第23話 リベルの想い
「……ハァ、ハァッ!」
一人の少女が呼吸を荒くさせている。
修練場に来ていたリベルだ。
彼女の前には、大きく増長した『夢喰いチョウ』がいた。
「グゥゥ……」
「く、来るなっ!」
リベルは声を上げ、剣を前にする。
だが、その手はぷるぷると震えていた。
(どうして! こんなの雑魚じゃない……!)
夢喰いチョウの危険度は、最下級。
全く脅威ではないが、|人の恐怖を食べて成長する《・・・・・・・・・・・・》。
その大きくなった体は、リベルが怯えていることを表していた。
「グウウウゥゥ……」
「……っ!」
奇妙なうめき声で、リベルの記憶がフラッシュバックする。
幼い頃の“嫌な記憶”だ。
リベルが立派な王女を目指すきっかけとなった、平民の少年。
彼は魔人の戦いに駆り出されて、死んでしまう。
だが、彼にトドメをさしたのは、夢喰いチョウの上位種だった。
戦いという恐怖が蔓延する場で、それは猛威を振るった。
その時に受けた“想い人”の殉職報告は、リベルは今でも忘れない。
それからというもの、リベルは『夢喰いチョウ』関連に強いトラウマを持つ。
「……ハッ、ハッ」
リベルも一国の王女とはいえ、まだ学生。
成長しきっていない心は、トラウマを克服できていなかった。
トラウマは、人の恐怖の象徴。
つまり、夢喰いチョウにとっては一番のエサだ。
「グウウウウウウウウウッ!!」
「……あ、あぁ」
トラウマが夢喰いチョウを成長させる。
リベルはその肥大化する体に怯える。
すると、夢喰いチョウはさらに増幅する。
まさに負の連鎖だ。
今のリベルに断ち切る術はない。
(ワタシ、ここで死ぬの……?)
目の焦点は合っていない。
リベルの賢い頭は、すでに最悪を想定してしまっていた。
(あの子と同じように……?)
「グウウウウウウウウウゥゥゥ……!」
「……っ!」
腰は抜け、もう前は向けない。
リベルはとっさに目をつむった。
これ以上、恐怖を見るのは嫌だった。
──だが、すぐ前で斬撃音が聞こえる。
「……え?」
リベルはゆっくりと目を開いた。
まさかとは思いつつも、ありえないと否定しながら。
しかし、そこにいたのは頭に浮かんだ人物だった。
「なん、で……」
ギリギリで助けに入ったのは──オルトだ。
「間に合って良かった」
「……!」
その姿に、リベルはハッと涙ぐむ。
だが同時に、疑問も浮かぶ。
自身への怒りも含めた疑問だ。
「な、なんで! ワタシはあなたにひどいことをしたのに……!」
「関係ないよ」
「……!」
リベルはオルトを騙し、ハニートラップを仕掛けた。
それでも、オルトは首を横に振った。
「正直、ちょっと迷惑だったかもしれない。最初から怪しかったし、推しからもキツい目を向けられた」
オルトの手に神力が灯る。
神力が集まって形作ったのは、神器の剣。
「でも全部が全部、嫌だったわけじゃない」
「……!」
「たとえ嘘だったとしても、多少は良い思いをできたよ。それに──」
オルトの剣は、夢喰いチョウを一瞬で八つ裂きにした。
「俺はまだ友達だと思ってる」
「……っ!」
「友達を助けるのは当然だよ」
「オ、オルト、様……」
オルトがにっと笑う。
その姿がかつての想い人と重なる。
すると、リベルはようやく自分の気持ちに気づいた。
(ああ、そうだったんだ)
確かにリベルは打算でオルトに近づいた。
だが、全てが計算だったわけではない。
(ワタシは、最初から意識してた……)
姿、笑った時の表情。
平民にもかかわらず、勇敢な姿勢。
オルトと彼には、いくつか共通点があった。
だからこそ、リベルはこの計画を立てたのだ。
多くの候補がいた中でも、オルトだけを選んで。
(そして、今ではもう……)
リベルの鼓動が高鳴り続けている。
その鼓動は、十年ぶりに聞いた恋の音だった。
しかし──。
(言えない)
リベルは芯だけは真っ直ぐである。
一度大きな嘘をついた相手には、とても言えるはずもなかった。
偽りの恋から、|本当に好きになってしまった《・・・・・・・・・・・・・》なんて。
「ありがとう……オルト」
「ああ、帰ろう」
こうして、波乱の魔物室清掃は終えたのだった。
★
「おはようございます」
週が明け、リベルがあいさつをした。
その相手はなんと──レイダだ。
「……アンタどうしたの? お、おはよう」
一応あいさつは返すが、やはり訝しげな表情だ。
すると、リベルは微笑みながら問いかける。
「お菓子作りでも教えましょうか?」
「はあ!?」
「オルトにも喜んでもらえるかもしれませんよ」
「……!」
その言葉にはぴくっと反応を示すレイダ。
だが、冷静になればおかしいことに気づいた。
「って、急にどういうつもりよ」
「ワタシは手を引きましたので」
「え、それって……」
「ふふふっ」
リベルは、オルトの取り合いから手を引いた。
今までのようなアタックはしないのだろう。
だが、“好きな人に幸せになってほしい”という気持ちは変わらない。
(オルト様はレイダさんを好意的に見てる。だったらワタシは、それが叶うようにレイダさんをサポートします)
ただ、レイダが素直に従うとは思っていない。
つい先日までバチバチしていたなら、なおさらだ。
「まあ、あなたのことですから、どうせ断る──」
「教えて」
「……あら、なんと?」
予想外の答えに、リベルはもう一度問う。
「お、教えてって、言ったのよ!」
「!」
レイダは恥ずかしげに返す。
その表情にはリベルも目を見開いた。
(なんだ、お似合いではありませんか)
レイダの方も“脈アリ”だと気づいたのだ。
少し羨ましくもあり、嬉しくもある。
「では早速、今日にでも」
「よ、よろしくお願いするわ……」
放課後。
「ちょっと、そこのオルト君」
「へ?」
後ろから声をかけられ、オルトはバッと振り返る。
そのレイダの声に反応して。
「どうしたの!?」
「こ、これ……いるかしら」
「お菓子の袋?」
レイダは少し乱暴に「ん!」と袋を渡す。
顔は逸らしているものの、ちらちらとオルトを覗いている。
袋の中には、クッキーが入っていた。
「あ、うん、ありがと……」
「じゃあそれだけだからっ!」
「ええ!?」
だが、袋を手渡すと同時にレイダは走り出した。
さすがのオルトも戸惑ってしまう。
(レイダからプレゼントは嬉しいけど……)
オルトは原作のレイダを知り尽くしている。
彼女がお菓子作りをするとは思っていなかった。
このクッキーも、その辺で買ってきたと考えたのだ。
──袋を開けるまでは。
「……!」
中身のクッキーは、形が整っていない。
加えて、その一つに拙いチョコ文字で綴ってあった。
『三位おめでとう』と。
オルトはバッと振り返る。
「レ、レイダ! 待って!」
「……っ!」
真っ赤な顔を隠すように、レイダは背を向けたまま。
対して、オルトは一口食べて声に出した。
「お、美味しいよ!」
「~~~っ!」
「あ」
レイダは言葉を返さず、再び走り出す。
その中で、ふとつぶやいた。
「ったく、わざわざ言わなくていいっての」
今までに見せたことのない満面の笑みで。
オルトに渡したクッキーは、初めての手作り。
だが、感想を聞くのが怖くて逃げ出してしまった。
それでも、最後は嬉しい一言をもらえた。
「……また、作ってあげなくもないんだから」
レイダは、柄にもなくスキップで帰っていく。
その口元はしばらく緩むことはなかった──。