第3話 影蠢く洞窟と、真実への誘い【前編】
『人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである』
バーナード・ショー
異世界の森で目覚め、何故か魔物の姿になっていた3人は、冒険者の追撃に備えて拠点を作る事にした。その道中で謎の洞窟を発見して、探索する事になった。
薄暗い穴の奥は、炭鉱のように人工的に掘られたような通路が続いていた。
湿った土壁には、無数の削り跡が生々しく残されている。通路は緩やかな下り坂になっており、じめじめとした湿った空気が肌にまとわりつき、深部へと誘う。
「おお、なんか、本当にダンジョンみたいだね!」
ピクシーの陽葵は、小さな鼻を何度かヒクヒクさせた。彼女のピクシーとしての華奢な身体は、この暗く湿った空間では少し元気がないように見える。しかし淡い光を放つその羽は、松明やカンテラの代わりになるので、自ら先行している。
「でも、だんだんと匂いが強くなってきたよ、生臭いっていうか、なんか獣臭いような、腐った牛乳を絞った雑巾みたいな、それに何か甘ったるい匂いとかもする」
きららはフェンリルの鋭い嗅覚で周囲の気配を警戒しつつも、どこか楽しげだ。銀色のしっぽが、その喜びを隠しきれない様に、ふわふわと揺れている。森の香りが薄れ、代わりに鼻腔をくすぐるのは、これまで感じたことのない異様な匂い。
「ここは、かなり古い採掘跡のようね、でも、最近まで使われていた形跡があるわ、壁に新しい削り跡があるし、足跡も新しいわ、私たち以外の誰かが、そう遠くない過去にここを通った証拠よ」
美琴は、オークキングの巨体に見合わぬ繊細さで、通路の壁や天井を注意深く観察する。その低い声は洞窟内に響き渡り、やがてさらに奥へと進むと、通路の先が拓けているのがかすかに見えた。
更に奥へと進むと、そこから微かに聞こえてくるのは、粗野なざわめきと、獣じみた唸り声、そして不規則にドタドタと地面を叩くような音だった。まるで、何か巨大な生き物が、乱痴気騒ぎをしているかのようだ。
先行していた陽葵は「ストップ」と小さな声で指示を出すと、通路の角にピタリと張り付いた。きららと美琴も、陽葵の動きに合わせて瞬時に身を潜める。三人の間には、緊張感が走った。
3人がそっと、角から顔を覗かせる。すると通路の先から見下ろす様に、盆型の形状に拓けていて、想像を遥かに超える巨大な空間が広がる鍾乳洞になっていた。
天井からは無数の鍾乳石が剣の様に鋭く垂れ下がり、地面からは石筍が筍のように力強く生えている。天井に隙間があるのかその広大な空間全体に、斜陽が指し込み、薄暗い洞窟を赤く、不気味に照らしていた。
そしてその眼下、洞穴の中央では焚き火を焚いて、その周りには、夥しい数の影が蠢き伸びていた。その小さな影の群れが、けたたましい声で何かを叫んでいる。
ゲギャ、ゲギャ、ゲギャギャ ♪♩ ドンドコ、キャキャ、ゴブゴブ ♫
「あれは、ゴブリンか……?」
美琴は思わず息を呑んだ。予想はしていたが、まさかこれほどの規模だとは。様々な大きさの緑色の肌をした小鬼の魔物、ファンタジーで定番のゴブリン達が、洞窟の中央にある巨大な岩の周りに集まり、けたたましい叫び声を上げて、何かを祝っているようだ。肉の焼ける匂いと、獣臭が混じり合い、鼻を強く刺激する。
中央の焚き火の炎が、苔の生えた地面に生えた、巨大なキノコの周りを赤々と照らし出す。そしてその笠の上には、首に奇妙な骨のネックレスを下げたゴブリンが座り、怪しげな液体が入った獣の角を傾けて飲んでいる。その周りには、動物の骨や羽毛で飾られたゴブリンたちが、鈍いドラムのリズムに合わせて唸り声を上げながら、不気味なリズムで跳ね踊っている。その瞳は狂気じみており、まるで恐ろしげな儀式を執り行っているかのようだ。
「あれは、ゴブリンシャーマン? 何かの儀式をしているみたいだね」
「ああ、それに粗悪な楽器を演奏してるのはゴブリンメイジっぽいな」
陽葵と美琴は、状況を冷静に分析する。ゴブリンシャーマンは、ゴブリンの中でも特別な呪術を使う存在であり、進化種のメイジは魔法を行使する。彼らの儀式はしばしば周囲のゴブリンを狂気に駆り立てると言われている。
「あれあれ、あっちにいるのは、ゴブリンキングだよね? 他のゴブリンよりも、ふた回り以上も大きい!」
きららが、興奮したように美琴の腰をペチペチ叩く。彼女の視線の先には、通常のゴブリンよりも頭三つは抜きん出た巨大なゴブリンが、焼かれたばかりの巨大な獣肉の塊を豪快に齧っていた。その顔はオークキングに負けず劣らず、醜悪なまでに歪んでいるが、どこか異様な威圧感を放っている。
その背後には、ゴブリン達が集めたであろう、鈍く輝く金銀財宝が、無造作にガラクタのように積まれていた。革鎧や剣なども見えるので、ここを訪れた冒険者達からの鹵獲品だとしたら、この儀式はその祝宴とかなのかもしれない。
そしてその総数は、視界に入るだけでも、ざっと30体は居る。まさにゴブリンの集落、いや、ゴブリン王国、とでも呼ぶべき光景だった。
「うー、ひどい匂いだね、みことちゃん、こんな汚いところ、無理だよ……」
「進化種のホブゴブリンも何体か居るみたいだし厄介だね、お、お宝発見!」
「ふむ、確かにこれは酷いな、悪辣極まりない、環境改善が必要だな」
「わふぅ、なんで住む前提で話してるの!?」
いくら広い空間とはいえ、これだけの数のゴブリン達が共同生活をしていて、低脳な魔物らしく、衛生面など気にしている様子もない。換気されてない閉鎖された環境も相まって、様々な匂いが籠るのも自然な道理だ。住めば都とは言うが、奴等らは自分達の匂いが気にならないものだろうか。
きららは、フェンリルとしての優れた嗅覚が裏目に出て、その悪臭に耐えかねていた。鼻を前足で押さえつけ、情けない声を出している。耳はぴるぴると震え、全身で不快感を訴えているようだ。
「まだ私たちには気づいていないよね……ねぇ、どうする? 不意打ちする?」
陽葵は、二人に小声で尋ねる。そのギラギラとした瞳には、生来の気性なのか、戦場を俯瞰するような冷徹な光が宿っている。
「ええ!? 撤退しようよ、あ、でもさ、私たちも魔物じゃない? もしかしたら、お話できるかもだよ? もし交渉できたら、穏便に済むんじゃないかな?」
きららが、少し億劫とした表情で提案する。彼女は、基本的には争いを好まない性格だ。暗闇の中でも、彼女の純真な心が光を放っているかのようだった。
「ちょっと、何言ってるのよ、きらら、相手はゴブリンだよ! あんな臭くて不潔なやつらと交渉とか出来るわけないじゃん! 寧ろ討伐対象でしょ!」
しかし実際に光っている陽葵は、その提案をバッサリ斬り捨てる。その声には、明らかにゴブリンに対する嫌悪が滲み出ていた。
「わふー、でも、なんか思ったよりも数が多いし、やっぱり撤退しようよ、見つかる前に逃げよう!」
「た、確かに数は多いけど、でも、あいつらを全部倒したら、あそこに積んである財宝が、全部私たちのもになるんじゃない!?」
陽葵は、ゴブリンキングの隅に積まれた、何処からか奪い取ったであろう金銀財宝の山を指差した。鈍い光を放つ金貨や宝石が、彼女の目を眩ませる。
美琴は、二人の意見を聞きながら、静かに考えを巡らせる。オークキングの巨大な指で顎を掻きながら、状況を分析する。
「なるほど、どちらの意見も一理あるわね……」
「それで、どうするの? 意見が割れてるから、みことちゃんの判断次第だよ」
「そうね、まずはゴブリンと話してみましょうか、決裂した場合は仕方ないけど、悪くない判断だと思うし、同じ魔物として共存の道を探るのは一つの可能性だわ」
「あちゃぁ、意見が見事に割れちゃったか」
美琴は、きららの出した別案に頷いた。平和的な解決は、確かに彼女達らしい選択肢の一つだ。
「それに、臭いの問題はあるけどこの場所は魅力的だわ、この広大な空間を丸ごと拠点にできれば、私たちの理想の拠点が完成するわ、それに、あの財宝の山……」
「ええ!? 倒せたとしても、ここに住むのは嫌なんだけどー」
美琴の瞳が、かすかにキラリと光る。彼女とて、元はただの人間。光り輝く財宝の魔力には、惹かれるものがあるのだろう。
この様に三者三様で意見が割れた場合、基本的に多数決になるのだが、大抵こう言う場合、第三の選択肢が出て、更に揉める事があったりする。『論理派』な美琴、『感覚派』な陽葵、そして『天然を装った計算派』のきらら、そんなに頻繁に意見が合うわけがない。
三人が、ああでもないこうでもないと作戦会議に熱中していると、
「ゲギャギャ? ナンダ、お前たち?」
突然の見知らぬ声に、三人はハッと顔を見合わせ、振り向いた。そこには一匹のゴブリンが顔を覗かせている。茸の見張り台にでも居たのだろう、粗末な弓を片手に、ギョロリとした目で3人を睨みつけている。その視線は敵意に満ちていた。
「しまった! 見つかった!?」
美琴が対話を試みる間もなく、ゴブリンは甲高い悲鳴をあげた。
「グギャアァ! 侵入者、侵入者ダぁ!!」
ざわざわ、と、ゴブリンの悲鳴は、瞬く間に洞窟全体に響き渡り、集会を開いていたゴブリンたちが、一斉にこちらを振り返った。その鈍い視線が一箇所に集まる。静まり返った洞窟に、ゴブリンたちのざわめきと、警戒を知らせる角笛の音が響き始めた。
「あーもう、交渉もクソもないじゃん! こうなったら、制圧するしかないね!」
きららが、そう叫ぶと同時に、バネのようにしなやかに飛び出した。フェンリルの俊敏さを活かし、あっという間に斥候のゴブリンに肉薄する。
ゴブリンは、弓を放って応戦するが、きららの素早さを捉えきれず、鋭い爪の一撃で、虚しく地面に弾き飛ばされた。ゴブリンは地面に転がり、もはや動かない。
「あ、待ちなさい、きらら! まずは状況把握と戦略を……!」
「おお、凄い、きらら、やるじゃん!」
美琴の言葉も虚しく、きららはもう次の行動に移っていた。
「ブモー、こうなったら、ひまり、私たちも応戦するわよ!」
「うん! と言ってもピクシーだと、出来る事が限られるんだよなぁ」
美琴は巨体を揺らし、通路から勢いよく飛び出した。ドスンッ、ドスンッと威圧を込めた重い足音が洞窟に響く。ゴブリン達は、突如出現したオークキングに対して、一斉にざわめき、手に持った粗末な棍棒やナイフを構え、襲いかかってくる。
陽葵は、ピクシーの身体を活かし、ゴブリンの周囲を素早く飛び回りながら、目くらましの光の粉を撒き散らす。琥珀色に輝く粉が舞い、その視界を奪う。
「グギャア!? 目ガ、目がぁ!」
「ブモー! 敵対するなら容赦しないわよ!」
ゴブリンたちが、目をこすりながら悲鳴をあげる。その隙を逃さず、美琴は巨大な腕を振り回し、ゴブリン達を蹴散らしていく。オークキングの剛腕は、ゴブリンを軽い木の枝のように吹き飛ばした。
ドガッ! バギッ! ドゴッ!!
「グガぁ!」「グげェ!」「グゴぉ!」
美琴の攻撃により、ゴブリン達は次々と吹き飛ばされていく。オークキングの巨体は、ゴブリンたちにとってはまさに災害そのものだ。粗末な武器では、美琴の肌の薄皮一枚傷つけることもできない。
「きらら! ひまり! 囲まれないように注意して、私はボスを叩くわ!」
「うん、わかった!」
美琴の指示は的確だった。ゴブリン達は数こそ多いものの、単体での力は3人には遠く及ばない。加えて統率もとれていない。ただ闇雲に襲いかかってくるだけだ。
階段状になってるキノコの段差を降りて、大地に降り立った美琴は、両手を地面に付けて土魔法を発動し、土壁のバリケードを周囲に作り出した。これなら遠距離からの弓による狙撃やシャーマンやメイジによる魔法の対策にもなる。
きららは、フェンリルの素早い動きと鋭い爪で、周囲に群がるゴブリンたちを軽々と蹴散らしていく。美琴の作った土壁を足場にして三次元な動きで敵を翻弄し、体に風を纏い攻撃を華麗に回避して、銀色の残像が洞窟内を駆け巡る。
陽葵は、空間を自由に飛び回り、ゴブリンたちの懐に入り込んで目眩ましの光を浴びせ敵を翻弄して、要所で2人のサポートをする。そして自身のポテンシャルを引き出したのか、魔法の光弾を飛ばし、進化種に狙いを定め牽制した。
三人の連携は、まるで熟練の冒険者パーティーだ。
洞窟は、美琴たちの圧倒的な力によって、瞬く間に掃討されていく。
「ゴブゴブ! なんだ貴様らぁぁ!!」
しかし、美琴たちがゴブリンを蹴散らしながら洞穴の中央まで辿り着いた時、これまで様子を伺っていた一回り大きなゴブリンが、唸り声を上げて前へ進み出た。他のゴブリンとは比べ物にならないほど巨大で、オークキングにも引けを取らない体躯を持つ、ゴブリンキングだった。
その顔には古傷が刻まれ、濁った瞳は血走っている。他のゴブリンとは一線を画し、明確な敵意と、支配者たる傲慢さを秘めていた。
手には、禍々しい骨の棍棒を握りしめ、そして魔物の骨を加工した鎧を着てるのか、急所を守るように複数の頭蓋骨が飾り付けられていた。
「グギャア、よくも子分たちを、おのれ、絶対に許さん!!」
「悪趣味な装備ね、これは、どのみち交渉は決裂してたわね」
ゴブリンキングは、咆哮と共に巨大な棍棒を振りかぶり、美琴に襲い掛かる。
美琴は、その攻撃をオークキングの太い腕で棍棒を受け止める……事はせずに、土魔法で石礫を飛ばして牽制して、敵の勢いを削いだ。
「グギャ!? アガッ、この、狡いぞ、正々堂々と闘え!」
「何を言ってるのかしら、これも戦略の内よ、真っ向から受けるなんて愚策だわ」
「グヌヌ、なんて奴だ、オークの風上にもおけん!」
「ブモー! 使える手段は全て使う、それの何が悪いのよ!」
「!! 確かに、その通りだ!」
「素直に納得するなんて、思ったよりも利口ね、でも交渉は既に決裂してるわ!」
そう言って、美琴はその大きな拳でゴブリンキングを殴り飛ばす。その衝撃で骨の鎧が砕け散り、その巨体は吹き飛ばし「ガシャーン!」と儀式に使っていた燭台を派手に散らかす。
このオークの膂力は自身と同等か、それ以上だとゴブリンキングは瞬時に悟った。このままでは負ける! そう感じたキングは、なりふり構わず生存本能を発揮する。
「お、おのれ、こんなところで朽ち果ててたまるものか、これでも喰らえ!」
「ブモッ!? これは、拙い!」
起き上がると同時に、迫って来ていた美琴に対して、オークキングは儀式に使っていた、イグニススパイスの粉末を不意打ちで投げつけた。美琴は咄嗟に目を閉じ、マントで身体を守ったが「ボフンッ」と粉状の香辛料が周囲を撒き散らす。
ゴブリンキングはその隙を見逃さなかった。持っていた巨大な骨の棍棒を思いっきり振り抜いて、美琴を攻撃する。
「危ない、みこと!」
「ワフゥ、目潰し攻撃なんて、卑怯だよー!」
「グギャ!?」
しかしその様子を遠目で見ていた陽葵が、咄嗟に魔法の光弾を放ち、その棍棒を弾き飛ばした。火花が散り、洞窟内に反響する鈍い金属音が響き渡った。
更にきららが、風を吹き起こし、舞っていた香辛料を吹き飛ばし視界を晴らす。
「ケホッ、2人とも助かったわ、ありがとう!」
「えへへ、サポートなら任せて!」
武器を弾かれ失ったゴブリンキングは、それでも即座に動き出し、両手でオークに掴み掛かってきた。美琴もそれに応戦する。ガシッと両手同士を合わせて、組み合いになった。両手で恋人繋ぎをしてる様な感じだが、互いに向き合って、純粋な力比べをする様な体勢だ。その衝撃で美琴の足元がわずかに沈む。
「グギャギャ! このまま鯖折りにして腰を砕いてくれるわ!」
「くっ、なかなかやるわね、大した膂力だわ」
美琴は、そう言いながらも、ゴブリンキングの力に少し驚いていた。想像以上の粘り力強さと膂力だ。やはり王を名乗るだけあって、ただのゴブリンとは違う。
ゴブリンキングは、肉追した状態でその体躯を美琴に押し付ける。その太い指は美琴の腕に食い込もうとする。そしてそのまま、相撲を取る様な体勢に移行した。
「ゲギャギャ! どっちが強いか、これで決着をつける!
「ブモモー! 力比べがしたいの? 望むところよ!」
ゴブリンキングは、美琴を自分から離そうとしない。明らかに、力任せにそのまま押し倒そうとしている。その口元には、醜悪な笑みが浮かんでいた。
「ちょっと! 唾を飛ばさないでよ、汚いわよ、ゴブリンキング!」
美琴は、思わず叫ぶ。オークキングの怪力とはいえ、相手もキングの名を冠する魔物。油断はできない。
「ワフー、みことちゃん、頑張ってー!」
「みこと、そのままやっつけちゃえ!」
きららと陽葵が、美琴の様子を見て、応援の声を上げる。きららは魔法を詠唱して妨害しようとしていたゴブリンシャーマンの足元に噛みつき、攻撃を妨げる。この場に居るゴブリンの子分たちも、自ら戦う王の雄姿に興奮し、奇声を上げて美琴たちを挑発する。
「ゲギャゲギャ、親分いいぞー」「頑張れ、親分!」「そんな豚野郎になんか負けるなー」「頑張れ、頑張れ!」「親分ファイトー!」
美琴は、ゴブリンキングの膂力に少しずつ押し込まれそうになっていた。足が地面にめり込み、ギチギチと、オークキングの筋肉が悲鳴を上げ始めている。しかし、彼女の心は折れていなかった。
「くっ……ここで、負けるわけにはいかないわ!」
美琴は、グッと奥歯を噛み締め、両腕に力を込める。オークキングの体は、限界を超えると、さらなる力を引き出す。血管が浮き上がり、岩のような筋肉がさらに膨張する。
「ブモォォオオォ!! これならどうだー!」
美琴は、雄叫びを上げると、ゴブリンキングの身体を弾き飛ばし、その挙動を真っ直ぐ見据えた。ゴブリンキングの体制が崩れた一瞬を逃さず、オークキングの自慢の怪力を活かした、渾身の張り手をゴブリンキングの顔面に叩き込む! その衝撃音は、洞窟全体を揺るがすほどだった。
「グギャアアアァ!? そんな、馬鹿なぁ!」
ゴブリンキングは、その巨体を宙に舞い上がらせた。けたたましい轟音を上げ、地面から突き出た無数の石筍に激突し、ズズズ……と地面を滑りながら静止する。
その瞳は、白目を剥いて、ゴブリンキングは完全に意識を失っていた。
騒がしかったゴブリン共も、静まり返り、その様子を見て困惑している。
「ワフー、やったー!!」
「おお、みこと、すごい!」
きららと陽葵が同時に喜び、歓声を上げた。
美琴は、ふぅ、と息を整え、額の汗を拭った。そして誇らしげに胸を張る。
「ふふん、この勝負、私の勝ちね! 勝鬨を上げるわよ!」
「わんわんおー!!」
「残りのゴブリンも蹴散らしちゃおう! って、あれ、逃げていく!?」
「グギャギャギャ、撤退、撤退!!」
「ゲヒィ、殺されるー!」
「コイツら全員、化け物ダァ、全員退避、奥の通路を閉鎖しろー!」
ゴブリンキングを倒され、統率者を失ったゴブリン達は、完全に戦意を喪失して、この場から、蜘蛛の子を散らす様に洞窟の奥へと逃げ去っていった。
広大な鍾乳洞には、再び静寂が戻ってきた。残るのは、焚き火の燃える音と、焦げ付くような悪臭だけだ。
「よーし、これで、この洞窟は私たちのものね!」
「やったー、勝ったー」
陽葵がそう言うと、きららは尻尾をブンブン振り回しながら喜ぶ。洞窟の奥へと逃げ去ったゴブリンたちの姿は既に見えない。鍾乳洞に、きららの元気な声が響き渡り、やがて反響して消えていく。
美琴は、先ほどゴブリンキングがいた場所の奥にある乱雑に積まれた、財宝の山に目を向けた。
鈍く輝く金貨や宝石の山は、まるで大人が見る儚い夢のようだ。
普段は冷静な彼女の瞳にも、戦利品に対して、かすかに好奇の光が宿る。
「さて、と、それじゃ、収穫物の確認してから、今後の計画を話し合うわよ」
3人はそれぞれゴブリンのお宝を漁り始めた。
「えっと……これは古ぼけた剣だね」
「他にも冒険者から剥ぎ取ったのか、装備品とか結構あるね」
きららが、鉄製の大人の片手剣を口に咥えた。しかし、フェンリルの顎で扱うには、武器の重心にも偏りがあり、持ち上げるのが精一杯だ。
「うーん、剣を扱う魔犬とか、カッコいいけど実際に扱うのは難しそうだね」
「見て、こっちは槍だよ……っと、やっぱりデカ過ぎて、私じゃ持てないか」
陽葵が、自身の身長の何倍もある槍の柄の石突を両手で掴み上げる。しかし、彼女の小さな華奢な体には長過ぎて、まるで巨大な鉄柱を抱い抱えている気分だ。
そして、美琴が手に取ったのは、古びた革鎧だった。オークキングの巨体からすれば、まるで人形の服のように小さい。
「あら、鎧ね、ちょうど防具が欲しかったのよ……って、ちっさっ!」
美琴のオークキングの巨体には、どれもこれもサイズがまるで合わない。剣も杖も、美琴の腕一本にも満たない大きさだ。
「これ絶対、人間用だよね……」
「うん、多分さっきのゴブリン達に負けた冒険者のだよね」
きららと陽葵も、手にした装備品にがっくりと肩を落とす。期待に胸を膨らませていた分、その落胆も大きい。
「こんなの、誰が使えるのよ……!」
美琴はがっかりしながら戦利品をもう一度見てみた。どれもこれも、彼女たちの体格には合わないものばかりだ。目ぼしいものは他にはない。
とは言え金銀財宝の類もあるので、収穫物としては破格ではあるのだが。
少しガッカリしてると陽葵が小さな黒ずんだ宝箱がひっそりと置かれているのを見つけた。他の粗末な装備品とは違い、どこか年代物のような雰囲気を醸し出している。中を開けてみると、そこには羊皮紙の巻物が3本ほど入っていた。
「見て、これなら戦闘とかで使えるかも?」
陽葵は、そのスクロールの巻物を両手で持ち、他の2人にも見せた。
「ふむ、これは……使い切りの魔法のスクロールかしら?」
美琴は、そのスクロールを受け取りじっと見つめた。
「どうやら、何かの魔法が込められているようね。使い捨てみたいだけど、不用意に開くと魔術が発動するかもしれないわ、でも何かに使えるかもしれないから持って行きましょう、それと、この武器はいざという時には使えるかも……」
そう言って美琴は、巨大な骨の棍棒を振って見せた。この武器はゴブリンキングが、さっきまで振り回して使っていた物だ。何か巨大な魔獣の大腿骨だと思われ、悪趣味な代物だが、大きさ的にはオークのゴツい手にも良く馴染む。
「あ、なるほど、今後も戦闘を想定するなら、その武器は確かに使えそうだね」
「まあ、土魔法も使えるから、いざって時の備えだけどね、あとそうね、コレも使えそうだわ」
そう言って美琴が掴んだのは、先程の目潰しに使われた赤い木の実、イグニススパイス。その実を潰すと、唐辛子の様な辛い香辛料の元になるようだ。
「他にも甘い匂いがする果実とかも置いてあるね、なんか腐ってそうだけど」
「ゴブリンシャーマンが儀式に使っていた物ね、他にも料理とかに使えそうな調味料なんかはあるかもしれない、せめて塩は欲しいわね」
「うーん、でも衛生面的には、ここにある物は食べたくないなぁー」
「あ、でも調理するなら、切れ味の良いナイフとかは必要だね」
そんな会話をしつつ、美琴は再びスクロールを眺めて、考え込んだ。
「ところでこの巻物は誰が持つの? 私の腰蓑もポケットがないから、あまり持ち運ぶには適さないけど、ずさ袋とか入れ物とか何か欲しいわね」
「わたしも、四足歩行だからアイテムを携帯するのは難しいかなあ……」
きららが、美琴の意図を察したように言う。美琴自身も、ごついオークキングの手では、この繊細なスクロールを常に携帯するのは不便だと感じていた。
その時、陽葵は自分の小さな掌を見ながら、ぽつりと呟いた。
「あ、それなら私が持つよ、さっき、ちょっと試してみたんだけど、空間収納っぽいのが使えるみたいなんだよね、ほら、こんな感じで」
陽葵の羽ばたき小さな身体の周りに、きらきらと光の粒が舞っている。まるで空間そのものが彼女の意志に応えているかのような、神秘的な光景だった。神出鬼没な妖精族は、その身に様々な超自然的な能力を宿すと言われているが、中には空間を自在に操る力を持つ妖精も存在する。
彼女が実際に試して得た感覚は、まさにその能力の片鱗を捉えたものだった。
「あら、大丈夫? 大きさ的に無理なんじゃ?」
美琴は陽葵の小さな身体とスクロールの大きさを比較して、心配そうに尋ねた。
「ううん! 見てて!」
陽葵は嬉しそうに、スクロールに両手を翳した。そして、意図したように、スクロールはふわりと光の粒になり、次の瞬間にはまた、何事もなかったかのように彼女の目の前に現れた。彼女の目には、新しい力に対しする好奇心と、そしてそれを誰かの役に立てられることへの喜びが満ち溢れている。
「あら、スゴいわね、これなら、運搬はひまりに任せても大丈夫ね」
「任せて、この魔法があれば、此処にある金貨や宝石も全部持って帰れるね!」
「確かに、空間魔法がなければ、あんな財宝、あっても持ち運ぶのは大変だわ」
「わーい、ひまりちゃん、すごい、これで私たちお金持ちだね!」
きららが、光り輝く財宝の山をペチペチと指差して喜ぶ。
「あら? でもこの異世界で、お金を使う機会なんてあるのかしら?」
「あ、本当だ、よく考えたら私たち魔物じゃん!」
「まあ、持っておいて損はないっしょ、何か買い物とかしたいかも」
「ふむ、それにしても、この洞窟、やっぱり臭すぎるわね……」
美琴がため息をつくと、きららが鼻を前足で押さえながら、訴えるように言った。
「そうだよ、みことちゃん! やっぱりこんな臭い場所、無理だよー!」
「……確かに、きららの言う通り、此処に住むのなら衛生面は大切よね」
「わふぅ、だから住む前提で話さないでよー!」
ゴブリン達が散らかしていった食べ残しや、ゴミの山を見て、美琴は改めて同意した。この悪臭の残骸を片付けるとなると、かなりの労力が必要になるだろう。
その匂いは、賢狼ほどではないがオークの鼻でも、かなり堪えるものだった。
「ねえ、きらら、あんたもフェンリルなら、風魔法とか使えるんじゃない? さっきの戦闘でも、なんか風を纏う様に疾走してたし、風を飛ばしてなかった?」
そんな不満を2人で話していると、陽葵が気になったことを伝える。
「え? あ、確かに、走る時とか自然と使ってたかも? えっと、なんか身体に魔力を込める感じで、こう念じて、ブワァァ、と」
すると、きららの周囲に風の幕が集まり、突風で周囲の悪臭を遠ざけていく。
「おー、すごいじゃん、これなら換気とかも出来そうじゃない?」
「えへへ、確かに、もっと早く気がつけば良かったね、でも匂いの元を断たないと意味なさそうだけど、ゴブリン達も奥に逃げただけで、まだまだ居そうだし」
「つまり私達は三者三様に魔法が使えるって事ね、まあ今後の冒険を想定すると、ひまりの空間魔法が、やっぱり使い勝手が良さそうだけど」
「まあ異世界で便利なチート魔法の筆頭だからね、空間収納って、私も使いたい」
2人からそんな事を言われて、陽葵は何処か誇らしげな様子だ。
「何にしても、この洞窟を私たちの拠点にするのは、少し時間がかかりそうね」
「うん、一応、ゴブリンキングと、ついでにシャーマンも倒したけど、まだ残党の処理が残ってるし、枝分かれした狭い通路だと挟み撃ちとか、罠とかもありそう」
「そうね、こんなところで寝たら、また襲われかねないし、今日のところは取り敢えず、元の砦に戻りましょう」
「賛成! お腹も空いたし、仮拠点に置いてきた食料があるから、早く戻ろう」
「あ、ちょっと待って、その前に……」
こうして3人は、ここで無惨に朽ちていった冒険者たちに黙祷をして、残された財宝の類を回収した後に、ゴブリン達の悪臭が立ち込める洞窟を後にして、初めに作った仮拠点の砦に戻ることにした。




