第2話 記憶なき怪物たちの森【後半】
冒険者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、森には再び静寂が訪れた。
突発的な戦闘が終わり、三人は息を整えて、高揚した気分を落ち着かせる。
「みこと、大丈夫なの!? 腕、切られちゃってたけど……」
ピクシーの陽葵が心配そうに、美琴の腕にひらひらと近づく。そこには冒険者の剣が当たった際にできた、薄っすらとした切り傷があった。オークの頑丈な皮膚が防いだとはいえ、全くの無傷というわけではない。
「えぇ、大したことないわ、このオークの頑強な体躯と硬い皮膚のおかげで」
「大丈夫じゃないよ! ほらっ、ちょっこっと血、出てる!」
美琴はそう笑ってみせるが、陽葵は顔色を変えた。
「わふー、大丈夫? みことちゃん」
きららも心配そうに美琴の腕に鼻先を近づける。その鋭い嗅覚が、微かな血の匂いを確かに捉えていた。
「でも、あんまり痛みもないし、このくらい唾でも付けとけば治るわよ」
「こんな森の中じゃバイ菌が入っちゃうよ、ちょっと、よく見せて」
と美琴が言いかけた時、陽葵の小さな手が優しく傷口に触れた。すると蒼白い光が仄かに輝き、それが傷口に当たると、みるみるうちに傷が塞がっていく。
「これ、私の、ピクシーの回復魔法だ! 初めて使ったのに、ちゃんと効いた!」
陽葵は、自分の秘められた能力に驚きながらも、どこか誇らしげだ。
「あら、すごいわね、ひまり、ありがとう、助かったわ」
「おー、すごい、ひまりちゃんも魔法が使えるんだね、いいなー」
美琴は、完全に塞がった傷口を見つめ、改めてこの身体の持つ「ポテンシャル」の奥深さを知る。
「どうやら私たちは、この身体の使い方を自然と理解しているようね、まさか魔物であるオークの私が土魔法を使えるなんて、フェンリルのきららも嗅覚や聴覚が鋭敏になったし、ピクシーの陽葵もこうして癒しの力があるなんて」
美琴はふと周囲を見渡した。日の光が、木々の隙間からきらきらと降り注ぎ、森の地面を照らしている。その目が映すのは、冒険者たちが逃げ去った方向とは真逆の、より深く豊かな森の奥。
「ふっ、この森は、私たちにとってはまだ未知の領域、しかし少なくともあの冒険者たちよりは、この環境に順応できるようね」
「え?」
美琴の瞳には、いつものように知的な輝きが戻っていた。彼女の口元に、わずかに笑みが浮かぶ。まるで目の前の世界を解き明かす為の探求が、今始まったばかりだと言わんばかりに。
「ひとまず、この森に拠点を築きましょう、ここから情報を収集し、この世界を理解するためには、安心して過ごせる拠り所が必要よ」
美琴の言葉には迷いがなかった。それはこの状況にただ流されるのではなく、自ら主体的に行動を起こそうとする、彼女本来の強さの表れだった。今は目の前の世界をどう生きるかに、彼女の意識は集中していた。
陽葵ときららは、顔を見合わせ、美琴の意外な提案に一瞬戸惑った。だが、美琴の真剣な表情と、危機を乗り越えたばかりの興奮が冷めやらない状況では、彼女の言動に逆らう余地はなかった。
「うん! 賛成!」
きららが元気よく返事をする。その銀色の尻尾がブンブンと大きく揺れる。
賢狼としての本能が、新しい生活への期待を感じ取っているかのようだった。
陽葵も、ふわりと飛び上がり、考え込むように顎に手をやった。
「うーん、でも拠点かぁ、確かに、このまま森の中を彷徨うのは危険だし、情報収集も必要だけど………みこと、何か具体的なアイディアとかはあるの?」
美琴は、その問い掛けに得意げな顔で頷く。
「ええ、もちろんよ! このオークキングとしての私の力を使えば、簡易な拠点くらいあっという間よ!」
美琴は立ち上がると、この周辺を見回した。
「まずは、この辺りの土を盛り上げ、周りを囲むように塀を作りましょう、そして、居住スペースは、そうね、あそこに生えてる巨大な大木の根元を削って、樹洞を拡張するわ!」
任せなさい、と、サムズアップをする美琴。しかし2人は微妙な表情だ。
「いや、ちょっとまって、みこと、拠点作りをするならまずは水場を確保しないと、それにまた冒険者に出くわしたら嫌だし」
「そうだよ、拠点を作るにしても、街道に近い場所は避けたほうがいいよー」
美琴は深く頷いた。
「ふむ、確かに2人の言う通りだわ、この場所は目立つわね。まずは森の奥へ移動して、綺麗な水と食料、そして何よりも安全を確保できる場所を見つける必要があるわね……」
「あと、森の中に拠点を作るなら、野生の魔物に襲われない立地が良いかも?」
美琴は、きららの方を向いた。
「そうね、きらら、それなら貴女が一番、頼りになるわ、その鋭い嗅覚で水場の匂いを辿ってちょうだい、そしてなるべく静かで安全な場所を探しましょう」
「うん! まかせて!」
きららが自信満々にそう答えると、鼻をひくひくさせながら森の奥へ駆け出した。その軽やかな動きは、獲物を追う狩人のようだった。
陽葵は、美琴の肩にちょこんと止まり、空を指差した。
「それじゃあ私は、上空から森全体を見て、水場の流れや大きな岩陰みたいな、拠点にできそうな場所がないか探してみるね!」
「助かるわ、ひまり、私はこの巨体で追いつける範囲で、二人の後を追うわ、途中で良さそうな場所があったら、すぐに知らせてちょうだい」
三人は其々の能力を活かし、広大な森の中での新たな住処探しに乗り出した。
斥候のように先行したきららは、喩えはぐれたとしても、その匂いで仲間の場所を把握が出来るから、多少は距離が離れても合流するのは問題ないだろう。
それにオークの鼻も、人間に比べて優れてるから、どっちの方向に2人が居るかは気配も含めて分かる。ついでに道中で食べられそうなキノコや果物でもあれば、採集して行くとしよう。
陽葵が高い樹木を飛び越え、上空から偵察すると、改めてこの森の広大さを知る。そしてその視点の先には、遥か遠くに小さく石垣に覆われたお城と城下町が見える。どうやら先程、撤退した冒険者が拠点にしている王都がある様だ。
本来なら、あそこを目指すべきなのかも知れないが、魔物の姿だときっと敵襲だと思われる事だろう。陽葵は2人にその事を伝えて、再び飛び上がり周辺を偵察する。
そして暫くして、きららが突然立ち止まり、興奮した様子で吠えた。
どうやら彼女のその優れた嗅覚と聴覚で、水の場所を感知したようだ。
「みことちゃん、ひまりちゃん、この匂い、この音……きっと綺麗な水だよ!」
きららが向かう先には、日の光を受けてきらきらと輝く小川があった。陽葵も上空から指差す。
「みこと、きらら、この小川の上流の丘に、大きな岩場がいくつも積み重なっている天然の砦みたいな場所があるよ!」
美琴は二人の発見に目を細めて喜んだ。
「素晴らしいわ、そこなら水にも困らないし、岩陰なら防衛もしやすい、早速そこを拠点にしましょう!」
理想的な場所が見つかり、美琴たちはそれぞれの役割分担に意気込んだ。
斥候の賢狼フェンリル、前衛タンクのオークキング、回復支援のティターニア、冒険者としてパーティーを組むと想定しても、悪くない組み合わせだ。
「よし、決戦よ! いいえ、これはサバイバルだもの、私は土魔法でこの天然の砦を拡張し、雨風もしのげるくらい、頑丈な拠点にするわ!」
「おー!」
美琴は巨大な腕を胸の前で交差させ、気合を入れる。
「私はピクシーの能力を活かして、森の果物とか木の実とか食べられるものを探してくるね! 拠点が出来たら、見張りも頑張るよ!」
陽葵がきらきらと燐粉を散らしながら、ふわりと空に舞い上がる。
「わたしはこの嗅覚と俊足で、周囲の安全を確保するのと、何か獲物を見つけたら、捕まえてくる! 大きい獲物なら、みんなで分けられるし!」
きららが自信満々に尻尾を振った。
三人は「よーし、頑張るぞ!」と声を揃え、新たな生活の準備に取り掛かった。
§
一方、美琴たちから逃げ出した冒険者たちは、息を切らしながら街へとたどり着いていた。彼らが目指したのは、王都の中心にある冒険者ギルドの重厚な扉だった。
「ひぃひぃ……た、大変だ! ギルド長! 大変なことが起こりました!」
ギルドの酒場で、豪快に肉を頬張っていたギルド長は、けたたましい声に顔をしかめた。
「なんだ、騒々しいぞ! またゴブリンの大群にでも遭遇したのか、お前ら?」
「そ、それどころじゃないです! 森に、森に、喋る魔物がいたんです!」
冒険者の一人が、震える声で報告する。酒場のざわめきが、一瞬で静まり返った。喋る魔物。それは、彼らの常識を遥かに超えた存在だ。
「喋るだと? 馬鹿な、お前たち、酒の飲みすぎで幻覚でも見たんじゃないのか?」
ギルド長は、不信感を露わにする。しかし、冒険者たちは口々に、恐怖と興奮がないまぜになった声で訴えた。
「オークキングが、ブヒブヒ喋って、それに土魔法を操ったんです!」
「フェンリルの幼体が、ものすごい素早さで、革鎧を切り裂いて、しかも喋るし、目を合わせたら引き込まれそうで……」
「ピクシーの上位種まで居たんです! 鱗粉で目くらましをして、くしゃみも止まらなくて、あれはきっと幻惑魔法だ!」
彼らの報告は錯綜していたが、喋る魔物、希少種、未知の能力、という点で一致していた。ギルド長は彼らのただならぬ様子にようやく事態の深刻さを理解し始めた。
「くそッ、ただの魔物じゃないってことか。しかもオークキングに賢狼フェンリル、ピクシーの上位種だと!?」
ギルド長は眉間にしわを寄せ、考え込む。その時、ギルドの奥で静かに酒を飲んでいた一人の男が、ゆっくりと立ち上がった。
彼の名はグレン。歴戦の冒険者であり、卓越した知識と冷静な判断力を持つ、この街でも指折りの実力者だ。彼は常に、この世界に点在する『異質な存在』の噂に耳を傾け、未知の魔物との接触を試みて、ある目的の為に邂逅したいと考えていた。
グレンは、冒険者たちの報告に耳を傾け興味深げに聞いていた。特に『喋る魔物』という言葉に、彼の鋭い視線が光る。彼らが語る三体は、単なる魔物では収まらない『価値』を秘めているように感じられた。
「ギルド長、その森の魔物の件、詳しく話を聞かせてもらえませんか?」
グレンの声は静かだが、有無を言わせぬ圧があった。ギルド長は、彼の言葉に少し驚きながらも、頷いた。
「グレンか、お前が興味を持つとは、やはり尋常ではない案件ということか……」
グレンは、逃げ帰ってきた冒険者たちに近づくと、彼らの恐怖を煽るような質問はせず、淡々と状況を整理するように問いかける。
「土魔法を操るオークキングに、素早い賢狼フェンリルの幼体、そして幻惑魔法を操るピクシー、なるほど、そいつは奇妙な組み合わせだ、彼奴らがあんた達を襲った時の経緯は? 遭遇して即座に無差別に攻撃を仕掛けてきたのか?」
冒険者たちは、グレンの冷静な問いかけに、少しずつ落ち着きを取り戻し、自分達が体験したことを語り始めた。オークが「話を聞こうとしたこと」、そして「仲間を金儲けの駒にしようとした言葉に怒ったこと」、彼らは自分たちの行動が、魔物たちを怒らせた原因であったことも、包み隠さず話した。
グレンは彼らの話を静かに聞き終えると、フッと口元に微かな笑みを浮かべた。
「なるほど、つまり、彼らはあなんた達を襲う明確な意思があったわけではないと、むしろ言葉を解し、感情を持って、あんた達の言葉に反応したわけだ」
グレンの言葉に、ギルド長と冒険者たちは、ハッと息を呑んだ。確かに、冷静に考えれば、その通りだった。魔物としてはあまりに人間的で、不可解な行動だ。
「ギルド長、私がその森の魔物たちと接触してみましょう、彼らが本当に『喋る』のであれば、珍しい獲物を捕獲できるかもしれない、まずは、彼らの能力を正確に把握したい」
グレンの提案には一切の迷いがなかった。彼の静かな眼差しには、未知なるものに対する強い興味と、獲物を見定めたかのような確信の光が宿っていた。
それに、本当に賢狼フェンリルを生きたまま捕獲できるなら、いや、例え亡骸だとしても、王に献上できるくらい、最上の魔物素材になる。それにこの国のお姫様は『魔物コレクター』と言う裏の顔も持っている。もし、ピクシーの上位種を生け取りに出来たら、報酬はきっと莫大なものになるだろう。
「……わかった、グレン、気をつけろよ、その魔物たちがもし魔族だった場合、一級探索者である、お前ほどの男でも危険だ、状況次第では迷わず引き返せ、場合によっては王国騎士団に報告して、軍を派遣してもらう必要がある」
「ご心配なく、俺はただ、彼奴らの持つ価値、その全てを把握したいだけだ」
グレンは、そう言い残すとギルドを後にした。彼の背中はそこはかとなく、危険な野心を秘めている様子だった。
§
その頃、美琴たちは、自分たちの手で築き上げたばかりの新たな拠点で、充実感を味わっていた。
「ぶひぶひ! どう? これなら夜間も安心して休めるでしょう! まさに、オークキングたる私の力ね!」
美琴は汗だくになりながらも、その出来栄えに満足げな笑顔を浮かべた。いくつかの巨岩を土台にして、彼女の土魔法で大きく拡張された石の拠点は、もはや立派な砦となっていた。高く盛り上げられた土壁は、雨風を防ぎ、内部は美琴の巨体が横になっても十分な広さがある。
美琴の方に乗っていた陽葵は、目を丸くしてそれを見上げる。
「すごい! 本当にあっという間! もしかして、こういうの得意なの!?」
「ぶひん、私を誰だと思ってるのよ? こういう緻密な設計や空間作りは、結構好きだったりするのよね!」
美琴は誇らしげに語る。その時、きららが颯爽と砦の入り口に姿を現した。口には、中型の魔物である『ファングボア』を咥えて、ズルズルと引き摺っている。
「みんな、ただいまー! これ、夕飯!」
「え、凄っ、それひとりで獲ったの!?」
「流石は賢狼フェンリル、大したものね」
きららが獲物を地面に置くと、興奮した様子で尻尾をブンブンと振った。
「ふふん、凄いでしょ、それにね、みこと! ひまり! もっとすごいもの見つけちゃったよ!」
「すごいもの?」
美琴と陽葵がきららの言葉に注目すると、きららは鼻を高くして続けた。
「この奥の森を探索してたらさ、変な洞穴を見つけたんだ! 他の場所とは雰囲気が違う、奥から湿っぽい匂いがする洞窟! もしかしたらダンジョンかも? 中を探索すれば、なんかすごいお宝とか見つかるかもしれないよ!」
きららの報告を聞き、2人は目を輝かせた。現在の砦は立派だが、あくまで急造。もし、もっと良い隠し場所が見つかるなら、それに越したことはない。
「すごいわ、きらら! あなたは本当に優秀ね! 雨風は防げるとはいえ、ここもまだ仮拠点、もしその洞窟が私たちの砦より安全で快適な住処になるなら、それに越したことはないわ!」
美琴は、そう宣言すると、きららが発見したという洞窟へと顔を向けた。
「よし、さっそく探検よ! 少し休憩してから準備しましょう!」
新たな発見に、美琴の知的好奇心が、再び刺激された。採集した果物を分け合い、それを美味しく摘みながら、三人の次なる目的は、きららが見つけた、謎の洞窟の奥へと向けられていた。
彼女たちの異世界での生活は、まだまだ波乱に満ちたものになりそうだ。




