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第5話 享受する万象と、甘い蜜の誘惑【前編】

 

『人間は、その想像力によって支配される』


 ナポレオン・ボナパルト



 フェリシア博士も一行に加わり、再び研究所へと続く森の道を歩み始めていた。


 捕縛した盗賊たちの対処は、グレンの判断で事情を説明された荷馬車の御者に任せる事になった。しかしあの御者、盗賊達に簡単に組み抑えられていたが、見た目以上に図太いのか、交渉中にやたらとグレンの顔色を伺っているのが、美琴には見て取れた。


 グレンが「王都の役人に引き渡せば報奨金が出る」などと話していたが、美琴の記憶にはっきりと残っている。


「それにしても、状況的には私達が偶然通りかかって『急場を凌いだ』という感じだったけど、あの2人に任せちゃって良いのかしら?」


 美琴が皮肉めいた視線をグレンに向けると、グレンは鷹揚(おうよう)に頷いた。


「ああ、問題ないだろう、あの辺の街道は定期的に他の行商人も通るし、懸賞金は惜しいが、今はお前達の要件が優先だからな」

「ふむ、なるほど、まあグレンがそれで良いなら別に構わないわ、どのみち私達じゃ王都にあの賊たちを連れて行っても、報奨金ではなくお縄を頂戴しそうだし」


「ハハ、そう言う事だ、それにお役所絡みだから事情を聞かれたりすると、色々と面倒だからな」


 グレンの言葉には、どこか含みがあり、何となく嘘が混じってる様にも感じたが、どのみち気にしても仕方ない。あんな盗賊団の事など、些細な事だ。


 先程のフェルシア博士の胡散臭さもあるので、このグレンの事も、どうにも信用が出来ない。まあこちらの反応を見る為に、いきなり威嚇射撃をしてくる様な相手なので、元々が善意の提案って訳でもはないのだろうし、用心はしておこう。


 陽葵ときららは、そんな会話の駆け引きには全く気づかず、博士の周りで小躍りしていた。特にフェリシア博士は、二人の純粋な好奇心を刺激する存在だ。


「ねえねえ博士! 博士ってなんでも作れるの? 空飛ぶ魔法の絨毯とかも?」

「あら、ふふふ、残念ながらまだそこまでには至ってはいませんわ、ですがわたくしの夢は、世界中の人々がもっと便利で、もっと快適に過ごせるような便利な魔道具を生み出すこと。その為には、まだまだ研究の日々ですわね!」


 博士は得意げに胸を張り、眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせた。その純粋で一途な情熱は、美琴は警戒しつつも、どこか惹かれるものを感じていた。


 次第に陽が傾き始めた頃、森には斜陽が差し込み、森全体に赤みがかかり、その表情をを変える。時刻はそろそろ夕方に差し掛かろうとしていた。


「予定だと野営するらしいけど、こんな森の中で陽が沈んだら真っ暗で移動すら困難になるけど、大丈夫なの?」

「ああ、この時期は気候も安定してるし、俺の空間収納のカバンには、カンテラやテントなどの夜営道具は入っているし、魔物避けのアイテムもあるから問題ない」


「そう、ちゃんと準備があるなら良いけど、魔物避けのアイテム?」

「ああ、魔物が嫌がる匂いがする発する、お香みたいなものだ」 


「ねえ、それって私達にも効果あるんじゃないの?」

「……うっかりしてた、でもまあ、お前達が居れば夜襲を仕掛けてくる無謀な魔物なんて、そうそう居ないだろう」


「ふむ、確かに、言われてみればそうね、なら安心ね」

「わふー、ねえ、ちょっとその魔物避けのお香、嗅いでもいい?」


「あらあら、きららちゃんは好奇心が旺盛なのね、わたくしも持ってるので、試してみたいなら出しますわね」

「なるほど、効果を事前に知っておくのもありね」


 フェリシア博士が、そのお香を空間収納のトランクから取り出して、実際に焚いてみた、すると何やら独特な匂いが辺りを漂う。すると、フェンリルのきらら、とオークキングの美琴は、露骨に表情を歪ませ、顔を顰めた。


「キャイン、あー、無理無理、臭いぃ!!」

「ブモー! 鼻が曲がるわ、早く閉まって!」


「? 私は平気かな、そんなに臭い?」

「ええ、何で!? ひまりちゃんだけズルい!」


「ヒマリさんは妖精種族ですから、一概には魔物とは言えないかもですね」

「そもそも魔獣用に配合されたお香だから、効果が薄いのかもしれないな」


「なるほど、まあピクシーて、魔物というか、そのまま妖精って感じだしね」

「ブモー! きらら、風魔法で匂いを飛ばして!」


「うん、わかった、えーい、臭いの臭いの、飛んでけー!!」

「あらあら、まあまあ、凄いですわぁ」


 きららが、突風を起こして臭いのを飛ばす。魔物避けはフェリシアがトランクに戻したので、暫くの後、辺りからは嫌な匂いは感じなくなった。


 その様子を見ていた二人は感嘆する、しかしその内心は相反するものだ。冒険者のグレンはきららに対して警戒を強め、フェルシア博士は只々、感激している。


 そんなやり取りをしながらも、その歩みを進めていると、きららが、ピンと立てた耳をピコピコさせながら立ち止まる、どうやらその鋭い嗅覚が森の奥から何やら甘い匂いを感じ取ったようだ。


「! クンクン、何かあっちの方向から、甘〜い匂いがする!」

「あら、本当ですわの? わたしはなにも感じませんが、やっぱり賢狼フェンリルの嗅覚はそれだけ優れてるってことですわね、素晴らしいですわ」


 きららは、そう言って森の奥を指差す。その鼻は、森の甘い誘惑を捉えていた。


「おそらくキラービーの巣があるな、ここは街道に近いから、旅人にも危険が及ぶ恐れがある、可能であれば駆除しておきたいところだな」

「キラービーって、蜂の魔物かな、危険な感じ?」


 陽葵がきららの背中に乗ったまま尋ねる。


「ああ、だが、キラービーの巣から採れる蜜は甘露だ、ギルドの掲示板に依頼書が貼られる事もあるし、冒険者に取っては採集できれば貴重な収入源にもなるな」


「甘いはちみつー、きらら、大好き!」

「ふむ、蜂蜜か、いいわね……じゅるり」


 グレンの言葉に、きららは目を輝かせ、美琴もオークキングの姿になってから、食欲が増したのか、露骨に興味を示した。


 キラービーはその名が示す通り、この世界の蜂は気性が荒く、毒針を持つ危険な魔物だ。だが、女王の統率のもと、働き蜂たちが、生命の危険を顧みずに集める蜜は、格別の味がすると言われている。


「全く、2人は相変わらず食いしん坊だな、だが行きがけの駄賃としては悪くない、それに獲物としては手頃だし、良い稼ぎにもなるだろう」

「ブモー! 手に入れても売らないわよ、食べるに決まってるじゃない!」


 原始的な生活を強いられている現状、贅沢品である「ハチミツ」は、彼女達の食生活を豊かにしてくれる貴重なものだ。売るなんて選択肢はそもそもない。


「きらら、匂いのする場所は正確に分かる?」

「うん、任せて、こっちだよー」


 きららがその嗅覚で発見した蜂の巣は、大きな樹木の洞に張り付く様に形成されていた。無数のキラービーがブンブンと羽音を立て、巣の周りを飛び回っていた。


 視認できる距離には居るが、こちらに警戒してるのか威嚇してるだけで襲っては来ない、どうやらオークキングとフェンリルの存在感に圧倒されている様子だ。


「あれがキラービーの巣か……大きいね!」


 陽葵が目を輝かせた。ピクシーの小さな体では、キラービーの巣はまるで巨大な城にでも見えるのだろう。と言うか、実際にかなりの大きさだ。


 フェリシア博士の説明だと、この蜂の巣はクイーンビーが統率したコミュニティが形成されており、六角形の強固なハニカム構造で、かなりの硬度があり、配下のハニービーが蜜を集め、キラービーが外敵から巣を防衛しているらしい。


「ふーん、普通の蜜蜂とスズメバチとかだと天敵同士って印象だけど、共存してる感じなんだねー」

「ええ、そうですわね、それだけクイーンビーの支配力が優れているのですわ」


  蜂蜜は採集する花や蜂の種類によって甘さや香りが異なり、フルーティーな香りのものから、香ばしい香りまで様々だ。中には独特な味や匂いの物もあるが、この甘く心地よい香りは古くから人々を魅了し、美容や健康にも効果があり、香料としても用いられてきた。王族や貴族の間でもとても人気で需要があるとの事だ。


「まあ、それだけ被害もでてるんだがな、このキラービーに何度か刺され、そのまま命を落とした冒険者も少なくはない」

「ふむ、確かアナフィラシキーショックの事ね」


「違うわよ、みこと、アナフィラキシーショックだよ」

「みことちゃんって、そう言う覚え間違いが多いよね」


「!! ちょっと勘違いしてただけよ、ブモー!」


 美琴は、オークキングの身体から発せられる唸り声を上げ、誤魔化す様に巨体を揺らした。そして例え危険だとしても空腹には勝てない。ましてや、森の中で出会う希少な甘露の誘惑など、まさに自然の恵だ。


「よーし、それじゃあ、危険な蜂の巣の駆除だね!」

「あ、ちょっと待って、ひまり、確かゴブリン退治のときに魔法のスクロールを手に入れたはずよ、それを使ってみるというのはどうかしら?」


  美琴の助言を聞いて、陽葵はハッとした顔で頷いた。


「あ、そうだ! グレン、これって使えるかな?」


  空間魔法の収納から三枚のスクロールを取り出し、グレンに差し出す。

 グレンはその巻物を受け取ると少し目を細め、再び落ち着いた表情に戻った。


「これは、王都の魔道具屋にも売っている魔法が込められたスクロールだな、俺は魔力値が低いから、あまり使った事はないが、使い手の魔力量に応じて威力が変わるらしい、どうやら其々に効果が違うな、氷魔法と炎魔法、あとは光魔法の烙印が押されているようだ」

「へぇー、グレン物知りだね、じゃあ、これはそのまま私が使った方が良いかな」


「ええ、そうね、私たちの中では、ひまりが一番、魔力量はありそうだし」

「ちょっと、わたくしにも見せて下さいな、魔法のスクロールは専門外ではありますが、込められてる魔術効果の詳細くらいなら分かりますわ」


 フェリシア博士は、グレンの手にある魔法のスクロールを見るや、獲物を見つけたがごとく眼鏡の奥の瞳をいっそう輝かせた。


「これは、アイスシェードの魔法が込められたスクロールですわね……なるほど、これを使えばキラービーの動きを緩慢に出来るかもしれませんわ、 蜂は冷気に弱い性質がありますから、これは良い着眼点ですわ、ヒマリさん!」


 博士の興奮した声が森に響き渡る。陽葵は褒められた事に頬を染めながらも得意げに胸を張った。グレンもまた、その説明を聞き、キラービーが冷気に弱いという冒険者ギルドでの情報を思い出し、静かに頷いた。博士の推測は正しい様だ。


 残りの二本のスクロールは其々、『ファイアボール』と『フラッシュ』の魔法が込められてるらしい、状況に応じて使う機会もありそうだ。


「ブヒッ、よし、ひまり! 準備は良い?」


 美琴の低い声が森に響くと同時に、作戦は開始された。

 陽葵は、アイスシェードのスクロールを手に取り、呪文を唱えた。


「いっくよー! アイスシェード!」


 ヒュォォォォ……と冷気が立ち込め、それはまるで薄いヴェールの様に巨大な巣全体を包み込み、ブーン、ブーンと威嚇していた無数のキラービー達は、みるみるうちに動きを鈍らせ、巣の表面には白い霜が降り始めた。


 キラービーの巨大な巣が瞬く間に凍りついていく。無数のキラービーが、急激な冷気に動きを封じられ、その羽音が急速に弱まる。


「これは、驚いたな……」

「ええ、通常のアイスシェードに比べて明らかに威力が高いですわね、ピクシーの上位種ティターニアであるヒマリさんの魔力がそれだけ優れている証拠ですわ」


「みこと、今だよ!」

「任せて、ブヒィッ!!」


 美琴は、全身の力をその一撃に込め、巨大な骨の棍棒を振り被り、躊躇なくオークキングの剛腕を振り下ろす。


 ゴウッ! という轟音と共に、ドォォォォォォン!! という衝撃音とともに凍結したキラービーの巣は粉々に砕け散る。


 巣の中から飛び出してきたキラービー達も、冷気で鈍った動きと、本能的な危機感から、恐怖に怯え、そのほとんどが猛然と森の彼方へと逃げ去っていった。


「わーい、すごーい!」

「やったー! 上手くいったね!」


 きららと陽葵が手を取り合って喜ぶ。美琴も満足げに小さく頷いた。


「ふぅ、それじゃさっそく、散らばった蜂の巣を集めましょう」

「ああ、見事な連携だった、スクロールも効果的に使えたし、上出来だな」


 グレンは、散らばった蜜の塊を拾いながら、満足げに微笑んだ。


 想像以上の威力で、強固な蜂の巣はまるでスイカを割ったかの様に砕け散り、ねっとりとした黄金色の蜂蜜が流れ出した。


「わあ! すごい量の蜂蜜!」

「甘くて美味しそうな匂いがするー」


 陽葵ときららが歓声を上げる。しかし、だが、その甘く芳醇なハチミツの香りは、森の奥深くに潜む、新たな訪問者を呼び寄せようとしていた。


「グルルルルル……!!」


 森の奥から、地を這うような低い唸り声が響き渡り、全員の耳に届いた。美琴たちが揃って振り返ると、そこには、巨大なクマ型の魔物が立ちはだかっていた。


 その体は2メートルをゆうにこし毛深い茶色の毛皮に覆われ、鋭い牙と、獲物を引き裂くための爪が、夕日に照らされ鈍く光っている。背中に生々しい傷跡を持つ、歴戦の勇者の風格さえある。


 そのぎらついた瞳は血走り、蜂蜜の匂いを嗅ぎつけて現れたのは明らかだった。

 そしてその視線は、美琴たちが今しがた破壊したハチミツに固定されている。


「拙いぞ、コイツはハングリーグリズリー、この区域を縄張りにしてたか!」


 グレンは、剣を抜き、冷淡な声で警告した。


 張り詰めた空気と、ただならぬ緊迫感が、状況の深刻さを物語っている。しかしベテラン冒険者としての経験からか、慌てることなく臨戦態勢に移行する。


「グオォォォ!!」


 ハングリーグリズリーは、その巨体に見合わぬ素早さで美琴に突進してきた。圧倒的な質量がオークキング迫る。どうやら一番厄介な相手と見定めた様だ。


「ブモォォォ!!」


 美琴は、巨大な骨の棍棒をしっかりと構え、その突進を真正面から受け止めた。ドスンッ、と鈍い音が響き、美琴の腕が痺れる。しかし、オークキングの巨体は揺るがない。流石はオークキングの剛腕と、その頑丈な体躯だ。


 その隙を逃さず、グレンが素早くグリズリーの側面に回り込み、剣を閃かせた。

 ザシュ! と硬質な音が響く。しかし、刃は分厚い毛皮と筋肉に阻まれ、浅い傷しか与えられない。グリズリーは一声唸ると、グレンを睨みつけた。


「グルォォオ!!」


 その地を這うような唸り声は、壊れた蜂の巣と、そこから流れ出る蜂蜜に繰り返し視線をやり、どこか怒っているようにも感じた。まるで『おんどりゃあ、人の餌場を荒らしてんじゃないぞ!』とでも訴えているかの様だ。


「! フェリシア博士、危ないから下がっていろ!」

「ええ、わかってますわ、邪魔はいたしませんわ」


 グレンは、フェリシア博士の護衛を視野に入れつつ、美琴の隣に立つ。しかし博士は興奮した面持ちで頷きながらも、一歩も引かず、その様子を観察していた。


「この時期のハングリーグリズリーは気が立っています、ご注意を」

「いや、注意するのは博士の方だよー」


 博士の声には、知識欲を満たそうとするような、確かな響きがあった。ハングリーグリズリーは空腹状態になると獰猛さが増すとも言われ、冬眠の準備のため食料を求めて彷徨っていたのか、とりわけ気が立っている様子を呈していた。


 その様子を観察している博士の瞳には、飢えたる魔物の生態を探求する、狂気にも似た知識欲が宿っていた。まるでこの状況を楽しんでいるようだ。


「グォォオぉォ!」


 再び魔熊が低い唸り声を上げ、巨体を揺らして突進を仕掛けてくる。数的にはこちらが有利なはずなのに、一切臆することなく襲いかかるその姿からは、空腹で気が立っていることが顕著に伝わってきた。


 きららは、ハングリーグリズリーの動きを警戒するようにその周囲を俊敏に駆け回り、一方で身体の小さい陽葵は、一撃でも攻撃を受けると致命傷になりかねないので、なるべくヘイトを向けない様に慎重に立ち回っている。


「どうしよう、みことちゃんが食べられちゃう!」

「あ、そうか、オークは豚だから、狙われたのかも」


 きららと陽葵が不安げに声を上げる。


「ブモー! 狙った相手が悪かったわね! 逆に食べてやるわ!!」

「ガルグルルァァ!!」


 美琴はグレンが魔熊の注意を引きつけている一瞬の隙に、素早く地面に手を付いて、土魔法を発動させて、その土手っ腹を打ち上げる様に土壁を生成した。突然の奇襲に意表を突かれたハングリーグリズリーは、一旦距離を取る。


「どう、賢い戦い方ってのは正面からぶつからない事よ!」

「! そうですわ、ヒマリさん、ハングリーグリズリーは獣系のカテゴリーになるので、火の魔法に弱いですわ!」


「! そうか、さっきのスクロールだね」

「よし、任せろ、こちらに注意を引く」


 その合間にグレンは弓を構え、威嚇する様に矢を放つ。グサリと肩の辺りに矢が刺さり魔熊は悲鳴にも似た咆哮を上げた。更に土壁を足場にして、きららが勇敢に飛び込んで、その鋭い牙で攻撃を仕掛ける。


 しかし硬い皮膚に阻まれそこまで有効な一撃にはならなかった。ハングリーグリズリーは、反撃と言わんばかりに、その太い前脚を振り抜き、フェンリルを攻撃する。きららはその軌道をよく見てこれを回避。ブォン、と風切り音が聞こえる。


 もしこれが直撃したらと考えると身震いがして、嫌な汗が出てくる。


「きらら、離れて、私も奥の手を使うわ!」

「うん、分かった!」


 美琴は魔熊に対して、挑発する様に大きく咆哮を上げた。


「ブヒィィィイ!!! こっちよ、私を狙いなさい!!」


 ハングリーグリズリーはその咆哮に誘われるように、美琴を目掛けて突進する。しかし、肩の傷が痛むのかその動きは鈍い。美琴はその隙を逃さず、以前ゴブリン討伐の際に手に入れた『イグニススパイスの実』を手で握り潰して、その粉末をグリズリーの鼻先に思い切り投げつける。


 スパイスの刺激が、鼻腔を刺激しする。


「ゴフォッ!? グォォォン!!」


 強烈な香辛料に匂いにグリズリーは激しくむせ込み、頭を振って後ずさる。その巨体が大きくよろめいた。


「今よ、ひまり!」

「ひまりちゃん、わたしも風魔法で合わせるね!」


 その隙に、陽葵が空間魔法から取り出した魔法のスクロールを発動する。


「いっくよー! ファイアボール!!」


 陽葵が思いっきり魔力を込めて呪文を唱えると、スクロールから巨大な炎の塊が飛び出し、グリズリーの顔めがけて一直線に飛んでいく。


 ドォン! と炎が炸裂し、グリズリーの顔面を熱が襲った。更に追い討ちと言わんばかりに、きららの風魔法で炎の勢いを増加させる。


「グオォォオオォォ!!」


 想定外の攻撃に、グリズリーはたまらず雄叫びを上げて後ずさる。すぐさま身体を揺らし延焼を免れる。しかし顔には焦げた跡と、全身に焼けるような痛みが走っている。


 魔熊のその目は、獲物への執着よりも、予測不能な相手への警戒心へと色濃く変わっていた。ベテラン冒険者のグレンはその機微な変化を決して逃さない。


「今だ、ミコト! 相手は臆した、畳み掛けるぞ!」


 グレンのその声に、美琴の剛腕が唸る。骨の棍棒が振り抜かれ、グリズリーの巨体を大きく揺らした。続けて、グレンの剣戟が素早く走る。


 グリズリーは怒りの咆哮を上げ、二人に乱暴に鉤爪を振り回した。美琴はなんとか棍棒で受け止めるも、その一撃は重い。

 きららも、素早くグリズリーの足元に噛みつき、その動きを僅かに阻害する。


 幾度となく重ねられた一撃一撃が、グリズリーのその生命を徐々に削っていく。


 しかしハングリーグリズリーもただではやられない。その強靭な体格と野生の勘で、致命傷だけは避け続ける。逃亡を計ろうとも考えたが、その道筋をフェンリルが阻み、逃げるタイミングを失ったハングリーグリズリーはついに覚悟を決めた。


 弱肉強食がこの世の摂理、今まで問答無用で弱者に襲い掛かり食して来た、獲物の命乞いなど聞きはしなかった。ただ今回はその順番が自分に訪れただけだ。


 とは言え、ただではやられない、せめて一矢報いてやるわ!!


「グォォオォォ!!」

「!!?」


 ハングリーグリズリーは最後の気力で突進してきた。

 だがその標的は、ここに居る誰でもなく、地面に落ちて壊れた、蜂の巣の大きな一欠片だった。魔熊は最後の足掻きで、本能に従い食い意地を発揮したらしい。


 それだけこの蜂蜜に執着していたという事だろうか。


「ガツガツガツ、ガフッ!」

「あー、蜂蜜が!」


「……どうやらこの巣を以前から狙っていた様だな」

「それを私たちが先に横取りしようとしたから怒ったのかな?」


「死を悟って、それでも逃げずに自身の本能に従う、見上げた根性ね」

「ああ、だが、どのみちこの傷では長くは持たない、トドメを刺すぞ」


 蜜たっぷりの蜂の巣の欠片を食し、ハングリーグリズリーは何処か満足げな様子だ。その姿はまさに『我が人生に悔いなし』とでも言わんばかりな勇姿だった。


 そして美琴とグレンの同時攻撃が、グリズリーの側面を捉えた。


 ズシン、という衝撃音と共に、ハングリーグリズリーの巨体が大きく傾ぎ、地面に倒れ伏した。黄昏の夕日がその全身を色濃く染めて、森には再び静寂が訪れる。


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