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最終話 境界の鐘と、虚実の残響【中編】

 陽葵が博士の鳥籠に捕まるも、咄嗟の機転でなんとか脱出に成功する。

 こうして再び豚と狼と妖精の3匹が揃い踏み、最後の戦いの幕が開けた。


 研究所の外は夕暮れ時の赤みを帯びた空の下で、戦場と化していた。


 陽葵の先ほどのスクロールの効果で目を眩ました盗賊たちは、閃光の直撃を避けきれず視界を奪われて、いまだに悲鳴を上げ、目を擦りながら混乱している。


 それに対してグレンは苛立った声を上げる。


「おい、お前らいつまで怯んでやがる、さっさと臨戦態勢に入れ!」

「へ、へい、リーダー!」


「全く、盗賊団と言っても口先ばかりで使えない連中ですわ」

「……返す言葉もないな」


 フェリシア博士が呆れた口調でそう言うと、グレンもそれに同意する。顎で使われている賊徒たちは不満を感じたが、グレンが怖いのか萎縮している様子だ。

 その合間に陽葵は、倉庫で回収しておいたドラゴンの大腿骨の事を思い出した。


「そうだ、みこと、これ取り戻しといた武器」

「あら、回収してくれてたのね、助かるわ」


「ああ、それはわたくしの竜骨!? 返しなさい!」

「いや、別に博士のじゃないでしょ、図々しいなぁ」


 陽葵は空間収納から竜骨の棍棒を取り出し、それを美琴に手渡した。 美琴はその棍棒を受け取ると、オークキングとしての腕力で軽く一振りして感触を確かめた。


 そのずっしりとした重みと、手のひらに吸い付くような感触に全身に力が満ちてくるのを感じた。鈍色のドラゴンの骨が不気味に、しかし力強く煌めく。


「ふっ、なんだかんだ相棒みたいな感じになったわね、頼もしく感じるわ」


 美琴は挑発的な笑みを浮かべて竜骨の棍棒を構える。博士達に騙されて地下牢に閉じ込められた屈辱、陽葵を捕らえられた事に対する怒り、そして何よりも仲間と一緒にこの不条理な異世界を最後まで生き抜く、という強い決意を露わにした。


 その様子を横目に、きららもプンプンと鼻息を荒げながら、全身から闘気を漲らせた。フェンリルとしての野生が、敵を容赦なく引き裂こうと沸き立っている。


「これって、最後の決戦ってやつだよね?」

「うん、気合を入れていこう!」


 そして鳥籠から解放された陽葵も身構える。あまり戦闘向きではない身体なので、その表情は少しだけ不安げだが、その小さな体には確かな力が宿っている。


 グレンは手にした剣を構える。その剣からは、冷たい銀の輝きが放たれていた。

 周囲には気合を入れ直した盗賊たちが各々の武器を持ち、ジリジリと迫り来る。


 そこに数的有利から余裕を感じたのか、フェリシア博士が口を開く。


「ふっ、まあ良いですわ、わたくしの竜骨はあなた達を組み伏せてから、ゆっくり回収するといたしますわ、覚悟なさい!」 

「ずいぶん余裕の表情ね、それが出来ると思ってるのかしら? そもそも博士はそんな華奢な身体で戦うつもり?」


 美琴が負けじと挑発するようにそう問いかけた。その言葉には、明らかに博士の戦闘能力を軽んじる意図が含まれていた。確かにオークキングの巨体からすると、博士など、まるで大人と赤子、取るに足らない相手だとも感じるだろう。


「ふふっ、ご心配なく、わたくしこれでも冒険者としてのレベルは50、既に人種族の上限レベル、つまりはカンストに達してるんですわ!」

「ブヒィ! な、なんですって!?」


 フェリシア博士のその反論に、オークキングの瞳が大きく見開かれた。

 ここに来て予想外の博士のカミングアウトに、仰天している様子だ。


「と言うかこの世界って、レベルの概念とかあるんだ」

「え、すごっ、ちなみにグレンのレベルは?」


「……俺はレベル35だ」

「あ、素直に教えてくれるんだ、てか、ベテラン冒険者のグレンがレベル35なのになんで生産職の博士がそんなレベルに達してるの!?」


「俺も詳しくは知らん、ただ冒険者カードは簡単に偽装出来る代物ではない」


 不機嫌そうなグレンの言葉に、博士は悪びれる様子もなく不敵に笑った。


「ふふっ、わたくしに掛かればカードの偽造も可能ですが、この数値は別に嘘じゃないですわよ、わたくしの発見した『増殖金色スライム経験値トラップ』を使えば時間さえあれば、幾らでも経験値を大量に得ることが出来るんですわ」


「ええ、なにそれ、ずるい!?」

「そんなのチートじゃん、卑怯者ー!」


「くっ、なんて合理的な手段で経験値を、やはり只者ではないようね」

「……そんな楽な手段があるなら、俺もその恩恵にあやかりたったな」


 陽葵ときらら、更にはグレンまで不満げな声を上げる。そして美琴はざわめいていた感情が少し落ち着く。こんな理不尽な状況だが、怒りに身を任せて戦っても、本来の力が発揮できるとは限らない、あくまでも自分達なりの戦闘をするべきだ。


 美琴は冷静さを取り戻して、そう思考した。


「ふむ、ここは乱戦は避けるべきね、フェリシア博士は私が対応するわ、きららと陽葵は、グレンとその配下の雑魚どもを頼むわ!」

「! 大丈夫なの、みことちゃん」


「ええ、問題ないわ、これまで受けた雪辱を晴らしてやるわ!」

「わかった、それじゃあグレンは、私たちで足止めするね!」


 その言葉を聞いて、グレンが獰猛な視線をきららと陽葵に向けた。

 そして手下の盗賊たちは、こぞってこの中で一番弱そうな存在である陽葵に目をつけて、囲い込むようにジリジリと距離を詰めていく。


「ぐへへ、覚悟しろ、ちっちゃいお嬢ちゃん!」

「雑魚と言われて言い返す気概もないとか、あんた達プライドとかないの?」


「へへん、なんとでも言え、俺たち盗賊団の座右の銘は『楽して漁夫の利を得る』なんだよ!」

「なかなか見上げた根性ね、だったらその性根、利用してあげるよ」


「おい、お前たち、そのピクシーの鱗粉には気を付けろよ!」

「へ、へい、了解っス!」


 グレンが配下に忠告する。すでに一度、陽葵の鱗粉を経験している盗賊たちは、口元にバンダナマスクを装着し始めた。どうやら彼等なりに対策してきたようだ。


「あ、狡い、大丈夫、ひまりちゃん?」

「任せて、それにちょっと思いついた秘策もあるから!」


 きららが不安そうに陽葵を気遣った。しかし陽葵は安心させる様にそう答える。

 彼女の瞳には、妖精らしい無邪気さとティターニアとしての知性が宿っていた。


「ふっ、仲間の心配をしてる余裕があるのか?」

「むー、グレンだって助言してたじゃない!」


 グレンはそう言うと不敵な笑みで剣を構え、きららを標的に定めた。


 まだ幼いとは言え伝説の賢狼フェンリルと戦闘できる機会などまずないだろう。

 そのギラついた瞳には、盗賊の頭領としてではなく、冒険者としての矜持なのか、緊張感のある戦いを味わいたいと言う、願望が秘められているかのようだ。


 一方、美琴とフェリシア博士も、お互い向き合って対峙していた。


「ふふっ、美琴さん、土魔法はなにもあなたの専売特許じゃなくてよ!」

「! なにをするつもり?」


 フェリシア博士はそう言い放つと、地面に両手を当てて詠唱をする。


「不浄なる大地よ、我が錬成術の礎となり、元素の理に従い、我の命じるままに形を成せ、そして我が叡智を宿し、堅牢なる守護者となりて現れ出でよ!」


 すると複雑な紋様の魔法陣が地面に現れて、そこから一体の『土塊のゴーレム』をあっという間に錬成した。そのゴーレムの大きさはオークキングにも匹敵するもので、動きこそトロそうだが、見るからに頑丈そうだ。


「どうですか、見た目は不恰好ですか、なかなか強そうでしょう?」

「ふむ、ご自慢のメイドゴーレムではないのね、それに研究所にわざとらしく何体も飾ってあった西洋甲冑は結局ゴーレムじゃなかったのかしら?」 


 しかし美琴は、自身の動揺を隠す様に、その豚鼻で蔑むように聞き返した。


「あの子達は非戦闘用ですので、大事な研究資料と貴重な魔道具などを収納トランクに入れて、結界の外に待機させましたわ、扉をいきなり破壊して登場する様な野蛮人に破壊されたらたまったものじゃありませんから」

「……その気遣いを、少しでも私たちに向けて欲しかったものね」


 美琴は、苦々しくそうそう呟くが、博士はまるで胃に介せずに答える。 


「それに、あの西洋甲冑は別にゴーレムじゃないですわ、でも良い発想ですわ、今回のような事態に備えて、今後は強襲用のゴーレムを用意するとしますわ」

「そうね、本当に次の機会があれば良いわね」


「ふふっ、ここで屈するのは美琴さん、あなた達の方よ、わたくしは自身の『夢』を叶えるまで、立ち止まるつもりはありませんわ」

「残念だけど、それはこちらのセリフよ、フェリシア博士!」


 美琴はゴーレム目掛けて猛然と突進して、竜骨の棍棒を豪快に振り抜いた。


 バゴーン!!


 そして、ド派手な破砕音と共に、土塊のゴーレムの腕が砕け散った。


 一方、盗賊たちがピクシーの陽葵へ群がり徐々に追い詰めていた。陽葵は魔力の込められた光弾で牽制しつつ、逃げ回ってはいるが盗賊の数は12人以上、流石に多勢に無勢だと感じていた。


 そしてグレンの方も、きららに対して剣を振るう。フェンリルはその優れた動体視力と野生の感覚で剣の軌道を読み、危険回避をしつつ爪と牙で時折反撃する。


「クハハハッ、流石は賢狼フェンリルと言ったところか、だが避けてるだけじゃ俺は倒せんぞ、せいせいせい、せい!」

「うわ、ちょっ、なにこの連続攻撃!? ターン制とかじゃないの!?」


 しかしこれまで数多の魔物と対峙して、生き残ってきたグレンの実力は本物だ。

 その手数の多さに次第に翻弄され、きららは攻撃を避けるのがやっとの状態だ。


 陽葵も敵の数の多さに内心焦っていた。きららを援護したくとも取り巻き達も、個では弱くとも群を成す事で、それなりに連携もしてきて厄介だ。

 そこで陽葵はこの状況を一転させる、思いついた奇策を実行する事にした。


「これじゃ埒が明かないね、こうなったら秘策を発動するよ」

「なにをするの、ひまりちゃん?」


「こうするのよ、とりゃあー!」

「……な、それは!?」


 彼女は、にやりと口の端を吊り上げながら両手を空に翳した。

 その瞬間、ジャラジャラと音を立てて、鈍く光る金銀財宝が地面に降り注ぐ。

 グレンもまさかこんな手段を用いてくるとは思わず、手を止めて困惑する。


「おわぁ、なんだこりゃ!?」

「金貨だ、金貨、しかもすげぇ量だ」


「拾え拾え、これだけあれば大金持ちになれるぜ」

「ひゃっはー!!」


 そう、陽葵の秘策とはゴブリンの巣窟で収穫した金銀財宝を、惜しげもなく盗賊たちの足元にばら撒く事で、欲に目が眩んだ盗賊団の注目を集める事だ。

 キラキラと鈍く光る硬貨、眩い宝石、精巧な装飾品。それらが土埃を舞い上げながら地面に散らばる。


 これにより盗賊たちは、陽葵の追撃よりも輝く財宝に文字通り目を奪われて、たちまち戦闘を放棄し、地面の財宝に夢中になり、必死に拾い始める。


「お前ら、なにしてやがる、戦闘中だぞ、それにその金は俺のだ!!」

「ハァ、リーダー、この財宝の事を知ってたのかよ!?」


「さては独り占めするつもりだったな!?」

「そりゃねえぜ、頭領、あんたばっかいつも良い思いしやがって!」


「なんだと貴様ら、この俺に逆らう気か!!」

「関係ねぇ、これだけの財宝があれば、盗賊稼業なんてやる必要ねえよ」


 部下たちのあまりの現金さに、グレンは怒鳴りつけた。しかし日頃からリーダーの横暴な命令や態度に不満を抱いていた盗賊たちは、頭領の指示を無視して、人攫い用の大きなズサ袋に、一心不乱に散乱した財宝を詰め込み始めた。


「うほほーい!!」

「悪いが俺たちゃこれ以上、アンタ等にゃ付き合ってられねえぜ」


「そうだな、それにあの博士の実験台にでもされちゃ堪んねえぜ」

「顔と身体は好みだが、思考がヤバすぎるんだよあの博士は」


「ちょっと、聞こえてますわよ!」

「あ、ヤベェ!」


「おう、サッサと掻き集めてこんな危険な場所から離脱するぞ!」

「悪いなリーダー、退職金としてこの財宝は俺たちが貰っていくぜ」


「なにを言ってやがる、この役立たず共が!!」

「え、なんですの? まさかこの状況で戦闘を放棄するつもりですか!?」


 日頃から略奪を生業としている彼らにとって、目の前の金貨や財宝の山は、戦意を吹き飛ばすには十分に魅力的だったようだ。

 グレンの配下たちは『金』に目が眩み、財宝を抱えて次々と逃亡を図る。


 そして、蜘蛛の子を散らす様に、あっという間に戦場から離脱していった。

 あまりに衝動的な光景に、博士はもちろんの事、美琴たちも呆気にとられる。


「ちくしょうッ、あのボンクラの屑ども! 拾ってやった恩を仇で返しやがって、今度会ったらタダじゃ済まさねえ!」

「……なんかお気の毒様って感じだね」


「うん、まさかここまで効果があるとは」

「でも今の会話から普段の関係性を想像すると、身から出た錆って感じね」


 グレンは予想外の展開に奥歯を噛み締める。陽葵の機転で、まさか自身が結成した盗賊団がこんな形で壊滅するとは思いもしなかった様子だ。


 陽葵ときららは、グレンの茫然自失とした表情を見て、まさかここまで効果抜群だとは思わず、まさに人間の『欲深さ』を垣間見た瞬間だった。


 そして手が空いたピクシーの陽葵は、フェンリルの背にひょいと飛び乗った。


「きらら、邪魔者は消えたからこれで私も一緒に戦える!」

「わおーん すごいよ、ひまりちゃん!」


 フェンリルのきららの背に乗り『ライドオン状態』になった陽葵は、きららとの連携でグレンと対峙する構図となった。その姿はまさに高速移動が可能な固定砲台。隙だらけのグレン目掛けて、連続で魔力の光弾を放つ。


「くらえ、くらえ、くらえ! ピピピピッ!」

「ちっ! 小癪な真似を」


 陽葵は光弾をグミ撃ちのように連続で放つ。無数の軌跡が光の帯を描きながら、グレンに迫る。一発の威力は弱くともグレンの動きを牽制し、きららを追撃の手から遠ざけるためでもあり、魔力量が多い陽葵ならではの攻撃でもあった。


 咄嗟に我に帰ったグレンは舌打ちしながらも、陽葵の光弾の雨を素早く避けつつ、捌ききれなかったものを剣で弾いて応戦して、隙を見ては攻撃に移行する。


「まだまだ、いくらでも撃てるよ! ピピピピッ!」

「わんわーん、いいぞ、ひまりちゃん、やれやれー!」


「おのれぇ、犬畜生と妖精ふぜいが、舐めるなぁ!」


 グレン対きらら陽葵の対決は、奇しくも機動力と攻撃の手数を多用する、似た感じの戦闘スタイルでの戦いとなった。


 更にこのタイミングを逃さず、美琴も動きが鈍っていた土塊のゴーレムに、重い一撃を放ち、その巨大な図体を破壊する。


「ふっ、よそ見なんてしていていいのかしら?」

「ちょっと、なんですの、さっきからその規格外の威力は!?」


「さあ、この骨の性能かしらね? でも私の理論とこのオークキングの怪力の前ではただの動く土塊など無意味よ! さあ、頼りにならないボディーガードは砕け散ったわよ、観念しなさい」

「まだですわ、こんな事でわたくしの『夢』は潰えませんですわ!」


 フェリシア博士が再び両手を地面に翳し呪文を唱えると、地面から新たなゴーレムが二体、三体と現れた。その光景に美琴は眉をひそめる。


「ちょっと、いくらレベルが高いと言っても、そんなに何体も量産して、いつまでも魔力が持つとは思えないけど?」

「フフフッ、心配無用、わたくしにはこれがあるから問題ありませんわ!」


 この逼迫した現状に美琴は流石に焦りの色を浮かべた。博士はそんな美琴の焦燥感を楽しむかのように、得意げに白衣のポケットから、紫色の水晶を取り出した。


「……あまり知りたくないけど、それは一体何かしら?」

「ふふふっ、これは、わたくしが手に入れた魔水晶、魔力を増幅させる効果がある貴重な魔石ですわ、この研究所を囲む結界にも応用していて、更にこれさえあれば共鳴反応で、地下にあるエーテル結晶から、無尽蔵に魔力を供給出来るのですわ」


「全く、そんなものまで所持してるなんて、何処までも小賢しいわね!」

「あら、美琴さんほどの賢しい方が何を言ってるのかしら、戦略とは戦う前にどれだけ準備して来たかにもよりますのよ!」


「ブヒィ、確かに、それには同意せざるおえないわね」


 レベルカンストに複数体の土塊のゴーレム、おまけに無尽蔵の魔力の供給とか、一体どうやって倒せばいいのか、もしこんなシナリオを考えた奴が居るとしたら、そいつはクソだな、と思いつつも、現状を打破する決め手に欠ける美琴は、内心でかなり焦っていた。


 そしてそれはきららと陽葵も同様だ。手数で押され始めたグレンは、奥の手として風を切り裂くような鋭い斬撃を飛ばして、きららと陽葵を執拗に狙い始めた。


「せいせいせい、せい!」

「うわっ、ちょ、ちょっと、何その飛ぶ斬撃は!?」


「ぐぬぬ、私の光弾より威力があるから簡単に相殺される」

「クハハハッ、どいつもこいつも俺を甘く見過ぎなんだよ!」


 グレンはそう言って、更に収納バックから『魔獣避けのお香』を取り出し、きららの避ける軌道上に合わせて投げつけた。

 昨日も味わったその不快な香りが、フェンリルの敏感な鼻腔を刺激する


「クンクン、うっ、この匂いは!?」

「え!? あ、あれは、旅の道中に見せてくれたやつか」


 きららはその強烈な匂いに思わず顔を背け、嫌悪の声を上げた。


「キャイン、うぇ〜ん、臭いよぉぉ!!」


 その隙を逃さず、グレンは背中に携えていた弓を取り身構え狙いを定める。そして、きららと陽葵を狙い一撃必殺の矢を放った。

 しかしその一連のモーションをしっかり見ていた陽葵がすぐさま反応する。


「風魔法だよ、きらら!」

「あ、そうか!」


 きららは、即座に自身の正面に、風魔法による障壁を作り出す。

 風の障壁は匂いを飛ばすと同時に、矢の軌道をギリギリのところで逸らした。

 そしてその矢は、2人の背後の樹木に、深く、抉る様に突き刺さる。


「うわぁ、なんて威力、蛇の時よりもヤバいじゃん」

「危ないなぁ、もう!」


「ちぃ、軌道が逸れた、あの風の影響か、厄介だな」


 きららは、お返しと言わんばかりにその鋭い爪と牙でグレンに襲い掛かる。

 風魔法を意識して身体に纏う事で、先程よりも機動力が増しているようだ。


「お、なんかさっきよりも身体が軽い、ガルルゥ!」

「魔法による身体強化? よーし、それなら私も!」


 そして陽葵もそれに習い、自身の中の魔力を練るイメージで光弾を放ち追撃する。2人の連携により、拮抗していた状況から徐々に、グレンを追い詰めていく。


「くそっ、こいつら、だんだんと動きが良くなってやがる!」

「ふふーん、持久力と瞬発力なら、わたしの方が上みたいだね!」


「きらら、左に避けて、そのままバックステップ」

「あいあーい!」


「喰らえ、光弾連射! ピピピピピッ!」

「ちぃ、鬱陶しい攻撃ばかりしやがって」


 これはただのステータスによる力比べではない。きららと陽葵はそれぞれの魔物の特性を上手く活用して、まるで人馬一体となった様に、息の合ったチームワークを発揮する。


 その一方でオークキングの美琴も、気力を振り絞って、フェリシア博士が召喚した数体の土塊のゴーレムと対峙していた。美琴はこれまで溜め込んできた鬱憤を晴らすかのように、竜骨の棍棒をフルスイングで振り回し、ゴーレムを粉砕する。


 一撃、また一撃と、正確無比な打撃がゴーレムの要所を捉え、その巨体を木っ端微塵に砕いていく。そして反撃してくるゴーレムの突進を、土魔法で地面を盛り上げて相手の態勢を崩しては、再び重い一撃を振るう。


 オークキングとしての本能による憤怒の気持ちで、美琴の感情は昂っていた。


 その圧倒的なパワーの前では、呼び出したゴーレムではまるで歯が立たない。

 それでも博士は、美琴の奮闘を見て愉悦の表情を浮かべる。このオークキングは自身の夢を叶える為には、やはり必要不可欠な存在だと、改めて実感していた。


「おりゃぁあ、これで終わりよ!」


 ドガーン!


 美琴が渾身の一撃を繰り出すと、8体目の土塊のゴーレムの巨体はバラバラに砕け散り、周囲の地面には、その残骸が積み重なっていく。

 しかしそれでもなお、フェリシア博士は不敵な笑みを浮かべていた。


「流石ですね、ミコトさん、ですがその程度では、わたくしを止められませんわ!」

「ブヒィ、フゥフゥ……これが漫画や小説なら低評価するわ、まさかラストバトルが負けイベントとかじゃないわよね?」


「ふっ、何を言ってるのか分かりませんが、ミコトさんのそのオークキングの膂力はわたくしの想像以上ですわ、それに先ほどのキララさんの風魔法と機動力に、ヒマリさんの膨大な魔力による光弾の連射と咄嗟の機転、どれもこれも素晴らしい、逸材ですわ」

「そんな褒められても、全く嬉しくないわね」


 美琴は奥歯を噛みしめる。このままでは博士の持つ魔水晶に供給される魔力により再び何体ものゴーレムが呼び出されるだろう、それならと無視して博士を直接殴りに掛かったら、まさかの魔法障壁による、強固な物理バリアまで発動したのだ。


「ふっ、わたくしの魔法障壁は、その竜骨を持ってしても破れないですわ」

「地下牢の鍵の管理も出来ない、うっかり博士とは思えないくらい用意周到ね、とは言え流石に、自身の防御策くらいは用意してるか……」


 一見すると互角の攻防戦だが、徐々に美琴の体力を蝕んでいく。


 このままではジリ貧だ……と、美琴が苦戦を強いられている中、その戦闘の様子を物陰から伺っていた幼いピクシーが、こっそりと飛び出して、フェリシア博士の背後に這い寄った。そして、スッと、その背後からひょっこりと現れた。


「え、何ですの!?」

「プイプイ!」


 博士は美琴の驚いた様子と、その視線、そして気配に振り向くが既に遅い。

 まるで陽炎のように音もなく這い寄った小さな戦士は、博士が誇らしげに見せつけていた魔水晶を、ヒョイっと、その小さな両手で掴んで奪い取った。


「あ、何をするんですの!? それを返しなさい!」

「キュイキュイ」


 博士は焦りの声を上げ、手を伸ばすが、幼いピクシーは、ササっと避けて、まるで悪戯っ子のようにそのまま地面に叩きつけた。


 カツゥンッ、パリィィンッ!


 そして、乾いた音と共に、博士の魔水晶は粉々に砕け散った。その欠片からは魔力を増幅する輝きが失われ、瞬く間に光の塵となって消え去る。


「わわ、わたくしの大切な魔水晶がぁ!!」


 今まで実験対象として、研究所の狭い鳥籠に閉じ込められて、自由を奪われていたので、彼女なりに博士に対して復讐したい気持ちと、一生懸命戦っている3人の役に立ちたいという気持ちがあったのだろう。


 その表情は、してやったり、と喜んでいる様子だ。

 美琴は、そんな幼いピクシーの奮闘を褒め称えた。


「ナイスよ、妖精ちゃん、でもここは危ないから隠れていて、あなたのその勇気ある行動は十分に役に立った、賞賛に値するわ、ありがとう!」

「プイプイ!」


 その言葉を理解したピクシーは再び距離を取り、木陰から戦いの様子を見守る。


「さあ、これで今度こそ、形勢逆転のようね!」


 魔力供給のアイテムを失ったフェリシア博士。まだ彼女自身の魔力は残っているだろうが、それでも先程の様に無尽蔵に土塊のゴーレムを呼び出すことは出来ないだろう。しかし、それでも尚、いまだに博士の余裕の笑みが崩れることはない。


「フフフッ、これで終わりだとお思いですの? 甘いですわよ」

「……え、ちょっと待って、まさかまだ奥の手があるとでも言うの?」


 博士は、まるで切り札を出すのが待ちきれないとでも言うかのように、意気軒昂と語り出す。


「その通りですわ、わたくし職種的には錬金術師と、もう一つセカンドジョブがあるのですわ、今こそ見せてあげます、その力をとくと味わうと良いですわ!」


 そう言いながら、博士は再び地面に両手をついた。


「本当にしつこいわね、またゴーレムでも呼び出すつもり?」


 まさか超巨大なゴーレムでも召喚するんじゃ、と考えて、美琴は警戒して棍棒を身構える。しかし博士が行った召喚術は、それよりもずっと禍々しいものだった。


 フェリシア博士を中心に、大規模な真紅の魔法陣が展開する。

 身の毛がよだつような嫌な予感を感じた美琴は、詠唱をさせまいと、土魔法で生成した石礫を投擲するも、博士の魔法障壁によって弾かれる。


「我はフェリシア、静寂の魔女に代わり命じる、悠久の眠りより目覚めし穢れし魂達よ、地の底に脈打つ冥府の門を開きて、永劫の時を超え我が呼び声に応えよ、塵と化した肉体に仮初の命を吹き込み、在りし日の戦の記憶を繋ぎ止め、荒ぶる意志を持ちて我が僕とせよ、意思なき兵よ、我が望むままに剣を取れ、顕現せよドラウグル、そして我が前に跪け!」


 夕暮れの赤みがかった空が、まだ沈み切ってもいないのに、何処か不気味に黒く染まっていく。その異変に、美琴だけではなく、この場に居た全員が気付いた。


「何か空が暗い、と言うか禍々しい感じになってない?」

「えっ、なにこれ、ヤバくない!?」


 地面が盛り上がり、泥と土を巻き上げながら、無数の人影が這い上がってきた。

 それは朽ちた衣をまとい、鈍く光る瞳を放つ冥府より甦りし使者ドラウグル、言うなればゾンビの大軍だ。


 そしてその数は50体以上、錆びた剣や盾、ボロボロの鎧を身につけている。


「なにこのゾンビ集団!? しかも武器と鎧を装備してるんだけど!」

「わふー、なんか腐った土の匂いがいっぱいする!」


「これは、禁忌の呪術と呼ぶに相応しいわね、なんて研究をしてるのよ!」


 美琴が思わず声を荒げ、きららと陽葵も、この悍ましい光景に怖気つく。


「ふふっ、この地は戦地跡だと前に伝えましたわよね、その彷徨える魂を呼び起こしたのですわ、そう、わたくしのセカンドジョブは『ネクロマンサー』死者を操る能力ですわ!」


 博士は高らかに宣言する。その恍惚とした表情は、愉悦に歪んでいる。

 その言葉に美琴たち三人だけでなく、グレンでさえも驚きを隠せない。


「おい博士、何だこれは、こんなの聞いてねぇぞ!」


 グレンは顔を青ざめさせ、忌々しげに叫んだ。

 しかしフェリシア博士は平然とした顔で答える。


「だって伝えてないですもの、奥の手は隠しておくものですわ」

「……くそっ、報酬は上乗せして貰うからな!」


 グレンはそう吐き捨てると、やむなくきららと陽葵に対峙する。


 そして美琴は、既に肉体が死んだ魂までも自身の夢の為に利用する、博士の倫理観や道徳心の欠片も無いその不条理な行為に、怒りを露わにした。


「眠っていた魂まで無理やり起こして悪用するなんて、どこまでも下衆ね!」

「ふっ、褒め言葉として受け取っておきますわ」


 とは言え、現状だと勝ち目がないなら、ここは一度撤退して、研究所に立て篭もることも視野に入れるべきか、と、彼女の理性的な頭脳は思考する。しかし博士の言葉が本当なら、この周囲には強固な結界が張ってあり、どのみち逃げ場はない。


 美琴はドラウグル目掛けて竜骨の棍棒を振り回し、迫り来るゾンビを蹴散らす。

 しかし腐敗した亡霊兵士たちは、痛みすら感じないのか、どれだけ破壊しても無限に湧き出すように群がり、その圧倒的な数に次第に追い込まれていく。


 きららと陽葵の連携も、グレンの猛攻とドラウグルの群れに挟まれて、絶体絶命の窮地に陥っていた。


 グレンは、剣から放つ飛ぶ斬撃で、2人を容赦なく追い詰める。

 きららは陽葵を背に乗せたまま風を纏い、必死に回避を試みるが、いつまでも続く波状攻撃に、次第に息が上がってくる。


「えぇ〜ん、キリがないよぉ、ヒィン!」

「はぁ、はぁ、このままじゃ本当にやられちゃうよ!」


 陽葵もまた苦戦していた。魔法の光弾で迫り来るドラウグルを牽制するが、彼らは顔色一つ変えずに、ただ命令に従って陽葵たちへと迫り来る。


 三人がそれぞれ、限界に近い状態にまで追い詰められていく。

 このままでは、確実に負けてしまう、そう確信した時だった。


 その時、どこからともなく、澄んだ鐘の音が響き渡った。


『キーンコーン、カーンコーン……』


 それはこの世界に本来は存在しないはずの、規則的でしかしどこか懐かしい音。つまりは、現実世界の『夢見ヶ丘学園』の予鈴、部活の終了のチャイムだった。


 その音は、戦場の喧騒を打ち破り、夕暮れの空に悠然と鳴り響く。


 研究所の外、赤く染まった空の下で繰り広げられていた死闘は、その奇妙な音によって一瞬、停止したかのように静まり返った。


「……おい、なんだ、この音は?」


 唐突な鐘の音に、グレンは困惑し眉をひそめた。冒険者として幾多の修羅場を潜り抜けてきた彼だが、未だかつてこんな音を聞いたことはなかった。彼の長年の経験がこの音が『異物』であり、尋常ではない事態の予兆であると告げている。

 

「一体、何事ですの!? この音は……わたくしの研究を邪魔する気ですか!」


 フェリシア博士も、困惑と怒りが入り混じった声で叫んだ。彼女の顔には探究者にして、そしてネクロマンサーとして狂気じみた高揚感に一抹の焦りが混じっていた。

 自身が張ったこの結界は、完璧なはずだと信じていた彼女にとって、この外部からの干渉は、自身の研究を根底から否定されているかのような出来事だった。


 彼女の思考は、この現象の原因を探ろうと、混乱した様子で周囲を見渡す。


『キーン、コーン、カーンコーン……』


 しかし、その澄んだ音を聞いた美琴ときららの表情は、一瞬にして変わった。


 美琴は、突如として襲い来る既視感に手元の動きを止めた。その豚面に張り付いた瞳孔が大きく開く。そして脳裏に強烈な光景がフラッシュバックする。


 夕日に染まる教室、放課後のざわめき、そして、聞き慣れたチャイムの音。

 それは、記憶の彼方へ押し込められていた、いつもの日常の風景だった。


「この記憶は、私達は……そうだった、この世界は全て……」


 きららのその耳は、チャイムの音を捉えると、本能的にピンと立った。

 そして全身に電気のような衝撃が走る。彼女の人間としての本能が、目の前の戦場よりも、もっと大切な『記憶』を呼び起こしていた。

 白銀色の毛並みの様に柔らかな、しかし確かに存在した温かい記憶の感触。


 その瞳は、目の前のグレンやドラウグルではなく、見えない「何か」を捉えているかのように虚空を見つめた。

 まるで、目の前の現実が、突然薄い膜の向こう側へと追いやられたかのように。


 そして事前に『真実の鏡』を覗いて、この世界の真実を思い出していた陽葵は、きららの背の上で、二人の変化に気づいた。陽葵の表情には、安堵の色が浮かぶ。


「よかった、2人とも、思い出してくれたんだね……」

「ひまりちゃん、うん、全部、思い出したよ」


 しかしその安堵には、どこか寂しげな微笑みが混じっていた。

 何処か懐かしい、このチャイムの音は、彼女たちにとって『始まりの合図』であると同時に『終わりの合図』でもあるのだ。


『キーンコーン、カーンコーン……』


「どうやら時間切れ、みたいだね」


 陽葵のその呟きは、その小さな身体に反して、この広大な世界の終わりを告げるのと同じ意味を持っていた。


「時間切れ? 一体なにを言ってるんです!?」

「……、まさか」


 フェリシア博士とグレンは、困惑した表情で3人を交互に見る。

 彼等には理解できない美琴たちの表情の変化、そして陽葵の言葉。


 そして3人は静かに口を開いた。まるで、舞台の幕を閉じるかのように。


「フェリシア博士、グレン、貴方たちには信じられないかもしれないけれど、この世界は私たち3人が、想像力で創り上げた異世界なのよ」


「うん、これは私たちのお芝居、演劇であり、つまりはフィクションなんだよ」


「えっと、今までの異世界エチュードで、あまりこんなメタな展開になった事はないんだけど、信じ難いかもしれないけど、それがこの世界の真実なんだよね」


「……は?」


 その言葉に、二人は呆然と立ち尽くす。

 目の前に居る3体の魔物が、まるで幼い子供が語る妄言の様な、途方もない与太話を始めたことに戸惑いを隠せない。


「ふ、ふざけるな! そんな馬鹿なことがあってたまるか!」


 グレンが怒鳴る。その形相は怒りというよりも、自身の存在を根底から揺るがすような、得体のしれない恐怖に駆られたものだった。


 しかし彼の言葉は、どこか自信なさげに響いた。何故ならグレン自身もあの時、真実の鏡に映った、自身の姿とは異なる『幻影』を目の当たりにしたからだ。

 目の前で崩壊の兆しを見せ始めた世界が、彼の疑念を次第に確証へと変える。


 しかし、フェリシア博士はそれでも、その言葉を信じようとしない。

 彼女の顔は青ざめ、口元が震える。


「そんな言葉、信じられませんわ! 謀っているのでしょう!? もし仮にそうだとしたら、わたくしの夢、わたくしの探求が、第三者が考えた、ただの想像の産物だとでも言うのですか!? この素晴らしい研究成果も、わたくしのこれまでの努力も、全て、無駄だったとでも言うのですか!?」


 博士は悲痛な叫び声を上げた。その声に力がこもり、ドラウグルたちは制御を失い動きを止めるが、フェリシア博士は、精神的な動揺を隠しきれない。

 彼女の夢、生き方、思考、その全てが、目の前で否定されようとしているのだ。


『キーン、コーン、カーンコーン』


 そして音色の違う鐘の音が4回鳴り終わり、その残響が空に吸い込まれる。

 それと同時に、夕暮れの紅い空に亀裂が走り始めた。


 ピシッ、パキンッ!


 まるでガラスのフラスコ瓶にヒビが入る様に、空が音を立てた。亀裂は一本、また一本と増え、黄昏の空をまるで蜘蛛の巣のように覆っていく。

 そして崩れた亀裂の向こう側からは、白く眩しい光が漏れ出し始めた。


「あっ……なんですの、これは」


 フェリシア博士は一瞬、自身の自慢の結界が壊れたのかと身構えた。

 しかしそれは違った。その亀裂は、空だけではなかった。


 グワラララッ……パキ、パキッ


 大地が意志を持ったかのように波打ち、足元から地響きと共に亀裂が走る。研究所の外壁にも、まるで生き物のようにひび割れが広がり、遠くに見えたはずの山々が、まるで霞のように揺らぎ、その輪郭が曖昧になっていく。


 そこかしこから、白く眩い光が溢れ出し始めた。それは暖かく、しかしどこか名残惜しさを感じさせる、この世界からの別れのはなむけのようだった。


「ああ、わたくしのドラウグル達が……」


 ドラウグルたちの体が、光の粒子となって塵のように散っていく。彼らの持つ錆びた武器やボロボロの鎧も、音もなく砂となって崩れ落ちて消滅する。


「おい、どうなってるんだ、俺は一体、くそっ、今回の報酬はどうなる!」


 グレンは困惑した表情で地面に膝をつく。消失していく世界を前にしても尚、自身のここまでの冒険が終わる寂しさよりも、最後まで報酬を気にしてしまう。

 だが、それこそが自分なりの、グレンと言う役の演じ方だったのかもしれない。


 彼の瞳の奥では、僅かながら、この世界の真実を静かに受け入れようとする、どこか達観した色が浮かび始めていた。


「さようなら、グレンさん、フェリシア博士、そしてこの世界」


 陽葵は、名残惜しそうに、慈しむような眼差しで、グレンと博士を見つめ、そっと小さな手を振った。その瞳には、別れを惜しむ感情と、元の世界に戻れる安堵と期待が混じり合っていた。


「グレン、元気でね、あなたの事、そんなに嫌いじゃなかったよ」


 きららも、困惑するグレンにそっと鼻を寄せた。もふもふの体毛が、グレンの頬を優しく撫でる。それは、初めて出会った時の賢狼としての威嚇ではなく、別れを告げるような、静かで温かい、深い慈悲と愛情のこもった接触だった。


 光が、美琴たち三人を包み込むように強くなっていく。


「そんな、わたくしの夢が……」


 フェリシア博士もまた、虚無感に襲われて膝から崩れ落ちそうになる。彼女の目に映るのは、積み上げてきた全ての成果が、幻のように消え去る光景だった。


 しかし、その顔の奥底には、研究者としての探求心か、あるいは別種の『夢』が、かすかに宿っているようにも見えた。


 そしてグレンも、その光景を静かに見守っていた。悔しさよりも全てを悟り、理解して現実を受け入れたような、どこか腑に落ちた気分だ。


「まあ、そうだな、この世界は偽物だった、ただそれだけの事か……」


 グレンは剣を下ろし、ゆっくりと立ち上がり、光に包まれていく3人の姿を見つめていた。


 そして美琴は二人に視線を送り静かに、しかし断固とした口調で言葉を紡いだ。


「でも最後にこれだけは言わせて、あなた達が居たからこそ、私たちは誠心誠意この世界を享受して楽しみながら最後まで堪能する事ができた、だからあなた達の存在は決して無駄なものなんかじゃないわ」


 その言葉は、決められた台詞などではなく、美琴自身の本心からの言葉だった。

 

「……ふっ、そうか、それなら俺も、例え『道化』だとしても、与えられたこの役を最後まで演じ切ったかいがあったって事だな」

「待って下さい、わた、わたくしはそんな言葉じゃ納得しかねますわ!」


 グレンは、自身の役割を全うしたという、彼の冒険者としての矜持と満足感がその表情に現れていた。しかしフェリシア博士は、最後まで反論する。


「フェリシア博士は最後までブレないなぁ、ある意味で尊敬に値するわ」

「うん、この世界を一番堪能していたのは、間違いなく博士だよね」


「そうね、何処までも夢を追いかけるその姿勢、見習いたいものだわ」


 フェリシア博士は、美琴たちの言葉にわずかに表情を緩める。しかしその口元は、すぐに不敵な笑みに変わった。世界が光に包まれて、全てが消滅へと向かうその最中でも、彼女の確固たる意思は決して揺らがなかった。


「ふふっ、そうですわね、この世界が虚構だと言うならば、わたくしはその仕組みを解き明かして、いつかあなたたちの世界に到達してみせますわ!」

「ええっ!?」


 その発言に驚愕する三人の声が、光の中に吸い込まれていく。

 博士は、美琴たち顔を真っすぐに見据え、不敵に言い放った。


「だって考えてもみてください、もしわたくしの居るこの『世界』が仮初のものだとしたら、あなた達が戻るべきその『異世界』も、また本物であると言う確証はないですわ、それにそちらの世界にも、もし輪廻転生の概念など、決められたルールがある以上、何者かが介入している可能性はありますし、だとしたら、この世界とあなた達の世界は地続きのはず、ならばその『世界の仕組み』を解き明かせば、その境界線を越えられない道理はないはず、相互に作用する共通する理を見つけ出すことは、決して叶わぬ夢ではないはずですわ!」


 その言葉は、消えゆく美琴たちの耳に、深淵からの問いかけのように響いた。


 揺るぎない確信と、狂気にも似た探求心に満ちた博士の視線は、既に光の彼方のその先を見据えているかのようだった。


 虚勢を張ったのか、それとも本気なのかは分からないが、3人は博士の気持ちは理解出来た。何故なら彼女のその考え方は、まさに『異世界紀行部』の活動方針でもあり、彼女たちの真の目的『いつか本当の異世界に行ってみたい』と言う、願いにも通じるものだったからだ。


「そして、いつかまた会いましょう」


 フェリシア博士の、どこか優しく落ち着いたその言葉を最後に、幻想の領域は完全に崩壊して、3人の身体は、その眩い光に包まれる。


 そしてこの場には、微かな温かい白い光の残滓だけが残された。


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