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元気になるには料理に限る


   ◇ ◆ ◇


 実際のところ、アヴァダール王国が大陸の最西端というのは、誤った表現だ。

 正確には、人間の土地と魔族の所領との境界。

 アヴァダール王国の西端には、高い高い断崖がそびえている。

 これが、人間と魔族の土地とを隔てていた。

 人族と魔族の間に横たわる断絶を物語るような、峻厳にそびえ立つ崖。人では決して越えられないものだが、魔族ならば容易く侵せる国境でもある。

 魔族とは空を飛び、魔力を操り、人族を襲って食らう恐ろしい生きもの。

 古の時代。魔力を持たない人族は、脅威から身を守るために特別な力を欲した。

 祈りは天に届いた。

 争いのない世界を願う平民の少女が、強い結界を維持する力を授かったのだ。

 そこから聖女という概念が生まれ、ただ一柱の神を祀るアヴァダール教が興った。

 聖女と、彼女を献身的に支えた信徒を長としていただき、アヴァダール王国が興ったのもその当時だと言われている――……。



 ……という経典は聞かされていたけれど、チナミは西へ移動していた。

「はぁ……やっぱり森っていいわ……」

 それなりに起伏のある獣道を歩きながら頭上を見上げると、きらきらと揺れる木漏れ日が目映い。肺いっぱいに吸い込んだ空気は緑の匂いがした。

 異世界に来てから……いや、ブラック企業で過酷な労働を強いられていた頃からそれどころではなかったけれど、チナミは学生の頃、トレッキングやキャンプを趣味にしていた。

 最終的に外で食べるごはんが好きという結論に落ち着くのだが、自然豊かな場所は性に合っている。

 食堂の閉店を決めた時から、旅立ちの準備は少しずつ進めていた。

 貴重な地形図も頭に入っている。

 西に進路をとったのは、久しぶりに森林浴を満喫しようと思い立ったからだ。

「ただ、トレッキングシューズがないんだよなぁ……こっちに召喚された時に履いてたのはパンプスだし、動きやすい靴とか、便利なものが開発されてない世界観っていうね……」

 エアクッションとまでは贅沢を言わない。

 せめて厚みのある中敷きがあれば、少しは衝撃を和らげることができるだろうに。

 直接地面に触れているのではと錯覚するほど、足裏が痛い。そろそろ靴擦れの痛みも誤魔化しがきかなくなってきた。

 いい休憩場所はないかと考えながら進んでいると、急に目の前が開けた。

 湖だ。

 澄んだ水色の、それほど大きくない湖。

「やった、水場だ」

 チナミは湖のほとりに腰を下ろし、履き慣れた革のブーツを脱いだ。

 素足を冷たい水につけると、疲れが吹き飛んでいくようだった。

 風が森を揺らす音と、時折魚が跳ねる音。

 静寂に胸が満たされていく。

 猛獣が出ないかと、どこかで警戒していたから、張り詰めていた神経が弛緩していくのが分かる。急激にお腹まで空いてきた。

 アヴァダール王国の王都は、北西部に位置する。

 そのすぐ西側に広がる森は、かつて王族の狩猟場として使われていたという。

 森の中の湖は、王都からかなり離れた位置にあったはずだ。ずいぶん遠くまで来た。

 五年も過ごしてきた場所に、何の未練もないというのは不思議なものだった。自然の中にいるからか、むしろ清々しささえ感じる。

「あぁ、あの考えなしのイケメン達も、エナちゃんいわくリアコ勢? とかいう女の子達も、もう二度と関わらなくていいんだ……何て心が軽い……」

 リアコ勢、というのは、芸能人などに本気の恋をしているファンのことらしい。

 流行りに疎いチナミに、エナが呆れながら教えてくれた無駄知識だ。

 無駄なことなのになぜ教えるのかという疑問には、『無駄って人生に必要だから』と、何となく格好いい台詞が返された。

 大好きなエナの顔が浮かび、少し気持ちが沈む。

 ようやく面倒ごとから解放されたけれど、エナとも会えないのだ。

 彼女は持ち前の明るさで再会を約束してくれたけれど、チナミはそこまで楽観的になれていない。まだ何か、心の奥に辛さがわだかまっているような。

「うーん……何かおいしいものを食べたら、元気になるのかな?」

 ここまで、自分が用意した携帯食料を味見程度につまんだだけなので、そろそろちゃんとした料理を食べた方がいい。簡素な食べものばかり摂取していると、精神も荒みがちだ。

 そう。温かい、できたての料理。

 栄養たっぷり、食べた人が笑顔になるような。

「うん。こういう時は料理をしよう」

 幸い、エナが用意してくれた食料は豊富だ。

 チナミはマジックバッグの中から、火おこしの道具を取り出した。

 金属製のもので、オイルのないライターのような仕組みだ。それと火がつきやすい綿に、乾いた細枝、木炭。

 炭に火がつくまでには時間がかかる。

 空気の通り道を塞がないようにだけ注意して、次に食材の準備をする。

 ――炭火で焼くと何でもおいしいけど、ここは鶏肉を使って焼き鳥風? それをアレンジしてなんちゃって親子丼にしてもいいし……。

 その場合、玉ねぎではなく長ねぎが合うだろう。

 これでもかというほど太い長ねぎを、とろとろの食感になるまで炭火で焼く。想像するだけで空腹感が強まる。

 改めて、長ねぎや三つ葉がある世界線でよかった。鶏卵も半熟で食べられるし。

 栄養が偏らないようサラダも作ろうと考えながら、小型の鉄鍋で米を炊く用意をしていく。湖の水に害があるか不明なので、念のため飲用水を使う。

 野外とはいえ手抜きせず、まな板と包丁で食材を切っていく。

 薄く切った玉ねぎは水にさらし、トマトはくし切りにする。レタスは手で千切り、簡単だが手早くサラダを盛りつけしていった。

「ここに醤油とお酢、ごま油、おろしにんにく、白ごま、塩胡椒で作ったドレッシングをかけて……って、あー、やっぱり顆粒だしがないのって痛いなぁ……今回は炭火で焼いた鶏肉を代用するけど、鶏がらの風味が足りないよね……」

 けれどチナミは、最も大切なアイテムを既に作り上げている。

 マジックバッグの中から取り出したのは、手作り味付き海苔の韓国風バージョンだ。

 アヴァダール王国は内陸の国なので、海産物は貴重だった。

 ただの海苔でも高価な上、この国には味付き海苔というものが存在しない。

 だからチナミは、情熱の赴くまま作った。

 材料も作り方もシンプルで、弱火のフライパンで海苔をあぶり、ごま油と塩で味付けするだけ。

 とはいっても、焦がさないよう汁気を飛ばすのにやや時間がかかる。

 しかもこの作業を一枚一枚こなす必要があるため、大量に作った時は、なぜこんなことをはじめてしまったのか……と、後半気が遠くなったものだ。



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