異世界料理店、これにて閉店!
久しぶりの投稿です!
よろしくお願いします!
「いらっしゃいませ、空いているお席へどうぞ」
「今日も繁盛してるねぇ、チナミちゃん」
……異世界転移、という奇妙な体験から五年。
高卒で就職したとはいえ二十一歳だったチナミは社会経験も乏しく、右も左も分からない異世界で様々な苦労を味わった。
「あれ? 何かいつもと雰囲気が違うね」
「はい。今日は、定額食べ放題という方式を試しているんです。時間制限はありますが、料金を前払いしてくだされば、カウンターに並んでいる料理は食べ放題。飲みものも、全ておかわり自由ですよ」
「何それ! じゃあ俺も頼むわ!」
一緒に日本から異世界転移した制服姿の高校生が『異世界転生⁉』『しかも聖女でチートとか最強じゃん』『これやば乙女ゲームか』『あ、おねーさん残念、おまけの方か』と興奮している言葉の、ほとんどを理解できなかった。
聖女って何。おまけの方って何。
「チナミちゃん、こっちエール二杯おかわり!」
「はい、かしこまりました」
「俺達の方は五杯頼む!」
「はい、ありがとうございます」
あの当時は彼女に対し、ひどく世代間ギャップを感じたものだ。
とはいえ五つしか年齢は離れていないので、一概に年のせいにはできない。
父子家庭で育ったチナミは、貧乏暇なしの慎ましい生活を送っていたから、彼女が当たり前に触れてきただろうコンテンツを知らない。事態を即座に呑み込み対応できる柔軟性が羨ましかった。
だから彼女はきらびやかな王族の登場に目を輝かせることができるし、たくましい騎士や神秘的な神官達に目移りすることもできた。
チナミなど、いつ殺されるのかとびくびくしていたというのに。
「食事を自分の好きな量だけとれるっていうのも、画期的だよな。このトマトパスタ、ニンニクが効いててうまい!」
「味付き肉がのったピザも最高!」
「いやこのピラフ食べてみろって! 牛肉ゴロゴロ入ってるぞ!」
よく分からないまま、もう日本に帰ることはできないと説明された。
あまり頼りにならない父の顔や、実家で飼っていた犬の『おだし』の顔が浮かんだ。まだ途中だった仕事、辛い残業を共に駆け抜けた先輩。
チナミの日常はもう戻らないという、残酷な現実を淡々と突き付けられた。
「いらっしゃいませ。すみません。生憎、今日はもう満席で……」
「うわ、一足遅かったか。外で噂聞いて、急いできたんだけどな」
「本当に申し訳ございません」
涙を拭き、このアヴァダール王国で一からやり直す覚悟を決めた。
魔族領と地続きになっているこの国には、聖女が必要不可欠とのことだった。
聖女の役割は、国境を守る結界を維持すること。
本来国内に生まれるはずの聖女が不在となり、苦肉の策としてアヴァダール王国の首脳陣が、聖女の資質を持つ者を別世界から召喚した……というのが、チナミが巻き込まれた経緯らしい。
それから常識を学び、アヴァダール王国の文化を学び、言葉や文字を学び。
二年を経たのち、ようやく王宮から独立してこの店をはじめた。
王都の中でもそれなりに立地のよい、一人で回せる規模のこぢんまりとした店。
店舗を紹介してもらった時は、王室に感謝すらしていたのだ。
「いらっしゃいませ。たいへん申し訳ございません。生憎、本日は満席となっておりまして……」
「嫌だなぁ、毎回他人行儀に。君と僕の仲じゃないか。チナミの手料理を食べるためなら、僕は満席でもいくらだって待てるよ」
「用意している分の食材が終わり次第、今日は店じまいの予定なんです。もしかしたらもう、ここにいるお客様で食べきってしまうかもしれません」
「そうかい……分かった。残念だが日を改めるよ」
チナミは子どもの頃から包丁を握っており、料理は得意な方だった。
提供できるのは家庭料理の範囲でしかないけれど、温かな湯気をみんなで囲む時間が好きだった。料理店をしていれば、そこに仲間入りできる。
それがチナミの幸せであり、やりがいだった。
それなのに、たったの三年で閉店。
客のいなくなった店内は、ずいぶん静かだった。
耳の奥にはまだ喧騒が残っている。
チナミは、照明を落とした店内を見渡す。
まだ木の匂いがするカウンター、発注に四苦八苦したキッチン、テーブルセット。
ビュッフェ形式をとったおかげで、店内の食材はほとんど空っぽ。
評判は上々。作戦としても、上々。
いつもよくしてくれた大家には、前もって伝えてある。惜しみながらも、最後にはチナミの意思を尊重してくれた。
チナミの現状を把握し、深刻さを理解し、親身になってくれた人だから。
会えば迷惑がかかると思い、見送りは断っている。感謝は伝えきれないけれど、せめてもと気持ちを込めて店内を隅々まで綺麗にした。
――私は、何もかも捨てて……逃げるんだ。
料理店だけじゃない。
家族のようだった大家も、こちらの世界でできた友人も、楽しかった思い出も、常連客との他愛ない会話も……大切なもの全部に、背を向けて。
「悔しいな……」
寒々とした空間に落とした本音は、やけに響いて聞こえた。
小さくまとめた荷物を持ち上げたところで、背後に人の気配がした。
「本当に行っちゃうんだね」
「……エナちゃん」
一瞬驚いたけれど、チナミはすぐに頬を緩める。
静かに一人立っていたのは、聖女召喚とやらで共に異世界転移をした高校生、エナ。
「また護衛もつけないで、こんな時間に」
「『聖女チート』を誰が襲うって。最強だっての」
「それでもだよ。……最後に会えて、嬉しいけど」
異世界に来て、チナミは二十六歳、エナは二十二歳になった。
互いにずいぶん馴染んだと思う。
エナが不格好なおにぎりを作ってくれた時から、二人の交流ははじまった。
周囲から望まれ、幸せに暮らしていると思っていた年下の同郷人が、慣れないながら手作りしてくれた食事。彼女は巻き込まれたチナミを気にかけてくれていたのだ。
日本を恋しがり、食べものさえ喉を通らなかったチナミが、泣き暮らすのをやめた日。
地球と同じような食材があることに救われ――生きる気力を取り戻し、この地で一からやり直す覚悟を決めた出来事。
エナは召喚当初からずっと強かった。
まだ学生であったにもかかわらず、アヴァダール王国の重鎮達の言い分に流されたりしなかった。
国を救うこと自体は構わないが、自分達の生活を保証しろ。あと色々押し付けるな。身分がある者との政略結婚とか寒い。
いわく、『乙女ゲーム』より『聖女チート』を極める方が熱いらしい。
「今までありがとう。いつも助けてもらってた」
「別にこれ、最後じゃないし。困ったことがあったら呼んで。秒で助けに行くから」
そう言いつつ、彼女がポイポイ投げて寄越すのは食べものやナイフ、薬、包帯、それに腰につけるタイプのポーチ。
「携帯食料を持ってるから食べものの心配は……って、これマジックバッグ⁉ 確か高いんじゃ……」
「それがあれば日持ちしない食材も持ってけるでしょ。どうせ干し肉くらいしか買ってないと思ったよ。そもそも怪しまれても困るから、たくさんは用意できなかっただろうし」
旅の準備を大っぴらにできなかったのは図星だったので、ありがたくもらっておく。
「……私、また食べたいからね。チナミのごはん」
「うん。絶対また作るね、かつ丼」
「唐揚げとコロッケもね! 全く、あいつらのせいで食べられないなんて癪だし、やっぱり私がぶっ飛ばしておこうか?」
「それは遠慮しておくね」
ずっと仏頂面だったエナが、ふと俯いた。
「チナミがどれほどこの店を大切にしてたか、知りもしないで……」
彼女の怒りは、きっと様々な人に向いたもの。
それは、戦わずに逃げるチナミにも向けられているのかもしれないが……全部、エナの優しさだ。
ずっと側で守ることなど不可能なのに、たぶん、自分自身にも怒ってくれているから。
「ありがとう、エナちゃん。……またね」
チナミは、可愛い友人をそっと抱きしめた。
三年も頑張ったのだ。もちろん店に愛着はある。
あるに決まっているけれど。
長らくご愛顧いただきました、異世界料理店――これにて、閉店させていただきます。
今日中に何話か投稿する予定ですー!