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第1話 開幕のベルは虚実の狭間へと響く【前編】

 

『あらゆる人間は、世界という舞台の役者に過ぎない 』


    ウィリアム・シェイクスピア



 この世界は、誰もが色を塗れる無地のキャンバスのようなものだ。あるいは無限の音が眠る静寂な楽譜。何を描き、何を奏でるかは、その『人』次第。人間は意識一つで現実を塗り替え、感情一つで世界を揺るがすことができる。


 それは古くから“魔法”とも“奇跡”とも呼ばれてきた、究極の『自己表現』芸術家は筆を走らせ、音楽家は音を紡ぎ、科学者は理論を構築する、そして漫画家や小説家は己の夢想を形にする。表現の形は違えども、誰もが自身の内なる『世界』を外へ解き放ち、他者の魂に触れ、何かしらの『刺激』を与えようと模索する。


 夢見ヶ丘学園は、そんな理念の元、人間の根源的な欲求たる「自己表現」に対し、限りなく寛容な場所だ。小高い丘の上にその学舎は静かに佇み、秋風が、彩り豊かに染まった木々の葉を揺らす10月、この活気ある学校は、また新たな創造の季節を迎えていた。


 つい先日まで、文化祭の熱気に包まれていた校内は、少しばかり落ち着きを取り戻し、新たな日常が脈動を始めている。しかしその裏では、先達者たちの引退と共に、彼らが築き上げてきた『部活動』は後世に引き継がれ、さらなる夢と情熱、そして野心が密かに育まれていた。


 グラウンドからは、運動部の、どこか響き慣れた掛け声が聞こえてくる。体育館からは、バスケかバレーか、ボールが床を叩く乾いた音が、小気味良いリズムを奏でている。もちろん文化系の部活動も盛んで、放課後の校舎は、まるで小さな街のように賑わいを見せている。美術室からは、どこか懐かしい絵の具の匂いが漂い、文芸部の部室では、キーボードの軽快な打鍵音が響く。合唱部の歌声は廊下を伝ってどこまでも伸びやかに響き渡り、茶道部の静謐な空間からは、時折、お茶を点てる幽かな音が聞こえてくる。そして一風変わった部活動に励んでいる生徒たちもこの学園には少なからず居たりする。


 校舎の奥、廊下を曲がると、そこには未来科学を見据えた「ひみつ道具開発部」の部室があり、そこでは、いつか自分たちで『どこでもドア』や『タイムマシン』果ては青いたぬき、ではなく未来の猫型ロボットを開発するんだ! と目を輝かせた部員たちが今日も試行錯誤を繰り返し、更にその隣の「帰宅倶楽部」の面々は、放課後を最大限に活用し、各々の考える理想の帰宅を模索する。最速で自宅へと辿り着く効率を議論する者達もいれば、如何に道草を食ってその道中を楽しむか、を目的とする生徒もいるらしい。部活動などしてる地点で時間をロスしてる気もするのだが、そこには触れてはならない、というのが暗黙の了解だ。


 そして、ひとかどのオカルト知識を有する者でも、半信半疑にならざるを得ない噂が絶えない「オカルト研究部」彼らの活動によって、この謎多き夢見ヶ丘学園の伝統ある七不思議が解き明かされ、時には本当の怪奇現象が起こることもある、と言う、まことしやかな噂さえ囁かれていた。


 そんな多種多様な部活動がひしめく中で、ひときわ異彩を放ち、生徒たちの間でひそやかな噂の対象となっていた部活動が、ここにも一つあった。


 それが、『異世界紀行部いせかいきこうぶ』だ。


 ファンタジーな設定の漫画や小説、ゲームなどに触れた世代なら、誰もが一度はこう考えた事はないだろうか、そう『いつか異世界に行ってみたい』と。


 この部の活動は、先代の先輩たちが、どうにかして異世界に行けないものか、と、本気で模索する為に発足したという、型破りでユニークな経緯を持つ。見るからに怪しげなサイトを巡り、異世界に関する文献を読み漁る日々。時には独学で占星術を学び、信憑性のない胡散臭い儀式にまで手を出して試行錯誤する。そしてしまいには、異世界転生といえばこれ、と云わんばかりにトラックへの突撃まで試みるという、傍迷惑な試みすら行っていたとの事だ。


 しかし、そのどれもが実を結ぶ事はなく、風の噂ではトラック転生の末に異世界へと旅立ったのは、なぜかそのトラックと乗っていたドライバーだったと言う。まるで小説のネタな様な、前代未聞の珍事まで起こったらしいのだが、真意のほどは定かではない。


 周囲の生徒からは『異世界奇行部』などと揶揄されることもあるが、そんな混沌とした歴史を持つ部員たちには、共通した嗜好がある。それはweb小説投稿を含めた創作に興味を抱き、多種多様なそのジャンルの中でも、特に『異世界小説もの』が大好きだと言う事だ。


 今回の異世界エチュードの主役たち、月夜見 美琴、神楽坂 陽葵、星宮 きらら、の三人もそれに漏れず、そのロマンに惹かれてこの奇怪な部に入部した。


 キーン、コーン、カーン、コーン、と、放課後を告げるチャイムが鳴り響く。


 部室の扉を開くと、簡素なステップが設置された小さな舞台の上で、一人の少女が静かに佇み、目を閉じていた。元々は演劇部が使用してた経緯があるこの部室が、彼女が思索を深める『世界』の入り口となる。

 肩まで届くストレートの綺麗な黒髪が、蛍光灯の光を受けて揺らめき、二重に塞がれた窓から差し込むはずの夕日は、遮光カーテンに阻まれてここには届かない。外界との繋がりを意図的に遮断することで、彼女の思考は、部室という狭い空間を超え、脳内に広がる壮大な夢想へと誘われる。


 異世界への憧れからか、誰の声も届かないくらい非凡な集中力をしている彼女には、部室の壁に貼られた少し色褪せた文化祭のポスターの向こうに、煌めく別世界が見えているかのように真剣な様子だが、これはいつもの事だ。


 彼女の名前は月夜見(つくよみ) 美琴(みこと)。二年生で副部長を務めている。その眼鏡の奥の瞳には深い輝きを秘めている。整った顔立ちは、一切の無駄がなく、流れるような黒髪と相まって、その場の空気を支配するほどの気品と知性を放っていた。息を飲むほどに美しいその佇まいは、まるで創作の物語の世界から抜け出してきたかのようだ。


 この思考の旅は、美琴にとって重要な「儀式」だった。


 彼女曰く「異世界エチュード」を円滑に進めるためには、何よりもまず、世界観と物語の骨子を明確に構築する必要があるらしい。心理学における「ペルソナ」の概念を借りるならば、自我を超越し、仮想の仮面を被って全く別の人格を演じることこそが、異世界紀行部のたどり着いた「異世界への最良の予習」、ひいては彼女たちの「異世界エチュード」の真髄。論理の飛躍や矛盾は、異世界であれ現実であれ、許されない。すべての現象には、理由があるべきだ。完璧な物語は、完璧な整合性から生まれる。だからこそ、彼女はこうして、誰もいない空間で独り、思考を言葉に変換することで、曖昧模糊とした概念に形を与え、物語の精度を高める。


 もちろんこの緻密な作業の先には、いつか『本物の異世界』へと到達するという、彼女にとって至上命題とも言える目標がある。例えお芝居だとしても妥協は許されない。その言葉が、彼女自身も気づかない『切実さ』を帯びているのかもしれない。


 美琴はゆっくりと腕組みを解き、瞑想を終えたかのように目を開ける。その瞳は、部室の虚空を捉え、まるで言葉なき者に対して問いを投げ掛けているかのように焦点が定まらない。そしていつもの儀式を終えて、部室の開いたドアの方を向き、フッと小さく笑みを浮かべた。


「……あら、もう来てたのね、集中していたので、気が付かなかったわ」


 彼女は、ステージを降りる。その時、部室のドアの方から、相槌を打つかのように声が聞こえる。振り向くとそこには陽気な影が揺れる。


「もー、みことちゃんったら、また一足先にディープな世界に入り込んでたの?」


 元気な声と共に現れたのは、部員の星宮(ほしみや) きらら、だ。フワリとした明るい栗色の髪を可愛らしくアレンジし、小柄な身体には、きっとフリルがあしらわれた可愛らしい洋服がよく似合う。普段はおっとりとして、どこか幼い印象を与えるが、その瞳はいつもキラキラと輝き、まるで星屑が散りばめられているようだ。


 いつもの様に菓子袋を抱え、楽しそうに美琴に駆け寄ってくる。


 きららの天真爛漫な振る舞いは、部室の空気を一瞬で楽しいものに変える。彼女がここにいるだけで、場の雰囲気が「ほわっ」と柔らかくなる、そんな不思議な魅力があった。


 そしてきららの後ろからは、赤みがかったブラウンの髪をポニーテールに束ねた、もう一人の部員、神楽坂(かぐらざか) 陽葵(ひまり)が居る。常に活動的な印象を与える彼女の瞳は太陽の暖かさを思わせるハニーブラウンで、エネルギッシュな笑顔は、閉鎖的だった空間に、パッと光を灯すようだ。


「やっほー、みんな揃ってる? と思ったけど後輩ちゃんは今回は欠席だっけ」


 彼女が息を切らしてドアをくぐってきたところを見ると、兼部してる陸上部に先に顔を出していたのかもしれない。他にも助っ人として、運動部を掛け持ちしてるらしいのだが、以前に「陸上も剣道部の助っ人も、異世界で剣士になるための訓練だよ」と語っていた。


 つまり彼女はあらゆる部活を異世界転生の為の訓練と捉えているのだ。


 陽葵は、美琴の目の前でぴょん、と小さく跳ねてから、にっこりと笑顔を向けた。その言葉には、素直な尊敬と、長年培われた友情が込められていた。すらりと伸びた健康的な手足は、舞台上でのパワフルな演技を予感させる。


「きらら、陽葵、あなたたち、もう少し、異世界探求に敬意を払いなさい、それにこれは私達の世界を構築するための重要な作業なのよ」


 美琴は、わずかに眉根を寄せつつも、その声色には、先ほどよりも明確に楽しげな響きが含まれている。集中を邪魔されたことへの小言でありながら、彼女にとって、二人の軽快なツッコミは、適度な刺激であり「異世界エチュード」をよりリアルにするための、不可欠な要素なのだ。


 むしろ、この二人がいないと、彼女の世界観はあまりにも規律に重んじて、どこか冷たいものになってしまうことを、美琴自身も薄々感じているのだろう。部室の奥の席に座りその様子を眺める。これが異世界紀行部のいつもの風景だ。


「は〜い!」

「分かってますってば!」


 二人して、全く悪びれない様子で返事をする。その言葉は、まるで彼女たちの間で交わされる、合言葉のようなものだ。


「というか美琴、さっきからちょっと口元が緩んでるけど、何か面白い世界でも構築できたんですかー?」


 陽葵が、茶化すように美琴の顔を覗き込む。


「口元など緩んでいないわ、でも、確かに今回構築した『世界』は、私の知的好奇心を大いに刺激するものだったわ、後であなたたちにも詳細を語ってあげる」


 美琴は、得意げに少しだけ鼻を鳴らした。普段はクールな彼女が、わずかに興奮しているのが隠しきれていない。その表情筋が、微かに、本当に微かに動いた。

 この穏やかな空間には、まだ誰も知らない『異変』の兆候が確かに息を潜めているかのようだ。


「わーい! 美琴ちゃんが楽しそうだと、私もワクワクしちゃう!」


 きららは、パタパタと手を叩いて喜ぶ。手にした菓子袋から、動物の形をしたカラフルなグミを取り出して、陽葵にも一つ差し出した。


「ありがと、きらら、パクっ、と、そだ2人とも知ってる? この前読んだWeb小説が結構面白くて、主人公がね、異世界転移して魔王の側近から依頼を受けちゃうんだけど、全然、剣とか魔法も使えなくて、それにチート能力も授かってないから、どうすると思います!?」


 陽葵は矢継ぎ早に話し出す。目をキラキラと輝かせながら、身振り手振りで物語の展開を説明する。


「ふむ、それは興味深い設定ね、恐らく、その主人公は、自身の得意な分野、例えば知識や交渉術を使い、魔王討伐の困難を乗り越えるとか、あるいは、運良く強い種族と出会い、強力な味方になり助力を得る、といった展開かしら?」


 美琴は眼鏡をクイっとさせて、冷静に分析する。

 そのまなざしは、まるで複雑な数式を解き明かすかのようだ。


「ブー! 全部違うよ! なんとね、その主人公、まさかの『料理』で魔王に立ち向かうんだよ!『それも魔王の胃袋を掴んで、懐柔する』っていう、まあありきたりな設定ではあるけど、割と奇抜な展開もある感じで!」


 陽葵は、まるで自分がその物語の主人公であるかのように、興奮冷めやらぬ様子で語った。両手を広げて、その奇想天外な筋書きを表現する。


 きららは「へー!」と目をパチクリさせ、グミを食べながら相槌を打っている。彼女の頭の中には、きっと、美味しい料理の数々が浮かんでいるのだろう。


「ふむ、料理か……? なるほど、それは盲点だったわね」


 美琴は、少しだけ沈黙した後、小さく呟いた。


「しかし、その過程には、食材の調達、調理法、そして何よりも『味』という緻密な要素が絡んでくる、それに主人公が元々は一流のシェフとかならご都合主義な感じもするけど、構成としては、悪くないかしら、いや、悪くないけど……」


 そして、ぶつぶつと再び、美琴は思考の渦に沈みかけている。


「いや、なんでそこで悩むの!? 本当に面白いからオススメだよ!」


 陽葵は、美琴の反応に、思わず声を張り上げた。

 その声には、少しだけ拗ねた響きが混じる。


「面白さ、と一言で言っても奥が深いものよ、陽葵、確かに、その発想は面白いわね。だけど、私が求めているのは、もっと論理的な、必然性のある面白さ、その魔王は、なぜ料理に心を奪われたのか? その主人公の料理とは、いかなるルーツを持つのか? ……考えるべき点は、多いわ」


 美琴は、眼鏡の位置を直し、深く頷いた。いつもの知的な感じに戻っている。


「もう、みことってば、いっつもそうやって理屈ばっかり言って! もっと素直に『面白そう!』って言えばいいのにー!」


 陽葵はそう言って、プンプンと頬を膨らませた。その姿はまるで子犬のようだ。


 それにこの小説、内容的には、魔王領に異世界転移を果たした、料理研究家の動画配信者が、成り上がる物語なのだが、四天王の謀反に巻き込まれて、魔王に料理を振る舞う際に、用意した料理に強力な毒を仕込まれるのだが、実は魔王とも既に通じていて、二重スパイの様に、裏切り者の四天王を罠に嵌める、と言った奇抜な展開なのだが、ネタバレにならない様にその箇所を伏せて伝えて、ちゃんと面白さをアピールしている辺りに、ひまりの配慮や性格の良さが伺える。


「でも、美琴ちゃんの言うこともわかるなー、私も、この前読んだ『異世界もふもふサバイバー』ってタイトルの小説で、主人公が出逢った子犬が実は伝説の魔獣だったって、よくある展開なんだけど、どうして伝説の魔獣がそんな場所に都合よく居て、警戒心もなく主人公に懐くのか、理由が特に述べられてないと、ちょっと気になってたりするし、本来なら、もっとちゃんと理由があるはずだよね!」


 きららが、間髪入れずに美琴を援護する。そのくるくると変わる表情は、無邪気な子猫のようだ。彼女の言葉は、美琴の思考をさらに深める燃料となる。


「そうよ、きらら、全ての現象には理由があるべきだわ、もちろん可愛さにもね」


 美琴は、きららの言葉に深く同意した。その口元には、先ほどよりもはっきりと、楽しげな笑みが浮かんでいる。


「むー、きららまでそんな設定厨みたいな事を言って、楽しければ別に理由なんて、ご都合展開でも、後付けとかでも良いのになぁ」


 仲間はずれにされた気分になったのか、反論する陽葵は悲しげな表情をした。


「いや、別に否定はしてないよー、私も今度その小説を読んでみるね」

「確かにそうね、読みもしないで拒絶するのは私の理念に反する、すまなかった」


「……うん! 絶対に面白いから、皆んなきっと気にいると思うよ!」


 文化祭も終わり、三年生が引退した今、現在の異世界紀行部は二年生の女子3名、それと陽葵の誘いで加入した一年生を含めた計5名だ。部の存続の為にも来年度の勧誘歓迎会を見据えた準備や計画も必要なのだが、先月の文化祭を終えて、今の時期は特にイベントも無いので、各々が想い描く『異世界』を模索する日々だ。


 彼女達が先輩達から引き継いだ、異世界への憧憬、そして「異世界エチュード」で培った経験や表現力が、必ずやいつか来たる『本番の舞台』に生かされると、3人は信じている……のかもしれない。


 そしてこの3人の間には、憧れでは満たされない異世界への強い情熱と、この部活動を通して、培われた確固たる信頼関係があった。お互いの好き、と苦手を理解し、尊重し合うことで、彼女たちの『異世界エチュード』は、常に新たなる高みへと到達してきたのだ。


 さあ部活動の時間だ。今回は一体どんな物語を紡ぐのだろうか。

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