目覚め
どこからか音楽が聞こえて来る。軽快なギターの音に、自分はまだ中間の世界にいるのかと思った。
(記憶、まだある…)
中間の世界で、本物の白石透と出会い、人生を本気で交換することになった。不思議な体験。今ではもう夢の中の出来事のような気さえしてくる。少しずつ白石透との会話が消えかかるのと同時に、段々と意識が戻って来た。
時々止まっては、また鳴りだすギター音の隙間から、ピッピッと規則正しい機械音が聞こえてきた。病院のベッドに寝かされていると分かるのに時間はそこまでかからなかった。ところどころメロディーの音を外しながら「あれ、おかしいな」と声がする。
瞼が重くて開けられない。私は少し舌を出し、乾いた唇をなめると、カラカラの喉から声を絞りだした。
「榊、うるさい…」
ギターの音が一瞬で止んだ。部屋がしんと静まり返った。
「と、透…?今、何か言ったか?」
それから別の方向へ向かって声をかけた。
「おい!今、透が喋ったよな!?」
人が動く気配がした。
「マジかよ?お前、先週もそんなこと言ってたぞ」
蓮見の声がした。
「本当だって!俺の名前を呼んだんだって!」
「なんで、白石ちゃんが真っ先にお前を呼ぶんだよ!呼ぶなら俺だろ!」
バシッと音がして蓮見が榊を殴ったのが分かった。
(なんでや…)
良く分からない言い争いに物申したいが、体が鉛のように重くて指一本動かせない。
「俺の勘違いか~?」
榊がベッドサイドの椅子にまた腰を掛ける音がした。
「俺のギターが上手すぎて、起きたのかと思ったぜ」
「アホか」
蓮見がそう突っ込んだ時、また何とも言えないギター演奏が始まった。音は外すし、メロディーは所々止まるしで、聞くに堪えない。
これを黙って聞いている蓮見が凄い。
「…うるさい」
私は力を振り絞り、また声を出した。少し声を出すだけで、全身の力が抜ける。
「と、透?」
演奏する手を止めて榊が言った。
「おい、またか…」
呆れたように言う蓮見を制したのか、部屋が静かになった。榊が私の顔に近づいた。
「透?意識が戻ったのか?もしそうなら、頷いて」
部屋が緊張感で包まれるのが分かった。
私は力が戻って来るのを待ってから、小さく頷いた。
「ほら!ほらな!やっぱり!」
榊がその場から立ち上がった。その勢いで、ギターが盛大な音を立てて床に落ちた。
「え!白石ちゃん、本当に!?」
「俺、先生呼んでくるわ!」
「あ、待て。俺も行く!」
二人の足音が聞こえなくなると、私はまた眠りに落ちた。
この時すでに、白石透と中間の世界で出会った記憶は全て消えてなくなっていた。
次に目を覚ました時には、体の重さはだいぶ軽減され、瞼もすぐに開いた。口元についていた呼吸器を取り外し、体を起こした。真夜中なのか、部屋の中はしんと静まり返り、薄暗かった。しかし、あり難いことに枕元の電気はついている。
ベッドサイドにいた榊はいなくなり、代わりにベッドに顔を伏せて天城が寝ていた。テーブルを囲んだソファーの椅子では、蓮見とまどかが仲睦まじそうに眠っている。
その時、病室の扉が開く音がして思わず肩をこわばらせた。
買い物袋を下げたその人物は、私の姿に気がつくと、一瞬立ち止まったが、足早にベッドサイドにやってきた。
「五十嵐。見舞いに来てくれ…」
そこまで言いかけて、気がつくと五十嵐に優しく抱きしめられていた。
「良かった。目を覚ましてくれて、本当に良かった」
安堵したように言う五十嵐の声に、心から心配してくれていたのが伝わって来た。
「ありがとう」
私は五十嵐の腕の中で、そう言った。
「…でも、そろそろ離してくれると嬉しい」
中々離れようとしない五十嵐の腕を叩いた。
「だって数か月ぶりなんだよ。もっと充電させて」
「いや、充電と言われましても…」
男の力を引きはがすほどまだ体力が戻っていない私は、どうしたものかと考えを巡らせていたが、その心配も一気に消えた。別の腕が伸びて来たと思ったら、五十嵐の腕からいきなり解放された。
「そこまで」
いつ起きたのか、眉間に皺を寄せた天城が右手で五十嵐の腕を掴んでいる。
「えー」
ベッドサイドの椅子に座りながら、五十嵐は口を尖らせた。
「そういう自分もちゃっかり手握ってるくせに」
そう言われて、私は自分の右手が天城の左手にしっかり握られているのに気がついた。
私は慌てて天城の手から自分の手を引っこ抜いた。
「大丈夫か?」
天城が聞いた。相変わらず無表情だが、その瞳の奥に様々な感情が渦巻いている。
「ええ」
それから蓮見の隣でぐっすりと眠っている妹へ顔を向けた。前より痩せている気がする。
「まどか、心配かけちゃったかな…」
私はぼそりと呟いた。
「僕たちもだいぶ心配したけど」
どこか不満そうに五十嵐が言った。
「でもま、妹ちゃんが教えてくれなかったら発見も遅かったし、解決も出来なかったからね」
「まどかが…?」
「うん。君が階段から落ちたのを真っ先に教えてくれたのは、妹ちゃんだよ。壮真の電話にかけて来たんだっけ」
五十嵐が天城に聞き、彼は頷いた。
「電話番号教えたことがないって言ってたけどね」
のんびりと言う五十嵐の言葉に、一瞬背筋が凍った。
(まどか、また裏の手を使ったんじゃ…)
「それでね」
私の焦りに気づいていない五十嵐は言葉を続けた。
「妹ちゃんが音声と映像を持っていたおかげで、突き落とした犯人は捕まった」
「西園寺を」
無表情のまま天城が言った。
(気づいてくれた。あの音声…)
まどかからの電話を切らずにそのまま西園寺と対面した。
賢い妹なら気づいて対策を打ってくれると信じていた。あの音声が、西園寺が私を突き落としただけでなく、他の数々の虐めの背景にもいる常習犯であることを示す証拠になると。
私は、はたと止まって五十嵐を見た。
「ちょっと待って。映像って言った?」
(確か監視カメラは西園寺が前もって止めていたんじゃ…)
「それがね~。妹ちゃん、ハッキングしてカメラを起動させたみたい。犯行の現場がばっちり映ってたから」
私は天使のような寝顔の妹に顔を向けた。
(カメラの死角に入っていたはずなのに、あの短時間でカメラを動かすプログラミングまでしたの?)
あまりの天才ぶりに畏敬の念を感じると共に、今すぐ駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られた。しかし私は再度、はたと止まった。
(え。ちょっと待って…)
「今、ハッキングって言った?」
「うん。透も知ってたでしょ?」
「い、いや…」
(知っていましたけど!)
手に力がこもる。
(とうとう警察沙汰に…?)
「大丈夫だ。すでに学校側とは話がついている」
私は顔を上げ、天城を見つめた。
「お前が寝ている2か月の間に色々あった。お前の妹は、今後一切ハッキング行為をしないと約束し、学校に謝罪文を出した。陰湿な虐めに気がつかなかった学校側にも非があるとして、このことは公にしないことになった」
珍しく天城はつらつらと話をしている。
「西園寺家は、親戚である理事長も含め学校から手を引き、家族全員で海外へ移住することが決まった。数週間前にはもう立ったはずだ。向こうには腕のいい精神科医がいるから、治療も開始するだろう」
「そっか」
私は掛布団に目を落とした。
やっと終わった。これで、全てが。
(藤堂と郡山なんか、相手にならんし)
待ち受けるのが可愛いイタズラだけだと思うと、心も少しばかし軽くなった。
意識が戻ってからというもの、とにかく病室が騒がしかった。
昏睡状態の私が寂しくないようにと、独学でギターを始めた榊が毎日のようにやって来ては、うろ覚えで下手くそな演奏をしては帰って行く。学校があるにも関わらず、天城や蓮見、五十嵐も時間を見つけては、ベッドにいる私を放ったらかしにして、まどかとトランプをして楽しんで帰って行く。
病室にまどかの笑い声が響き、私は笑みがこぼれた。
私の意識が戻ったと知ったその日は、ずっと泣いていたらしい。大声で泣きじゃくる妹を初めて見た、母親を含む周りの大人たちは相当当惑していたと聞いた。なだめ方を知らない大人たちの代わりに、蓮見や榊が筆頭となってまどかを慰めてくれた。そして、私が目覚めた夜以外の日は、ほとんど一睡もしないでベッドサイドにいたと教えてもらった。
私が「おはよう」と、寝起きのまどかに声を掛けた時の、彼女の表情は言葉では言い表せられない。その場にいた蓮見と榊が思わずもらい泣きするほど、たくさん泣いて、私はたくさん謝った。
妹は私が今までと同一人物かどうが、何度も確認して病室内のみんなを困惑させていた。「最初に作ってくれた朝食は?」「私がお姉さまにあげた手作りのプレゼントは?」など、事故前の私から変化していないかどうか、執拗にチェックしていた。数日も過ぎると安心したのか、奇妙な質問の嵐は止み、学校が終わるとすぐに病院に来ては、私が一人で寂しくないようにと蓮見たちと遊ぶようになった。
「まどか。そろそろ帰ろうか」
時計の針が21時を回ったところで、私はトランプ大会からジェンガ大会に変わっている一同に向かって声を掛けた。
事故を通して皆に大切にされていたことが確認できたことは嬉しい事だった。そしてもう一つ収穫があった。私の事故を機に、まどかは“子供らしさ”を覚えたのだ。私が退院するまで、一切の習い事をお休みすると言い出し、激怒する母親に逆切れする始末だった。
「まだ、ここにいたいのに…」
残念そうに言う妹に私は首を振った。
「子供は早く寝るの。蓮見さん、お願い出来る?」
遊び足りない蓮見も眉尻を下げたが、ジェンガのブロックをテーブルに置くと、自分の鞄とまどかの鞄を持った。
「行こうか」
「…はい」
蓮見が差し出した手を渋々つかみ、まどかは立ち上がった。どこか不満そうに口を尖らせている様子を見ると、やっと小学生らしくなってきたと思う。
「お姉さま、いつ帰って来るの?」
ベッドサイドにやって来て、私の腕を触った。
「お医者さんは、来週には退院できると言ってたよ」
妹の小さい頭を撫でた。
「分かった」
妹の背中が病室のドアから消えるまで見送ったあと、未だソファーでくつろいでいる天城と五十嵐に目を向けた。
「あの、お二人もお帰りになったら…?」
二人は互いの顔を見合わせた。
「どっちの担当だっけ?」
「俺」
「そう。じゃあ、また明日」
五十嵐はそう言うが早いや、立ち上がると私に手を振ってから病室を出て行った。
部屋の中に沈黙が流れた。
天城はソファーに足を上げて、本を読んでいる。
(え、何で帰らないの…?)
「あの~…」
私が声を掛けると、天城は本から顔を上げずに言った。
「何」
「いや。なぜ、いるのかな~と」
「気にするな」
(気になります…)
「お前が寝たら帰る」
「寝てるところを見られたくないのに」
私は小さく呟いたつもりだったが、天城がふっと小馬鹿にしたように笑った。
「何をいまさら」
(いや、そうなんですがね!)
しばらく天城を睨みつけていたが、一向に動く気配のないので諦めることにした。
布団を頭からかぶり、横を向いて瞼を閉じた。
しかし中々眠気がやって来ない。
(睡眠薬貰えばよかった…)
数日前、鍛えていただけあって回復が早いと、医者に褒められたのを覚えている。早々に点滴を外され、食事も普通食になった。大きな事故だったにも関わらず、頭にも骨にも異常がないのが不幸中の幸いだと言われた。しかし2か月も昏睡状態だったこともあり、様子を見たいと数週間の検査入院が決まった。
しかし体力が回復してくると、エネルギーの発散不足で眠れなくなる。昨晩までは睡眠薬を貰っていたが、数日後には退院出来そうなのでそろそろ薬の服用をやめようと言われたのが今日の午後。
時計の針の音だけがやけに大きく聞こえる。
目を閉じてからたいぶ時間が経った気がする。天城が動く気配がして、静かに病室から出て行ったのが分かった。
掛布団をはがし、部屋の壁に目をやると、ちょうど時計が12時を指したところだった。
「少し歩いてくるか…」
医者からも病院内のウォーキングを勧められていた。寝たきりが長かったせいで、最初は一人で歩くのに苦労したが、数日で全く問題なくなった。やはり、筋トレを毎日欠かさず行っていたおかげだろうか。
私はベッドから出ると、院内用のスリッパを履き、病室の外へと出た。
最初は手すりに掴まりながらゆっくりと足を進め、それから手すりを離して歩く。
(うん、問題ない)
足元を見ながら慎重に私は歩みを前へと進めて行く。しかし、しばらくしたところで、足を止めた。後ろを振り返り、一気に歩いて来てしまったことを後悔した。
夜の病院内は、そこまで暗くはないものの、人の気配がない廊下は寒々しいものがあった。トイレとナースステーションだけは、夜間でも煌々と電気が付いており、常に人の話し声がする。しかし、VIP室に寝かされているせいか同じ階にナースステーションがなかった。
下の階に行けば良かったと後悔の念が私を押し寄せる。手すりに掴まり、ふうと大きく深呼吸をした。
(病院なんて怖くない)
私は来た道を戻ろうと、くるりと向きを変えた。その時、後ろでカタと音がした気がした。思わず足を止め、耳を済ませた。窓の外で風が吹いているだけだ。
(大丈夫、大丈夫)
呪文のように心の中で何度も言い聞かせながら、歩みを早めた。誰も後ろにいないというのに、誰かが付いて来ているのではと自分の想像に勝手に恐怖する。
行きの数倍も早く病室に着き、すぐさま扉を閉めた。
スライド式のドアの取っ手を両手で握ったまま、肩で息を整え、頭の中で反省会を開く。
(私の馬鹿。暗闇恐怖症のくせに、なんで夜に散歩なんかアホなことを…)
その時、いきなり肩に手を置かれ、まだ悲鳴を上げる力がなかった私は、膝から崩れ落ちた。
「お、おい」
焦った声が降って来た。顔を上げると当惑した表情の天城の顔が私を見下ろしていた。
「な、なんだ…、天城か。びっくりしたじゃない…」
私はため息交じりに呟いた。
「どこに行ってた?」
天城は私を立たせようと腕を掴んだが、足に力が入らず中々立ち上がれない。
「こ、腰が抜けたみたい…」
苦笑いしながら私がそう言うと、天城は小さなため息を吐き、いとも簡単に私を抱え上げた。
(げ…。またか…)
クリスマスパーティーの夜のことを嫌でも思い出してしまう。そして、自分の非力さも。
(子供にお姫様抱っこを二回もされるとは…)
ベッドまで運んでもらい、気まずい空気の中、私は下を向いたまま言った。
「ど、どうも。ご迷惑をおかけしました」
「出歩いてたのか?」
ベッドサイドの椅子に腰かけ、天城が聞いた。私が小さく頷くと、やれやれと首を横に振った。「暗闇が怖いくせに」
その言葉を聞いて、私は顔が熱くなるのが分かった。
(その件で天城の前では恥を晒しまくりだ、私)
「か、帰ったのとだとばかり思ってました。人がいるとは…」
私は顔を上げ、暗闇が怖かったのではなく人が後ろにいたから驚いたのだと目で訴える。
「一人にはしない」
「え?」
思いがけない天城の言葉に聞き返してしまった。
階下にあるコンビニ行くために少し席を外していただけらしい。コンビニの袋からお茶を出して私に渡した。
「一人でいるのは心細いだろ」
天城がコーヒー牛乳にストローを差し込み、飲んでいる様を凝視する。
(天城ってこんなに優しい雰囲気だったっけ…)
「何」
私の視線に気がついた彼は、すっと眉根を寄せた。
どこかで誰かが言っていた言葉がふと脳裏に蘇った。
―彼を変えたのも貴女なのよ。
(私が変えた…?)
「聞きたいことがある」
ふと、天城が言った。
「何かしら」
「全ての背景にアイツが、西園寺がいるって、いつ知ったんだ」
心臓がびくんと飛び跳ねた。
いつか誰かしらに聞かれるとは思っていた。心の準備はしていいたものの、いざ現実に起きると何と答えたらいいのか分からなかった。私は気づかれないように唾をのみ込んだ。
天城の鋭い視線が突き刺さる。
「お前の妹も知っていたようだし」
「え、ええ。そうね…」
そう答えるのが精一杯だった。私は掛布団に目を落とし、ぎゅっと拳を握った。
(どう誤魔化せばいいものか…)
「なぜ、あの時逃げなかった?」
“あの時”とは、最後に西園寺と対面した時のことを言っているのだろう。映像を見ているのではあれば、階下に行こうとして踏みとどまった私の姿を見ている。あの時、あのまま逃げていれば、昏睡状態になることもなかったと思っているに違いない。
大事故を避けられたのに、あえて対面した理由が分からないと天城の声色が物語っている。
「…逃げても無駄だと思ったからよ」
私は顔を上げると真っ直ぐ天城を見据えた。
「どこかで必ず終止符を打つ必要がある。それが、あの時だと確信したの」
それから私は肩をすくめた。
「おかげで解決したじゃない?まどかの映像も音声も役に立って…」
しかしその先は言うことが出来なかった。気がつくと、天城の腕の中にいた。
(五十嵐といい、心配してくれるのはあり難いけど…)
天城の長い腕から逃れようとするが、五十嵐の何倍も強い力で抱きしめられている。
「あの、苦しいんですが…」
「死ぬかと思った」
耳元で天城の悲しみを含んだ声が響いた。
「ええ。打ちどころが悪くなくて良かった」
しかし私の言葉を完全に無視して、彼は言った。
「俺が」
お腹の奥底で小さな動物が飛び跳ねた気がした。
(本当にみんなに心配かけてしまったのか…)
罪悪感が脳内を支配し、私はまともに考えられなかった。だからかもしれない。
天城の腕の下から手を伸ばし、彼の背中をポンポンと軽く叩いた。
「心配かけてごめんなさい。私は大丈夫だから」
天城はしばらくの間、無言だった。
(まるで、まどかの男版ね…)
それから妹にしてあげたように広い背中をさする。
「俺、今、慰められてるの?」
体を引き離した彼の表情は、いつもの不機嫌そうな天城に戻っていた。
「ええ。何だか弟のようで」
そう言いながら、私は軽く笑った。
「年が離れているから?」
彼の一言に、私は思いっきり咳き込んだ。慌てて口を手で覆う。
「な、なんで…」
「榊から聞いた」
(あんの野郎!)
天城から貰ったお茶のペットボトルを強く握りしめた。白石透の体ではまだビクともしなかったが、脳内でベコベコに凹ませる。
「事件解決の為に、榊とお前だけで共有してる秘密を吐くように仕向けた」
「ちょ、ちょっと待って。他に誰か知っているの…?」
私はまだ咳き込んだまま、無表情に戻った天城の顔を見つめた。
「俺たち三人だけ。お前の妹はもう知っているみたいだったけど」
(ど、どうする?榊のたわ言だと言ってみる…?)
指を忙しなく動かし脳内で言い訳を考えてみるが、良い案が出てこない。しかし相手はただの高校生だ。とりあえず、揺さぶってみる価値はあるだろう。
私はこほんと咳をした。
「そ、そそれをああなたたちは信じているのかい…?」
「もの凄い動揺してんな」
(私の馬鹿―!)
私は心で思いっきり頭を抱えた。
「冗談だと思いたかったけど、あの時の榊は嘘を吐けるような状態ではなかった。本心で話しているとすぐに分かった。それに」
天城が私の方を見た。
「お前は昔とは全く違う」
「そ、そうかしら?」
私はきょとんとした表情を作り、首を傾げた。
「そういう変なところも含めて」
天城からの突っ込みは鋭かった。
「昔の白石は、人や金に頼ることしかしなかった。努力も嫌いで全て金の力で解決しようとしていた。でも、お前は違う」
天城は続けた。
「アイツが苦手で避けていたものを、努力で補おうとしていた。金にも人にも頼らないし、全て自分の力で解決しようとする。周りが手を差し伸べても、拒否するほどに」
後半の言葉には、どこか強い苛立ちが込められていて、私は体をこわばらせた。
「お前の態度を見ていたら分かる。榊に中身が違うって言われても、俺たちはそこまで驚かなかった。むしろ、今までの行動に納得がいった。全部自分で解決しようとするのは、俺たちが高校生だからだろ。26歳が10歳も年下の奴に頼るなんて出来ないよな」
「あのぅ、何か怒ってます…?」
大きな秘密を抱えていたことに怒っているのか、中身が違う白石透が嫌なのか定かではないが、目の前の天城は怒りを露わにしている。昔の拒絶するような怒りではなく、心の底から沸き上がるような静かな怒り。
「怒ってる・・・よね?」
「ブチ切れてる」
天城が素直に認めたので、私は驚いた。
「年齢なんて関係ないだろ。危険な目に遭う前に、頼って欲しかった。もっと俺たちを信用して欲しかった。一人で抱えるなと、俺は何度も言ったのに」
年齢なんて関係ない。
その言葉が肌にビリビリと響いた。
天城は私の言い分を待っているかのように、口を閉じた。彼の真っ直ぐな瞳から本気度が伝わってくる。私はふうと空気を吐き出すと、決心してから顔を上げた。
「私には秘密がもう一つあるの」
天城の眉がぴくっと動いた。
「これは榊にも言ってないことよ。私は…」
ここで少し言葉を切った。
どう伝えたら今までの私の行動を理解してもらえるか、言葉を慎重に選ぶ必要があった。
「この先どんなことが起きるのか大体知っていた。だから、藤堂や西園寺がどういう行動に出るか、何となく予想して動いていたのよ」
「だからあのペンキの時…」
天城が思い出したように目を見開いた。
「そう。藤堂がペンキを私の机に撒くことを知っていた。まあ、妹の協力がなければ避けられなかったけどね」
私は力なく笑った。
「だから一人で全て解決できると思っていたし。あなたたちは…」
そこで私は口をつぐんだ。言っていいものか迷ってしまう。
「俺たちは?」
天城が強めに聞き返して来た。
「…あまり良い印象がなかったから、頼ろうと思えなかったのよ。私に対する態度を思い返してみて。とにかく私のことが嫌いで仕方なかったでしょ?視界にも入れたくないほどに」
天城の顔がさっと陰ったのを見て、私は笑いながら軽く首を振った。
「だけど、きっと、最初からあなたたちが優しく手を差し伸べてくれても、断っていたと思う。私は元々人に頼ることが苦手だから」
そう言いながらも私はふと、なぜだろうと思った。
(一人っ子で、昔から自力で生きることを教えられてきたせい?厳しかった父親の影響かな。確かに、身長も力もあった昔は、頼られることが多くて、誰かに頼ったことがほとんどなかった気がする…)
私は自分の考えに忙しすぎて、天城がずっと何か話していたのに気がつかなかった。そのため、いきなり「すまなかった」と謝罪された時は驚いた。
「え?」
慌てて聞き返すが、天城は聞こえないフリをした。
「だからこれからは、安心しろ」
「え、ちょっと待って」
(“だから”の前を全く聞いてなかった!)
「も、もう一回言って下さらない…?」
「言わない」
天城は腕を組み、頑なに頷こうとしない。
「前の方があまり聞こえなかったんだけど、もう一度…」
「それで。今後のことも何か見えているのか?」
もう次の話題に移ろうとしている天城を軽く睨んだ。
「いいえ。階段から落ちるところまでしか知らないわ。そこが最後」
「そ」
納得したのか、考え事をしているのか、天城は静かになった。
一つ気になることがあった。
私は聞いていいものか、分からず手を布団の上でもじもじさせた。それに気がついたのか、天城が顔を上げた。
「何」
「えっと…。今回の件、あなたにとって残念な結果になってしまったから、大丈夫かなと思って」
天城の片方の眉が上がった。
「俺にとって?」
「ええ。西園寺さん、特別な人だったんでしょ」
天城は信じられないと首を振った。
「そこ、お前が心配するの?殺されかけたのに?」
「私にとっては脅威の人だったとしても、別の人にとっては特別な存在だったなと思い出しただけよ」
どこまでお人よしなんだ、と呟くのが聞こえた。
じりじりするほど長い間のあと、天城が声を抑えながら話し始めた。
「俺が入院している時」
よく耳をこらさないと聞こえないくらい小さい声だ。あまりしたくない話なのだろうと思った。
「医者にバスケはもう諦めろと言われた時に、俺のそばにいて「いつかまたバスケが出来る」と励ましてくれていたのが西園寺だった。たまたま同じ病棟で、顔を合わせる回数も多かった。一番荒れていた時期に近くにいた人物として、アイツは特別な存在だった」
(それはきっと西園寺も同じ。辛い入院生活をしている時に出会った年の近い男の子がいたら、そりゃ気にもなるよな)
「そう。ごめんなさいね」
私が小声で謝罪すると、額に何かが当たった。普段の何倍も優しいデコピンだった。
「お前が謝るな」
そしてどこか悲しそうに言った。
「それにもう、アイツは俺が知っている昔の西園寺じゃない」
天城の表情が今にも泣きそうだったので、思わず頭を撫でようと手を伸ばそうとしたが、すぐに手首を掴まれた。
「何してんの」
「え…。慰めようと思って」
馬鹿正直に言ってすぐに後悔した。天城の瞳が苛立ちで燃えている。
「精神年齢が少し年上だからってナメてる?」
「な、ナメてないです」
(少しって差じゃないけど…)
私は天城の手から逃れようと腕を引っ張り、自由になった腕を布団の下に滑り込ませた。
「もうしません」
眉間に皺の寄った天城の顔を見ながら私は呟いた。
「寝ろ。遅い時間だ」
そう言われて、時計を見ると3時を指していた。どれだけ長いこと話していたのか。
(しかし、いつも無口の天城がここまで話すとは…)
何だか全く懐かない野良猫を手懐けたようなくすぐったい気分だった。
「何」
笑みがこぼれてしまった私を睨みながら天城が言った。
「いえ。何でも」
私はそう言いながらベッドにもぐりこんだ。
布団はすっかり冷え切っているのに、不思議と心も体もぽかぽかしていた。
(いい夢が見られそうだ)
瞼を閉じるや否や、私はあっという間に夢の世界へと旅立った。




