新たな旅の仲間
今回は馬車ではなく徒歩だ。
ダリクスにお願いして、馬車一式はソルタ村に届けてもらう手はずとなっていた。
トルティーヤやタコミートのレシピと共に、お礼の手紙も同封させてもらっている。
「ダリクス様。何から何まで、本当にありがとうございました」
わざわざ見送りにも来てくれたダリクスに、チナミは改めて感謝を伝える。
彼の方も、領法の改正に関する調整がついたので、近い内に王都へ戻る予定だそうだ。
「チナミ君、どうか元気で」
「ダリクス様も。どこかに落ち着いたら、手紙を送らせてください」
「あぁ、楽しみにしている。……ここで君と別れるのは、非常に不本意だが」
別れの挨拶を交わすチナミを、ルドウィンが背後に押しやった。
「そんなに手紙をご所望なら、俺が送ってやる」
「報告書の提出期限を守れない元騎士団長殿が、手紙を書いてくださるとは。筆不精は治ったので?」
「ありがたいことに、チナミとの旅は毎日楽しいことばかりだからな」
「おや。たまたまここまで一緒になっただけ、という話ではなかったか?」
「――はいはい、お二人共。名残惜しいのは分かりますが、その辺にしてくださいね」
チナミはややぞんざいに両者を引き離した。
寿命が縮むようなじゃれ合いを止めるのも、ここ最近は当たり前になりはじめていた。
顔を上げふと、ダリクスの視線に気付く。
「ダリクス様?」
「……君に会いたかった気持ちは、本心だ」
どこか切なげな笑みを真っ直ぐに向けられ、チナミはたじろいだ。
彼の真剣さが伝わってきたから。
「いつも、開店間もない時間帯を狙って、君の店に行っていた。その日あった出来事を話したくて」
ダリクスの言葉で、鮮やかに記憶が蘇る。
とりとめのない話を色々した。彼の個性的な同僚について、提供した食事の作り方。
静かな店内に響く、ダリクスの落ち着いた低い声。笑う時の、目を伏せて肩を揺らす癖。
全部、チナミにとっても心地いいものだった。
「何より、他の客がいなければ君を独り占めできた。……そんな何気ない時間が、私の幸福だった」
聞いている内になぜか胸が痛くなって、チナミはいつの間にか俯いていた。
するとダリクスは、チナミのつむじにため息のような苦笑を落とす。
そうしてゆっくり、耳元に顔を寄せる。
いつも適切な距離を保っていた彼の接近に、心臓が跳ねた。
「異世界召喚には別の目的があった――気を付けた方がいい」
「……え……」
囁きは、思いもよらない内容。
顔を離せば、彼はしんみりとした雰囲気を既に消し去っていた。
「そちらの無職より、私の方が確実にあなたを幸せにできる。あなたの気が変わるのを、私は王宮にて待っていよう」
再び甘い誘いを口にするダリクスを、チナミはぽかんと見つめた。先ほどの囁きは聞き間違いだったのだろうか。
ルドウィンの方も何ごともなかったかのように、彼と話を合わせる。
「ハッ。俺達に、首席文官殿が割って入る隙はないな。一生夢でも見ておけ」
捨て台詞を吐くと、彼はダリクスに背を向けて歩き出した。手を引かれ、チナミはわけも分からぬままその場をあとにする。
街を出る頃、ルドウィンはやっと口を開いた。
「……騎士が見張っていたな、物陰から」
やけに慎重な声音に、チナミは首を傾げる。
確かに、ダリクスは数名の騎士を引き連れてレバンテを訪れていた。
「えっと……あぁ。つまり騎士なら、堂々とダリクス様の側に控えていればよかったのに、物陰から見張っているのはおかしい、ということですか?」
ルドウィンは足を止めないまま頷いた。
「はじめから、護衛目的ではなかったのかもしれないな。顔に見覚えがないってことは新人か……はたまた騎士を装った何者か……」
チナミは、その時になってようやく気付いた。
ルドウィンに見覚えのない騎士。そんなの、そう何人もいるはずなかった。
騎士の方も、元騎士団長を見て大げさな反応をすることはなかったので、大所帯ならそんなものかと納得していた。
――騎士を装った何者かって……それがダリクス様を見張ってたって……。
何だか、ものすごく不穏な気配がする。
『異世界召喚には別の目的があった――気を付けた方がいい』
まだダリクスの忠告が頭に響いている。
もしかしたらあの真剣な吐露も、彼らの目を欺く手段だったのかもしれない。
チナミも、考えたことはあった。
毎回国内から選ばれていた聖女。
エナを召喚したのは、国内に聖女が現れなかったせいだと説明を受けているが、なぜ次が現れるまで待てなかったのか。
……たとえば、聖女ではない別のものを求めていたのだとしたら?
ゾッとしたものが背筋を駆け上がる。
チナミは無意識に、ルドウィンと繋いだ手を握り返していた。
その時、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ちなみーーーーー‼」
それはだんだん近付いてくる。近付いてくるというか……落下してくる。
ずどん、と背中に衝撃を受ける。
転びかけたチナミを、ルドウィンが危なげなく支えてくれた。
「ちなみ、はんばーぐ、つくって!」
何とも嫌な予感がする、あどけない声。
恐るおそる背中を振り返ると、キラキラと輝く紺碧色の瞳に出会う。
「め……メルちゃん⁉ 追いかけてきちゃったの⁉」
チナミにしがみついているのは、孤児院で仲よくなったメルだった。
「って、あれ⁉ 髪の色が違うよ⁉」
アヴァダール王国では一般的な栗色の髪をしていたはずなのに、少女の髪は淡いピンク色に変化している。ここは異世界だが、こういったカラフルな髪色は見たことがない。
チナミの驚きなど意にも介さず、メルはにこにこ笑っている。
「ちなみ、すき! はんばーぐ、もっとすき!」
「ハンバーグのためについてきたの⁉」
店長の情熱に上回る者がいたことに驚く。
だが、何より動揺したのは彼女が孤児院を抜け出したことだ。シグや孤児院長達も、今頃必死に探しているに違いない。
すぐに送り届けなければと、チナミは元来た道を引き返そうとした。
「待て、チナミ」
制止をかけたのはルドウィンで、チナミの背中から離れようとしないメルを渋面で見下ろしている。まるで、嘘がばれた子どものようだ。
「この子ども……実は、魔族なんだ」
「……えぇ⁉」
チナミは驚いたが、すぐ納得もした。言われてみれば、メルとルドウィンは瞳の色が似通っている。
この国には珍しい、深い青色の瞳。
彼は初対面から気付いていたのだろう、うんざりした態度を隠そうともしない。
「長年一緒にいたように思い込ませる魔術があるんだ。たぶん出てくる時も、最初から自分はいなかったかのように、暗示をかけてきたはずだ。孤児院の連中には抜け出したことすら気付かれていない」
「嘘でしょ……」
やっぱり魔族って結構物騒だ。
そう思われたくなかったから、ルドウィンは同族に気付かぬふりをしたのかもしれない。
「魔族は一途だ。こいつ自身が言っていたように、チナミの作る料理を食べたい一心で、ついてきてしまったんだと思う」
「どうすればいいんでしょうか……?」
暗示とやらのおかげで騒ぎは起きていないのだろうが、メルの保護者はどこかにいて、彼女を心配しているのではないだろうか。
「メルちゃん、おうちは分かる? お父さんかお母さんは?」
ずっと背中に頬擦りしていたメルの顔が、ぴょこんと上がる。
「おうち、あっち!」
彼女が指差したのは……どこだろう。
レバンテが標高の高いところにあるせいか、指先が真っ直ぐ前を向いているのに、空を示しているようにしか見えない。
「本当にどうすれば……」
途方に暮れるチナミを見かねて、今度はルドウィンがメルに語りかける。
「おい、メル。俺達は魔族領に向かう途中だ。一緒に来るか?」
「俺達って。ルドウィンさん、私は……」
「いく! おうちー!」
「……」
彼女の家が、魔族領にあることが判明した。
チナミは引きつった顔を、ルドウィンは期待に輝いた顔を互いに突き合わせる。
彼の思い通りにことが運んでいる気がしないでもないが、このままメルを放り出すことはできない。
ルドウィンさえいれば道中は安全でも、チナミが良心の呵責に耐えられないのだ。
乗りかかった舟だし、目的地のない気ままな旅という理由もある。
魔族領まで付き合ってあげてもいいかなと思ったこともあった。
とうとう、覚悟を決める時が来たらしい。
チナミは深々と息を吐きながら、額を押さえていた手を外した。
「この子を、魔族領に返す必要がありますし……仕方ないですね」
チナミの宣言に、ルドウィンが堪えきれないように破顔する。
ついに魔族領行きを決意した。
……何だか言いわけめいてしまった気がするのは、恥ずかしいから秘密だ。




