変わっていくもの
二人の会話を断ち切ったのはダリクスだった。
裏口ではなく、店舗内にある厨房の出入り口からの静かな登場。今夜の彼は、王宮で働く際の制服を着用している。
制服といっても、日本人のチナミに馴染みのあるものではない。
階級章や、ペリースという片側だけの肩にかけるマントで所属を表しており、非常に豪奢で優雅。
もちろん、首席文官であるダリクスが着用する制服の色やかたちは、この国で唯一、彼にしか許されない特別製だ。
威風堂々とした姿に見入っていると、ダリクスは鋭い美貌を和らげた。
「チナミ君、疲れているようだね。差し入れにアイスティとエールを持ってきた。どちらでも好きな方を飲んでほしい」
「ありがとうございます」
チナミはルドウィンの方を窺い、彼の首肯を見届けてからエールを選んだ。
ついでに腹ごしらえもしようと、大きめの丸パンを四つ取り出す。
それを輪切りの要領で半分にカット、肉汁が残る鉄板で温めてから、チーズソースがかかったハンバーグを四つの断面にそれぞれにのせていく。
蓋をすれば簡単チーズバーガーのできあがりだ。
「まかないということにして、この厨房内の人だけでこっそり食べちゃいましょう。残念ながらパンは二千個も用意してないので」
ルドウィンとダリクス、そして店長は、共犯宣言にすぐ賛同した。
ハンバーグの付け合わせに用意した野菜はブロッコリーと人参なので、レタスはない。
今から洗ったり千切ったりするのは億劫なので、栄養バランスをまるっと無視したままでいただく。気力が戻ったら他の人の分には挟もう。
まずは、ハンバーガーに豪快にかぶりつく。
パンとハンバーグ、チーズは完璧な組み合わせ。
パンにも肉汁がついているので暴力的なほど高カロリーだが、だからこそおいしい。疲れた体に染み渡っていくようだ。
ハンバーガーの味が残っている内に、今度はエールをぐびぐびと流し込む。
パンとハンバーグとチーズを完璧な組み合わせと称したが、大いなる間違いだった。エールも含めたこれこそが正解。
街の人達にばれてはならないという意識も相まって、至高の背徳感だ。
「脳みそふやけるくらいおいしいです……」
「それはよかった。君好みに冷やしておいた甲斐があったよ」
隣に座って野菜なしハンバーガーを食べはじめたダリクスに、感謝を込めた感想を伝える。
ハンバーガーに食らいついているのに、なぜ彼は上品に見えるのだろう。
「盛況のようで何よりだ。やはりチナミ君の料理は素晴らしいね」
「ありがとうございます。何とか売りきることができそうです。街の人全員に行き渡ったというより、二個も三個も食べる人が続出している感じですが」
「それでいいのだよ。作り方は簡単だから、今後レバンテ街の料理店のどこでも食べられるようになるはずだ」
そうか。店長にレシピを渡しておけば、あとは勝手に広まっていくということか。
ハンバーグに対してこれほど熱心で真摯な店長なら、知識の独占はしないだろう。
「ダリクス様の方は、首尾よくいきましたか?」
彼が制服を着ていたのは、首席文官として正式に領主と面会したからだ。
右手にエール左手にハンバーガーの状況で訊くことでもないが、街の今後を左右する話し合いの結果が気にならないはずがない。
ダリクスは、超越的な笑みのまま答えた。
「当然、滞りなく済んだよ。領主を黙らせる程度、容易いことさ」
「容易いんですね……」
国家権力が怖すぎて領主に同情する。
「今後は解体屋が増え、食料分配の不平等は減っていくだろう。しかし、それだけでは抜本的な対策とは言えない。狩りをする者が増えないことには、需要と供給が安定する日は来ないのだからね」
領主の方針を正しても、食料不足は続く。
これまでは狩りや商人からの仕入れで成立していたのだろうが、街の規模に対して畜産農家がゼロというのは、致命的なことだった。
「問題は、魔族に対する考え方。これを国中に周知させるのは困難を極めるだろうが……国境沿いの都市に畜産業を定着させるためにも重要なことだ」
彼の呟きに、チナミは目を見開いた。
「ダリクス様は……魔族に対する認識を変えたいと、思っているんですか?」
魔族は恐れるものというのが、この世界の――アヴァダール王国の価値観なら、簡単に変えられるものではないと思っていた。
まさか、この国の首席文官がそれを成そうとしているなんて。
ダリクスは忙しく働いている店長の方を気にしながら、抑えた声で返した。
「アヴァダール王国建国以来、魔族の襲撃など数えるほどしかない。それどころかここ数百年は、目撃情報すら出ていないのだ。聖女の結界があるのに怯え続けるというのは、理論的でも合理的でもない」
チナミは、彼の考え方を理解することができた。おそらくこの場にエナがいても、同じく。
それは、チナミ達が違う世界から来たからだ。
魔族に怯え続けることが当たり前の世界で、育っていないから。
だからこそ、アヴァダール王国の貴族として生まれたはずのダリクスの思想は、極めて異端だった。
チナミの視線が自然とルドウィンを向く。
人族のためにハンバーグを焼き続け、彼らに笑顔を返している魔族の青年を。
気付けば、ダリクスもルドウィンを見つめていた。口を開けば互いに皮肉ばかりのくせに、その瞳はひどく穏やかだ。
……もしかしたら、ダリクスは知っているのかもしれない。
ルドウィン自身が直接話していなかったとしても、長年共にいれば、気付くきっかけはいくらでもあるだろう。
相手は、王国の知の最高峰たる人物なのだから。
「私も……私も、心からそう思います。隣人同士が傷付け合うことのない世界――ダリクス様なら、いつか必ず実現できます」
「ありがとう、チナミさん」
やはりダリクスはすごい。
これまで、彼への尊敬は失望に変わっていた。
ダリクス達のファンによって傷付けられ、苦しめられているのに、なぜ助けてくれないのかと。
チナミは、自分の独りよがりな考え方に、今頃になって気付いた。
――恥ずかしいな……恨むのは筋違いだって、自分でも分かってたはずなのに。尊敬は、尊敬のままでよかったのに……。
悪意に負けて、大切だった思いまで手放してしまうところだった。
たとえ許せないままでも、尊敬や親しみを無理に捨て去る必要はないのだ。
ダリクスに対してだけでなく、アーケアにも。
これから先もずっと、彼らの活躍を遠い地から応援していきたい。
「……全てを、変えてみせるよ。私は」
「はい。きっと、できます」
賑やかな喧騒がどこまでも続く中、二人はささやかに笑い合った。
◇ ◆ ◇
レバンテ街はずいぶん雰囲気が変わり、人々は少しずつ活気を取り戻しはじめていた。
要因はもちろんハンバーグ。
もっとおいしい食べ方はないか熱を入れて開発する料理店、それを聞きつけて雪崩れ込む客達。食後には真剣な顔で品評会までして、一大旋風を巻き起こしていた。
富裕層と貧困層の間に生じていた分断など、今やなかったことになっている。
そして、一週間後の早朝。
本意ではないものの、すっかり有名人になってしまったチナミとルドウィンは、ひと気のない時間帯を狙って旅立つことにした。




