私にできること
鬱蒼とした森の中、道なき道を進み続けてどれくらい経っただろう。
先導する村人に従って、シルファ達は黙々と歩き続けている。
チナミ達がついてきていることにも気付いているようだが、特に制止はされなかった。
しばらくして、ようやく村人が足を止める。
問題の場所には他に数名が待機しており、一行に気付くと安堵の表情になった。誰もが救いを求めるようにシルファを見つめている。
彼が進み出ると、自然と人々は道を譲った。
そうしてシルファの前に現れたのは――葡萄のように房状に成った丸い実。
「ひっ……」
村人でなく、騎士の誰かが息を呑んだ。
赤い果皮は下部がぱっくりと割れ、そこから白い果肉が覗いている。白い果肉の中心辺りには、真っ黒な種子。
まるで、目玉。それが鈴なりになっているので、ますます異様に見える。
あれが、『魔族の果実』。
遠目に注視していたチナミはぽつりとこぼした。
「あれって……ガラナ?」
日本にいた頃、見た目が気持ち悪いとSNSで話題になったことがある。
ガラナは白い花をつける、普通のつる植物だ。
確か地球ではアマゾン川の流域に自生しており、アメリカ先住民達は古くから薬用・滋養のため愛用していた。
夏頃に花が咲いたあと、果実が熟す。
小さな実は丸く、房状に成る。その果皮は赤く、熟すると自然に実が弾け、中から黒い光沢のある種が現れるのだ。
教会に駆け込んできた村人が「また魔族の果実が……」と言っていたけれど、それも当然。毎年熟すのだから、毎年あちこちで見かけるはずだ。
目玉が集合しているような見た目も、ガラナにとっては自然な状態。
つまり恐ろしい『魔族の果実』でも、ましてや魔族の仕業でもないということ。
それなのにシルファは、神妙な顔で宣言した。
「なんとおぞましい……これは、間違いなく『魔族の果実』。おそらく魔族が関係しているでしょう」
「!」
チナミは咄嗟に飛び出しかけたが、腕を引かれて押さえられる。
引き留めたルドウィンは冷静に首を振った。
「あの男と違って、俺達は今ただの厄介者だ。何を言っても信用がない」
「でも……!」
「いいんだ。魔族は間違いなく無実だし……そう信じてくれる人がいる。もう、それで十分だ。あの男の不審な行動も、これで理由がはっきりしたしな」
不審な行動。
意味を理解できず眉をひそめるチナミに、ルドウィンは目顔でシルファの方を示す。
神官長は聖水を振りかけ、祈祷を捧げている。
純白の神官服と相まって、とても神聖な儀式が行われているように思える。
「ああいう奴が定期的に派遣されているから、ここの住民は偏見がひどいんじゃないか?」
「え……?」
チナミは目を見開いてルドウィンを見返した。
こちらが魔族の扱いに憤っている間に、彼はグルーシャ村全体を観察していたらしい。
地方の村の、異常なまでに強い信仰。
魔族領との境にあるからだろうと考えていたが、確かにおかしい。
アヴァダール教の総本山がある王都でも、ここまで熱心な信徒に出会ったことはなかったから。
神を信じる方向に、誰かが誘導している?
ぞっ、と背筋に悪寒が走った。
「つまり……魔族への偏見を植え付けるために、国か教会が暗躍している……?」
あくまで可能性にすぎないが、神官長であるシルファが動いているあたり、非常に説得力がある。惜しみない支援物資もそのための小細工の一つ。
だが、何のためにそんなことをするのか。
疑問がそのまま顔に出ていたのか、ルドウィンは苦笑ぎみに口を開いた。
「俺は何となく分かるぞ。すぐ隣にある脅威っていうのは、国民からの理解を得やすい敵だ。国をまとめるには、上層部にとって都合がいい」
アヴァダール王国自体が、魔族の脅威から逃れたことで興った国だ。
国境を守る結界を維持する聖女。
その聖女をもたらした神への感謝から生まれた、アヴァダール教。
聖女を崇め、神の教えを信じることは、アヴァダール王国にとって重要なことなのだろう。国の威信に繋がる。
そのために憎まれ続けるのが、魔族の役割と。
再び立ち上がろうとしたチナミは、足元の小枝を踏んだ。ぱきりと音が鳴って、さすがに騎士達から非難の視線が送られる。
険しい表情の彼らから遅れて、シルファがこちらを振り返った。
穏やかで、静謐を湛えた表情。
にもかかわらず、灰色の瞳の奥にくすぶる熱に、知らず体が震えた。
狂信者、という言葉が頭に浮かぶ。
ピンと張り詰めた糸が途切れたら、一巻の終わり――そんな時、驚くほどの無鉄砲さで、メルが繁みから飛び出していく。
「めだまー!」
魔族を敵対視している者達に対し、無茶だ。
チナミは一瞬青ざめたものの、空気が劇的に緩んでいくのを感じた。
「ぎょろぎょろ、やっつける!」
「こら、危ないぞ」
「『魔族の果実』だ、後ろに下がっていなさい」
さすがに神事の邪魔だと怒れないようで、騎士達が困ったように目尻を下げている。
シルファもあの不気味な熱を消し去り、優しい笑みでチナミを見返した。
「チナミさん。見物は構いませんが、子どもを連れているなら気を付けねばなりませんよ。既に浄化は終えましたが、万が一があっては困りますから」
「は、はい……すみませんでした、シルファ様」
チナミは不自然にならずに、シルファと向き合うことができた。
突発的なメルの行動は、偶然のようにも思える。けれど彼女は外見に見合わぬ精神年齢をしているのだから、意図的な行動だったかもしれない。
おかげで少し冷静になれた。
国か宗教を相手取るのだ、何の準備もなく立ち向かうのは無謀すぎる。
きっと何かいい方法がある。
チナミは笑顔を取り繕って、メルを連れ戻すため歩き出した。
◇ ◆ ◇
SNSで不気味な果実と話題になった時、チナミはガラナについて詳しく調べていた。
ガラナの種子にはコーヒーの約三倍のカフェイン、タンニンが含まれており、これらをアルコール抽出したエキスは疲労回復や滋養強壮の効果があるとされている。
他にも、むくみの予防や改善、脳の興奮状態からくる運動能力の向上、アルツハイマー病を予防する効果もあるといわれていた。
その一方で、カフェインの依存性についても深刻な問題になっていた。
短時間に過剰に摂取すると、心拍数の増加、不安、震え、不眠症、下痢、吐き気などの健康被害をもたらすことがある。カフェインの摂取過多は危険なことだった。
アマゾン流域の先住民は、ガラナの種皮を剥いて洗ったものを粉状にしてから、練って固めて保存していたという。
それを必要な分だけすりおろし、湯に溶かして飲用した。砂糖で甘みを加えたのは、特有の渋みと苦みがあるからだろう。
用法容量を守りうまく付き合っていけば、頭痛の治療薬や鎮痛剤になるという、有用な例といえる。
何かいい方法がないか、チナミはずっと考えた。
チナミにできること。
それは――料理だ。




