チナミのごはん
――何て、ことを……‼
なぜ、そこまでひどいことが言える。
偏見と無遠慮な言葉に、傷付かないとでも思っているのか。
彼らには、こうして森の中に隠れていた魔族が、本当に悪として映っているのか。
楽しいと笑い合って生きていたい。
みんなただそれだけなのに。
カッとなって進み出ようとしたチナミを、ルドウィンが片手で制した。
彼はオルディアス達を見据えたまま、切り込むように訊ねる。
「神の鉄槌ね。神とやらの存在自体疑わしいが、そもそも『終の聖女』というのは何だ? アヴァダール王国上層部では、どのように解釈されている?」
オルディアスの微笑みは、残酷なまでの愉悦に満ちていた。
「そんなことも理解できないのかい? 『終の聖女』――王国が求めてきた唯一無二。魔族を……つまりあなた達のような者共を、殲滅させる力を持った聖女のことだよ」
「……え……?」
チナミの声は、震えていたのかもしれない。
オルディアスの笑みはますます愉悦に歪んだ。
「あなたが魔族といるなんて、滑稽だね。チナミこそが――彼らに破滅をもたらす存在なのに」
チナミは、足元から地面がなくなっていくような感覚を味わっていた。
もし、本当にそれが正しかったら。
……チナミという存在は、魔族にとって害悪にしかならないのではないだろうか。
かすかに震える肩を、誰かが支えた。
ルドウィンではない。
背の小さいメルでもない。
「――私達の恩人に、そのような暴言は許さない」
進み出たのは、メルの騎士で鳥の翼をもつハルツだった。
隣にはエイムズも、他の魔族達もいる。
ずっと知らんふりで食事を続けていたのに――こちらの騒ぎに関わらないよう息を潜めていたのに、一体なぜ。
ハルツは、状況に不釣り合いなほど美しい笑みをチナミに向けている。
「おいしいお食事を、ありがとうございました。チナミ様の優しさのおかげで、私達がどれほど救われていることか」
「ハルツさん……」
彼女の示す感謝が、カレーだけに向けられたものではないと分かった。
差別にさらされた魔族達が、人族の冷たさに絶望しなかった。人族など全員同じだと、見切りをつけないで済んだ。
そういった意味での『ありがとう』だった。
胸が詰まって涙がこぼれそうになる。
『終の聖女』にまつわる説明が、聞こえなかったはずないのに。
エイムズも、にかっと笑って口を開いた。
「単純に、ごはんも滅茶苦茶うまかったっすから」
「あぁ。あなたが作る食事には、食べる相手への愛情が込められていた」
「善意で助けてもらったなら、こちらもできうる限りのお返しをしなくてはなりませんもの」
「ねーさんの料理、また食べたいしな!」
他の魔族達も、続々と感想を口にする。
軽い口調だが、そこにはたくさんの思いが籠っているようだった。
魔族と一括りにするのではなく、個人と向き合いたい――そう考えるチナミのように。
チナミが何者であっても構わないと、そう考えてくれるのか。
「あ……ありがとうございます……!」
涙声になりながらも、感謝の言葉を口にする。
チナミが察したように、きっと言葉にしきれない思いも伝わったに違いない。
ハルツは笑顔で頷いた。
「とんでもない。あなたが魔族領に逃げ込むというなら、全力で助太刀いたします」
「え……?」
魅惑的な赤い唇が紡いだ言葉を、一瞬理解できなかった。
そもそも魔族領に向かう予定は、彼らに話していなかったのに。
「で、ですが、みなさんそれぞれ森に潜んでいた事情があるんじゃ……?」
チナミの疑問に、頬に鱗を持つ魔族が厳めしく首を振った。
「非常時に、そのようなことは言っていられない。事情は知らずとも、あの者共にあなたが囚われてはならない、ということだけは分かる」
「うんうん、ねーさんはとりあえずこの国を出た方がいいって!」
「私達なら、自分のことはどうとでもできるわ。でもあなたをこのまま放っておいたら、おかしなことに利用されてしまいそうだもの」
目的地を知っていたわけではなく、とにかくチナミの身を案じてくれているらしい。逃がすためなら、一度魔族領に帰還することになってもいいと。
「そんな、ご迷惑をおかけするわけには……」
気持ちは嬉しいが、巻き込むことはできない。
やる気満々の彼らをどう宥めるかと焦るチナミだったが、ふとルドウィンと目が合った。
彼は精悍な面差しに、いたずらっぽさを乗せて目を細める。
「ほら、言った通りだろう? チナミは料理で色んな人を笑顔にできるし、幸せにできる。それは、人を変える力だ」
ルドウィンの言葉が、胸に染み渡っていく。
いつだってチナミが頼りにしてきたもの。
彼が言うならそうかもしれないと前向きになれるし、彼が何でもないように笑うなら――『終の聖女』という話も、些細なことに思える。
チナミは、野良魔族達に向けて笑った。
「……ありがとうございます。やっぱり、私一人の力ではどうにもならないので、手を貸してもらってもいいですか?」
正直、助力はありがたい。
思い切って本心を口にすると、ハルツ達は笑って頷いてくれた。
けれど、こちら側でどんなに話がまとまったところで、王国側はそうもいかない。
「チナミ――僕が簡単に逃がすと思う?」
オルディアスが手を一振りしただけで、騎士達が一斉に臨戦態勢に入った。
多勢に無勢、かもしれない。
チナミは、魔族がどれほど強いのか分からない。
おそらくルドウィンは別格だろう。先ほども、全員敵ではないと豪語していた。
けれど、他の者達は?
魔力量は多くても、戦闘に慣れていない者だっているはずだ。もし、チナミに手を貸したことが原因で、怪我でもしてしまったら。
そんな不安や緊張でいっぱいになっていたチナミが振り返ると――彼らはいたって通常運転だ。戦闘態勢に入ってすらいない。
――あれー?
先ほどの力強い首肯は、見間違いだったのだろうか。白昼夢でも見たか。
その中でも笑みさえ浮かべているルドウィンは、やはりある意味では別格だった。
「あの、ルドウィンさん……?」
「君は、特別な存在なんだろう。不思議だが、チナミの手料理を食べると本当に力が湧いてくるし、安定するんだ。精神的にも、物理的にも」
ルドウィンは、こぶし程度の大きさの石を拾い上げると――顔色一つ変えずに握り潰した。
チナミはあんぐりと口を開ける。
石は、砕けたという表現では不適切なほど粉々になり、風に舞っていった。
サラサラと、土に還っていく。




