第3話 影蠢く洞窟と、真実への誘い【後編】
広大な鍾乳洞の薄暗い通路を戻り、森の空気が肌に触れると、一同は、ホッと息をついた。森はすっかり夜の帳に包まれて、頭上には満月が輝き、木々の隙間からその月明かりが淡い光が地表に降り注いでいる。
「ふぅ、いつの間にか夜になってたのね、夜風が気持ちいいわ」
「わー、お月様が綺麗、満月だねー」
「もっと暗いかと思ったけど、月明かりがあるから、思ったよりは明るいね」
「ふむ、森が深いからここだとそこまで良く見えないけど、星も多いみたいね」
ゴブリンとの激闘で熱を帯びていたオークキングの巨体からは、微かに蒸気が立ち上る。ひんやりとした夜風が吹き抜け、戦いの熱気を静かに冷ます。
「拠点は高台で割と拓けてるから、戻ればもっと明るいかもだねー」
「まあ妖精の私がいるから、夜でも暗くないけどね」
「確かに、光量も調整できるみたいだし、さっきの洞窟でも大活躍だったわね」
そんな話をしつつ砦に戻ると、きららが安堵したように尻尾をブンブン振った。
仮拠点の土壁は、確かに冷たいが、ゴブリンが棲まう洞窟の悪臭に比べれば、はるかに快適だ。
そして思った通り、夜空を見上げると、そこには満点の星々が広がっていた。
3人は、慣れた手つきで夕飯の準備をする。まるで何度も経験してきた様な手際の良さだ。焚き木に火を付けたのは、魔法の才覚に目覚めたピクシーの陽葵だ。
パチパチと燃え盛る炎が、美琴、陽葵、きららの顔を赤く照らし出す。移動の際に採取したキノコと、きららが狩ってきたファングボアの猪肉の塊をじっくりと焼き、陽葵が見つけてきた森の甘い果物や木の実が、焚き火のそばに並べられた。
「はぁ、やっぱり私たちの拠点、ここが一番落ち着くね!」
きららが、焼きあがったばかりの猪肉を豪快に齧りながらそう言った。
「うーん、でも、割と近くにゴブリン洞窟があって、冒険者も頻繁に来るとしたら、此処もそこまで安全とは言い切れないかも」
陽葵は、その身体を仄かに輝かせ、彼女の周りを舞う光の粒が、野営地に幻想的な色を添えて、ラズベリーの様な甘い果実を美味しそうに頬張っている。
「まあボスのキングは倒したから、ゴブリンの群れも暫くは警戒して近づいてこないでしょう、でも確かに、いつまでもこの砦で安寧としてる訳にはいかないわ」
美琴も、大きく切り分けられた猪肉を噛みしめながら、ゆらめく炎を見つめた。
ゴブリンキングとの一戦で、拠点の防衛力の重要性を再認識したのだ。
「2人とも、今日はお疲れ様、明日になったら皆で今後の方針を決めましょう」
美琴は、2人の顔を見回しながらそう提案した。
「うん、何なら冒険者が逃げた方向にお城が見えたから、思い切ってそっち方面に向かうのもアリかもだね」
「でも私たち、魔物の姿のままだけど、街に入れるのかな?」
「そもそも、何でこんな異世界の森で目覚めて、魔物の姿になってるのかも、よく分からない状態だからね」
「確かに、きっと何かしらの理由や要因があるはずだけど、記憶がハッキリしないわね、元の姿に戻る方法も、そろそろ模索しないと行けないわ」
「まあ、でも私たち、とっても強いし、何とかなるでしょ!」
「そうそう、不安なことばかり考えてたら楽しくないからね」
「ふむ、そうだな、折角の機会だし、この異世界を堪能するとしよう」
「賛成!」
見知らぬ森の中で過ごす初めての夜は、いつもとは違う、しんと張り詰めた空気を含んでいた。未だ底知れぬ森の深淵、そして自分たちのこの姿。3人とも気丈に振る舞いつつも、其々が内心では不安を感じている事だろう。
そんな夜の闇の中、焚き火の炎だけが、彼女たちの決意を静かに見守っている。
夜風が木々を揺らし、パチパチと音を立てる。その音は彼女達の不安を払拭して、ウトウトと夢の世界へと誘う、まるで子守唄の様なものだった。
そして浅い眠りに落ち、夜が明けて、三人にはいつもの明るさが戻っていた。
朝日が差し込み、仮拠点に光を落とす。きらめく朝露の中、陽葵が大きく伸びをして美琴ときららに声をかけた。
「ふわぁ、おはよう、それじゃあ、どうする? 今後の方針を決める?」
「おはよー、うーん、取り敢えずまた何か食べ物でも探しに行こうか?」
きららは、大きく開けた欠伸を噛み殺しながら、砦の周囲に目をやる。前日に急造した仮拠点はそれなりに立派ではあるが、ずっと滞留する事はないだろう。
「そうね、いつの間にか眠っていたみたいだけど、此処から移動するにしても食料の備蓄はもう少し欲しいわね」
「私の空間魔法があるから、持ち運ぶのは問題ないからね」
2人もその提案に同意する。今後もサバイバル生活を想定するなら、食料の確保が最優先事項として考えるのは当然の流れだ。
そんな話をしていたら、きららはその鋭い嗅覚で怪しい気配を感じ取った。
「ん? ちょっと待って、なんか変わった匂いがする?」
きららのその言葉に返事をする間もなく、三人の隙間を「ヒュッ」と、鋭い音と共に一本の矢が通り過ぎた。
「え、なに!? 敵襲!?」
矢は美琴たちの背後の樹木に張り付く様に音もなく突き刺さる。その直後、驚きに固まる三人のすぐ後ろから、大きな悲鳴。何か生物のうめき声が聞こえた。
「シャアアァ!」
鋭い矢に刺さったのは、樹木に隠れて、今まさに三人を襲おうと潜んでいた、蛇の魔物だった。毒々しい緑色の鱗に覆われた蛇は、胴体を矢に貫かれ、樹木に磔のまま苦悶の表情でのたうち回り、見る見るうちに生命力を失っていく。
「え、何この状況? 一体何が起きたの!?」
きららが真っ先に反応し、身を低くして唸り声を上げた。その毛は逆立ち森の奥を見据えて牙を剥く。陽葵はその小さな体を素早く動かせるよう空中で静止し警戒の光を点滅させた。そして美琴は、大地に根を張る巨木の様に、どっしりと構える。油断していたとは言え、完全な不意を突かれた事に静かな怒りをその瞳に宿す。
そして蛇の魔物を仕留めた1人の男が、ゆっくりと森の奥から姿を現して、3人の眼前に現れた。
彼は、先日3人で追い払った冒険者たちとは明らかに異なる、落ち着いた雰囲気を纏っている。黒い革鎧に身を包み、精悍な顔つきでこちらを見据えている。
男はそのまま両手を広げて、恭順の意を示した。
「待て、君たちに対して敵意はない……、俺はただ、対話を望んでいる!」
男の声は冷淡で落ち着いており、3人を化け物だと罵り、欲と敵意を隠そうともしなかった以前の冒険者たちの様な衝動はなかった。
しかし、ピクシーの陽葵ときららは、目には見えない強者の気配と、自分達の存在を正確に把握している事に対して、本能的な警戒心を抱いている様子だ。
こう言う場面で頼りになるのは、美琴だ。彼女は臆する事なく会話に応じる。
「ふむ、対話をお望か、一方的に襲いかかってきた先日の冒険者たちとは、確かに気色も違うようだが、しかし挨拶にしては些か横暴ではないか?」
「……それは、すまない、本音を言えば君たちの姿を見て少し警戒していた、それに今の矢での威嚇射撃は、落ち着いて対話が出来るかどうか試した節もある、もちろん君達に当てる気はなかったが、気分を害したなら謝罪する」
そう言って男は内に秘めていた警戒心と殺気を霧散させた。張り詰めた空気が緩和するのを感じる。男からは敵意は感じず、寧ろ好意的な柔和な雰囲気が漂う。
「まあ、さっきの矢も、別に私たちを狙ったわけではないみたいだけど……」
「うん、それに後ろからこの蛇の魔物が迫ってたって、気が付かなかったね」
きららと陽葵は、今のセリフを聞いて安心したのか、少し警戒心を緩める。それでも美琴はいかめしい顔で男を見据える。オークキングの巨体から放たれる威圧感が、男をじっと観察した。その鋭い視線は、彼の言葉の真意を探ろうとしていた。
しかし男は美琴の威圧感にも動じることなく、顎をクイっと上げ、先ほど仕留めたハイドラスネークを一瞥する。
「その蛇は牙に麻痺毒を持つハイドラスネークだ、冒険者の隙を狙い、背後から飛び掛かってくる厄介な魔物だから、余計なお世話だったかも知れないが対処した、この蛇にとって今回の獲物は狙うべきではなかった、それだけの事だ、さて、それじゃあ名乗ろうか、俺の名はグレン、見ての通り冒険者をしている」
グレンはそこで一旦言葉を区切ると、じっと美琴たちの反応を伺った。
陽葵は、背後で磔になり、既に絶命しているハイドラスネークを観察している。
きららは、ペシペシと、猫が戯れる様にその蛇を叩いて反応を調べている。
そして美琴は無言のまま、そのまま話を続けろ、と、その表情で相槌を打つ。
「俺は一応ベテラン冒険者だが、この森での君たちの噂は既に昨日、冒険者ギルドで耳にした、君達が『理性的で言葉を話す魔物』であることを知らず、一方的に襲いかかった冒険者たちが居たそうだが、それは単に彼らの未熟さゆえだ、俺は彼らから君たちの話を聞いて、興味を持ったので此処に訪れた」
グレンの口からギルド、という言葉が出た事に対して、美琴は微かに眉を顰める。彼がただの通りすがりではないことは明らかだ。
「ふむ、蛇に関しては私たちも気が付いてなかったから感謝するわ、威嚇射撃に関しても理由を知れたから、特に怒ったりはしない」
「そうか、しかし驚いたな、魔物の姿なのに本当に人語を理解し話す知性と、理性があるのだな、失礼だが、君たちは……何らかの呪いや、特別な事情でその姿になっているのではないか? 君たちの口から紡がれる言葉には、確かな知性が宿っている、このメメントの森に住む、他の魔物とは明らかに違う」
自分たちの状況をこんなにも正確に言い当てられた事に、3人は僅かに動揺した。やはりこの男は只者ではない。美琴はグレンに対して警戒心を強めた。
「へー、この場所ってメメントの森って言うんだ」
「なんかダジャレっぽいね、死を想えって意味だっけ?」
しかし陽葵ときららは、グレンに対して、あまり不信感を抱いていないようだ。
その様子を見てグレンは調子を良くしたのか、落ち着いた声で更に話を続ける。
「当たらからずも遠からずと言ったところか、だが3人はどういった関係なんだ? 普通に考えても、この組み合わせはあり得ないぞ」
「ふっ、その詮索は不要よグレン、それで、貴方の目的はなに?」
陽葵は、警戒しつつもグレンの周囲をくるくると飛び回り、彼の隙を探る様に目を凝らした。そしてきららも、グレンの足元に擦り寄り、視線を合わせて、その匂いを嗅いでいる。嘘を吐いているかどうか自慢の嗅覚で探ろうとしている様子だ。
「まさか私達をパーティーに勧誘しに来た、とかだったりして?」
「そんでもってお城に連れて行って、実は罠に嵌める、とか?」
陽葵ときららのその問い掛けに、グレンは少しだけ苦笑いをした。
「単刀直入に言おう、君たちがこの森に留まり続けるのは危険だ、王都のギルドには既に君たちの存在が報告されている、人種族にとって言葉を話す魔物は基本的に魔族と認識され『未知』であり『脅威』でしかない、このままではいずれ大規模な討伐隊が編成されるだろう」
「!?」
グレンの言葉に、三人の顔色が変わる。
オークキングの巨大な豚の顔にも僅かな焦りの表情が浮かんだ。やはり人間社会というものは、得体の知れない存在には容赦しない。もし捕まったりでもしたら、そこには義理も情けもないだろうと、本能的に理解した。
「えー、討伐隊!? なにそれ、聞いてないよ!?」
「そんな、私たち、別に何も悪いことしてないのに!」
「ふん、そんな連中、私達の力で追っ払ってやるわ!」
陽葵ときららが、不安げな声を上げた。
そして美琴はグレンの真意を探る様な感じで返答する。
「ふっ、それは大した自信だ、だが君達がいくら強くてもこの地で永遠の安寧を手に入れることなど不可能だ、調査隊や討伐隊を一時的に退けたとしても、いずれは王国騎士団が動くだろう、そうなれば、たとえ君達でも太刀打ち出来ない」
グレンの言葉には、有無を言わさぬ説得力があった。彼の眼差しは真剣で、三人の身を案じているようにさえ見える。少なくとも、今の美琴には、彼の言葉に偽りがあるようには感じられなかった。
しかしグレンの言葉の裏に隠された「探求心」と「好奇心」そして、何やら得体の知れない「野心」を僅かに感じ取っていた。
「……ふむ、では、私達はどうすればいいの? 何か提案があるのかしら?」
美琴が、思案げに問いかける。彼女は、この状況を打開するための「次の手」を必要としていた。
「ああ、俺の知り合いに魔物の研究をしている専門家がいる、フェリシア博士と言うのだが、彼女なら君たちの現状を解明できるかもしれない、もしかしたら、なぜ記憶を失いその姿になっているのか、その理由もわかるかもしれない」
「フェルシア……博士?」
「え、そんな人物がいるの?」
「ふむ、魔物を研究してる博士、なんか怪しいわね」
「博士は王都でも指折りの研究者であり、魔道具開発の第一人者でもある、冒険者の俺なんかよりもずっと信用がおける人物だ」
グレンは、ハイドラスネークに刺さった矢を抜き取り、穏やかな口調で言葉を紡いだ。それはまるで、救いの手のように、三人の心を揺さぶった。
「そして彼女の研究所には様々な魔道具があり、その中に『真実の鏡』と呼ばれる、その者の真実の姿を映すと云われる魔道具があるとも聞く、それが君達の望むものかは分からないが、試してみる価値はあるはずだ」
グレンが口にした『真実の鏡』というキーワードに、その話を聞いていた3人は息を呑んだ。まるで待ち望んでいた展開になった、と言わんばかりに。
「真実を映す鏡……」
「わふぅ! きらら、人間さんの姿に戻りたいー!」
陽葵が、小さく呟く。元の姿に戻れるかもしれない、という僅かな希望が、彼女の胸に灯る。そしてきららは、言葉の終わるか終わらないかのうちに、グレンへと駆け寄り、白銀色の尻尾を大きく振る。警戒心を完全に解き、彼が自分たちを助けてくれる存在だと直感しているかのようだ。
その無邪気な反応に、グレンの表情に僅かな「安堵」の色が見え隠れした。
「博士の研究所の場所は、ここから街道沿いに出て、途中からまた森の奥を進む事になるが、徒歩だと大体一日くらいの距離だ、これを見てくれ」
「え、王都に居るんじゃないの!?」
美琴は、グレンから差し出された地図を手に取り、周辺の情報を頭に入れる。
彼の言葉、態度、そしてその瞳に嘘や偽りの色は見えない。少なくとも、これまでの経験から得た観察眼をもってしても、そう判断する他ない。
何よりも、今のこの状況でグレンの誘いを断るという選択肢は、今後、彼女たちの身に危険が及ぶことを美琴は十分に理解していた。それ故に、論理的な思考が導き出す結論も、グレンの提案に乗る事に利があった。
「……分かったわ、あなたの提案に乗りましょう、グレン」
美琴は、深く考え込んだ後にそう告げた。彼女の決断は、現状を打破するための合理的判断であり、この異世界での新たな扉を開く重要な選択だった。
「賢明な判断だ、私もできる限りの協力をしよう」
グレンは、静かに微笑んだ。彼の瞳の奥には、彼自身の計画がゆっくりと進行しているかのような、わずかな光が揺らめいている様に見えた。その奥底には3人に協力したいと言う建前とは違う、別の思惑が隠されていることを示唆していた。
美琴は、小さく息を吐いた。ここへ留まることに固執する理由はどこにもない。
せっかく頑張って作った仮拠点に別れを告げるのは少し憚られるが、これも冒険の醍醐味だと言う事を彼女たちは理解していた。
「よし、みんな! 新しい冒険の始まりよ!」
「わふぅ!」「うん!」
美琴の言葉に、きららと陽葵は、新たな冒険への期待で目を輝かせた。と二人の声が重なる。三人は希望と未だ知らぬ未知への不安を抱えながらも、冒険者グレンに導かれて、仮拠点を後にし新たな道へと足を踏み入れた。
彼女達を待ち受ける、フェリシア博士とは一体どんな人物なのか。
そしてグレンの提示した『真実の鏡』が映し出すものとは。
物語は、こうして次の局面へと移り始めた。




