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第5話 享受する万象と、甘い蜜の誘惑【後編】


 森を進む中、蜂蜜の甘い匂いに誘われた豚と狼と妖精の三匹は、突如現れた凶暴な熊の魔物と対峙する。冒険者グレンと、フェリシア博士の協力も得て、なんとか討伐に成功した一行。日は傾き、夜の帳が降り始める頃、食欲と空腹が、彼女たちの今日の労をきっと癒してくれるだろう


 グレンは息を整え、動かなくなったグリズリーの巨体を見下ろす。


「ふう……なんとか無事に討伐できたか」

「ええ、随分とタフな相手だったわね、ブヒィ」


 美琴も骨の棍棒を地面に突き立て、大きく鼻息を吐いた。


「ワフー、どうにか倒せたねー」

「みこと、攻撃を受けてたけど大丈夫!?」


「ええ、この骨の棍棒のお陰で大したダメージは受けてないわ」

「その武器、持って来て正解だったね、みことちゃん」


 陽葵ときららは、安堵が入り混じった表情で、互いに顔を見合わせた。


「す、素晴らしいですわ! ハングリーグリズリーとの戦闘をこんな間近で拝見できるなんて!」


 そしてフェリシア博士は興奮冷めやらぬ様子で、討伐した魔熊の周囲を小踊りしながら観察している。その瞳は何かを発見せんばかりにキラキラと輝いていた。


「この毛並み、この筋肉のつき方、研究サンプルとしては最高ですわ! 特に冬眠前の個体であれば、通常時と比べて体内脂肪の組成変化や、冬眠に伴う生理機能の変化に関するデータも収集できますわ!」


 博士は既に動かなくなったグリズリーのを撫で回しながら、ブツブツと独り言を呟いている。その様子は、まるで無垢な子供がアリの巣でもじっくり鑑賞しているかのようだ。


「ま、どのみち野営するのから肉は欲しかったし、ちょうど良い獲物だろう」

「ええ、そうね、向こうから襲って来たから返り討ちにしたけど、魔物と言えども生物、殺めてしまった以上は供養も兼ねてしっかり責任を持って食しましょう」


 グレンが剣の血を拭いながらそう言い、美琴もそれに同意する。


「でも、残念ですわ、研究所まではまだ距離がありますし、素材を丸ごとなんて、わたくしの空間収納トランクでも流石に入り切りませんわ」

「素材を切り分けて希少部位を選別するしかないだろうな、それに食べるならまず血抜きもしないといけないし」


 フェリシアが不満そうにそう呟いく。確かに、ハングリーグリズリーの巨体は、並大抵の荷馬車にすら収まらないだろう。しかし、美琴たちには秘策があった。


「心配ないわ、こういう時のために、とっておきの奥の手があるから」

「まあ、奥の手? こんなものがあるんですの?」


 美琴の言葉に続き、陽葵がにこやかに前に出た。


「あのね、フェリシア博士、グレン、熊の魔物のお肉はみんなで美味しくいただくとして、それ以外の素材とか、もし欲しいものがあれば、遠慮なく言ってね!」


 陽葵は得意げに胸を張ると、掌をハングリーグリズリーの巨体にかざした。そして、緑色の淡い光が魔熊の全身を包み込む。次の瞬間、目の前にあったはずの巨大なハングリーグリズリーの亡骸が、まるで幻のように、跡形もなく消え去った。


 その場には、先ほどの激戦の痕跡と、いまだ残る蜂蜜の甘い香りが漂うばかりである。


 これには普段冷静なグレンも目を丸くし、口を開けたまま固まっている。

 一方、フェリシア博士は、その場で身動き一つせず、まるで時間が止まったかのように、信じられないものを見たかのように陽葵を凝視していた。


「い、今のは、まさか、空間魔法ですの? しかも、これほどの巨体な物体を何の苦もなく? じ、時間は!? 収納中の時間の経過はどうなってますの!?」


「え、多分、止まってると思うけど、何となく感覚的に分かる感じだと」

「本当ですの!? まさか、こんな強力な空間収納の使い手だったなんて!」


 ここまでの道中でも何度か彼女の空間魔法は見ていたが、まさかここまで練度の高いものだとは思わなかった。


 博士の眼鏡の奥の瞳は、ただの研究対象としてではなく、まるで新たな宇宙でも発見したかのような、ゾクゾクするほどの興奮と探究心に満ち満ちていた。


 その眼差しは、文字通り『目の色が変わった』瞬間だった。


 そしてグレンもまた、陽葵の事を神妙な面持ちで見つめている。彼のこれまでの冒険者としての経験や常識を、陽葵の何気ない行動が根底から覆したのだ。

 戦闘においても通常のピクシー、妖精なんてものは、ただ小さくて弱い存在だと考えていたが、スクロールを発動した際のあの威力は決して侮れるものではない。


「これで心置きなく野営ができるね!」

「ねえねえ、蜂蜜、どうやって食べる? パンとかないかな?」


「そうね、残念ながらパンはないけれど、焚き火で肉を焼いて、それにハチミツを塗って食べる、というのはどうかしら? きっと絶品よ」

「ナッツ種の木の実も道中に見つけたから、蜂蜜漬けにしても良いかもだね」


「わぁ、どっちも美味しそう、賛成!」


 きららが目を輝かせ、美琴がニヤリと笑った。

 3人は既に今夜の夕飯のことで頭がいっぱいの様子だ。


「やはり三人とも、ただ者ではないな……そうだヒマリ、先に血抜きや解体などを済ませるから、もう一度ハングリーベアを出してくれないか?」

「あ、そっか、オッケー!」


 戦闘での疲労を感じさせない彼女たちの会話に、グレンは呆れとも感嘆とも取れるため息を吐きつつも、テキパキと解体処理をする。


「……もし亜空間の謎を究明する事が出来れば、空間収納の拡張に繋がるし、仮に指輪などに付与出来れば、既存の収納バックを遥かに凌駕するはず……それに長距離の空間移動の魔道具すら開発できるかも…… いや、でもそれには相応の魔力が、でもあれを使えば、もしそれが可能なら、他にも様々な応用が……」


 そしてフェリシア博士は、興奮冷めやらぬまま何やらブツブツと独り言を呟き、陽葵の空間魔法について質問攻めにしようと、今にも駆け寄らんばかりの勢いだったが、そんな3人の和気藹々とした空気に当てられて自重する。


 ……なんて事はなく、思わず会話に割り込んできた。


「今の空間収納も凄かったですが、スクロールを介した、氷と火の魔法も凄かったですわ、ヒマリさん、わたくし感動いたしました!」

「え? あ、うん、魔法なら任せてよ!」


「ミコトさんのオークキングとしての膂力も凄まじいものでしたわ、それにまさか知能が低いと言われる、オークが土魔法まで使えるなんて、信じられませんわ!」

「ふっ、私をただのオークなんかと一緒にしてもらっては困るわ」


「そして、流石はフェンリルです、ハングリーグリズリーの動きをよく見て、退路を塞いでましたね、お見事でした、キララさん! ススッ」

「うん、ありがとう、でも然りげなく撫でようとするのは止めてね、ササッ」


「ええ、そんなぁ……」


 博士はきららの毛並みを撫でようとするも、きららは警戒してスッと距離を取った。美琴はそんな博士に対して、どこまでも自身の欲求と好奇心を隠さない研究者らしい性分だな、と内心では警戒しつつも、苦笑するばかりだ。


「野菜があれば鍋もできるんだけどなぁ、採集したキノコと昨日狩ったファングボアの肉もまだ少しあるから、白菜があれば牡丹鍋とかも出来そうだけど」

「そうですわ、パンや野菜類なら、わたくしが持ってますわ! 王都で少し要件を済ませたついでに、必要なものを買い出しとかもしてきましたので」


「本当? やったー」

「ふむ、なるほど、その帰りの道中でさっきの盗賊に襲われたのね」


「え、ええ、そうですわ」

「調理器具や大きめの鍋なら俺が持ってるぞ、食器類もパーティーを組む事があるから、この人数分くらいなら用意できる」


「おお、流石はグレン、冒険者なだけあって、色々と持ってるね」

「夜は少し肌寒いから、あったかい鍋が食べられるのは嬉しいわね」


「この森をもう少し進むと湖があって、薬草の群生地になっている拓けている場所があるから、今日はそこで野営しよう、見晴らしも良いし、そこなら焚き火をしても安全だ」

「ふむ、なるほど、確かに日が暮れる前に野営の準備をした方がいいわね」


 血抜きと解体を終えたハングリーグリズリーを陽葵の空間魔法で再び収納して、移動する事になった。そしてグレンの先導の元、無事に泉のほとりに辿り着いた。


「よし、着いたぞ、ここを今夜のキャンプ地としよう」

「おー!」


 経験豊富な冒険者だけあって、彼は手早く野営に適した場所を選定し、キャンプ用品を自身の空間バックから取り出し、焚き火の準備を始めた。

 美琴は土魔法で簡易なテーブルを作成して、陽葵は空間魔法から切り分けられた魔熊の肉や、収穫した蜂蜜に果実を取り出し、きららも焚き火にくべる小枝を集めてくる。そしてフェルシア博士も、収納トランクからパンや野菜、綺麗な飲み水などを取り出し調理を手伝いながら、皆のその様子を愉しげに観察している。


 それぞれが手慣れた様子で準備を進め、あっという間に簡易的なキャンプサイトが出来上がった。夜の帳が森を包み込み、やがて空は深い藍色に染まり始め、無数の星々が瞬き始めた。


「わー、お星様がいっぱいですごく綺麗」

「昨日も思ったけど、この世界って夜でも月明かりでだいぶ明るいよね」


「この場所も神秘的よね、拓けているから魔物に奇襲される事もなさそうだし」

「なんか泉から巨大なスライムでも出てきそうな感じだね」


「ふっ、肉の焼ける、いい匂いが漂って来たからあり得るかもしれないわね」

「泉に斧とか投げたら、女神様とかも出て来そう」


 湖畔の水面にはうっすらと月を反射して、夜風が水面を揺らし煌めく。グレンが言った通り薬草が群生しており、とても幻想的な場所だ。


 討伐したハングリーグリズリーの肉は、香ばしく焼かれ、今日一日、移動に戦闘にと頑張った一同の空腹を満たしてくれる事だろう。ハニービーの蜂蜜をたっぷりと塗った肉は、甘じょっぱい香りをあたりに漂わせ、疲れた体に染み渡る。


「この肉、美味しい! 蜂蜜との相性も抜群だよ!」


 陽葵が満面の笑みで肉にかぶりつく。その小さな口元にはハチミツがべっとりついているが、本人は全く気にする様子がない。


「わふー! グレンさんが上手に焼いてくれたもんね!」

「うふふ、鍋ももう少しで煮えますわ」


 きららも、満足げに尻尾を振った。ハチミツでベタベタになった口元を舌舐めずりして拭いながら、体全体で喜びを表現している。


「まさか、こんな森の中で、これほど豪勢な食事ができるとはね」


 美琴は、焼き上がった肉を口に運びながら、感慨深げに呟いた。オークキングの姿になってから、食欲が増したが、これほどの満足感は久しぶりだった。


 彼女の視線の先では、グレンが手際よく肉を切り分け、全員の皿に配っている。


「フェリシア博士もどうぞ、この肉は、この森の恵みです」

「ええ、いただきますわ、これほど新鮮な魔物の肉は貴重ですもの!」


 グレンが促すと、博士はにこやかに受け取った。博士の口角が上がり、その瞳は肉の繊維まで分析せんばかりの輝きを放っていた。

 そのまま和気あいあいと、楽しい食事をしつつ、皆の腹は満たされた。


「はふはふ、お鍋も具材の味が染み込んですごく美味しいねー」

「グレンさんが飲んでるのってなに、お酒?」


「ああ、これはエールだ、水より日持ちするから冒険者は常備してるものが多い」

「へー、そうなんだ、なんか苦そう」


「王都だとミードと呼ばれる蜂蜜酒や、ワインに蜂蜜を入れて飲む奴もいるな」

「そうなんだ、なんか甘くて美味しそうだし、それなら私も飲んで見たいかも」


「ブモー! 私たちはまだ未成年だしアルコールは御法度よ」

「えー、良いじゃん、少しくらいー」


 今日一日の出来事を語り合いながら、満天の星空の下、パチパチと音を立てて燃え上がる焚き火を囲む時間は、冒険の醍醐味そのものだろう。温かい炎が、皆の疲れた体にじんわりと染み渡る。


 グレンは焚き火に新しい薪をくべながら、火の粉が夜空に舞い上がるのを眺めていた。彼自身もこんなに暖かくて楽しい食事をするのは、久しぶりな事だろう。


 夜の焚き火の前で、きららと陽葵は、腹いっぱいに肉を食べ甘いハチミツを舐めては、楽しそうに歌を歌っている。美琴は、そんな楽しげな2人の姿を見ながら、改めてこの異世界での生活について考えた。


 過酷な状況の中で、自分たちが生き抜くためには、時にグレンのような「味方」の協力も必要だ。しかし同時に、自分たちの力を信じ、知恵を絞り、困難を乗り越えていくことが、何よりも重要だと感じた。


 そして、その知恵と力が、フェルシア博士のような「探求者」にとって、非常に興味深い「研究対象」になっていることも、美琴は薄々感づいていた。


 弱音と捉えられるので口には出さないが、オークキングに変貌した今の自分にとって、同じ境遇の陽葵ときららの存在は本当に大きい。もしこの世界にたった一人で訪れていたら、きっと、どうして良いか分からずに心が折れて、こんな余裕を持って異世界を楽しみ、堪能するは出来なかった事だろう。


 この2人の無邪気さにはこれ迄も何度となく救われている。そんな感情がまるで伝播したかの様に、彼女たちの顔に暗い影が差す。


「私たち、このままずっと魔物の姿でいたら、いつか本物の魔物みたいになっちゃうのかな……?」


 食事も大体済んだ頃、きららが焚き火の炎を見つめながら、ぽつりと呟いた。その声には、切実な不安が滲んでいた。その背中に座り込んだ陽葵も、まだ幼いフェンリルのその綺麗な毛並みを撫でながら、その言葉に反応する。 


「うん、それに、もしかしたら、記憶もこのまま何も思い出せないかも」


 陽葵もまた、現状に不安を感じていたのか、そんな言葉を続けた。きららの耳がピクリと反応し、尻尾の動きがペタリと萎む。今までの楽しい雰囲気が、一瞬で凍り付いたようだった。


 美琴も、二人の言葉を聞いて神妙な表情をしている。彼女の脳裏には、自分自身の思考と「オーク」としての本能が時折混じり合う感覚がよぎる。確かに、このオークキングの姿になってから、以前よりもずっと、あるがままの欲求、本能に従おうとする自分がいる。このままでは、人間だった頃の、理性的で論理的な『私』が失われてしまうのではないかという、漠然とした懸念を抱いていた。


 それはまるで、心の中に相反する二つの感情がせめぎ合うような、魂の奔流のような体験だった。


 そんな3人の様子を静かに見守っていたフェリシア博士は、ふっ、と優しく微笑んだ。その表情は、不安を抱える少女たちへの慈愛と、自身の研究への確固たる自信が見て取れる。


「ご心配には及びませんわ。あなた方の『自我』は、その思考の色によって染まるものですから、確かに、魔物の姿になったことで、五感が研ぎ澄まされ、元々の人間だった頃にはなかった『本能』のようなものが芽生え始めているでしょう、けれど、あなた方の根底にある『魂』は、あくまで人間としての『思考』によって支配されるものですわ」


 そして博士は言葉を続ける。その言葉は、科学者としての知見に、どこか哲学的な響きを伴っていた。彼女の瞳は、燃え盛る炎に照らされて、神秘的な光を宿している。


「魂とは、非肉体的で人格的な存在であり、みんなの生命や精神の源であり、それは例え肉体が滅んでも存在し続ける、半永久に不滅のものですわ」


 美琴は博士のその言葉に真剣に耳を傾けた。魂とかいう言葉はオカルト的な印象が強かったのだが、博士の口から語られると、まるで科学的な概念のように響く。


 思考が肉体と精神を支配する。彼女の知的好奇心が、この新たな概念に強く惹かされていくのを感じた。


「ですが、人がその想像力に強く支配される生き物であることもまた事実、もしあなた達が、今の姿に囚われ『魔物とはこうあるべきだ』という先入観に強く束縛され続ければ、その『思考』が、あなた方の『魂』を徐々に染め上げ、次第に人間としての理性や感覚、そして『記憶』すらも失ってしまう可能性はゼロではないですわ」

「ええ、そんなー」


 きららと陽葵はその言葉を聞いて、ガッカリと項垂れる。


「ここで不安を払拭させる為に、ただ大丈夫だと誤魔化すのは、あなた達の為にならないですから、正直な私の見解としては、魂や意識が、状況や環境に合わせて順応しようとするのも、生物として、ごく自然な理なのですわ」


 博士の言葉は、美琴たちの心に重く響いた。この世界を生き抜く為の魔物としての力が、同時に自分たちの本質を侵食する可能性を秘めているという事実に、3人は不安げにお互い見つめ合う。


 しかし博士は、そんな彼女たちに安心させるように、穏やかな声で続けた。


「でも、だからこそ、わたくしは此処にいるのですわ、私の研究所には『真実の鏡』と呼ばれる太古の魔道具がありますわ、それはあなたの『魂の真の姿』を映し出し、本来の自身の姿、そして忘れている『記憶』をも呼び覚ますことができるはずです」

「本当に!? やったー!」


「グレンからも聞いたけど、本当にそんな魔道具があるのね」

「それさえあれば、私たち、元の世界にも帰れるのかな!?」


『真実の鏡』その言葉は不安を感じていた彼女達の心に、微かな光が差し込んだ。


 しかしフェルシア博士はそこで少し間を置いた後、期待に満ちた眼差しで美琴たちを見つめた。その口元には、研究者特有の、底知れない好奇心が浮かんでいる。


「ですが、その為には先にわたくしの研究に協力してもらわなければならないですわね、これはこの世界における『等価交換の原則』というものですから」

「えええー!?」


 美琴は、博士のその言葉に警戒の色を漂わせた。結局はそこか、という思いと、やはりこの博士は一筋縄ではいかない、という感想が同時に押し寄せる。しかし、同時に彼女の言葉が真実であるのならば、自分達が元の姿に戻る為の唯一の希望でもあった。


 真実の鏡を手に入れる為に、フェルシア博士に協力して納得する対価を支払う必要がある。これがこの状況を打破する為に必要な手順。美琴は心の中で今後の展開を模索する。そして覚悟を決めたように美琴は答える。


「それしか方法がないなら仕方ないわ、私達は元の姿と記憶を取り戻す為に、ここまで来たのだから」


 陽葵ときららも、美琴の言葉に力強く頷いた。


「私も、記憶を取り戻して、元の世界に帰りたい!」

「わふー、きららも、自分の事をもっと知りたい!」


 フェリシア博士は、満足げな笑顔を浮かべた。その笑顔は、満点の星空の下で、まるで花が咲いたかのように輝いている。


「ええ、素晴らしいですわ! では、契約は成立ですね、あなた方の魂の根源と、この世界での可能性を、わたくしと一緒に探求しましょう!」

「お、おー」


 博士は、まるで新たな研究テーマを見つけた科学者のように目を輝かせた。その表情には、探求者としての純粋な喜びが満ち溢れている。その夜空に、博士の興奮の声が吸い込まれていくようだった。


「これで、わたくしの研究も、大きく進展しそうですわ、契約内容など細かな詳細は明日、わたくしの研究室でするとして、取り敢えずはあなた方の身体の組成を詳しく調べるところから始めましょう、もちろん非侵襲的な方法で、つまりあなた方の身体を直接傷付けたりはしないので、ご心配なく!」

「……なんか最後のその台詞を聞いて、一気に不安になったんだけど」


「ええ、そんなぁ……」


 やはりこの博士の本質は『マッドサイエンティスト』であり、信用は出来ない。

 3人は無言で顔を見合わせ頷き、共通認識として、そんな意思疎通をした。


 グレンは、その様子を見て薄い笑みを浮かべ、エールを一口飲んだ。彼の瞳の奥には、美琴たちとはまた異なる「何か」を見据えているような光が宿っている。


 そして夜が更け、森は深い闇に包まれた。グレンとフェルシアが見張りと火の番をしてくれると言うので、慣れない旅路に疲れていた3人は焚き火の炎がゆらゆらと揺れる中、それぞれ胸の内に思いを抱きながら、静かに眠りにつく。


 そして夜が明けて翌朝、フェリシア博士の研究室を目指して、再び歩き始めた。


 その後も博士も同行していたので、質問攻めにされて予定よりも時間は掛かったのだが、ご馳走を食べて元気を取り戻した3人の足取りは、心なしか昨日よりも軽やかになっている様にも見えた。


「いや普通に疲れるから、ずっと歩きっぱなしは流石にキツイって」

「うん、でも私たちの方が格上だからか、襲ってくる魔物は殆ど居ないね」


「そうね、何度か魔物とは遭遇したけど、警戒して近づいて来なかったわね」

「本来なら魔獣除けの匂い袋を使うのですが、3人はやっぱり凄いですわ」


「ああ、それにそろそろ到着するぞ、この辺は出没する魔物も少ない」

「え、本当? わーい」


 そのまま暫く中層の森を進むと、石畳が敷かれた道が突如として現れて視界が拓けた。鬱蒼とした森の奥に佇むのは、周囲の自然とは一線を画した、まるで童話に出てくるような大きな洋館だった。 


 その古びた壁面には苔生し蔦が絡みつき、長い年月を潜り抜けてきた歴史を感じさせる。しかしそれだけではない、どこか歪で異質な気配を漂わせているのだった。


「さあ、到着しましたわよ、皆さん」


 博士が指差す先、太陽の光を受けながら、鈍く輝くその建物に、3人は感嘆の声を上げる。彼女たちの目に映るのは、まるで絵本やゲームに出てくるような『魔女の館』のイメージに近いのかもしれない。


 陽葵はその鋭敏な五感で、周囲の空気を探った。研究所全体を覆うように、かすかな魔力の波動が感じられる。それは、魔物を寄せ付けない結界のようであり、何かを閉じ込める檻のようでもあった。


「なんだか身震いがするね……気味が悪いというか」

「ああ、申し訳ありませんわ、この館には魔物除けとして、認識阻害の結界が張ってありますので、3人もその影響を少なからず受けているのかも知れませんわ」


「変な匂いはするけと、昨日みたいな嫌な匂いはしないねー」

「あくまでも認識阻害なので、魔獣避けのお香は使ってませんわ」


「相変わらず、カオスな場所だな、博士の研究室は」

「グレンは既に何度もこの研究所に訪れてはいるのよね?」


 グレンは、そんな一行の後ろから、呆れたようにため息をついた。


「ん、ああ、フェルシア博士からの依頼は何度か受けている、いわゆる顧客と請負人の関係さ、詳しい依頼内容は伏せるが、報酬は悪くないな」

「ふむ、なるほどね……」


 美琴の思考が巡る。彼女の根底には、フェルシア博士にも似た『真理の探求者』たる知的好奇心が存在する。他の為に目の前の謎めいた秘密の研究所は、彼女にとって抗いがたい魅力を持っていた。


 警戒心を抱きながらも、その奥にどのような『真実』が隠されているのか、早く確かめたいという欲求と衝動に駆られる。


「わふー、なんか色々な匂いするね、みことちゃん」

「そうね、でもきららは、私よりも鼻が効くんだから、あまり不用意に変なものを嗅がない様に気をつけてね」


 美琴はそう言って、きららの頭を優しく撫でた。


「うん、わかったー」


 きららはそう返事をしつつも嬉しそうに鼻をクンクンさせている。見たことのない植物の香りを満喫している。その背に乗っていた陽葵も、自身の羽で飛び回り、好奇心旺盛に館の周囲を探索していた。


「なんかゾンビでも出てきそうな洋館だね、敷地の奥に墓地があるし」


 陽葵がふわふわと美琴の周りを飛び回りながら、小さい鼻をヒクつかせた。美琴は眉をひそめて、あたりを見回す。陽葵の言う通り、洋館の裏手には手入れされてない墓地らしきものがあり、微かだが、死臭のようなものが漂ってくる。


「ええ、この洋館はもともと、戦場の跡地で墓地を守る墓守の館だったものを、長い年月を得てその役目を終え、長らく放置されていたものを、私が国から買い取り研究所として活用しているのですわ。事情を話すと長くなるので割愛はしますが、以前は『静寂の魔女』と呼ばれる人間が、魔物たちと共に此処に住んでいたらしいですわ」


 博士が自らの研究を語る時、その言葉は洗練され、理知的だった。しかし、研究所から漂うこの匂いは、もっと根源的で、本能的な部分に訴えかけるような、生命の深淵を覗くような冒涜的な不気味さを感じさせた。


「まあ、研究所ってのはこんなもんだ、俺も何度か顔を出してるが、いつ来ても慣れないもんだぜ」


 グレンが何事もないかのように肩をすくめる。彼の言葉は、美琴たちの心に小さな安堵をもたらした。彼がこの場所を何度か訪れているのなら、少なくともここが即座に命を脅かすような危険な場所ではない、という事なのだろう。


 重厚が両開きの木製の扉が軋みながら開くと、フェリシア博士が満面の笑顔で出迎えた。彼女の目は期待に輝いており、その表情には一片の曇りもない。まるで、長らく待ち望んでいた客人を迎えるかのように、両手を広げた。


「よくいらっしゃいました、ミコトさん、キララさん、そしてヒマリさん! ここが私の、わたくしの研究室ですわ! さあ、どうぞ中へ!」


 博士は美琴たちを、まるで貴重な来賓客を招き入れるかのように、丁重に研究所へと案内して満足げに微笑んだ。


 その言葉に、美琴の頭の中では明確に「シナリオ」の次のページが捲られる音が聞こえた気がした。その目はまるで、この物語の終着点を見据えているようだ。


 彼女達を待ち受けるのは、フェルシア博士の研究所。そして『真実の鏡』が映し出すものとは。こうして物語は、いよいよ終盤へと向かう。


 

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