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手料理

翌日の朝。

少し早めに起床し、二つ扉の巨大な冷蔵庫を開けた。大きさと比例して、中身がほとんどないところを見ると、お手伝いさんは食材をほとんど使い切ってしまうようだ。出前を取ることを考慮しているのかもしれない。

「卵と牛乳はある…」

冷蔵庫のポケットに情け程度に残されている食材を見て、私は呟いた。

キッチン横にある3人は余裕で入れそうなパントリー(食品庫)の扉を開けると、食パンが何斤か残っているのを見つけた。その他にも、コーンフレークや乾麺パスタ、缶詰の豆やフルーツ缶、トマト缶などが置いてあった。

「ないのは、お肉類と野菜か」

とりあえず、朝食だけは作れそうだ。

今日は朝から習い事と塾があるとまどかが言っていたのを思い出す。

「さ。ちゃちゃっと作りますか」

私は腕まくりをした。

料理の腕に自信があるわけではないが、好きでよく作っていた。特に大学の頃から親元を離れて一人暮らしをしていたので、料理歴は長い。

「なにを作っているんですか?」

最後の飾り付けをしていると、既に着替えを済ませた妹が立っていた。今までに見たことない表情をしている。興味津々な瞳はきらきら輝いていた。

「朝食はフレンチトーストだよ」

卵液に食パンをしっかりと浸したあと、バターを敷いたフライパンでこんがりと焼き目を付ける。外側はパリッと、中はしっとりと焼き上げたものに、上から粉砂糖をまぶし、サイドに缶詰のフルーツを添えた。

「温かいうちに召し上がれ」

妹はお皿から目を離さずに席に着くと、小さな手を合わせた。

「…いただきます」

私はグラスに牛乳を注ぎ、まどかのお皿の横に置いた。

「どう?一応、私の自信作なんだけど」

妹は黙々と食べている。

「普通」と言われているのを覚悟していたが、お皿が綺麗になるまで妹は無言で食べていた。

「ごちそうさまでした」

結局感想は聞けずじまいだったが、残さず食べてくれたから良しとしよう。

妹はその後も無言のまま、家を出て行った。

「さて、私はこれからどうしようかな」

失敗作のフレンチトーストを口に放り込みながら、呟いた。


「へー結構大きい公園だったんだ」

家で勉強をしていたものの途中で行き詰まり、一旦息抜きをしようと、私は町内を散歩することにした。

家から15分ほど歩いたところに、大きな公園があった。漫画でも公園のシーンが何回か出てきた気もするが、記憶に薄い。緩やかなカーブを描くジョギングコースでは、腕にスマホを付けたジョガーやサイクリストたちが道を譲り合いながら走っている。ベンチで楽しそうに談笑している老人や、芝生の上でピクニックをしている親子、ペットを連れた人たちが目に入る。金持ちが住む界隈のためか、公園は綺麗に整備され、ゴミ一つ落ちていない。

「ここで走ったら気持ちよさそう」

雲一つ無い晴天を仰ぐ。

(そういえば前は、ストレス感じる度にランニングしたっけな~)

毎日の倉庫作業もキツイ肉体労働だったが、走ると頭の中が空っぽになるあの感覚が忘れられなくて、どんなに疲れていても走っていた。

(しかし、クローゼットにはスポーツウェアが一つもなかったな)

人が数人入れるだろう大きなクローゼットには、白いレースの付いたワンピースや花柄のミニスカートで埋め尽くされていた。ピンクや水色、黄色などパステルカラーの可愛らしい服のみで、スポーツウェアや色の暗い服は一切なかった。今日はその中から、比較的落ち着いた長めのスカートを発掘し、引っ張り出してきた。

(るーちゃんらしいと言えば、るーちゃんらしいが・・・)

しかし、やはりスカートを履くのはどこか緊張する。

(ズボンが恋しいなあ)

残念なことにズボンさえも一枚も持っていなかった。

(ってかるーちゃんとズボンって想像がつかない。…いや、天下のるーちゃんなら何を着ても似合うか)

ぼんやりとそんなことを考えていたので「危ない」と言う声が聞こえた時には、遅かった。

頭に思い切り固いものが当たり、一瞬目の前で光が飛んだ。

「す、すみません!大丈夫ですか!」

小学生くらいの男の子が慌てて駆けつけた。くらくらする頭を押さえ、私は言った。

「大丈夫…」

「ボールが飛んでいってしまって」

頭に直撃したのは、なんとバスケットボールだった。

「バスケ、してるの?」

痛む頭をさすり、近くに転がっていたボールを手渡す。

「はい・・・。頭、大丈夫ですか?」

男の子の後ろに視線を向けると、コートらしきものが見える。バスケットゴールが一つある簡易的なコートだが、小学生が遊ぶには十分な広さだった。

「うん。ね、お姉さんも入れてくれる?」

「・・・え?」

男の子の顔が見るからに陰った。

ボールをぶつけた手前、断れないと思ったのだろう。男の子はしぶしぶ頷いた。

(見てなさい、元バスケ部の実力!)

スリーポイントシュートを何本か打つと、私はあっという間に小学生たちのヒーローとなった。

・・・はずだった。

「姉ちゃん、何回外すんだよ!」

しびれを切らしたように小学生たちが言った。

「ちょっと待って、もう一回!」

私は再度、3Pシュートを試みるが、ボールの飛距離はゴールポストまで伸びない。

「嘘ぉ・・・」

「この姉ちゃん、俺たちより下手かもしれないぜ」

呆れた声でストライプのシャツを着た少年が言った。

「だね」

先ほどボールを取りに来た少年も、更に顔が曇っている。

「ゴールポスト、高くない?」

近くにいた赤い帽子の少年に聞くと、はあと大きなため息を吐いた。

「これが標準だよ。お姉ちゃんの背が低いんじゃん」

「背が低いって、私178・・・」

そこまで言いかけて、私は(ああ…)と気づいた。

大好きなバスケを前にしてすっかり忘れていた。

自分がかつて巨人と言われた杉崎凛子ではなく、小さいフランス人形、白石透であることを。

(だからゴールまで遠く感じるのか。それに・・・)

白く細い腕を見つめた。

(筋肉もないからゴールに届かないのか)

「姉ちゃん、もういい?」

途端につまらなさそうにしている小学生たちに申し訳なくなった。

「ごめん、ごめん。ほら、返すよ」

ストライプのシャツを着た子が私のボールに触ろうとした瞬間、その脇を抜け、ドリブルして華麗にレイアップを披露した。パサッと心地よいがしてゴールが決まる。

「どう?まだ下手?」

少し走っただけで息が上がっているのは無視して、私は腰に手を当て、片方の眉をあげた。

「なに、今のむかつく!もう一回!」

ストライプシャツの少年は地団駄を踏んだ。

「おっけーい!みんな、一斉にかかって来い!」

私はドリブルであっと言う間に小学生を4人とも抜き、またゴールを決めた。

「すげえ!姉ちゃんすげえ!」

「もう一回!もう一回やろ!次こそボール取ってやる」

バスケ少年たちは楽しそうに目をキラキラさせている。その一方で、まだそこまで時間は経っていないというのに、すでに私はぜいぜいと肩で息をしていた。

「ちょ、ちょっとタイム…」

小学生の底知れない体力のせいか、白石透の体力がなさ過ぎるのか。少し遊んだだけでもうクタクタだった。私は小学生にボールを渡すと、よろよろとベンチに座り込んだ。

「お姉ちゃん、バスケやってるの?全然見えないね」

ボールを取りに来た少年が、私の隣に立って言った。

「高校までバスケ部でね。大学からは趣味で時々しか・・・」

ここまで言って慌てて口を閉じた。

(またやってしまった!私、今高校生じゃん!)

しかし少年は全く気にしていないようだった。楽しそうにバスケをしている友達を見ては、ゴールを入れる練習している子に声援を送っている。

「姉ちゃん!ゴールのコツ教えて!」

中々ゴールが決まらない少年たちは、こちらを振り返った。

「仕方ないな~。レイアップのコツはね…」

息がだいぶ整った私は、よいしょと体を起こした。

小学生たちと全力で遊んでいるうちに、いつの間にか夕方になっていた。

「姉ちゃん、またね!」

次々に別れの挨拶をする少年達に手を振り返しながら、私も帰路につく。


「だー疲れた…」

二日連続で、私はソファーに倒れ込んだ。

久しぶりのバスケで完全に舞い上がっていたが、もう体も腕も重い。

「明日は筋肉痛決定だな…」

そう呟いているとピピッと解錠の音がして、妹が帰宅した。その後ろから両手一杯に買い物袋を下げている平松が続く。

「ただいま」とまどか。

「おかえり~。平松、買い物ありがとうね」

「こんなに買って、何をするつもりですか。明日には芦屋さんが来るというのに」

芦屋は、毎日来てくれる40代のお手伝いさんだ。朝の7時に来て、私たちの朝食を作り、掃除や洗濯をした後、夕飯の支度をしてから4時には帰宅する。

「今夜の夕飯なの。平松も食べて行く?」

平松はいいえと首を振った。

「私はこれで失礼します」

「はーい。お疲れさま」

平松は一瞬顔をしかめたが、お辞儀をするとすぐに出て行った。

「さ、着替えたらお夕食よ!」

私は元気よく言った。


「これは・・・?」

妹は、ぐつぐつと煮えたる鍋の前で小さく呟いた。

「お鍋よ」

私は妹の分を小皿に注ぎながら、言った。

(本当はちゃんとした食事を作りたかったんだけど、バスケで疲れたからなんて、言えない!)

「お鍋、嫌いだった・・・?」

今になって妹の食の好みを把握してなかった事に気づいた。

(あれ、好き嫌いってあった?漫画に出てきたっけ?)

「嫌いじゃない」

その言葉を聞いて、ほっとした。

「ただ、初めてで・・・」

「ええ?」

今度は私が驚く番だった。

「お鍋食べたことないの?」

妹が顔を上げた。

「お姉様はいつ食べたのですか?」

「え、ええと。いつだったかしら。お友達の家で食べた気がするわ」

「いいですね。そういうお友達」

悲しさが妹の瞳の奥に揺れた気がした。

私は妹の頭をぽんぽんと撫でた。

「お鍋はね、冬に食べるともっと美味しいの。寒い中、ふーふーしながら、皆でつっついて食べるのともっと味わい深いわね。今年の冬にもまた食べましょ」

「今年の冬・・・」

妹はこくんと頷き、ふーふーしながら食べ始めた。


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