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遭難者二人目?

 時折向けられる、酔いに任せた口説き文句。

 適当な愛想笑いでかわしていたのに、熱狂的ファンはチナミを許しはしなかった。

 凄まじい嫉妬と、それに伴う誹謗中傷の嵐。

 たくさんの男と並行して付き合っている。料理と共に体を売っている。貞操観念が緩い。あばずれ。実は魔女で、料理に惚れ薬を仕込んだ。男を手玉に取って荒稼ぎしている詐欺師。稀代の悪女。――陰湿だが、風評被害を目的としていたなら、十分その役割を果たした。

 噂に敏感な女性はほとんど寄り付かなくなったし、自らの伴侶や子にも出入りを禁じた。

 噂を信じてというより、過激な騒動の巻き添えになるのを避けるため。

 他に、物的な被害もあったから。

 店舗の壁に落書きされたことも、店先に植えた花を根こそぎ抜かれたこともある。虫や動物の死骸が置かれていたことも。

 チナミが首席文官や神官長に被害を相談しても、得られるのはほんの僅かな安息のみだった。何日か経てばまた津波のような悪意が襲いかかってくる。今度は彼らに知られないよう、もっと巧妙で悪質な手段を用いて。

 それからはもう、エナや大家くらいにしか相談できなくなった。それだって迷惑はかけられない。

 一人で不安と戦い続ける孤独。苦しみ、悩み、少しずつ疲弊し……しばらくすると、チナミはだんだん腹が立ってきた。

 なぜ自分が我慢しなければならないのだろう。

 いつもと変わらぬふりで料理を振る舞い、笑顔を振る舞い。――その中に、チナミの不幸の元凶が交ざっているのに?

 馬鹿馬鹿しいったらない。

 ぶっちゃけ、自分の影響力を考えず、周囲の動向も把握せずというのは無責任すぎる。

 悪事に手を染めた人間が悪いのだから、彼らに全ての責任があるとは言わない。

 だが、安穏と食事を楽しみ、少しの責任もないという顔で言い寄られている内に――この人達とは一生理解し合えないだろうな、と悟ったのだ。

 嫌がらせからも解放されるためには、店を畳むしかない。とにかく何もかもから逃げ出したい。

 チナミはその望みが破裂寸前まで膨らむ前に、実行を決断した。

 そもそも、彼らはなぜ言い寄ってきたのか。

 ただ料理を提供したくらいで何なのかというほど、過度な好意。

 なぜ自分なのか。王都で食堂を切り盛りするおばさま達の料理を、全て味わった上での行動なのか。正直、熱量に困惑するばかりだった。

「――おいしそうな匂いだな」

 物思いにふけっていると、第三者の声が響いた。

 聞き覚えのある、低くて張りのある声。

 視線の先には、再び旅装の人物が立っている。

 だがこちらは見覚えがあった。

 いつも出張帰りなのか、旅装のまま料理店に立ち寄っていた、常連客ではないか。

「お客様、なぜここに……?」

「ルドウィンだ」

「え?」

 チナミの問いを遮った常連客は、そのまま旅装のフードを取り払う。

 その姿が明らかになる。

 涼やかな銀髪と、宝石のように深い青色の瞳。

 繊細そうな色合いとは対照的に、強い日差しを彷彿とさせる、健康的に焼けた肌。広い肩幅、長身のたくましい体躯。

 しばし精悍な美しさに圧倒されたものの――すぐに彼の正体に気付いた。

 ルドウィン。

 他国出身の平民、その上最年少でアヴァダール王国騎士団長の任に着いたという、王国史上前例のない傑物。王都でも有名な人物だった。

 まさか、彼までも常連客だったなんて。

 チナミは反射的に警戒していた。

 ルドウィンにも当然、熱狂的ファンがいたはずだ。美貌も地位も名声もあるのだから間違いない。

 つまり、チナミにとっては天敵とも言える。

「き、騎士団長様……」

「ルドウィンでいい。店主、これからは俺も君を名前で呼んでいいか?」

 嫌です、もう美形はこりごりです。というかなぜここに。もしかして、あのしつこい男達の内の誰かが差し向けた追手か。

 横目で確かめると、フラウは騎士団長の登場に委縮しきっている。これは、ソルタ村出身の行商人と知り合いの可能性は低そうだ。

 様々な主張やら疑問やらが頭の中を飛び交っていたけれど、チナミは平静を装う。

 ただし、いかにも礼儀としての動作で、いつでも逃げられるように立ち上がりながら。

「とんでもございません。騎士団長様とは知らず、これまで生意気な口をききました」

「かしこまる必要はない。騎士団長の地位は捨ててきたからな」

「……はい?」

 あまりに清々しく宣言するものだから、チナミは呆気に取られてしまった。

 ルドウィンはなぜか腰に手を当てて得意げだ。

「そういうことだから、もう騎士団長と呼ばれては困るんだ。これからはルドウィンと呼んでほしい」

 にっこりと屈託のない笑顔は、まるで太陽のように明るい。

 チナミの脳内は激しく混乱していた。

 騎士団長の職を辞したということは、もう立場のある人間ではない。

 それなら警戒を解いても大丈夫? いやいや、美形であることは変わらない。

「そうだ、手土産がある。これを捌いて調理するのは俺に任せてくれ」

 放心状態のチナミの前にずいと差し出されたのは、丸々と太った猪。

 ――か、片手で軽々……というか、こんなに大きな猪と戦ったの? 勝ったの?

 情報量が多すぎて思考を放棄したくなってきた。

 その横で、委縮していたはずのフラウが興奮気味に身を乗り出す。

「な、なぜ英雄とまで称えられるあなたが、騎士団長をお辞めになったのですか……⁉ あなたは、この付近の山を根城にしていた盗賊団を一網打尽にしてくださった! ソルタ村の民がどれほど救われたことか……!」

 フラウの熱量には驚いたものの、それはチナミが訊きたいことでもあった。

 ルドウィンの返事を待っていると、彼ははにかんだ笑みをこちらへ向ける。

「その辺りは、食べながら話さないか? ……すまない、腹が減って。よかったら、俺もご相伴にあずからせてほしい」

 何とも気の抜ける返答。

 チナミは脱力ついでに頷いてしまった。



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