親を見上げた。

 大きな碧眼を潤ませながら、

 なにかに怯えているような眼差し。

 瞳孔がかすかに揺れている。


 断頭台の意味は、まだわかってないはずだ。

 だけどとても恐ろしいこと、

 というのは理解している。

 

 リュシアンナは思わず目を細めた。

 ララリアのその瞳は、

 まるでサファイアのように澄んでて目が離せない。

 

 なんて綺麗な青い目をしているんだろう、


 ――この子が“ザマァ”されるなんて

 あっていいはずがない……。

 

 リュシアンナの脳裏に浮かぶ、

 前世で読んだあの“WEB小説”のタイトル。


 あの頃は、

 親しみのあるタイトルのかたち、だった。

 息抜きに好んでよく読んでいたそれらが、

 まさか、この身に降りかかるなんて。

 

 あんなに好きだった物語たちが現実となると、

 この独特な調子のタイトルが、

 今ではとても忌々しく感じる。

 

 リュクシアは、前世の記憶を掘り起こす。

 スマホをスクロールして、

 読み込んでいたいたあの頃。

 車内の後部座席、

 母の小言に辟易していて――。

 

ーーーーーーーーーーーー


『差別対象の赤目公爵令嬢は、

 突然王子に婚約破棄されて!?

 〜王弟のお父様が最強チートだから、

 残念ながらザマァされるのは王子の方〜』


 

「わたくし、第一王子ウィリアム・リュクシアは――」

「ララリア・アルベリオ侯爵令嬢を、

 未来の正妃婚約者として――」

「そして、ルシェリエル・ヴィサンス公爵令嬢には、

 側室候補として――」


「まさか……殿下。

 そんなの、あんまりですわ……」


ーーーーーーーーーーーー


 確かこの物語の冒頭はそう、

 こうだった。


 前世では、

 あのあと私は死んでしまって、

 結局そのページしか

 読むことができなかった。

 

 それでも結末は決まってる、はずだ。


 タイトルとあらすじ、

 それに冒頭の宣言、

 それだけで十分……。


 だって、本当にたくさん読んできたんだもの。


 きっと、こういう物語。

 

 “ヒロイン”はこの国で忌避されている

 “赤目”持ちの不遇な公爵令嬢。


 その彼女は“赤目”を隠して、

 完璧な令嬢として君臨していた。

 その彼女がある日突然、

 王子に婚約破棄されてしまう。

 

 それでも結局、

 影響力のあるヒロインの父――王弟の力で、

 逆境を乗り越える。


 ……そんな、ありふれた話。


 冒頭で未来の正妃と宣言されたのは、

 私の娘――ララリア・アルベリオ。

 

 “可哀想でない方”の碧眼のララリアは、

 きっと“赤目”ヒロインのライバルで“悪役”。


 この子は王子を略奪する毒婦であって――

 

 最後にはタイトルのとおり、

 王子とともに断罪、

 “ザマァ”される運命。

 

 どこかで見たことあるような、

 そんな“運命”を背負った登場人物……。

 

 堪らなくなったリュシアンナは、

 しゃがむと娘を強く抱きしめた。

 

 この子を悪者になんてさせない。

 させていいはずがないもの。

 

 娘を幸せにするために、

 私はここに連れてこられた。

 そうでなきゃ、

 私という存在の意味が。

 

 ――どこにもない。


 また頭の中が、

 孤独で押しつぶされそうになる。

 

 深呼吸をしたリュシアンナは

 気持ちを落ちつかせるように、

 ララリアの不安に応える。

 

「うんうん。落ち着いて」

 言い聞かせるように

 何度も、何度も何度も、

 娘の髪を手で梳き続ける。

 

 自分にも言い聞かせるように。

 

「お母様が悪い子なんてさせないから。

 だからね、ララ」

 

 抱きしめていた体を離し、

 今度は顔と顔を見合わせる。


****

 

 母親と視線がぶつかるララリアは、

 怖くて目を逸らしたかった。

 

 でも、それは決して許されない気がして

 瞬きさえできずにいた。


 一拍の間を置いて、

 お母様の“有難いお言葉”が降りてくる。

 

「いつまでも、可愛いお利口さんでいてね。

 赤目で差別するとか……。

 お母様そんなこと、

 絶対に、許さないから。

 なんでも知ってるお母様には、

 全部わかっちゃうんだから……ね?」

 

 ララリアの肩に置いた手の力が、

 だんだんと強くなることに、

 おそらくリュシアンナは気づいていない。


 ララリアは母の指が肩に食い込む痛みで

 ようやく息をのんだ。


 ……こわいよ。……お母様。

 

 体は熱いのに、胸の奥が冷える。

 でも、悟られてしまってはいけない。

 ララリアは母親の様子を遮るように、声を上げた。

 

「ララ、お母様の言いつけ、ちゃんと守る!」

 

 良かった。

 ちゃんと声出せた。

 こんなときは明るく、元気よく。


「いい子、いい子」

 ララリアの柔らかい髪の毛を

 満足そうに撫でる手。

 

 そんな母親の様子に娘も安堵する。


 お母様の笑った顔が大好きだ。

 お母様もララが笑った顔が好きって言ってくれる。

 

 だから、

 お母様もいつも笑顔でいてくれたらいいのに。

  

「いけない。そうだった」


 撫でていたはずの手が止まり、

 突然、声色が低くなるリュシアンナ。

 

 掠れた吐息が混ざっていて、

 苛立ちが隠せていない。


 ――もしかして、なにか間違えた?


 お母様の調子は、

 いつも急に変わってしまう。

 

 それが、余計に不安になって――

 自分の行いをすぐさま振り返る。

 

「“あいつ”が今日、戻ってくるから

 そろそろ帰らないといけないんだった」


 お父様のことだ……。

 安心と、また別の不安と。

 

「なにもわからないくせに、

 口だけだして……。

 ほんと目障りで、あいつは――」

 

 リュシアンナの夫に対する悪態は、

 とどまることを知らない。


 ララリアは、その姿を黙って見つめるだけ。


 大好きなお母様が、

 なぜ優しいお父様のことを

 嫌っているのか、

 全くわからないから。

 

 そしてそれを聞く勇気も、

 もちろんあるはずもない。


 こんな時どんな顔をしていいのかも、

 幼いララリアは知る由もなかった。

 ……ただただ、聞いていたくない。


「あっ……」

 お母様はようやく私に気がつくと、

 少しだけバツが悪そうにする。


 そして、それを払拭するかのように、

 わざとらしく甘い声を使って囁く。


「ねぇ、あの泣いてる男の子……。

 ララよりも小さいのかな?

 もし、弟になってくれたら、

 ララ、嬉しい?」


「……嬉しい」

 いきなりそんなこと言われても困惑する。

 でも違う答えなんて、

 持っていない。

 

「そう。

 じゃあそうしましょうね。

 あのシスターもどうにかしないと……」


 お母様が広場で歌う子供たちと、

 その側にいるシスターに顔を向ける。

 逆光で、お母様の顔は見えない。


 早く、元のお母様に戻ってほしい。

 いつもみたいに笑って楽しくお話がしたい。


 そのまま、

 また、私のほうに顔を向けるお母様。

 

「……帰る前に、

 いい子のララは、

 あとひとつの言いつけ、

 覚えてるかな?」


 その問いに、

 ララリアはわざとらしく

 一層声を上げて明るく応える。

 それしかできない。

 許されない。

 

「人のものは、絶対、絶対! 盗ったりしない!!」


 ……あざむき

 あざむき

 あざむき

 あざむき


 お父様から内緒で貰った絵本。

 王子様と庶民の女の子が身分を超えて恋するお話。

 絶対に知られてはいけない、

 大事な大事な宝物。

 

 ちらりと、リュシアンナを横目で見るララリア。

 

『明日、王子様をみんなで見に行くんだ!』

 孤児院の子がさっき教えてくれた。

 ちょっとだけ、見るだけなら。

 

 ……でも、ララがわがまましたら、

 お母様、怒っちゃうだろうな。

 

 行き場のない思いを押し込めて、

 上等な靴の先で、

 あの男の子と同じように、

 芝生を弄る。

 

 輪唱が遠くで途切れ、

 小さくなっていく。

 けれどララリアの頭の中では、

 “あざむき あざむき”の囁きが

 頭の奥で途切れない。


 ララは、お母様に嘘をついてる。

 ララは、本を秘密にしてる。

 ララは、王子様を少しだけ見てみたいと思ってる。

 

 お母様は、

 王子様はもう好きな子がいるから、

 ララは近づいてはいけないんだって、

 そう言うの。

 

 好きな子がいるのに、

 近づく女の子は、

 とってもいけない悪い子なんだって。

 

 お母様を騙してるララは、

 もう悪い子なのかな。

 

 お母様の香油の甘さと

 青々とした芝生の匂いが混ざり、

 甘苦い香りとなって、ララリアの周りを囲む。


 風が、街のいたるところに立てかけられた、

 青の国旗を靡かせた。

 

 蜃気楼で、

 藍色の旗景色が欺くように歪んで見える。

 

 雲ひとつない空は、どこまでも澄んでいるのに、

 誰も未来を覗くことなんてできない。

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