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夏休み2

全員で分担して片づけをし、全く人気ひとけのないBBQ会場を離れた頃には周りは真っ暗になっていた。伊坂の言う通り、この場所でテントを張るのが危険な理由が分かった。外灯が一切なく、四方を森で囲まれているため、食べもの匂いに誘われて野生動物が下山して来そうだ。

たき火や手持ちの花火まで楽しんだあと、近くに温泉があると聞き、開放的な貸切風呂を楽しんだその夜。

私は眠れずに何度も寝返りを打っていた。同じ部屋に寝ている未央は、既に安らかな寝息を立てている。6回目の寝返りをしたあと、私は静かに体を起こした。

音を立てないように襖をゆっくりと開けると、短い廊下が出現した。二つ隣の部屋からは、榊の豪快ないびきが聞こえて来た。

縁側のように幅のある廊下の下に仕舞われていたサンダルを履き、ガラス張りの扉を開けると、夏の夜風が頬を撫でた。

うんと伸びをした拍子に迫力満点の星空が目に入った。

「わぁ。懐かしい…」

思わず言葉が口をついて出た。

両親の元に住んでいた時には、よく見た光景だった。暗闇が怖く、夜になると外に出たがらない子供だったが、父親に誘われて星空を見た時には心から感動した。

また、よく縁側に座って、七輪で焼いた海苔を食べながら、蛍を見たことを思い出す。

涙がにじみはじめ、私は頭を振った。

(田舎に来たせいか、どうも感慨深くなる…)

伊坂家は大きな一軒家だったが、離れとの間に、人が4、5人は寝転がれるだろう四角い縁台が置いてあった。日中、そこに伊坂の母が野菜を干していたのを見かけたが、今はそれが取り除かれた代わりに、誰かが静かに座っていた。

「眠れないの?」

私が近づくと、彼は驚いたように振り返った。

「榊がうるさい」

天城は短くそう言うと、また空を見上げた。

「なるほど」

私も縁台に座ると、同じように夜空を見上げた。

生ぬるい夜風が吹き、蝉の大合唱が夜の世界を支配している。

「平気なんだ、この暗さ」

しばらくの沈黙のあと、天城が言った。

月明りが足元を照らしている。外灯が少ないとは言え、“離れ”から漏れている光や伊坂家の玄関の電気が点いているので、真っ暗闇という訳ではない。

「安心する暗さかな」

「なんで暗闇が怖い?」

天城は縁台の上にごろりと寝転ぶ。私は、未だ夜空から目を離さずに言った。

「・・・トラウマがあるの。小さい頃、家族や友達と山に遊びに行って、その帰りに迷子になった。親ともはぐれちゃって、一人ぼっちで森の中をさまよう羽目になって。数時間後に、捜索隊が洞窟の中で眠っている私を見つけてくれた。当時の記憶はあまり残ってないんだけど、おそらくそれが原因で今も暗い所が怖…」

そこまで言いかけて私は我に返った。

(・・・なぜ、私は天城にこんな話を)

ちらりと天城の顔を見るが、目を瞑っているせいか何も読み取れない。

「そんな経験してたら、誰でも恐怖症になる」

からかわれるかと覚悟していたが、驚いたことに天城は同情を示した。

「あなたは?怖いものはある?」

思わずそう聞いていた。

目を開いた天城が馬鹿にしたように言った。

「怖いものがない奴なんかいるか」

「あら、何が怖いの?」

笑みが漏れ出るのに気づかれないように、私は平静を繕った。

「言わない」

天城は冷たく言い放った。

(ち。こっちの弱みだけ握るつもりか…)

私は天城から視線を外すと、また夜空に目を向けた。雲一つない晴天で、明日もいい天気になりそうだ。

「他には?」

天城がまた聞いた。

「他にはって?」

私はまた天城の方を向いた。

「幼少期の話」

「子供の頃の話を聞いて、どうするつもり…?」

何か企んでいるに違いないと身構える私を横目に、天城は体を起こした。

「知りたいから」

そして私の方に向いた。

「お前のことを」

顔に血液が集まるのが分かった。と、同時に小さな動物がまたお腹の中で飛び跳ねた。

「真剣に向き合いたいって、言った」

こっちは心臓が暴れているというのに、相変わらず天城は無表情のままだ。

(最近の高校生はこんなに直球なの?)

ざわついている心臓を悟れないように私は目を逸らした。

「申し訳ないけど…」

小さな声で私は言った。

「ご存じのとおり、中身は26歳なの。だから高校生と、これ以上親しくなるのは正直難しい」

「白石透は高校生なのに?」

眉をひそめて天城が言った。

「ええ。これは私の問題ね」

焼けて色が変わっているかつては水色だっただろう足元のサンダルを見つめながら言った。

「彼氏がいたのか?」

何の躊躇もなく天城はプライベートな部分を聞いてくる。

「いないけど…」

「忘れられない人がいるとか?」

「違うわよ」

「今まで何人と付き合った?」

「なんでそこまで聞くの」

私は呆れたように天城の顔を見た。天城はただ短く「知りたいから」とだけ答える。

「高校生を受け入れられないのは、生前のこととは全く関係ない。ただ、10歳も年下の子供を相手に…」

そこまで言って私は口をつぐんだ。天城の顔が険しくなっている。

(“子供”は、禁止ワードか)

「反対の立場で考えてみて。自分より10歳下の子のこと好きになれる?」

私の言葉を聞いて素直に想像している天城は、少し間を置いたあとすぐに言った。

「…無理」

「でしょ」

(天城の10コ下って言ったら、8歳か?こう考えるとヤバいな…)

「でも、お前は高校生だ」

「いや、まあそうなんだけど」

同じ場所をぐるぐる回っている気がする。

「俺と向き合えないのは、俺が高校生だから?」

「そうね」

「他の理由は?」

天城が強めに聞いた。

「他の理由?特に思いつかないけど…」

どういう意図で聞いているのか分からず、私はそのまま答えた。

「よく分かった」

そう言うと静かに天城は立ち上がった。

「分かったって…」

彼の動きを目で追う。突然吹いた爽やかな夜風が、天城の黒髪を揺らした。月明りに照らされた顔があまりに綺麗だったので、私は思わず息を呑んだ。心臓が仕事を思い出したかのようにドクドクと鳴り始めた。

「先に戻る」

天城はそれだけ言うと、ガラス扉を開け、榊のいびきが響く部屋へと戻って行った。

私はまだ落ち着きのない胸を押さえ、深呼吸をした。

(高校生相手になにときめいてんの。しっかりしろ、私)

しかしどんなに深呼吸をしても、布団に戻るまで心臓は暴れたままだった。



中々眠れない夜を過ごし、目が覚めると外は明るくなっていた。枕元のスマホをチェックすると、朝の5時になったばかりだった。数時間しか眠れていないのに、いつもと同じ時間に目覚めてしまったことを悔やんだ。隣では、未央が身動きせずにぐっすり眠っている。

また寝に戻ろうと横になっても、昨夜の天城の顔を何度も思い出してしまい、腹の中のバタフライが暴れ出だし、寝付けない。

「走るか…」

私は布団をはがして、動きやすい服装に着替えると夏の香りが漂う外へと向かった。伊坂家の方をちらりと見ると、すでに全員が起床しているようで朝特有の慌ただしさがカーテンの隙間から見えた。

「あの子たちは、何時に起きるかしら?」

窓が開いているのか、伊坂の母の声がはっきり聞こえる。

「寝かせといていいんじゃないか。疲れているだろうし」

優しそうな父親の声が聞こえた。

「そうね。お昼ご飯になったら、起こしましょうか。今日は夕方に帰るんだっけ?」

「そうみたい」

そう言った伊坂が窓を全開にしようと、窓枠に寄った。そこで、そこに立ち尽くしていた私とばっちり目が合った。

「あ!白石さん、もう起きてたの?ちょうど今から朝ごはんなんだけど、一緒にどう?」

どうしようかと、悩んでいるとお腹がきゅるると鳴った。

あまりのお腹の音の大きさに、窓枠に近づいた母親も笑った。

「こちらにいらっしゃって」

「すみません…」

私はご厚意に甘えて伊坂家族と朝ごはんを共にすることになった。

久しぶりの田舎の食事に舌鼓を打っていると、隣に座っている伊坂がお茶を注ぎながら言った。

「私、白石さんに紹介したい人がいるんだけど」

麦茶を受け取り、私は伊坂の顔を見つめた。

「紹介したい人?」

「あら。もしかして、“りっくん”?」

台所から母親が嬉しそうに言った。

「そう!白石さんの話をしたら、ぜひ会ってみたいって言ってた」

「私の話?」

なぜか不安になった。友達に私の話をするほど話題があっただろうか。

「うん。真徳高校で唯一私に優しくしてくれた友達って話したことがあるんだ」

「りっくん、こっちに帰って来てるの?」

伊坂母は台布巾でテーブルを拭きながら聞いた。

「うん。婚約したから、家族に相手を紹介しに来たって。数日前に連絡があった」

「あらご結婚?おめでたいわね!何か持って行く?」

「うちで取れた、茄子でも持って行ったらどうだ?今年はゴーヤもいい出来だよ」

新聞を読んでいた伊坂父は、顔を上げると誇らしげに言った。

「でもりっくん家の野菜に比べたら…」

母が困ったように言った。

「それもそうか…」

父は明らかにがっかりした顔をしている。

「りっくんはね」

伊坂が隣で言った。

「今は家を出て一人暮らしをしてるんだけど、実家は立派な農家なんだ。ここに引っ越して来た時に、数えきれないくらい野菜をおすそ分けしてくれて。その野菜がとっても美味しいの!愛情込めて育てられてんだって、すぐ分かるほど」

嬉しそうに言う伊坂は、どこか自慢げだった。

(確か、伊坂さんのメールにもそんなことが書いてあった気がする)

慣れない土地にいきなり住むことになって心配していたが、それなりに楽しんでいたことを知って安心している自分がいた。

「りっくん一家はね、私たちが農業で苦戦していた時に手伝ってくれたんだ。最初に会った時のことは、一生忘れないと思う。本当にかっこよかった…」

「里英の初恋だったわね」

からかうように母親が笑った。

「やめてよ!」

伊坂が怒ったように頬を膨らませた。それから私の方を向いて言った。

「今の忘れてね。りっくんは、こっちに長く滞在することはないんだけど、帰省した時には必ず私に会いに来てくれるの。優しいよね」

もうすぐ結婚する“りっくん”に恋しているようにしか見えない伊坂に、私は笑顔を向けた。

「会えるのを楽しみにしてるわ」



お昼過ぎになり、私はまだ熟睡している若者たちを叩き起こした。ランチには伊坂家の畑で取れた野菜をふんだんに使った焼きそばが振る舞われた。デザートにスイカを食べ、全員の胃袋が限界に近づいた頃、伊坂家のチャイムが鳴った。

「あ、りっくんかも!」

伊坂が飛びあがるように、立ち上がった。

「りっくん?」

蓮見がはち切れそうなお腹をさすりながら聞いた。

「伊坂さんのお友だちで、私に紹介したい人らしい」

「透に紹介?なんで?」

五十嵐が長い前髪の奥から聞いた。

私は肩をすくめた。

「伊坂さんの話を聞いて、私に会いたいって」

天城の眉がぴくっと動き、五十嵐が少し乱暴に飲んでいたお茶を置いた。

「なんで?」今度は天城が聞いた。

「し、知らないよ…」

「モテますな」

隣に座っていた未央がにやりと笑った。

「モテ期かこの野郎~!」

榊が私の頭を乱暴に撫でる。

その時、二人の歩いてくる足音が近づき、私たちはしんと静まり返った。

伊坂が先に姿を現し、後ろから来た人物を手で示した。

「こちら、一応ご近所のりっくんです。近所と行ってもかなり離れているけど…」

身長が高いせいか、少し頭をかがめて部屋に入って来た人を見て、私は文字通り息が止まった。

「かっこいい…」

隣で呟いた未央が私の横腹を突いたが、私はその人物に目を奪われ、反応することも出来なかった。長く伸ばした黒髪は頭の高いところで一つに結われ、少し大きめのTシャツにデニムの短パンを履いている。

辺りを見渡し、少し低めの声でその人は挨拶した。

「初めまして」

そして私の方を見ると、にこりと笑った。

「杉崎凛子です」



「大丈夫?」

未央に肩を叩かれて、私はやっと呼吸の仕方を思い出した。気がつくと、伊坂がテーブルの周りに座っている全員の自己紹介をしていた。あまり表情を変えずに聞いていた凛子だったが、天城の紹介がされた時には、ほんの少し眉を動かした。

「こちらが白石透さん」

伊坂が私を呼び、凛子と目が合った。

「やっと会えたわね。嬉しいわ」

日焼けしてさらに黒くなった腕を伸ばし、凛子が言った。

緊張しながらも出された手を取った。その時、凛子がウィンクしたのが分かった。

「どうして、りっくんって呼んでいるの?男性かと思った」

未央が凛子の隣に腰を下ろした伊坂に言った。

「それは…」少し恥ずかしそうに伊坂は、ちらりと凛子を見た。「最初会った時、髪は今よりかなり短くて、作業着を着ていたから、男の人かと…」

「男性によく間違われるの。だから、これからは髪を伸ばそうと思って」

そう言った凛子は、完全に私の方を凝視している。

(もしかして、中身は…)

「長い髪も似合っているね」

伊坂が褒めている。

「ありがとう。みんな真徳生かしら?」

沈黙している男性陣を見渡しながら、凛子が聞いた。

“りっくん”が男ではないと知って興味がなくなったのか、五十嵐は今にも眠りそうだし、天城は近くに転がっていた新聞に目を通している。榊と蓮見は、スマホのゲームを始めようとしていた。

しかし、ここで榊がぱっと顔を上げた。

「ちょっと待て。杉崎凛子ってどこかで…」

それから私の方を向いた。

「お前…」

私は榊の視線を無視し、ゆっくりと立ち上がった。興奮と緊張で体が震えているのが分かった。カラカラになった喉から私は声を絞り出した。

「杉崎さん。少しお話いいですか?」

「ええ。もちろん」

にこやかに答えると、凛子はすっと立ち上がった。



外は暑すぎるため、伊坂の部屋を借りることになった。畳の部屋に、勉強机と洋服のラックがあるだけだったが、一つだけ目を引くものがあった。濃い青のワンピースドレス。藤堂茜の誕生日パーティーに行った時に、私が伊坂にプレゼントしたものだった。

「これ、貴女が買ってあげたものでしょう。藤堂さんから伊坂さんを守るために」

私の視線に気がついたのか、凛子が言った。

凛子の隣に立って、ふと思った。

並んでみると、凛子の身長の高さが良く分かる。少しジャンプするだけで、部屋の天井に頭がついてしまいそうだ。思わず口からついて言葉が出た。

「私ってこんなデカかったんだ…」

凛子がドレスから目を離し、私の方に顔を向けた。私はハッと口に手を当てた。

「い、今のは…」

「大丈夫よ、凛ちゃん。私も全て覚えているから」

「え?」

私は凛子の顔をまじまじと見つめた。

「本当に全て。あの中間の世界のことも」

“中間の世界”

その言葉を聞いた瞬間に、全ての記憶が蘇った。小学生のような姿のシン君に出会ったことも、白石透と人生を交換することを決めてカプセルに入ったことも。

「る、るーちゃん…!?るーちゃんなの?」

私は自分より20センチ以上も高い、凛子を見上げた。

「ええ」

凛子は優しい笑顔で頷く。

「会いたかった・・・」

「私もよ」

しばらくの間、私たちはお互いの存在を感じながら抱きしめ合った。


「今は何してるの?」

伊坂のベッドに腰をおろし、私は隣に座っている凛子に尋ねた。

「やっぱり倉庫業務?」

凛子は軽く笑うと首を振った。

「あの会社は辞めたわ。今はモデル業をしている傍ら、農業の勉強を始めてる」

「も、モデル…?」

私は自分の耳を疑った。

「ええ。私ずっと身長が高い人に憧れてたの。凛ちゃんの体になってから、何でも服が似合うようになって、ファッションを楽しんでいたら、街でスカウトされたのよ。凛ちゃんはいい素材を持っているのよ。今までは服装がちょっと…不思議だっただけで」

ファッションセンスを遠回しにディスられた気がするが、それについてはコメントしないでおいた。白石透になった今でも、ファッションに全く興味がなく、クローゼットにある服しか着ていない。ただ、有り余るほどあるだけでなく、母親がどんどん買って来るので、同じ服を着ることはほとんどないが。

「でも、モデルだなんて…」

元自分の体で思い切ったことをした白石透に舌を巻く。

「それで、凛ちゃんの方は?進路は決められた?」

上手く話題を切り替えられたと思ったが、私は頷いた。

「大学で経済学を学ぶつもり」

「経済を?どうして?」

凛子は、興味津々に尋ねた。

「将来、自分で事業を立ち上げたいと思って…」

「へえ!」

面白そうに凛子は眉を上げた。

「レストランとかかしら?まどかによく食事を作っていたわね。羨ましかったわ」

“中間の世界”で長いこと私を上から監視していた白石透は、何でも知っている。

「まだ何の事業かは決めていないんだけど。私が目指している大学では、学部の垣根を超えてカリキュラムを組めるみたいなの。だから、興味があるものは何でもやってみようかと思って」

「素敵ね」

上品に反応する凛子の姿に、お嬢様だった頃の白石透の姿が見え隠れする。

(私であって、もう私ではない)

昔白石透が言ったことをふと思い出した。

「凛ちゃんが開いたレストランに行けたら最高ね」

どこか夢見がちで凛子は言った。

「そう言えば」

ぱっとこちらを向いた凛子。

「さっきの金髪の彼。私たちの秘密を知っているのよね。挨拶した方がいいかしら?」

「榊?ううん、しなくて良いと思う」

私はすぐさま首を横に振った。

「榊が絡むと面倒なことになりかねない」

それに、秘密を知っている残りの三人は、今の目の前にいる杉崎凛子が、いつか榊が口走った〈凛ちゃん〉だとは気づいていなさそうだ。変に暴露してかき回したくはない。

「そう?良い人だと思うけど」

凛子は頬に手を当てて言った。

「良い人?」

「ええ。だって、大きな秘密を信じてくれた子でしょ。そしてずっと側にいてくれた。あんな良い人、探しても見つからないわ」

私の秘密を知った榊は、完全に新しいおもちゃを見つけた子供のようだったが。そう言われて見ると、確かに彼の存在は私にとってかなり大きい。

「本当、いい友達に恵まれたわね」

私の表情が変わったのを見て、凛子はくすりと笑った。

「いつか彼と話せる日が来るかしら」

遠くを見つめながら、凛子はどこか楽しそうに言った。

後に、榊は凛子に自分から挨拶をし、「凛子さん」と呼ぶまでに至るが、それはもう少し先のことである。

時計の針が3時を指した頃、私は意を決して、凛子に向いた。

どのタイミングで言えばいいか分からなかったが、どうしても聞きたいことが一つあった。山奥に来てから、今までにないくらい何度も反芻した彼らの姿。

「るーちゃん。私の両親はどうしてる…?」

凛子ははたと動きを止めると、眉尻を下げて言った。

「気が使えなくて、ごめんなさい。凛ちゃんは、両親の姿を見れなかったものね」

中間の世界で、白石透は嫌というほど両親の姿を見たことだろう。以前、母親が私をいびる度に胸を痛めたと話してくれたことがあった。

凛子は、少し間を置いてから言った。

「この後、会いに行かない?」


凛子のこの提案で、少しの間外出することになった。みんなにすぐ戻ると伝えてから、凛子について小1時間ほど歩き、ある一軒家に着いた。久しぶりに見る実家は、昔と全く変わらなかった。大きな玄関口には、正月の飾りが出しっぱなしになっており、横にスライド型のドアは半開きのままになっている。入り口の近くに父親の使っている小型トラックが止まっており、朝市で販売してきた野菜のカスがまだ荷台に残っていた。

「ただいま」

扉を開けて凛子が言った。

「あら、おかえり。里英ちゃんは元気だった?」

廊下をパタパタと走りながら駆けて来た、懐かしい母の顔を見た瞬間、いきなり涙がこみ上げて来た。

「元気だったよ」

そう言ってから私を紹介しようとして振り向いた凛子の顔が固まった。

「あら、お客様?あら、まあ!」

私が号泣している様子を見たお母さんは、タオルを取りに洗面所へ姿を消した。

「凛ちゃん、大丈夫?」

小声で凛子が言った。優しく背中をさすってくれている。

「うん。大丈夫」

まだ止まらない涙を手の甲で拭いながら私は頷いた。

「辛いなら、また今度にする?」

そう凛子が言ったのと同時に、背後で太く腹に響く声がした。

「ただいま」

2メートルはある父は、見た目も体格も全く変わっていなかった。私の三倍はありそうな腕に、この夏取れたばかりのスイカと4つほど抱えていた。

「お客さんか?」

私を見下ろしながら父が言った。こうして見ると、巨大な怪物のようだ。昔は、お前の父ちゃんはモンスターだなとよく言われ、父に出くわしたクラスメートは一目散に逃げ出していたが、その気持ちが今になってよく分かった。

「うん。白石透さん」

「上がってもらえ」

父はそう言うと、乱暴にサンダルを脱いで、どしどしと足音を響かせてリビングに入って行った。入れ替わりにお母さんがタオルを持ってやってきた。

「これしかなかったの」

タオルを渡されるや否や、私は表情を見られないように涙を拭くふりをして顔を隠した。

「何かあったの?」

お母さんが心配そうに凛子に聞いている。

「なんか、お母さんを見ると自分の母親を思い出すみたいで」

「あら…。まだ若いのに…」

母親がいないと思ったのか、気の毒そうに言っているのが聞こえた。

「良かったら慰めてあげて」

凛子が何か合図をしたらしい。お母さんは、玄関に降り立つと突然私を抱きしめた。

「ほら、泣かないの」

懐かしい母親の匂いと優しい言葉に、どんどん涙が溢れてきた。我慢したいのに、嗚咽が喉元まで迫ってくる。

私はお母さんの背中に片腕を回し、ずっと言えなかったことを口にした。

「本当にごめんなさい」

お母さんは困惑しながらも、泣き止むまで私の背中をぽんぽんと叩いてくれていた。昔、私が自転車から落ちて大泣きしていた時と同じ調子で。

呼吸が落ち着いて来ると、さっと現実を思い出した。慌てて母から離れて、お辞儀をした。

「す、すみません…」

「いいのよ」

その時、後ろが騒がしくなり、誰かが荷物を持ってやってきたのが分かった。

「凛子さん!遅れてすみません!」

声の方を振り返り、私は一瞬にして涙が引っ込んだ。

明るく染めた茶色の髪は、ムースで固めて仕事の出来る青年風にしているが、どこかまだ若々しさが残っている。

「さ、早乙女!?」

「早乙女くん」

凛子の声とちょうどかぶったおかげで、私の呟きは誰にも聞かれることがなかった。

「道路が混んでいたので、遅くなりました…」

両手にお土産を持ちながら、よろよろと早乙女は玄関に近づいた。

「あ、お義母さん。ご無沙汰しております」

「あらあら。またこんなにお土産を。気を使わなくてもいいのに」

お母さんは早乙女からいくつか、お土産を受け取ると、私に一度お辞儀をしてからリビングへと姿を消した。

「あれ、お客さん?」

紺のスーツを着た早乙女は、昔より一層男らしくなった気がした。

「ええ」

早乙女は私をじっと見てから、軽く会釈をし、危なっかしいバランスでお土産を持ちながら靴を脱いでリビングに向かった。

「結婚相手って早乙女なの?」

小声で私は凛子に詰め寄った。

早乙女は、私の三つほど年下の後輩だ。会社で主任になった後も、早乙女が原因で上司に呼び出されたことが何度かあった。合コンが趣味で、よく飲み会に行っては、次の日必ず遅刻し、皆に迷惑をかけるというどうしようもない奴だった。要領が良い以外は、何の取り柄もない。

「驚いたわよね」

凛子は苦笑いしながら頬をかいた。

「驚くも何も!だって、早乙女は合コン好きの奴で…」

「貴女が命をかけて守った人、でしょ?」

凛子が言葉を紡いだ。

事故があったあの日。

私は倉庫内で、早乙女に注意しているところだった。もう大丈夫という早乙女をその場に残して、自分の仕事に向かった時、大地震が起きた。揺れが起きた時は、棚からすぐさま離れるように訓練されているが、早乙女はパニック状態で、その場から動けずにいた。その時、早乙女の頭上にある荷物がグラグラと不安定に揺れているのに気づいた。叫んでいるヒマはないと直感的に思い、考えるより先に私は早乙女に体当たりしていた。そしてそのまま荷物の下敷きになり、命を落とした。

「病室で目が覚めた時、彼がいたの」

どこか思い出すように凛子が言った。

「おそらく自分のせいで、って罪悪感が消えなかったのね。それで何週間も付きまとわれたわ」

困ったようにそう言いながらも、まんざらではなさそうに口角が上がっている。

「シン君のおかげで、体には何の異常もなかったのだけど。早乙女くんが何でもするって言うから、色々お願いをしていたら。ある日、彼の方から告白して来たのよ」

私は信じられないというように目をむいた。

「でも、アイツの好きなタイプは…」

「ええ。小柄で可愛くて守ってあげたくなるタイプよね。でも、あの日から彼のタイプは変わったそうよ。自分を命がけで助けてくれた人に」

(でもそれだけで、早乙女が趣味を変えるだろうか)

私は腕を組んだ。

きっと、中身が白石透の杉崎凛子に恋をしたのだろう。強そうに見えて、まだ中身は幼く守ってあげたくなるような白石透に。そして、どこか上品さも兼ね備えている彼女を、異性として意識し始めたに違いない。

「凛子さん、来ないんですか?」

リビングの扉から顔だけを出して、早乙女が聞いた。もう何度も家族に会っているのか、緊張している様子は全くない。

「お義母さんがケーキ切ってくれたよ」

「今行くわ」

そう言ってから、私の方を向いた。

「凛ちゃんも、一緒にどう?」

私は首を振った。

「帰るわ。友達が待っているから」

新しい家族の形が出来上がっているところに、私が入って行く理由もない。

気持ちを察したのが、凛子は引き留めなかった。

「また会いましょう」

「うん。必ず」

そう言って、私たちは別れた。

また会えるかどうかも分からない。

でも一つだけはっきりしていることは、私たちはもう大丈夫だ、ということだ。



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