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バレンタインデー2

バレンタインデー当日。

その日は朝から大忙しだった。まどかに協力してもらい、朝から両親を追い出すと、妹と二人でチョコレート作りを始めた。まどかがお菓子にまみれると考えただけで嫌な表情を露わにしていた母親だったが、姉と最後の時間を楽しみたいと父親に甘えた結果、まどかが勝利した。結局、母親は父の前では強く出られないようだ。

「お姉さま、チョコレートを細かく砕いたあとはどうするの?」

レースをあしらったピンク色のエプロン姿のまどかが聞いた。

「湯銭にかけるから、全部ボウルに入れておいて」

「はーい」

嬉しそうに返事をする妹を横目に見ながら、私はふと笑みがこぼれた。

まどかから「自分でチョコレートを作りたい」と言い出したのはつい数日前だった。バレンタインデーなど全く考慮に入れていなかった私は、誕生日会との計画を少し変更する必要があった。

私は沸いたお湯の火を止めながら、時計に目をやった。

手に入りにくいクルーズの一日券が当たったと、まどかが父親に渡した作戦が功を奏して、二人は朝から出かけることになった。しかし、船の出発時間があると急かしたにも関わらず母親が最後まで粘ったせいで、時間が押している。

(蓮見が来るまであと3時間…)

私は沸いたお湯をボウルに入れ、温度を測った。

「お湯の温度が50-55度だったらOK」

温度計が54度を表示したのを確認し、刻んだチョコを入れたボウルを抱えて待っているまどかに合図した。

「それここに入れて、お湯が入らないようにゆっくりかき混ぜて」

妹は慎重にお湯の入った器の中に自分のボウルを入れると、ゴムベラで混ぜ始めた。

「なめらかになるまで混ぜてね」

「う、うん」

初めてチョコ作りをするまどかは、かなり緊張しているようだ。

それを見ながら、私はシリコンのハート形の型抜きを用意しきれいに拭いて置く。それからオーブンシートを丸めてコルネ(三角の帽子型の絞り袋)を作成した。

「お姉さま、こんな感じ?」

まどかが少し不安そうに言った。私はボウルの中を覗き込み、なめらかな状態になったチョコを見てから頷いた。

「いいね。それじゃあ、チョコをこの中に入れて、型抜きに絞っていくよ」

小さな妹の手が絞り袋を軽く支え、私がチョコを中に流し込む。ボウルのチョコをかき集めて全て入れ終わると、それをまどかに渡した。

「このハートの中?」

妹が緊張した面持ちで私を仰ぎ見た。私は頷いた。

「うん。入れてしまえば、あとは冷やして終わり」

「頑張るわ」

一生懸命型に絞り込んでいる姿を見ていると、これを貰える蓮見は本当に幸せ者だと思った。小さなジェラシーが私の中で生まれる。

ゆっくり時間をかけて終わらせたまどかは、額の汗をぬぐうと私の方を見た。

「終わったわ」

「よし、じゃあ冷蔵庫に入れておいて」

慎重に型を運び、言われた通りにするとすぐ妹は私の方にやって来た。

「じゃあ次のチョコね」

数日前は二種類作ると意気込んでいたが、妹は頭を横に振った。

「お姉さまのを見てる。お菓子作りって結構大変~」

疲れた様子でため息を漏らした。まどかが手掛けたのは、基礎中の基礎のだという事は伏せておいた。

第一段のチョコを冷蔵庫で冷やしている間、私はまどかが作りたいと言っていた、トリュフを作り始めた。そこまで難しくなく、先ほどのチョコを湯銭する代わりに温めた生クリームを入れて混ぜるだけと説明したが、まどかはもうお菓子作りに興味を失っていた。

「それならカードを作ったら?」

私の手元を見つめているまどかに言った。

「チョコだけも寂しいでしょ?カードを添えるだけで、気持ちが伝わるよ」

「それもそうね…」

まどかはそう呟くと、足音を響かせて慌ただしく二階へ走っていった。母親がいたら憤怒するだろうこの光景も、また見られなくなると思うと寂しくなった。

二階で何をしているか分からないまま時間が過ぎた。冷蔵庫で冷やしたチョコレートが固まった頃にまどかは降りて来た。両手には大量のバレンタインカードを抱えている。

「印刷に手間取ってしまったわ」

「そ、そんなにどうするの?」

リビングにある大きなテーブルの上にカードを全て乗せてまどかが言った。

「ここから良さそうなのを探すの」

「この山から…?」

「ええ」

真面目な顔をしてまどかが頷いた。私はちらりと時計を見た。もうすぐ10時になろうとしている。

「間に合う?チョコのデコレーションもあるでしょ」

「お姉さま、お願いしていい?」

手を合わせ、まどかは片目をつぶった。可愛いお願いのポーズに私はやれやれと首を振った。

「あと30分で蓮見が来るのを忘れずに」

「はーい」

私はまどか作のチョコにチョコペンでデザインを施していく。手が込んでしまうと私がやったと言われそうなので、線をいくつか引いたり、小さなハートのチップを乗せるだけにしておいた。事前に妹が用意しておいた、ピンクと白の四角い箱に、冷蔵庫でさらに数十分冷やしたチョコを入れ、リボンを付けた。その頃になると、既に着替えを済ませたまどかがリビングのソファーで、最終チェックをしていた。真っ赤なポンチョに、白いリボンを髪の後ろにつけてお洒落した格好の妹は、自分が書いたカードを何度も読み返していた。

「メッセージは書けた?」

私はチョコが入った紙袋をまどかに渡しながら聞いた。

「ええ、ばっちりよ」

どこか恥ずかしそうに妹は瞳を伏せた。

「まどかのチョコを多めに入れて、おまけのトリュフは少しだけにしておいた」

これなら自分が作ったって言えるでしょ、と言うとまどかは満面の笑みを私に向けた。

「ありがとう。さすがお姉さま!」

その時、ピンポーンと呼び鈴が響いた。

「来たね」

私はすぐさま立ち上がり、玄関からお客様を迎え入れた。

「まどかちゃ~ん。来たよ~」

普段の私服ではなく、紺色のジャケットを着た蓮見が明るい声で言った。

「あ、蓮見さま!」

そこまで元気に言いかけてから、自分のはしゃぎようを隠すかのように一歩後ろに引くと頭を下げて挨拶をした。

「おはようございます」

「準備は出来た?」

蓮見が聞くと、まどかは頷いた。

「さ、いってらっしゃい。まどかの誕生日なんだから、我がまま言い放題よ」

「出来る限ることはするよ」

蓮見はまどかの手を取ると、私の方に意味深の視線を投げた。私は頷き、二人を家から見送るとすぐさまチョコレート作りの残骸を片づけ始めた。

しかし、ものの数分後には、またチャイムが鳴り、騒がしい声が聞こえた。

「お邪魔するぜー!」

扉を開けるとすぐに榊の大きな声が響いた。

「甘い匂いがする」

「チョコ残ってる?」

天城、五十嵐と姿を現した。

「テーブルに乗っているの、勝手に食べて」

私は食器を洗いながら言った。

「茶が欲しいな」

さっそく食べている男三人は、甘いものだけでは喉が渇くと言わんばかりに戸棚を開けて自分たちで飲み物の用意をしている。

時間差でチャイムが鳴り、未央が姿を現した。

「遅れてごめん。迷った!」

大きな荷物を抱えて来た未央は片手で謝った。

「ううん。ありがとう」

最後の協力者を迎え、私たちは妹のサプライズパーティーの支度を始めた。


元々の計画はこうだった。

まどかの誕生日会にサプライズとして最近懐いている蓮見を呼んで、何か余興をお願いする。しかし、直前になって誕生日会ではなく、バレンタインデーをやりたいと言い出した為、急きょ予定を変更した。サプライズで誕生日会もやりたかった私は、蓮見に妹をバレンタインデートに連れ出すようにお願いした。その間に、秘密裏にパーティーの準備も行う計画だ。

「妹ちゃんが帰って来るのが何時だっけ?」

リビングのテーブルに荷物を置いた未央が聞いた。

「夕方の5時頃まで粘ってくれるようにお願いしてる」

「なるほど」

未央はそう言うと時計を見た。ちょうど11時を回ったところだ。

「まだ時間はありそうだけど、急いだ方がいいね」

「未央には、部屋のデコレーションをお願いしてもいい?」

積み上げられた飾りの山を見て、私は聞いた。私よりきっと未央の方が、色々知識がある気がする。

「任せて。ただ、高いところが…」

それからダイニングテーブルで呑気にお茶をすすっている男子三人に目を向けた。

「全員180超えだっけ。いらない心配か」

「使えるものは使いましょ」

私はにやりと笑った。

「透は?食べ物全部、自分で作るの?」

私が頷くと、未央は残念そうに頭を振った。

「ごめんね。私、本当に料理だけは…」

「大丈夫。私がこだわりたいだけだから」

そして、サプライズパーティーの準備が始まった。


私はパーティーフードのレシピをキッチンカウンターに並べて、効率の良い順番を考える。最初から一人で準備することを想定していたため、簡単なメニューを選んでいた。そのため、天城がキッチンに現れた時には驚いた。

「手伝う?」

私は両手にリンゴを持ったまま、彼を見つめた。

ふと天城家の全く使用された様子のないピカピカのキッチンを思い出した。そして天城本人も普段から料理をするタイプには見えない。

「料理出来るの…?」

一抹の期待を添えて聞いたが、案の定天城は首を振った。

やはり、と思ったが、彼は意外なことを言った。

「ローストビーフは作れる」

「ほ、本気?」

私があまりにも驚いているのが気に入らないのか、天城の眉間に皺が寄った。

「何」

「いえ、かなり意外だったもので…」

それから私はカウンターの上に置いてある、レシピの紙束を彼に見せた。

「私が作りたいのが、これ。ローストビーフも考えていたから助かるわ」

簡単に食べられるものとして、ミニサイズのアメリカンドッグから始まり、重箱に格子状に盛り付けられた海鮮ちらし寿司、バゲットをカットし、野菜をゆでるだけでそのまま出せるチーズフォンデュ、そしてローストビーフ。ケーキには、見た目のインパクトが強そうなリンゴのブーケタルトを選んだ。

「ふうん」

走り書きの私のメモ用紙を見ながら天城が言った。

「このちらし寿司も出来る」

簡易的に描かれた私のイラストを解読するのが大変なのか、しかめっ面はそのままだ。

「本当?お願いしてもいい?」

天城は頷いた。

かなり負担が減った。

私はリンゴの皮をむきながらそう思った。

自分の仕事である、ケーキ作りだけに専念できたせいか、手際よく進んだ。天城も無駄口を一切叩かず、無言で料理をしている。タルト生地まで完成し、一時間以上寝かせるために冷蔵庫に入れたところで天城の方はどうかと見ると、ちょうどコンロの火を止めたところだった。

「どう?」

私は天城の隣に並び、お湯の中を見ながら聞いた。アルミホイルに包まれた長細い塊が、鍋の底に沈んでいる。ローストビーフの作り方を知っているというのは、事実だったようだ。

「30分放置。そっちは?」

「タルト生地を冷やしている最中。次は下ごしらえをするわ。休んでいてもいいわよ」

私は既にソファーで休憩している五十嵐と榊に目をやった。

未央の指示のもと、簡素だったリビングは今や誕生日の雰囲気に包まれていた。色とりどりのバルーンや、ハッピーバースデーの文字がキラキラ輝いている。ここまで自分たちの力でやるのは初めてなのか、男組は疲れ果てている。未央は鼻歌を歌いながら飾りつけをしていたが、ソファーでぐったりしている二人を見ると、叩き起こして更に風船を膨らませるよう叱っていた。

「いや、手伝う」

彼らから目を離すと、天城が言った。ソファーで休んだものなら、未央に背中を叩かれると思っているのだろうか。

「そう?じゃあ、ちらし寿司を始めてもらおうかな」

素直に頷くと、天城は既に用意しておいた小さい重箱を一つずつ並べていった。

「酢飯はこれね」

「手際がいいな」

ぼそりと呟くのが聞こえた。


「出来た~?」

部屋の飾りつけがひと段落したのか、五十嵐がキッチンにやって来た。

私はちょうど煮リンゴのスライスを、一つずつくるくると巻いているところだった。

「もう少しかかるわね」

「そっちは終わったのか?」

揚げたての小さなアメリカンドッグを皿に移しながら天城が聞いた。

「一応ね」

それから五十嵐は後ろを振り返った。榊は何やら楽しそうに音楽の選定をし、それに対して未央が却下を繰り返している。

「二人の世界だから」

やれやれと頭を振りながら五十嵐が言った。

「なるほどね」

どこか微笑ましい気持ちで二人の様子を見る。未央は榊が好きにも関わらず、それを態度に一切出そうとしない。榊はあんなにもあからさまだと言うのに。

(もどかしいが、二人のタイミングってのがあるんだろうなぁ…)

「なんか手伝う?」

手を止めて二人を凝視していた私の隣に来た五十嵐が言った。

てっきり休みたがっていると思ったのに、思いがけない提案に私は食いついた。

「手先器用?」

「まあ、人並みには…」

「じゃあ、これ作れる?」

薄くスライスしたリンゴを数枚巻き付けてバラの形にしたものを見せた。

「出来る・・・と思う」

五十嵐は腕まくりをし、手を洗うと、私の見本を見ながらリンゴを巻き始めた。

「こんな感じ?」

「そうそう。中心は核にしたいから狭く巻いて、その後は花びらに見せたいからふんわりと巻くイメージ」

五十嵐の細長い指は繊細なものを作るのに適しているようだ。悔しいが私より綺麗なバラが出来上がっている。しばらく五十嵐の作業を見ていたが、ふと気になって言った。

「ねえ、前髪上げてもいい?手元、見づらいでしょ」

五十嵐はしばらく考えていた様子だったが、「いいよ」と答えた。

それから私の方に向くと、私の目の高さまで上半身をかがめてくれた。

私は頭につけていたピンを取り、五十嵐の前髪に手を伸ばした。薄茶色の柔らかい髪は、さらさらと流れるため、まとめるのに苦労する。

「ちょっと待ってね…」

私の手際が悪いのに苛立ちを覚えた天城が、私からピンを奪い取ると適当に前髪を上にあげそのまま留めた。

「これでいい」

「相変わらず乱暴だな~」

五十嵐の切れ長の青い瞳が、明かりを浴びてきらりと光る。見慣れない五十嵐の外国人のような目に吸い込まれそうになる。ここまで間近で五十嵐の目を見たのは初めてかもしれない。今まで気がつかなかったが、かなり美しい蒼色だ。

「どんだけ見てんだよ」

天城に頭の後ろを手刀でチョップされ、私は我に返った。

「ごめん、あまりに綺麗で。・・・これが嫌なんだよね」

私はすぐさま反省する。

「透なら別にいいよ」

五十嵐は目を細めて笑った。私はこほんと咳をし、気を引き締めると言った。

「バラは12個お願い。隙間を埋めるのも必要だから、芯だけのを10個欲しいかな」

「了解~」

ゆるい返事をする五十嵐。

「出来たら、このキッチンペーパーの上に置いておいて」

食事の方は天城がほとんどやってくれているので、私はタルト生地を空焼きしている間、タルト用のチーズクリームを作り始めた。甘すぎると母親にも怒られそうなので、少し甘さ控えめのクリームにしようと何度か味見をする。すると、隣にいた五十嵐が言った。

「僕も味見~」

私は新しいスプーンを使い、手が空いてない五十嵐の口に入れた。

「どう?」

「うん、美味しい」

「ほんと?甘さ控えめにしてみたんだけど…」

私は自分のスプーンに持ち替え、もう一度味見をしてみる。何度も味見をすると何が正解か分からなくなって来る。

「控えめでいいんじゃない?」

五十嵐が横で言った。

「そっか。じゃあこれで」

私がそう呟いた時、後ろに立っていた天城がいきなり私の手首を掴むと味見用スプーンを口に運んだ。

(近い、近い!)

距離感がバグっている天城に私は心の中で突っ込んだ。

「甘さが足りない」

私の手を離すと天城がそう言った。

「え、ほんと?」

砂糖の袋を取ろうとするとそれを五十嵐が止めた。

「海斗の舌はおかしいから、当てにしない方がいい」

私は真剣に首を振っている五十嵐の顔を見つめた。

「見た目以上に、激甘党だから」

「そ、そうなの…?」

無言で〈砂糖を加えろ〉と訴えている天城の顔を見つめた。

「コーヒーに砂糖大さじ3杯は入れるし、何にでも生クリームを乗せちゃう人だよ」

「それはヤバいね」

「もはや妖怪でしょ」

「黙れ」

五十嵐の助言を経て、私はこれ以上甘くせずチーズクリームダマンドを完成させた。どこか不満そうな天城だったが、意外にもそれ以上は何も言わなかった。

粗熱が取れたタルト生地にクリームを乗せて焼き、リンゴのバラを飾るころになると、テーブルの上はかなり豪勢な食事で溢れていた。ホットプレートの上にはたっぷりのチーズが乗っており、火がつけられぐつぐつと沸くのを心待ちにしている。天城のセンスに任せた、ちらし寿司もかなり良い出来で、格子状に盛り付けられたサーモンやエビ、イクラなどが輝いている。時々、料理の様子を見に来た榊によって奪われ、残りが少なくなったアメリカンドッグも、一応並べられていた。そして、目玉である天城作のローストビーフも大皿に盛りつけられた。

オーブンにタルトを入れ、時間を設定してから、食器を片づけている天城を手伝おうとシンクに近づいた。

「意外とキッチンに向いてるよね」

私が言うと、天城はこちらを向かずに言った。

「どういう意味」

「ん~。料理慣れしているというか」

それからリビングの方に目を向けた。リンゴのバラを作り終わると、自分の仕事が終わったと言わんばかりに、五十嵐はソファーに寝転んでいた。その近くで、榊がスマホでゲームをしている。一方で、忙しそうな未央は、散らかったゴミをかき集めたり、掃除機をかけているのが見えた。

「ローストビーフも意外だったし」

私は乾いた布巾を引き出しから取り出し、天城が洗い終わった食器を拭き始めた。

しばらくの沈黙の後、天城が口を開いた。

「祖父さんが料理好きだった。小さい頃はよく遊びに行っていて、ローストビーフを一緒に作った。俺の親代わりだった人だから」

「・・・そうなんだ」

また新たな天城の過去が一つ明らかになった。

(やはり家に両親がいることは稀なのか…)

私の表情が陰ったのに気付いたのか天城が言った。

「勘違いするな。別に悪い親な訳じゃない。ただ、子育てが何かを知らないだけだ。俺も祖父さんにだけ懐いていたし、人に預けるのが当たり前になって、そのまま」

そう言いながらもどこか悲しそうな横顔に心が痛くなった。

(慰めたら怒られるかな)

伸びそうな手を慌ててひっこめた。

「お前の親はどうだった?」

水を止めると、天城は体ごとこちらに向け、私の額を指さした。

「これになる前。一人っ子だったんだろ」

「ああ…」

私は拭いていた手元のボウルを見つめた。

「厳しかった、かな。それなりに愛情を注いでもらったと思うけど、自分の力で何もかもやれという家訓だったから。あまり甘えた記憶はないわね」

特に父親は何かを頼んだところで、頭を縦に振ってくれることは一度もなかった。自力でやって、それでも出来ない場合は、まだ自分には早いから諦めろと言っていた。母親はそんな厳しし父親に賛成も反対もせず、ただ見守るだけの立ち位置だった。

「なるほどな」

天城が私の頭に手を置いた。

「だからお前は人に頼るのが苦手なのか」

「ちょっと…」

私は天城の顔を見上げた。

「濡れた手で触らないでよ」

「あ」

あたかも今気づいたかのように天城が言った。

「そろそろ、準備は出来たかー!」

いきなり榊が大声を出した。

「蓮見がもう帰って来るってよ!」

私はタイマーを見た。あと数十分は残っているが、問題ないだろう。

「こっちもほとんど終わっている」

「よっしゃ!宴の開始じゃー!」

榊が力強く叫んだ。


玄関の方で何やら話す声が聞こえて、まどかたちが帰宅した。腕いっぱいにぬいぐるみやカラフルな風船を抱えているのを見ると、遊園地でかなりはしゃいで来た様子が伺えた。暗闇の中、息を潜めて待ち伏せし、蓮見が電気を点けたのを合図に、飛び出してクラッカーを鳴らした。

まどかは呆然としたまま立ちつくしていたが、私が前に出て「誕生日おめでとう」と言うとすぐさま状況を把握したようで、笑顔になった。

サプライズパーティーは見事、成功をおさめた。お金はそこまでかけていない食事に感動していたし、特にリンゴのバラケーキを見た時には文字通り言葉を失っていた。まどかの隣に座っていた蓮見も同じような反応をしていたが、すぐさまスマホを取り出し、写真を撮っていた。

「このローストビーフ、海斗が作ったの?美味っ!」

蓮見は大喜びでローストビーフを口に運んでいる。

「こんな特技、隠してたのかよ!天才だな!」

「僕も手伝ったんですけど」

五十嵐が口を尖らせながら言った、

「どれ?」

「これ、バラ」

「やるな!」

「ちょっと甘さが足りないな」と榊が言うと、天城が「ほらな」という視線で私を見た。

それを無視して、私は隣に座っている妹に小声で聞いた。

「チョコは渡せた?」

まどかはチーズフォンデュを口いっぱいに頬張りながら頷いた。

「美味しいって言ってくれたわ」

「良かったね」

小さい妹の頭を撫でる。まどかは食べ物を飲み込むと、立ち上がりみんなに向かって言った。

「皆さん、今日は私の為にありがとうございました。一生忘れません。本当に素晴らしいサプライズパーティーでし…」

しかし、本当のサプライズはここで終わらなかった。

いきなりドアの方から解錠の機械音が聞こえたと思ったら、「何なのこの匂いは…」と呟く母親の声が聞こえた。私とまどかの体が緊張して固まった。

「は、早くない…?」

「クルーズチケットはディナーショーまで付いて、終わりが夜10時のはず…」

まどかが早口で私に言った。

自己中心的で我儘な母親が、クルーズを途中で抜け出して来たのは明らかだった。

扉を開け、いつもは整理整頓されているリビングが、パーティー仕様に様変わりしているのを見て母親は開いた口が塞がらないようだった。

「おや。お客さんが来てたんだね」

母親の後ろから正装の父親が姿を現した。私たちを見てもそこまで驚いた様子はなく、嬉しそうな顔をしている。

「まどかの誕生日パーティーをしていました」

私は一歩前に出てそう言うと、母親はかっとなって言った。

「貴女、そんなこと一言もそんなこと…!」

皆の前で顔をぶたれるかと覚悟したが、母親の平手打ちは飛んでこなかった。

母親はテーブルについている面々を見ると、慌てて上品な笑顔を作った。

「まぁ。天城さんのご子息や、蓮見さん、五十嵐さん、榊のご子息まで!なんで前以て言ってくれなかったのよ。もっと丁重におもてなし出来たというのに…」

「僕たちが出る幕じゃないよ。若い子たちに任せよう」

空気が読める父親は、母親の肩を抱くと自室へと引き上げて行った。

「焦った…」

私は席につくと、ふうと息を吐いた。

「こんなに早く帰って来るとは思わなかったわ」

隣でまどかもため息を吐いている。

「逃げ道がないように海の上にしたのに、計画が台無しね」

「途中で抜け出すなんて、小舟でも出してもらったのかな」

腕を組みながら私がそう言うと、まどかはクスクスと笑った。

「お母さまが小舟で帰ると思う?もっと大きい船じゃないと乗らないわ」

「確かに」

「…そうしてると、本物の姉妹みたいだね」

目の前に座っていた五十嵐が、頬杖を付きながら言った。

「え、どういうこと?」

真っ先に未央が話に食いついた。

私は五十嵐を睨みつけた。

「む、昔は二人の仲が悪くて、他人に見えたってこと!」

すぐさま蓮見がフォローに入った。

未央は私と妹の顔を交互に見比べていたが、やはり似てない部分を見つけられなかったのか「そう」とだけ呟いた。

「寂しくなるな、来月から。アメリカに行っちゃうんだろ?」

甘さが足りないと文句を言いながらも、まだケーキを食べている榊が言った。

まどかの頭を撫でながら私は頷いた。

「もう少し一緒にいたかったな」

「休みの度に帰ってくるわ」

この場にいる全員が、この冬が過ぎたら別々の進路になることを理解している。未央も榊のアメリカ行きを寂しく思っているのか、俯いていた。

最後はどこかしんみりした風を吹かせながら、まどかの誕生日会が幕を閉じた。


パーティーがお開きになった時、時計の針はまだ7時を指していた。私は未央を近くの駅に送るがてら、友代の様子を見に、バレンタインのチョコを持って西園寺の家に行こうと決めていた。近所に住んでいる天城は徒歩、その他は車で帰るそうだ。しかし「やっぱり話があるから榊の車に乗って帰る」と未央が言い出したので、私は必然的に天城と歩くことになった。

私と天城を二人きりにしたくないとごねていた五十嵐の車を最後に見送り、帰り際に父親に呼ばれた天城を待つこと数十分。どこか暗い表情の天城がマフラーを首に巻きながら出て来た。

「長かったね」

歩き出しながら私は口を開いたが、天城は無言のままだった。

「お父さまに何か言われたとか…?」

父親が天城に何の用だったのだろうか。一抹の不安がよぎった。

天城の家の近くまで来た時、彼はやっと口を開いた。

「婚約の件だった」

先を話すように顔を見つめると、天城は少し眉をひそめた。

「数年前、俺は親父に婚約を破棄したいと言った。そのことが最近になって親父からおじさんに伝わったらしい。さっき、おじさんから言われた。あれは、自分たちが酔った勢いで言い出した口約束だから、白紙にして問題ないと。親父から話を聞くまでは、俺が婚約者であることも忘れていたらしい」

(まぁ、そうでしょうね。父親は特に)

私は腕を組んだ。

そもそも親同士の口約束なだけで、学校全体に広まること自体がおかしい。その他の財閥勢を牽制するために誰かが広めたのだろうか。そもそも白石家も天城家も影響力のある財閥なのだから、政略結婚を計画する必要もないはずだ。

(母親が権力を持つ財閥との繋がりを絶ちたくなかっただけな気もするし)

過去に母親に参加を強制された財閥同士の“付き合い”を思い出していた。考えてみると母親から「婚約者なんだから」と言われたことは一度もない。

「お前はどう思う?」

いきなり質問を振られて驚いたが、答えはすでに出ていた。

私は天城の目を真っ直ぐ見つめた。

「前に言ったこともあると思うけど、あなたには“白石透”から解放されて、自由に恋愛を楽しんでほしい。ずっと長い間、それが許されなかったでしょう。次こそ人目を気にせず、自由に人を好きになって欲しい。特に同じような世代の子を」

「それを俺が望んでいなくても?」

突然手首を掴まれ、ぐっと天城の方に引き寄せられる。至近距離に彼の顔があり、自分の顔が赤くなるのが分かった。

「どこまで拒絶したら気が済むの?」

「拒絶してるんじゃなくて…」

はち切れそうな心臓の音に気がつかれたくなくて、私は距離を取ろうとするが、離れようとするたびに天城の手がさらに引き寄せる。

「そこまで高校生が嫌なの?」

「嫌です」

しばらくの間、二人は至近距離で睨みあっていた。

先に諦めたのは天城の方だった。手を離すと、やれやれと頭を振った。

「どうせ長期戦になるのは覚悟してたし」

「長期戦…?」

天城に掴まれたところを無意識にさすりながら、私は聞き返した。

「時間はある」

片方だけ口角を上げた天城の顔は、なぜか西洋の物語に出て来る悪魔を思い出させた。

(こんな奴だったっけ…?)

全身の鳥肌が立った。

「これからどこへ行く?」

私が持っている小さな紙袋を見ながら天城が聞いた。

「チョコを渡しに行…」

「誰に?」

まだ全文言い終わっていないというのに、天城が言葉をかぶせてきた。

「知り合いの人よ」

「誰」

天城はその場から一歩も動いていないというのに、じりじりと追い詰められているような感覚に陥る。私は渋々口を開いた。

「西園寺の…おばあちゃん」

「は?」

一瞬にして眉間に溝が出来た天城に、事のいきさつを簡単に説明した。

「――ということで、このままの状態でいるのが心苦しいから、チョコを持って行って、私の気持ちを伝えようかと。全てが友代さんのせいではないし…」

口ごもりながらそう言うと、天城が長いため息を吐くのが聞こえた。それから言った。

「俺も行く」

「え!なんでよ!」

さすがに一緒は気まずすぎると抗議の声を挙げたが、天城は無視して歩き始めた。

(あんたが事件の種なのに~!)

少し先で私の道案内を待っている天城に向かってそう言いたい気持ちをぐっと堪えた。

(友代さんが倒れたらどうしよう…)


しかし、そんな私の心配は杞憂に終わった。

私は玄関ドアに紙袋を下げて帰ると言い張ったが、天城は私の言葉を無視するとチャイムを鳴らした。玄関口に立っていた友代は、天城の顔を見ると驚いた様子だったが、いつぞやは本当にお世話になりましたと頭を下げた。二人で積もる話があるだろうと、私は玄関から出て行こうとすると、友代がそれを止めた。

いつもの和室に通され、天城が西園寺の母親にお線香を立てているところを見守っていた。

「最後に貴女にお会い出来て良かったわ」

温かいお茶を長テーブルに置きながら、友代が言った。

「最後…?」

お盆を持ったまま老女は寂しげに頷いた。

「明日にはここを発とうと思うの」

「ど、どこへ行くんですか?」

そう言ってからすぐさまこれは愚問だと気付いた。友代の表情を見ればすぐ分かることだ。

「西園寺さんのところですね」

「ええ。今度こそ、あの子のそばにずっとついてやらないと。この家を離れるのは寂しいけど、娘が残した孫を大事にしないと、それこそ娘に怒られてしまうわ」

そう言いながら友代は、仏壇に飾ってある女性の写真へ顔を向けた。

「今、西園寺はどうしていますか?」

挨拶が終わった天城が、私の隣に座ると聞いた。

「腕の良い精神科のお医者様がいるところに入院しているわ。実は、体の方はもうほとんど回復しているのよ。天城さん、あなたのおかげでね」

友代はふふっと笑うと、理解できない様子の天城に言った。

「あなたが現れてからというもの、学校へ通いたい一心で、一生懸命治療したのよ。辛い薬物治療にも耐えて。だから、今回アメリカに戻る時も体力的に問題がなかったの」

「そうですか」

(西園寺の世界の中心にはいつも天城がいた…)

隣に座っている無表情の彼の横顔を見た。

「今は先生のおかげで、精神状態も安定している。新しい学校にも通い始めていて、何だかんだ楽しんでいるみたい」

常に大事に持っているのか、袖に入れていた写真をテーブルの上に置いた。そこに写っている西園寺は、また少しばかし痩せたように見えたが、美しさは衰えていなかった。そして、驚いたことに、写真の中の彼女は笑っていた。あの引き攣った作り笑いではなく、心の底から楽しんでいるような、そんな笑顔で。

「西園寺は今、幸せでしょうか?」

私は写真を見つめながら尋ねた。友代が軽く息を吸う音が聞こえた。そして、写真を触りながら言った。

「ええ。きっと」

「…良かった」

私はほっと胸をなで下ろした。

西園寺は最後まで私にとって脅威の存在だった。それでも、西園寺と対面したときに垣間見えた乙女の顔を見せる彼女が忘れられなかった。違う出会いだったら、一途に誰かのことを想う彼女の真っ直ぐさに憧れていたかもしれない。そう心のどこかで思っている自分がいるのも事実だった。

部屋の時計が8時を指しゴーンと鳴る音で私は我に返った。

「あ。私、友代さんにお渡ししたいものがあって来たんです」

「あら、何かしら」

友代がそっと涙を拭うのを見なかったことにして、私は持って来た紙袋を取り出した。

「今日作ったチョコなんですが。良かったから」

「ありがとう。何でもできるお嬢様なのね」

紙袋を受け取りながら、友代は天城の方を向いた。

「この方を離したら一生後悔しますよ」

「あ…」

私は友代の勘違いを訂正しようと身を乗り出したが、天城の言葉の方が早かった。

「はい。離さないつもりです」

(何を言っているんだ…)

半ば呆れながらも、私は友代に向かってお辞儀をした。

「こんな時間にお邪魔してすみませんでした。体調を崩されませんよう、ご自愛ください」

「いえいえ。今夜お二人に会えて本当に嬉しかったわ。本当に」

寒いから見送りは大丈夫と言ったにもかかわらず、友代は私たちの姿が見えなくなるまで、玄関口でずっと頭を下げていた。

結局、天城に自宅まで送られる羽目になった。私が玄関前で「ありがとう」と呟くと、天城はすぐさま背中を向けて帰って行った。しかし、私が門に手を掛けた時、なぜか走って戻って来た。

「どうしたの?忘れ物?」

天城は私の顔を真っ直ぐ見た。

「やっぱり、俺はお前が好きだ」

「はい?」

私はあんぐりと口を開けたまま、無表情の彼の顔を見つめた。

「あのね…」

「宇宙人の話はもういい」

そう言われて私はぐっと喉を鳴らした。

「返事は要らない。時間をかけて、お前を落とすことに決めたから」

それだけ言うと、何事もなかったかのように暗闇の中に姿を消した。

私はしばらくの間、その場から動けなかった。



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