ささやかでもできること
「すみません、厨房への立ち入りは……」
出て行くよう促す声は、闖入者を見て途切れる。
「店長ばっかりずるいじゃないか。俺達にも早く食べさせてくれよ、チナミさん」
そこには、三日前に会った時よりずっと顔色がよくなったライルがいた。
ライルが――というより、その後ろにまで大勢の客が押しかけている。
「俺も、一カ月溜めた小銭を持って来てやったぜ」
「はんばーぐ! おいしそう!」
その中にはシグとメルの姿もあった。
呆然としたまま動けなくなったチナミを、ルドウィンが正気に戻す。
「チナミ、まだ料理の途中だぞ」
「そ、そうだった……」
「配膳の労力を考えると、いっそこのまま裏口に並んでもらえば効率がいいんじゃないか?」
「そうかも……店長さん、いいでしょうか?」
「はい、ハンバーグのためなら構いません!」
話している内に冷静さが戻って来る。
そうだ。今はとにかく料理に集中しなければ。
「――では、ライルさんの胃にも優しい和風味、すぐに作りますね!」
和風なら、盛り付けたところにソースをかけるだけ。大根おろしはもうできている。
チナミはやる気をみなぎらせて、次のハンバーグを焼き上げる準備に取りかかった。
本当は、貧民街の者達から食事代を取るか、最後まで悩んだのだ。
彼らの切り詰めた生活を目にしていたから、最低限の材料費とはいえ心苦しかった。
不安になるチナミを説得してくれたのは、ルドウィンとダリクス。
食事代を限界まで抑えれば、彼らでも手が届く。富裕層と貧困層の分断を解消するためにも、優遇ととられるようなことがあってはならない。
何より、絶対おいしいのだからと。
ライル達の生き生きとした顔を思い出し、チナミは泣きそうになった。
それでも、ハンバーグを焼く手は止めない。
次はデミグラスソースを、さらにその次はそこにチーズや目玉焼きをのせたものを。
チーズソースやホワイトソースのハンバーグも次々に焼き上がっていく。
体力無尽蔵のルドウィン、そして店長にも手伝ってもらって、ハンバーグを提供し続ける。
時折休憩は挟みつつも、とにかく数が多いので疲労が溜まっていく。
一度にハンバーグを三十個ほど焼ける鉄板が二枚あるのだし、成形作業よりはずっと簡単だろうと侮っていた。何度か鉄板を洗いつつ、十回ほど焼成を繰り返したところで、腕も立ちっぱなしの足もぱんぱんになっていた。
これまでにチナミが焼いたハンバーグは三百個。ルドウィンが同じペースで作業していると考えても、合わせて六百個。まだ半分にも達していないと白目を剥きそうだった。
その後もとにかく気力だけでハンバーグを焼き続けていれば、いつの間にか日が暮れていた。
焼成作業も何とか終盤に差しかかっていたが、チナミはついに力尽き、ほとんどルドウィンに任せきりになってしまった。
「ごめんなさい、いつもルドウィン様を頼ってしまってばかりで……」
あと少しで完売。ソースもいくつかの種類は品切れになっていた。
それなのに、あと一息を頑張れないなんて。
ハンバーグの評判がよかったことは嬉しいのに、手放しに喜べない。チナミは少し落ち込んでいた。
ルドウィンは、謝罪の言葉に笑みを返した。
「君は、自分が本当に無力と思っているのか?」
チナミがのろのろと顔を上げると、彼は販売開始の頃と変わらぬ様子で立ち続けていた。
暗くなった厨房に灯る暖色の明かり。
僅かな光でも弾き返す銀色の髪、深い青色の瞳が輝いている。
けれど何より目を惹くのは……ルドウィンの柔らかな笑顔だった。
「君は、誰よりすごい力を持っているじゃないか」
チナミは、彼の視線の先を追うように、厨房の外に目を向けた。
既に暗くなった通りの軒に、小さな明かりが連なっている。やや頼りない明かりの下には、誰が真っ先に持ち出したのか、テーブルや椅子、ベンチなどが、所狭しと並んでいた。
「おいしい! はんばーぐ、おいしい!」
「おう、嬢ちゃん! ここに座ってゆっくり食べな! ほら坊主も!」
「ありがとう、おいしいね!」
「あぁ。何しろ、俺が食べたハンバーグには、目玉焼きとチーズがのっててよぉ」
「羨ましいですが、私のハンバーグは照り焼きというソースがかかったものだったので、これに勝るものはないかと……」
シグとメルが、酔客に交じって笑っていた。
各々好き勝手に酒を飲んだり、友人同士で分け合ったりしながらハンバーグを楽しんでいる。清潔な服を着た人も、そうでない人も関係なく。
そこに富裕層と貧困層の垣根はなかった。
笑っている。誰もが楽しそうに、幸せそうに。
「チナミは料理で、こんなにたくさんの笑顔を作ることができる。これを見てもまだ、君は自分の力を信じないのか?」
得意げに笑うルドウィンに、チナミは頬を緩めて息をついた。
――だから、何でルドウィン様が得意げ……。
そんな子どもじみた彼を可愛いと思ってしまうのだから、自分も大概だ。
料理店を潰すきっかけとなった国の重鎮達は、ダリクスも含めていつも一方的だった。
恋や愛を勝手に主張して、チナミ側の事情など考えもしない。
けれど同じく常連客だったルドウィンは、常に素性を隠して来店していた。当然のようにしてくれた配慮が、今さら嬉しい。
だからといってすぐに恋愛に前向きになれるわけではないが、ひどい男性ばかりでないというのは、チナミにとって救いだった。
彼と一緒に旅ができてよかった。
彼という人を知れてよかった。
ちょっとくらい、魔族領まで付き合ってあげてもいいかなと思うくらいには。
「ありがとうございます――ルドウィンさん」
語尾が若干小さくなっていたのに、ルドウィンはハンバーグがジュージュー焼ける音の中でも聞き逃さなかった。
一拍置いて振り返った彼の顔には、驚きと確かな喜びがある。
「チナミ、今……!」
「――立て込んでいるところ失礼する」
異世界料理店、初めての感想をいただきました!
本当にありがとうございます!
ものすごく励みになりました!




