小鳥にされた男爵令嬢、魔法使いと暮らす。
キャロルは己の身に起きたことが信じられず、混乱のまま叫んだ。
「ピイィィィ!」
しかし漏れ出たのはひとの言葉ではなく、動転して動かした手によって体が宙へ浮いたものだから、さらなる混乱を極めた。
(なにこれなにこれなにこれ、どうなってるのー!?)
誰かの悲鳴が聞こえたが、正直なところ悲鳴をあげたいのはキャロルのほうである。なにしろ周囲の人間が軒並み巨大化しており、状況がまったくわからない。公爵令嬢の傍に控えていた従者が不可解な言葉を紡ぎながら右の人差し指を突きつけたとき、目前が光り、そして体が軽くなっていた。
もしかして自分は死んでしまったのだろうか。これが霊魂というやつでは?
そう考えたキャロルの耳に飛び込んできたのは、衝撃の言葉であった。
「なんだ、この茶色い地味な小鳥は、摘まみ出せ。それに、あの令嬢はどうなった」
「申し訳ございません。わたくしはフレードリッヒ殿下とカミラ・ランサ公爵令嬢の仲を引き裂くよう、あの姉に強要されていたのでございます」
「メルカナ、そなたは」
「姉の悪巧みとはいえ、男爵令嬢の身で殿下を愛してしまった愚かなわたくしを、どうかお許しくださいませ」
「ああ、メルカナ。なんといじらしい」
義妹と第一王子がなにやら見つめ合って盛り上がっているが、キャロルはそれどころではない。王家の近衛らしい男性が近づいてくるなか、夜会がおこなわれている大広間から逃げ出す。
なにがなんだかわからないけれど、自分は小鳥の姿になってしまったらしい。
(ひとまず、撤退よ!)
本能で翼をはためかせ、地味と称された小鳥キャロルは夜空に躍り出たのであった。
◇
「おはよう小鳥ちゃん」
「ピピ」
「朝食はどうだい?」
「ピピ」
「キミは意外と獰猛だよね、共食いが気にならないんだからさ」
「ピー」
ゆでた鳥ささみをくちばしで突つくキャロルを見ながらそんなことを言うのは、キャロルを保護してくれたひと。あの夜、フラフラと彷徨いながら辿りついた塔に住んでいる、魔法使いのイグナシオ・エルヴァスティ。長く伸びた前髪で見えにくいが、紫色という不思議な色合いの瞳をしている麗しい十九歳の青年だ。
皿に注がれた新鮮な水を飲みながら、キャロルは内心で考える。
すっかり居ついてしまったけど、これからどうしようかしら。
そもそもキャロル・ベッカーは、十六歳の平凡な男爵令嬢であった。ただ、ほんのすこし周囲と違っているのは、同じ年で腹違いの妹がいるという点。
貴族の当主が妻以外の女性と子を成すことは少なくないが、双方の子どもが数日違いで生まれてくるのはかなり稀だろう。母親は愛妾ではなく、ただのメイドなのだから余計に。
産後の肥立ちが悪く、やがて儚くなった母。庇護をなくしたキャロルだが、父は娘を外に出すことなく男爵家の娘として育ててくれた。放逐するのは外聞が悪かったのかもしれない。
育ててくれたといっても家に置いてくれただけで、特に可愛がってもらった記憶はない。キャロルを育ててくれたのは、母の同僚たちであった。
義母や義妹はキャロルを虐げて使用人のように扱ったけれど、使用人はキャロルの味方だったのでなんの問題もなく、むしろ楽しく過ごしてこられたのは幸運だと思う。高慢な義母は使用人の受けが非常に悪かったこともあり、連帯感はより高まった。キャロルがいずれどこかへ嫁ぐとしたら、全員でそっちへついていこうと思う程度には、当主夫妻は好かれていなかった。
栗色の髪にヘーゼル色の瞳という地味顔のキャロルと違い、ピンクブロンドの髪に空色の瞳をした義妹メルカナは、共に学校へ通うようになってからというもの、ことあるごとにキャロルを悪者に仕立て上げるようになった。
大きな瞳に涙を浮かべ、ハラハラと涙をこぼす姿は同情を誘い、自分が槍玉に上がっているにもかかわらず、キャロル自身も庇護欲をそそられてしまう始末。まったくたいした女優だと感嘆する。
キャロルを悪者にして可哀そうな自分を演出し、高位貴族の男性に好かれようとするのは、木っ端貴族である男爵令嬢としてはわからなくはない。
だが、次に義妹が狙いを定めてすり寄った相手が悪かった。
フレードリッヒ・ファルフリーエ、十八歳。
国が定めた婚約者を持つ、我が国の第一王子殿下、そのひとである。
お相手の公爵令嬢は華やかな顔立ちの美人だが、性格はおとなしく従順。父親のランサ公爵が言うままに婚約を受け入れ、粛々と王妃教育をこなしている。可愛らしく天真爛漫(偽装)の義妹メルカナとは対照的であり、だからこそフレードリッヒ殿下は惹かれたのかもしれない。
恋とは無縁の生活を送っていた根が庶民気質のキャロルは、「うわあ、大変そうだなあ」ぐらいにしか思っていなかった。
メルカナが広めた嘘によって、学院生たちに遠巻きにされがちなキャロルにしてみれば、義妹が起こす騒ぎはいつも外から眺めるもの。メルカナの信奉者たちが睨みをきかせているため、学内で義妹に近づくことはないし、このままゆっくりと男爵家から縁を切られるのだろうと思っていた。学院に通わせていただいているあいだに、せいぜい社会性を身につけて、どこかで働こうと思っていたのに、よりにもよって『婚約破棄騒動』の首謀者に仕立て上げられるだなんて。
こんなことなら、理由をつけて夜会を欠席すればよかった。
第一王子と公爵令嬢が卒業するということで、まさかの王宮で開催された大々的な夜会。物見遊山で出席したのが運の尽き。
さながら演劇のように、フレードリッヒが「カミラ・ランサ、おまえとの婚約を破棄する!」と宣言。
驚きに震えるカミラ嬢と、そんなお嬢様を支えるように控えている従者の青年。
殿下の陰に隠れるように立っているメルカナ・ベッカー男爵令嬢。
絵に描いたような修羅場であった。
理由を問うカミラ嬢。
メルカナを虐げていると糾弾するフレードリッヒ殿下。
涙を浮かべるメルカナ。
同情する貴族令息たち。
騒ぎは伝播し、会場にいた全員が中央の騒ぎに目を向ける。どうやら義妹がやらかしたらしいと知ったキャロルは、男爵家に不利益がくるのではないかと確認するため近づいた。
そのころになると、公爵家の従者がカミラ嬢を庇って前に立ち、メルカナの発言を論破していく。
「王家に並び立つちからを有する、古代魔法の大家であるランサ公爵家を虚仮にするとは不届き千万。ベッカー男爵令嬢よ、とくと思い知るがよい!」
古代魔法という言葉に、出席者たちが息を飲んだ。
王家に仇なす者を滅してきたといわれるのが、旧魔法こと古代魔法。それはそれは恐ろしいといわれる魔法をかけられると知ったメルカナが慌てて周囲を見渡したのは、味方を求めてのことだったのだろう。
しかし皆が尻込み。顔を歪めたメルカナの顔に喜色が浮かんだのは、キャロルの姿を見出したから。
キャロルが踵を返すより、メルカナがキャロルの手をつかむほうが早かった。
(そして、わたしのほうに魔法がかかったということよね、たぶん)
そうとしか考えられない。
小さな鳥の姿になったキャロルは、くちばしをカチカチ動かして毛づくろい。
瞳に映る体毛は、人間だったときと同じ栗色だ。鏡で確かめたが、茶色一辺倒ではなくところどころに模様が入っており、なかなか可愛らしい。
しかし、庭に木の実を食べに来ていたどの鳥にも似ておらず、既存の鳥へ姿を変えられたのではなく、キャロル自身を鳥類へ変化させたというのが正解だろう。さすがは古代魔法だ。
魔法といえば、現在キャロルの飼い主になっている魔法使いの存在も気になるところだった。
キャロルの拙い知識によれば、王国の建国には魔女が関わっており、ずっと協力関係にあるという。魔女の国は世界の裏側にあって、我が国はもっとも近接している。そのため魔女たちが人間の国と関わるための窓口の役割を担っていて、魔女は王国の防衛をしてくれている。
魔法使いは魔女の血を引いているひとのことで、基本的に男性しかいない。女性の魔法使いは『魔女』として、魔女の国側で暮らすからだ。
稀にあちらを追放されて人間の国へやってくる者もいると聞くが、キャロルは会ったことがないからわからない。おそらく王家が保護しているのだろう。隠しているともいえるか。
魔法は国を脅かす可能性が高いため、囲っておく必要がある。例のランサ公爵家は、野良魔女を狩るために存在するともいうし、なかなかに物騒なのである。
「さて、朝食が終わったのなら、僕の知的好奇心を満たすために付き合ってくれないかな?」
「ピ?」
「キミはとても不思議な小鳥で、まるで人間のようだ。小鳥の頭でどこまで理解できるかわからないが、試してみる価値は大いにあると僕は考えるのだよ」
「ピイ」
「うんうん、つまりね、僕と契約を交わそうじゃないか小鳥ちゃん」
「ピー?」
魔法使いが交わす契約とは。
小首を傾げる小鳥キャロルの前に、イグナシオは一冊の本を置いてページを開いてみせてきた。ミミズがのたくったような字が綴られている。小さな頭を近づけて読み解いていくところ、どうやら『使い魔契約』らしいと把握する。
「ピピ?」
「うん。僕は使い魔を持っていないんだ。必要に感じていなかったし。でも、この塔に辿り着いたキミならいいかなって思ったんだよ」
「ピーピピ、ピイ」
「一応、魔法使いの住まいだからね。巧妙に隠しておいたつもりなんだけど、闇にまぎれて入り込んだ刺客が、こんなにも可愛らしいとは思わず。僕はとても嬉しいんだ」
「ピピイ~」
つまり彼は寂しかったということなのだろう。
キャロルがここに辿り着いた経緯はさておき、滞在して一週間が経過しても誰も訪ねてこないところをみるに、魔法使いは人間とかかわりを持たないと知れる。それでいて食材が差し入れられているのは、魔法使いを野放しにできないからだ。
彼はきっと監視されているし、囲われている。
古代魔法で姿を変えられてしまったキャロルは行く当てもないし、魔法使いの近くにいれば、状態変化を解く手がかりが得られるかもしれない。この書物のような魔導書がたくさんありそうだし、魔法使いが読む傍らでこっそり覗き見ることもできるだろう。
だからキャロルは同意を告げる。
「ピ!」
「ありがとう。じゃあ早速」
まるでキャロルの言葉を理解したかのように返事をしたイグナシオは、魔導書を片手に呪文を唱える。平坦で息継ぎもなく紡がれる呪文は、あの大広間で公爵令嬢の従者が唱えたものとは違うもの。どこがどう違うのか説明はできないけれど、なぜか『系統が違う』とわかる。
(これってわたしが魔法を浴びて小鳥になったからかしら。この体には魔法がつまっているのかも)
もしくは『使い魔』となることで、魔法に対する耐性が生まれたのか。
なにかが変わったような気もしないまま、イグナシオによる呪文は終了。キャロルは手羽を動かして確認するが、さしたる変化はない。ふわふわの羽毛が見えるだけだ。イグナシオはといえば機嫌がよさそうに頷くと、「では今日からキミと僕はパートナーだ」と言った。
翌日の朝、キャロル専用の宿り木から降りてキッチンへ向かうと、そこにはすでにイグナシオが待っており、食事を用意してくれていた。
今日も鳥ささみ肉と新鮮な水。たまに木苺。
彼自身の食事は質素なもので、表面が乾いたパンとしなびた葉野菜、ミルク。成人男性にしては少なく、肌が白く痩せてみえるのは栄養が足りていないせいではないかとキャロルは余計なお節介を焼きたくなる。
ふと気づいた。
もしかして、この肉は彼のご飯なのでは。それをキャロルに分けてくれている?
「ピピー!」
キャロルはあわてて手羽をバタバタ動かして、イグナシオの目をこちらに向ける。くちばしで小皿を押して主張。
「どうしたんだい、共食いはもうやめたいってことかな?」
「ピピー! ピ、ピピッピ、ピィーピピ、ピピ!」
ちがうのよ、これあなたのご飯でしょう? 自分で食べないと元気になれないわよ! 食事って大切なのよ。我が家の料理人がよく言っていたわ。野菜はたしかに大事だけど、お肉も食べないと!
必死のアピールが伝わったのか、イグナシオが笑う。
「そうか給餌か。姿は小さくとも女の子だなあ。でも、これはキミのものだよ。虫を食べるよりはこちらのほうがいいだろう?」
それはたしかにそうですけれども。
「まったく可愛いな。食べてしまいたくなる」
「ピ!?」
え、太らせてからわたしの肉を食べようって、そういう意味でお肉をくれていた?
ガクガク震えていると、イグナシオはおかしそうに、楽しそうに笑う。
冗談、だよね?
キャロルは小さな足で距離を稼ぎ、食卓の端でちまちま肉をつつく。そんな小鳥を魔法使いは黙って見つめていた。
◇
生活は順調だった。
キャロルのアピールが功を奏したのか、イグナシオの皿にも少量の肉が加わる。かわりにパンの欠片がキャロルの皿に増えた。互いのものを交換したかたちだ。
「鶏肉、美味しい」と言いながらキャロルを見るので、それはどういう意味なのか気になるところだが「ピ!」と同意だけしておいた。「給餌してくれるかい?」とくちを開けてキャロルを見てくることもあるが、さすがにそれは無理である。だってほら、近づいた途端、ぱっくり食べられる可能性が無きにしも非ずだし。
イグナシオは大半を塔の中で過ごす。外に出るのは、届けられた食材を回収するときぐらい。
逃げられる心配をしているのか、扉を開けるとき、キャロルは鳥かごに入れられていた。本来これが正しい姿だとは思うが、いつも男は「ごめんね、こんな檻に」と申し訳なさそうに言うので、キャロルとしても積極的に脱出する気は失せていた。
もうこのままでいいのかもしれない。
父が持ってくる縁談はすべてメルカナのもので、キャロルにその道は閉ざされている状態。
ならば卒業後は男爵家を出ようと思い、さりとて就職先が決まるかどうかもあやしかった。なまじ身分があるのも困りものである。
いっそ使い魔として、鳥生をまっとうするのもいいのではなかろうか。
イグナシオとの生活は悪くないのだ。彼はとてもキャロルを気遣ってくれる。可愛いと褒めてくれる。年齢の近い異性からそんな言葉を貰ったのは生まれてはじめてで、とても気分がいい。「可愛すぎて食べちゃいたいな」という言葉だけはいただけないが。
外界から完全に切り離され、この生活をすっかり満喫していたキャロルだったが、ある日転機がおとずれた。イグナシオのもとに、なんだか偉そうな男性がやって来たのだ。
年齢はキャロルの父親ぐらいだが、醸し出すオーラが段違い。命じることに慣れている、上位者の雰囲気を持つひとだった。
「状況はどうだい?」
「そんなことを訊くために、わざわざここまで?」
「息子のようすを見に来て何が悪いんだい」
「ピ!?」
衝撃のあまりうっかり鳴き声を上げてしまったキャロル。イグナシオには隠れているように言われていたが、気になって覗いていたのがバレてしまった。気まずそうな顔のイグナシオとは逆に、客人のほうは口許を緩ませて笑みを浮かべた。
「おお、これは可愛らしい。あなたが噂のレディかな?」
「ピィ?」
噂って、どんな噂ですかね。小鳥を育てていずれお肉にするとか、そういう系のお話でしょうか。
いまさら隠れるわけにもいかず、トテトテと歩いて羽ばたいて、イグナシオの肩へとまったキャロルに、客人は言葉を続けた。
「私はね、イグナシオの父親なんだ」
「養い親」
「頑なだね。父であることには変わりないだろうに」
反抗期の息子と、それをいなす父親。
そんな雰囲気に見えなくもない。イグナシオとて、相手を本当に疎ましく思っているわけではなく、迷惑をかけたくないと考えているのだろう。魔法使いとは、敬遠される存在だから。
両者とも亜麻色の髪。瞳の色は異なっているが、顔のパーツはどことなく似ている。親子と言われても、たしかに不思議ではないとキャロルは感じた。
(なにか複雑な事情がある? でも、この御方は、うちの父親みたいな愚行はしなさそうだけどなあ)
ピチョピチョと小声で呟いていると、イグナシオの手が伸びてきて羽毛を撫でる。あ、そこ気持ちいい。ついウットリしてしまう。
イグナシオはきっと動物を撫でるのが上手いひとなのだろう。これが世に聞くゴッドハンドというやつかしら。
触れられるたび、こころもあたたかくなる。
キャロルはすっかり飼いならされていた。
「仲良しだねえ」
「そう見えますか」
「安心したよ、こころを許せる相手ができたようで」
「彼女は鳥ですよ」
「ピピ」
そうです、小鳥ですよ。元は男爵令嬢ですが。
「だが、もうそろそろいいのではないか? 解析は終わったのだろう?」
「ピピ?」
かいせきってなんですか。
「やはりそれが目当てだったんですね。僕が報告に行くまで待てなかったんですか」
「おまえが我が家に来るより、私がこちらへ来たほうが漏洩しないだろう」
「ファーネ公爵が魔法使いの塔へ立ち入るほうが、よほど後ろ暗い事情があると探られるのでは?」
「ここは王家の最奥であり、しかも隠された迷いの庭にある塔だ。生半可な者は近づけまいよ」
「ランサ公爵家が飼っているあの魔法使いならば、突破できなくもないかと」
「エルヴァスティの血を引くおまえの魔法は、いま現在、我が国において最強だよ」
「ですが、ランサ家は他国と手を組み、別系統の魔法を用いている。魔女が押し負けるとは思いませんが、干渉によって生じるちからで、一時的に弱まることもあるでしょう」
イグナシオの指で頭を撫でられながら話を聞いていたキャロルは、驚きのあまり固まってしまう。
いま、ファーネ公爵って言いましたよね。このおじさまが、公爵そのひとでしょうか?
我が国の二大巨頭である公爵、ランサとファーネ。
ランサが古代魔法を受け継ぎながら王家を支えているのとは違い、ファーネは王家の直系男子が爵位を継いでいく。基本的に第二子以降がそれを担っており、今の公爵は国王の実弟。
「ピ、ピィーッ!?」
キャロルはあわててイグナシオの肩から降り、机の上で脚を折る。スカートがわりに羽毛が机上につき、さながら巣にうずくまっているような体勢になった。
鳥って短足だ。カーテシーがまともにできないこの体が憎い。
プルプル震える小鳥を見て、イグナシオは溜息をひとつ。そうしてふたたび指で頭部を撫で、キャロルへ言った。
「利用してすまなかった。だけどキミがここへ来たことで、ランサ公爵家が他国と繋がっていることの裏取りができたんだ」
「ピィ?」
「うん。キミの体には我が国を防衛する魔女エルヴァスティの魔力とは異なるちからが揺蕩っている。それを証拠とし、今度こそランサ公爵を更迭する」
◇
魔法使いの塔は、外から見ると意外と可愛らしい造りになっていた。定期的に配達される食事の運搬役を代わってもらい、キャロルは人間の姿でここを訪れている。
どんな顔をして会えばいいのだろう。そもそも会ってくれるだろうか?
王宮で噂されている魔法使いは、常に不機嫌でブツブツとなにかを呟いている陰気で近寄り難い偏屈男だが、キャロルが知る彼は、のんびりした穏やかで優しい青年だ。呪法の証拠である小鳥キャロルを匿ってくれた。本来なら宮廷の研究者に引き渡され、人体実験ならぬ鳥体実験されていたかもしれないのだ。あのとき、広間でキャロルを捕まえようとしたのはその筋のひとだったらしい。
異質な魔法を抜いたことで無事に人間へ戻ったキャロルに、イグナシオの養父ファーネ公爵が、事件の顛末を話してくれた。
ランサ公爵家は娘を第一王子に嫁がせたあと、ボンクラ王子を傀儡とし、実権を王妃に握らせる計画だったという。おとなしいカミラ嬢自身も、父親が手配した魔法使いによって洗脳済。従者として他国の魔法使いを傍に置き、常にコントロールしていたのだそうだ。どうりで自我が薄いはずである。
ところが王子がカミラを捨て、年下の男爵令嬢に懸想したものだから、さあ大変。ひとまず排除しようと魔法をかけた。予定では呪いが徐々に進行していって、こころまで鳥になってしまうはずだったところを、キャロルは魔法使いの塔に逃げ込むことで救われたのだ。
「変化した姿が翼のある鳥でなによりだった」
「鳥じゃなかった可能性もあるのですか?」
「小さきものなら、姿は問わなかったと思うよ。例えばネズミだったとしたら、あなたはおそらくその場で殺されていただろう」
ファーネ公爵、穏やかな声で怖いことをおっしゃる。
キャロルは体を震わせた。
「計算外だったのは、あなたの妹君のことだろうな。ご実家は大丈夫かね?」
「わたし自身はべつに。もともと、貴族令嬢ってかんじの生活はしていなかったので。義母たちのほうが大変、かも?」
「被害者の立場だったものが逆転したわけだからね、だが自業自得というものだよ」
あのとき。ランサ公爵家の魔法使いが放った呪いの対象は、ベッカー男爵令嬢だった。キャロルはメルカナに手を掴まれて一緒に呪文を受け、しかし鳥になったのはキャロルだけだった。
そう。一緒に光に包まれたにもかかわらず、キャロルしか変化しなかったその理由は、義妹がベッカー男爵令嬢ではないから。
(浮気をしたお父さまはたしかに責められるべきなんでしょうけど、お義母さまだって浮気をして別の男性の子どもを身ごもったのだから、どっちもどっちじゃないかしら)
キャロルは呆れると同時に、すこしだけやるせない気持ちになった。
宝飾品を買うために家へ呼びつけていた外商と男女の関係に至った義母はともかく、なにも知らずに生まれてきたメルカナは可哀そうだ。事あるごとに嘘をつかれて悪女に仕立てあげられたのは腹も立つが、それはそれ、これはこれ。
「優しい子だね、あなたは。イグナシオのことをよろしく頼むよ」
「――そ、それは、ちょっと」
「おや、あの子が嫌いかい?」
「身分がちがいすぎて、ですね」
「些細なことだよ」
「ささい」
イグナシオの正体が、国王が婚前に魔女と成して産んだ子どもで、しかし男児だったため「そっちで面倒みてね」と捨て置かれた『幻の第一王子』であることが、些細だとおっしゃいますか。おっしゃいましたか。
キャロルは声に出さず、内心で叫ぶ。
(じゅうぶん、たいしたことですよね!?)
時の王太子が魔女と子を成すのは、古くから続く慣例だった。
双国の関係を盤石にするため、王の血を引いた女児を魔女の国で育て、次の長とする。しかし男児は必要ないため人間のほうへ渡すが、そうされたところで王太子も困る。王太子妃以外の女性と婚前に作った子どもを、いくら国が秘密裏に決めた習わしの結果とはいえ、『王子』として認めるわけにはいかないからだ。国民に説明もできない。
見るに見かねて、当時第二王子だったファーネ公爵は赤子を引き取った。
兄と魔女の子どもを連れて帰った王子もすごいが、それを「よろしい、ならば私たちの子だ」と言った王子妃もすごいと思う。
ファーネ公爵夫人は女性騎士で、仕事大好き人間。三度の飯より剣を揮うことが大好きな方で、今も現役で騎士の指導をしている。キャロルも元の姿へ戻ったときにお会いしたが、明るく溌剌とした気持ちのいい女傑だった。
ファーネ公爵夫妻には子はなく、養い子のイグナシオのみ。
騒ぎを起こしたフレードリッヒ殿下の王位継承権が繰り下がったことで、じつは兄弟であるイグナシオが後継問題に駆り出されるのかと思えばそんなこともなく。フレードリッヒの弟である、第二王子フルードル殿下に期待が寄せられているらしい。まだ十四歳ということで、これからいろいろと大変そうだ。
義妹はどうしているのかといえば、打って変わって、ひそひそ噂をされる側に回っているようだった。校内ではほとんど話すこともなかったキャロルには、どうすることもできない。
キャロルにしたって、ベッカー男爵家の名を持っている渦中の人間である。自分のことは自分でなんとかしてもらうしかない。
キャロルもメルカナも十六歳。今後の選択肢は無限とは言えなくなったが、名実ともに男爵家と無縁の生活を送ることになりそうで、キャロルとしてはむしろスッキリした気持ちであった。
事件の真相をおおっぴらにしないよう、近くに置いておこうという算段なのか。ファーネ公爵より『イグナシオのお世話係』を仰せつかったキャロルは、魔法使いの塔にやってきた。
だが、いざ到着すると扉を叩く勇気がなくて、佇んだまま物思いに耽っていると、ギイと軋んだ音を立てて扉が開く。
「あわわ。わたた、わたひ、は!」
じつは人間の姿でイグナシオに会うのははじめてだ。あやしまれないように、公爵からの使者だと告げようとするが、パニックのあまりまともな言葉が出てこない。しかも噛んだ。泣きたい。ピイ。
するとイグナシオは、柔らかな笑みを浮かべる。
「どうしたんだい、小鳥ちゃん。そんなに慌てて」
「こと、り?」
「ああ、すまない。なんだか癖になってしまっているな。キミはもうレディの姿に戻ったというのに」
「いえ、あの、どうしてわたしが、あの小鳥だってわかったんですか?」
「だって僕には最初から、内なる魂が見えていたから」
なんと。さすがは魔法使いということなのか。キャロル(小鳥)がキャロル(人間)であることは、最初からわかっていたらしい。
恥ずかしさに顔が赤くなる。一緒に暮らしているうちに、いろいろ自由にやらかしすぎたと思い返したからだ。
高度の限界に挑戦して天井に激突したり、寝ぼけて宿り木から落下したり。
機嫌よく歌ってみたり、毛づくろいで抜けた羽毛をコレクションして悦に入ってみたり、鏡に映った小鳥の姿がどの角度から見ればいちばん綺麗か確認してみたり、結果くるくるまわりすぎて目をまわして転んでみたり。
特に水浴びが楽しくて、彼が見ている前でもパシャパシャ水をかぶりまくっていた。そのときも自然にピーピー歌ってしまった。もう恥じらいもなにもない。さらけ出しすぎだった。
「それで、今日はどうしたんだい? ああ、持ってきてくれたんだね」
「はい、お食事です! 僭越ながらお台所をお借りして、最後の仕上げをさせていただきたく思っております」
彼の食事風景を知っているキャロルは、お世話係を任命されてまず、そこを改善しようと考えたのだ。公爵家からは、イグナシオが子どものころに好きで食べていたものを伺っている。キャロルの育て親たちから伝授された家事スキルは、このときのためにあったにちがいない。
小鳥時代にお世話になったかわりに、今度は人間キャロルが彼のためにお世話をする。
キャロルのこころの奥底には、魔法のちからが残っている。使い魔契約は切られていないのだ。キャロルが『邪法の確証』として王宮へ赴く際、契約の解除をしようと思えばできたはず。けれど敢えて残したままにしているのは、イグナシオの無意識下の叫びだと思うのだ。
ひとりは、さびしい。
優しい彼は、決してそれをくちに出したりはしないだろうけれど。
正妻の子ではないことでないがしろにされることは多かったけれど、キャロルにはたくさんの『家族』がいた。
父や母、姉、兄。そんな間柄として扱ってくれるひとたちに囲まれて生きてこられた。
それはどれだけ幸福で、恵まれたことだったのか、いまはよくわかる。
他人と距離を置こうとするイグナシオを思うと、キャロルはどうしようもなく胸が苦しくなる。
もう小鳥ではないけれど、だからこそ彼と共に居たいと思う。邸の使用人たちがそうしてくれたように、キャロルもまた、この優しい魔法使いに声をかけたい。
生まれてきてくれて、ありがとう。
あなたのことが大好きよ、と。
「そうか。あのひとに言われて、給餌に来てくれたんだね」
「べつに命令じゃありませんよ。あと、給餌っていうか、給仕のほうですけどね」
「意味は同じじゃないかな」
「そうでしょうか?」
キャロルがイグナシオに食事を与える。という意味では、たしかに同じかもしれないが。
小首を傾げて考えるキャロルに、魔法使いは嬉しそうに笑う。
「給餌であるからには、今度こそ食べさせてくれるんだよね、口移しで」
「ピ、ピイィィィ!?」
餌を待つ小鳥のようにくちを開けるイグナシオ。
恥ずかしさのあまり爆発しそうになったキャロルは、混乱のあまり叫んだのであった。ピイ!
ピピ! ピ、ピピッピ、ピピー、ピイ、ピピーピ、ピ!
訳)お読みいただき、ありがとうございました。
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【本文に盛り込めなかった補足】
イグナシオが小鳥をちょいちょい撫でていたのは、すこしでも鳥化を遅らせるべく魔力を継ぎ足していたのと、単純に触りたかったんだと思います。ぬくもりに飢えていたのかな。あと可愛いは正義。
『ファーネ公爵』は、王太子以外の王子(王女)が継いでいくので、後継ぎとして子を産むことは強制されません。
騎士としての職務に専念したかった第二王子妃にとって、それらはとても都合がよかったのでした。
ちなみに、第二王子が自分の護衛をしていた彼女に惚れ、結婚に興味なかったところを拝み倒して妻になってもらった夫婦です。