また一から、二人で
そこからは兄弟水入らず……とはならなかった。
ルドウィンはハルツ達に笑顔で命令を下す。
「というわけで、君達は俺が帰ったことを王宮に報せてくれ。俺は飛ばずに、チナミと歩いて行くつもりだから」
どれだけいちゃいちゃしたいんだ、この人。
おそらくチナミだけでなくその場にいた全員の心に浮かんだ感想だが、ハルツとエイムズは反論せずに従った。メルを抱えて飛び立っていく。
メルも兄を恋しがる様子は見せないので、魔族の兄弟関係は結構ドライかもしれない。
「さぁ、チナミ。ようやく二人きりになれたな」
ルドウィンに声をかけられ、チナミはハッと我に返った。
空気を読んだのか、いつの間にか他の面々もいなくなっている。
――そ、外だし、あんまり過剰ないちゃいちゃはちょっと恥ずかしいかも……!
警戒心も露わに動揺するチナミに、ルドウィンが苦笑した。
「恋人の態度がそれでは、さすがに傷付くぞ」
彼は強引なことをしなかった。
ただ穏やかな笑みで、手を差し出す。
「手を繋ぐくらいはいいだろう?」
王宮に行かねばならないし、ゆっくりしてもいられないだろうが、これくらいならまぁ……と考えてしまう。チナミも相当浮かれている。
「本当に、甘え上手ですね」
チナミは、微笑んで彼の手を取った。
温かくて大きくて、剣を扱うから皮膚が固い。とても安心できる手だ。
二人は笑い合い、並んで歩き出した。
しばらく進むと、チナミはぽつりと呟く。
「私は……『終の聖女』とやらを生むそうですよ? 怖くないんですか?」
メルも、ハルツやエイムズら野良魔族も、一切態度が変わらなかった。
なぜ、と思う。
チナミは怖かった。
優しくしてくれた彼らや、ルドウィンにとって、いずれ――忌まわしい存在になるかもしれない。彼らの憎悪の対象になるかもしれない。
それが、たまらなく怖い。
チナミのささやかな声を受け取ったルドウィンは、繋いだ手に力を込めた。
首を傾げ、いつもの軽やかな笑みを浮かべる。
「神官長の言う神託とやらが真実だとして、本当にチナミが将来『終の聖女』の母になるとして……それの何が怖いんだ?」
「え……?」
目を瞬かせるチナミに、彼はなおも続ける。
「神託を解釈するのは、神ではなく俺達だ」
ルドウィンの持論によると、アヴァダール王国上層部は『終の聖女』を『魔族を殲滅させる力を持った聖女』と考えたらしいが、あんなものはどうとでも解釈できるという。
「たとえば将来、俺達の間に子どもが生まれたとしよう。その子は、人族と魔族との懸け橋になるかもしれない。争いを終結に導けば聖女という存在自体が必要なくなるな」
「あ……そうすれば確かに、『終の聖女』……?」
「あり得ないことではないだろう? 何といっても次期魔王と、幻の出張店の料理人様の子だ」
「料理人様って、私の肩書き弱すぎません……?」
次期魔王に並べるとあまりに不釣り合いで、チナミはつい笑っていた。
なぜかルドウィンの方が自信満々だから、こうしていつも励まされてしまうのだ。
彼のこういうところが好きだ。
悩みなんて吹き飛ばしてしまいそうな笑み。頼りになる背中に、子どものように絶えず変化する表情。真っ直ぐに伝えてくれる好意。
何ごとも深刻に考えがちなチナミにとって、ルドウィンの太陽のような前向きさは、とても得難いものだった。
オルディアス達との子どもなんて想像すらできなかったのに、ルドウィンが子どもの話を口にした時は、自然に受け止めることができた。
全部、彼だからだ。
それからルドウィンは、魔族領について説明をしてくれた。
山のような威容を誇る大樹は、世界を支える木とされているらしい。
ルドウィン達王族が住まう王宮は、大樹の元々のかたちを生かして築城されたもの。魔族領の繁栄の中心地であり、誇りでもあるのだという。
「王宮へは歩いても行ける。昔は階段などなかったのだが、魔力のない者は飛ぶことができないから、そういった者達への配慮で作られた」
「あぁ……」
ルドウィンから以前、魔力のない者は迫害されると聞いたことを思い出す。
彼の兄が幽閉されているのだとも。
ルドウィンの横顔は、いつの間にか硬いものとなっていた。繋いだ手からも緊張が伝わってくる。
「魔力のない魔族は、昔から迫害されてきた。今は若年層を中心に改善されつつあるが、頭の硬い者は一定数いる。彼らが人族にどのような目を向けるかは……正直、俺にとっても未知数だ」
魔族は、魔力を持たないことを極端に恐れる傾向にあるという。
だからこそ魔力なしを蔑み、過剰に攻撃する。
なるほど。魔力を持たない魔族は、人族とほとんど変わらない。いつだったか、そんな感想を口にしたことがある。
もしかしたらその時から、ルドウィンは不安を抱いていたのかもしれない。ずっと迷っていたのかもしれない。
魔族にとって、人族も魔力なしのような迫害の対象になるのではないか……と。
ルドウィンは立ち止まると、チナミの両手をぎゅっと握り締めた。
「チナミ。俺はさっきも言ったように、君といられるならどこであろうと構わないんだ。一緒に人族の国……アヴァダール王国以外のどこかに――……」
彼はこのために、メル達他の魔族を先に行かせたのだろう。
チナミは、苦しげに唇を引き結ぶルドウィンの頬にそっと触れた。
そうして、ゆっくりと笑う。
「……どこに、行くんです? 私を、ご家族に紹介してくれるんじゃなかったんですか?」
彼の深い青色の瞳が揺れる。
頬にあるチナミの手に触れ、力なく首を振った。
「チナミ……君にはもう、傷付いてほしくない」
ルドウィンが、何を指して言っているのか分かる。王都にいる時、チナミは散々傷付いてきた。
けれど、大丈夫。
ルドウィンが隣にいてくれたからこそ、前よりも強くなれたのだ。
「私達が、人族を受け入れてもらえるよう、頑張ればいいだけです。それでどうしても無理だったら、一緒に逃げちゃいましょう」
いつもとは逆に、チナミが自信満々に笑う。
彼は面食らったように目を瞬かせた。
「まだ魔族にとって、人族がどのような立ち位置になるかは分からない。人族も魔力なしも、みんなが快適に暮らせるようになったらいいですよね」
ルドウィンの表情に、みるみる希望が宿っていく。深い青色の瞳がきらきらと輝く。
「そのためにも、絶対に料理店をはじめてみせます。魔族の人達の印象も、それで変わっていくかもしれませんし」
ルドウィンを頼るばかりではなく、チナミだってできることをしていきたい。
人族のチナミが頑張れば、ルドウィンと共に歩む未来の助けにもなるだろう。
ルドウィンはゆるゆると口角を緩めると、ぎゅっとチナミを抱き締めた。
「ひゃっ、唐突に何ですか……!」
「チナミ! 君が愛おしすぎて、俺はどうにかなりそうだ! 好き! 大好きだ! 本当にずっと独り占めしていたいくらいに……!」
「それは駄目ですよ。料理店は絶対開きます。隠しごとだらけのルドウィンさんには、一つくらい譲歩してもらわないと」
「うぅ、交渉上手……! そういうところもたまらなく素敵だ……!」
彼は悔しそうにしながらも笑っていて、ゆっくりと体を離した。
「……あぁ、もう止めない。魔族領には海があるから、いずれはそうなると思っていたしな」
「え、海があるんですか?」
アヴァダール王国は海に面していないため、魚はものすごく貴重だった。チナミが王都で開いていた料理店でも、出汁にする以外で使ったことはない。
新鮮な海鮮が手に入るなら、今よりもっとレパートリーが増やせる。
生のままで味わえる海鮮丼もいいが、生食の文化がないならアクアパッツァやパエリアからはじめた方がいいだろうか。
チナミは断然寿司が食べたい。
それにカニクリームコロッケにしらすピザ、海老フライ、ブイヤベース、アサリの炊き込みご飯。
たこ焼きだって夢じゃなくなるのだ。
――エナちゃんにも食べさせてあげたいな……。
エナは、全ての真相を知らない。
アヴァダール王国で聖女として頑張る彼女には、悲しい事実ばかり。わざわざ傷付ける必要もないし、まだ知らないままでいいと思っている。
けれどそれだって、いつか笑って話せればいい。
魔族領に開いた料理店で、また一緒にごはんを食べながら。
「……海、いいですね。おいしいものがたくさんあるし、久しぶりにのんびり海を眺めたいな……」
チナミの言葉に、ルドウィンは首を傾げた。
「海が好きなのか?」
「はい。私の名前、『千の波』って意味なんです」
この世界では漢字など使わないけれど、父がつけてくれた大切な名前。
そういえば、ルドウィンの深い青色の瞳は、海の色に似ている。
だから見つめられると安心するのだろうか。
彼は目を細めると、繋いだ手に力を込めた。
「じゃあ、海はあとで一緒に行こう。まずは拝謁のため、チナミには存分に着飾ってもらわねば」
「え?」
「魔王陛下への謁見だから、当然だろう? 挨拶が終わったら、兄上にも俺の大切な人だと紹介したいな。あぁ、海に行く時はメルに気付かれないようにしよう。邪魔をされたくないから」
「え、え?」
魔王との謁見。
彼の父親が魔王であることは聞いていたのに、今さら実感が湧いてきた。
咄嗟に及び腰になったチナミだが、ルドウィンに手を離す気はないようだ。
これはいちゃいちゃするためであって、逃走を阻止するためだとは思いたくない。
――まぁ、いいか……。
チナミはすぐに抵抗を諦めて嘆息する。
どうせ一緒に旅をはじめた時のように、また押し切られてしまうのだろう。
それはそれでいい。
抜けるような青い空を見上げ、チナミは柔らかな笑みを浮かべた。
さぁ、この国でどんな料理を作ろうか。
これにて完結となります!
最後までお付き合いありがとうございました!
少しでも面白いと思ったら、感想や評価、ブックマークなどよろしくお願いします!




