窮地
差別をなくすなんて、そんな大それたことはできないと分かっている。
でも、魔族領と隣り合う地だからこそ、分かり合い、助け合うこともできるはずなのに。
「悪い魔族がいるから恐ろしいんじゃないか‼ たった一人の悪い魔族に、村人全員根絶やしにされるかもしれない‼」
一人の男が憎々しげに叫んだ。
おいしいと笑ってくれた人だった。
庇うように前へ出ようとしたルドウィンを、チナミは制する。
「魔族も人族のように、悪人も善人もいる。けれど善人の方が多いから、人族の生活を脅かさないよう守ってくれている――そう考えることはできませんか? 魔族は、本当に絶対の悪なんですか?」
同じものを食べて、同じように笑えるのに。
チナミはそれがひどく悲しい。
ルドウィンの口振りから、魔族領には様々な法があることも窺える。
法治国家なのだ。
痛ましい出来事が起これば憂い、そこから法を作っていったのだ。
ただ、同じように生きているだけなのに。
少しでも分かってもらいたくて訴えていたが、村人達の表情は硬い。
「さっきから、おかしなことばかり言って!」
「魔族は悪に決まってるじゃない!」
「そうだ! やっぱりあんたも魔族なんだろ!」
男の子が、足元の小石を投げつけてくる。
本当に小さな石。肩に当たっても痛みすら感じないものだったけれど……チナミの頬を、一筋の涙が流れ落ちる。
先ほどより大ぶりの石を拾い上げた男の子は、その涙を見て躊躇した。
けれど、周囲の大人達は違う。
男の子に感化され地面の石を拾いはじめる。
今度こそルドウィンが、チナミを背に庇った。
一気に窮地に立たされたチナミ達だったが――両者の対立を諌める者が現れる。
「みなさん、どうか落ち着いてください」
湧き上がる悪意をたった一言で鎮めたのは、シルファだった。
「いがみ合うのは悲しいことです。常に己の誠実な心と向き合い、他者を許す……それこそがアヴァダール神の教えの本質ではありませんか」
彼は神官長らしく、神の名で人々を導いていく。
そうして、チナミを振り返って微笑んだ。
「それに彼女は――私の生涯の伴侶となる方です」
ぴたりと喧騒が消える。
チナミもルドウィンも、村人まで固まっていた。
メルだけは我関せずとピザを食べ続けていて、彼女の精神と胃袋の強靭さを思い知る。
「な、何を……」
震える声で問いかけると、いつもの穏やかな笑みが返ってきた。
「私とチナミさんが結ばれることは、神が定められた運命ではありませんか」
常識のように言われても。
怖くなって、チナミは高速で頭を下げた。
「も、申し訳ございません。お気持ちはたいへん嬉しいですが、私は運命なんて知りませんし、シルファ様を好きでもありません」
「きっと今後、好きになることでしょう――それが神の思し召しなら」
ゾッとした。
きっぱり拒絶しているのに、シルファには全くこたえた様子がない。
というより、はじめからチナミの意思などどうでもいいのだろう。
まさに未知の恐怖。
委縮して動けなくなっていると、ルドウィンの手が背中に触れた。
「……チナミ、すまない。勝手なことをする」
「へっ……」
彼の呟きの意味を判じる前に、チナミの身体はふわりと浮いていた。
ルドウィンに、軽々と抱えられてる。
彼は途中でメルも拾い上げ、風を切るような速さで走り出した。
咄嗟のことで騎士達は後れを取る。
ルドウィンは迷うことなく森へ飛び込むと、追手を一気に引き離しにかかった。人を担いでいるとは思えない速さだ。
ぐんぐん遠ざかっていくグルーシャ村。
村人達の呆気にとられた顔も、すぐに見えなくなってしまった。
悪意が届かない場所まで逃げられた。
そう安堵した途端、たちまち涙で視界が滲む。チナミはルドウィンの背中にぎゅっとしがみついた。
「ごめんなさい……私のせいで、前よりもっと、嫌な思いを……」
村人達に届かなかった。
もっとうまく伝えられればよかったのに。
おいしいごはんがあれば、何かが変わると思い上がっていただけ。
無力だった。
体が震えそうになるのを、チナミは必死に押し殺した。本当に悔しいのは彼らのはずなのに、傷付いているなんて知られたくない。
ルドウィンが、優しい声音で語りかけてくる。
「仕方がないことだ。考え方は、そう簡単に変えられるものではない。君が、俺達のために怒ってくれるだけで、十分報われている」
仕方がないと、そうやっていつも傷付いてきたのかと思うと……やりきれなかった。
「私は、自分のために怒ったんです。ルドウィンさんみたいに優しくないから、笑って許すなんてできないんです」
「チナミ――知りたくないか?」
ルドウィンの声音が不意に真剣みを帯びたから、涙を拭いていたチナミは、降ろしてほしいと訴えそびれてしまった。
彼はさらに続ける。
「神官長は何かを確信していた。何か……俺達が知らない情報があるようだ」
「情報……?」
あまりに苦労を感じさせないから、チナミはますます降ろしてもらいそびれてしまう。
戸惑いながら訊き返すと、彼は飛ぶように駆けながらも首肯した。
「覚えているか? いけ好かない首席文官殿と再会した時、奴は君に対して『お会いしたかった』という言葉を使った」
「あぁ、そんなことを言ってたような……」
チナミは、相槌を打ちかけてから気付く。
『お会いしたかった』?
彼がレバンテにいる衝撃の方が大きかったから、違和感を覚えていなかった。
だが、どうしてダリクスはあの時だけ、チナミに謙譲語を使ったのか。
『異世界召喚には別の目的があった』――また彼の忠告が、耳の奥に甦る。
なぜ異世界から聖女を求めたのか――それは、聖女ではない別の目的があったから?
「目的はエナちゃんじゃなくて……私?」
偶然、聖女召喚に居合わせて巻き込まれた。
ずっとそう思っていたのに、その根本から違っているのだとしたら。
チナミは王都での生活を思い出した。
確かに、恵まれていた。
手厚い保障で、何もしなくたって生活できた。
ただ巻き込まれただけなのに、周囲から虐げられることもなく、役立たずと冷遇されることもなかった。料理店をはじめようと思い立ち、王宮を出るまでの間、誰もが優しかった。
けれど、旅をして気が付いた。
国民が苦しい思いをしているのに、働きもしないチナミがいい暮らしをさせてもらえるなんて、絶対におかしい。チナミは聖女のおまけなのに。
慎ましい暮らしの中で優しさを失わなかった、グルーシャ村の村人達。
彼らの偏見に満ちた考え方すら、いいように操られたものかもしれないのだ。
一体、周囲で何が起こっているのか。
誰の、どういった思惑で、自分が何に利用されようとしているのか。
――怖い……。
チナミはぎゅっと目をつむった。
けれど握り締めたこぶしの下の、いつも隣にあった温もりに気付く。
「怖い……怖いです、正直。でも――……」
ルドウィンが一緒なら、きっと大丈夫。
彼の太陽の笑みを目蓋の裏に描きながら、チナミは奮起した。
「知りたいです。私も……怖くても知りたい」
言い切ると、ルドウィンが力強く笑った。
「いい覚悟だ。じゃあ、戦うとしようか」
「さんせい。ぴざも、ぜんぶたべれたし」
メルの満足げな発言に、ルドウィンがガクッと転びそうになった。
「……全部だと⁉ チナミの作る料理は、全部俺のものなのに⁉」
「そんな事実はないですし、子どもと真剣に争わないでください! あともうそろそろ降ろして!」
森にチナミの、締まりのない絶叫が響き渡った。




