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中間の世界2

温かい日差しが差し込むサンルームから青々とした芝生が広がる庭が見える。白い丸テーブルの上には、淹れたばかりの湯気の立っている紅茶と数種類のお茶菓子が用意されていた。この世界は、欲しいもの心の中で思い描くだけで、何でも出現するのか。

熱々の紅茶を片手にマドレーヌを食べながら、私は目の前に座る白石透に目を向けた。太陽に当たると更に色白さが目立つ彼女は、本当に漫画の世界からそのまま出てきたようだった。触ったら霧になって消えてしまうのでは心配になるほど、線が細くて弱々しい。

「さっきの子、シン君って言うのだけど。彼にも言ってない秘密があるの」

紅茶を一口含んでから、白石透が言った。ティーカップを持つその仕草だけでも絵になる。

「実は。貴女は自分の意思で、私の人生を選んだのよ」

私は思わずマドレーヌを口から出すところだった。思いっきりむせながら、紅茶で流し込む。

「ど、どういう…?」

「私と貴女は命を落とした日付や時刻は全く一緒だったけれど、年代は違った。シン君が出した表で気がついたかしら?」

私は黙ったまま首を横に振った。

「私たちはこの世界に来たのが数年ずれているの。私の人生があまりに気の毒だからと上層部が再生を認めたのだけど、私はもう一度同じ人生を歩むのがとても嫌だった。だから転送日、これは死んだ日付と時刻で決まるのだけど、その日が近づくとシン君に見つからないように隠れていたわ。それで転送時期が伸びてしまったの。そしてあるタイミングで、偶然にも私と同じ転送日である貴女に出会ったのよ」

白石透の透き通った瞳が私を捉えた。

「あの時の凛ちゃんも、先ほどと丸っきり同じ反応をしていたわ。何度私が本物だと言っていても、これは夢だって聞かなかったけど」

口に手を当てて、思い出し笑いをしている目の前のフランス人形を見つめた。

「漫画から既に私の背景を知っている貴女は、白石透に戻りたくないと駄々をこねる私に提案を持ちかけたのよ。自分が代わりになって、必ず幸せにしてあげるって」

「そ、そうだったの…」

全く記憶がないが、何となく想像は出来る。夢にまで見たるーちゃんが目の前にいたら舞い上がらない自信はない。

「そういえば。私に転生したと気づいた途端、言っていたわね。絶対幸せにするって」

私はその時のことを思い出して、顔を赤くなるのを感じた。

(私の行動は全部筒抜けだったんだ…)

「本当に嬉しかったのよ。一人でも私には味方がいたことを知って」

そう言うと白石透は目を細めてほほ笑んだ。

「ありがとう。いつも私のことを一番に考えてくれて」

目尻にきらりと光るものが見えた気がした。

「誰かが私として生きているのを見るのは奇妙な感じがあったわ。特に最初は」

リンゴの香りがふわりと漂う紅茶を飲みながら、白石透の言葉に耳を傾けた。

「とても不安だった。だってこれから何が起きるか、どんな虐めが待ち受けているか知っているんだもの。やっぱり貴女の提案を受けたのは間違いだったかもしれないって後悔もしたわ。でも、もう遅い。だから、ここで出来ることを探して、貴女が少しでも待ち受ける試練に対処出来るように、手助けをしたの」

そう言われて、私はすぐにピンと来た。

「もしかして、〈記憶〉はるーちゃんが流していたの?突然音声だけの会話が頭の中に流れて来たのは、やっぱり私に心の準備をさせるため?」

白石透は頷いたが、困ったような表情を浮かべた。

「だけど、毎回は難しかったわ。事あるごとに記憶を扱う部屋に侵入していたのだけど、かなり厳重に管理されていて・・・。あまり役に立たなくてごめんなさい」

私は思いっきり手を振った。

「ううん、助かったよ。色々を対策も打てたし」

そう、と悲しそうにほほ笑む白石透は紅茶を一口飲んだ。

「虐め自体を止めることは私には出来ないから、とても心苦しかった。でも、どんな虐めにも屈しない貴女を見て、私は本当に驚いた。卑屈になるでもなく、むしろ自分を強くする方へ頭を切り替えていた貴女を尊敬した。内に引きこもりがちの白石透が、筋トレやバスケに精を出している姿を見る日が来るとは想像もしなかったわ」

その場面を思い出しているのか、口に手を当てて笑っている。

「シン君とお腹が痛くなるまで笑い転げたわ。勉強しながら、空いている手で握力グリップを握っていたのは傑作だったわね」

「ご、ごめん…」

恥ずかしさで顔が赤くなるのが分かった。ひとしきり笑った後、ふうと呼吸を整えて白石透は言った。

「褒めているのよ。それに、怪我をしては、私に申し訳なくなっている貴女を見て、心が温かくなったのも覚えてる」

それから私の手を優しく握った。

「白石透だけじゃない。周りの態度もどんどん変化しているのを見ているうちに気づいたの。これは私では抱えきれない人生だったんだって。いきなり劣悪な環境下に放り込まれたのに、凛ちゃんと私とではこんなにも生きた人生が違う。だから…」

白石透ははっきりとした声で言った。

「貴女には白石透として生きてほしいの」

私はしばらくの間、真っ直ぐに見つめてくる彼女の瞳を凝視していた。

「で、でも…。友達は?また会いたいと思わないの?」

やっとのことで思考が回転を始めた。

「私に友達はいないわ。先ほど言ったでしょう。伊坂さんと私は全く親しくなかったと。彼女と本当の友人になったのは、貴女」

「さ、榊は…?漫画には出て来たけど、彼もるーちゃんの友達じゃ…」

「知らない方よ」

白石透は首を横に振った。

「彼は貴女が行動を変えたことによって登場した人物。私ならきっと一生出会うことはないわね。私はボクシングなんてしないもの」

ふふっと白石透はまた思い出し笑いをしている。

(確かに榊とはボクシングジムで会ったけど…)

それから続けた。

「運命って分からないものね。一度しか会わない人もいれば、その一度がきっかけで人生の一部になる人もいる。彼が一番いい例ね。彼が転校してきたのは本当に偶然なのよ」

驚いて口が開いたままの私を見ながら、白石透は言った。

「貴女は自分で気づいていないだけで、色々変化を起こしているのよ。伊坂さんのこともそうだし、一番はあの幼なじみ三人組ね」

その言葉を聞いて私は、はっとなった。

「そうだよ!天城は?好きなんでしょう?私がるーちゃんの人生を乗っ取ったら…」

「乗って取るって」

白石透はクスクスと笑いながら首を振った。

「貴女なら気づいていると思っていたけど。あれは恋心と言うより、身近の異性に恋してる自分が好きなだけだった。だけど、〈ここ〉から貴女に対する彼の冷たい態度を見ていて、何故こんな人を追いかけていたんだろうって首を傾げたわ。あの時は本当に周りが見えていなかったのね」

そして私の方へ目を向けた。

「でもそんな彼を変えたのも貴女なのよ。私の白石透ではなく、貴女の白石透が。貴女だって、天城さまの気持ちに気がついているはずよ」

私は目を見開いた。しかし、白石透はすぐに、ごめんなさいと目を伏せた。

「私が入るところじゃないわね。とにかく、貴女は後ろに置いてきたものが多すぎる。白石透としてこれからも生きてほしい。これが私の願いなの」

後ろに置いてきたもの。

そう言われて思い当たるものが沢山あったが、真っ先にまどかの姿が浮かんだ。

しかし私は頭を横に振った。

「で、でも、元々はるーちゃんので…」

「いいえ。私では築けなかったものよ。もちろんそれは、まどかも例外ではないわ」

私の心の内を読んだのか、白石透は言った。

「あんなに生き生きしたまどかを見たのは、初めて。声を上げて笑う姿も、大泣きする姿も。作り立ての料理に飢えていた彼女のことも、本当に何も知らなかった。私が知っていたのは、ただあの子が天才であったということだけ。それだって、まどかのほんの一部でしかないのにね。私には、あの子の素を引き出すことは出来なかった」

ここで一度白石透は言葉を切った。

「悲しいけど、また転生しても同じことが言えると思うの」

二人の間に長く重い沈黙が流れた。

窓の外に輝く太陽は沈まないのか、さきほどから変わらない場所にいる。

「凛ちゃんは、元の人生に戻りたい?杉崎凛子の人生に」

しばらく外を眺めていた白石透が先に口を開いた。

すぐさま「うん」と言いたかったのに、言葉が出て来なかった。まるで喉に詰め物がされているかのように声が出ない。

(…もう一度やり直したい?あの人生を?)

都会から遠く離れた農村で生まれ育ち、農家を継ぐしか未来のない人生。都会に出る選択をしたところで、田舎以外での生き方は辛くて、結局自分の強みが活かせる倉庫業務に就く。きっと今回もまた同じ人生を歩むのだろうと思うと、途端に気が重くなった。

「るーちゃんは、どうするの?」

私は顔を下に向けたまま聞いた。

「もし、もしだよ?私がるーちゃんの人生を選んだら、るーちゃんは?」

「私は、杉崎凛子になるわ」

「え!」

私は驚いて顔を上げた。その表情が可笑しいのか、白石透はクスクスと笑っている。

「わ、私に?良いことなんて何もないよ!?貧乏だし、狭くてボロい家に住んでいるし、自分の部屋なんてるーちゃんの部屋の10分の1もないよ!農家だから毎朝早くに起こされて畑仕事を手伝わされるし。もし都会に出たとしても男扱いされて、力仕事ばかり任されるし…」

いつの間にか立ち上がって力説している一方で、白石透は肩を揺らして笑っていた。

「そんな勢いで言わなくても」

笑い過ぎて声が掠れている。

「だ、だって…。知らないかと思って」

私は静かに座り、白石透が笑いのツボから抜け出すのを待った。

「知っているわ。貴女の人生も見たもの。もちろん家族との関係も」

家族と聞いて、じりっと心が痛んだ。最後まで私と頑なに連絡を取ってくれなかった両親。私が死んだ時には、少しはあんな態度を取ったことを後悔してくれただろうか。

「私の悲惨な人生から逃げずに向き合っている貴女を見て、勇気を貰ったし、大きな学びがあったわ。人生はどんな時でもいい方向に変えることが出来るって。だから今度は私が杉崎凛子を幸せにするわ」

「るーちゃん…」

「正直、今の白石透の人生には“私”はもういない。皆が待っているのは貴女の白石透だもの。だから私にそこへ戻れなんて、酷なこと言わないで」

どこか悲しそうに眉を下げて白石透が言った。

「ほ、本当に、私がるーちゃんの人生を送っていいの?奪っちゃっていいの?」

喉から絞り出した声が震える。

「ええ、もちろん。むしろ、そうして欲しいのよ。次は”るーちゃんがどう過ごすか“ではなく、”杉崎凛子の白石透“と生きてちょうだい」

それから白石透は私に目を合わせると、しっかりと頷いた。

「次の人生は、私もちゃんと前を向いて生きるわ。二度目のチャンスだもの」

「お。決まったようだね!」

どこからともなく、少年が姿を現した。話を全て漏れなく聞いていたのか、満面の笑みを浮かべている。

「るーちゃん、僕に隠し事なんていい根性してるじゃん!ま、いいか。終わったことだし」

そして私たち二人に立ち上がるように指示した。

「さ、行きましょう!君たちが心変わりする前に!」

「ええ」

白石透に倣い私も立ち上がると、シン君の後ろについて歩き始めた。



長細い円形の半透明のカプセルの前に誘導された時には、緊張して心臓が破裂しそうだった。それに気づいたのか、白石透が私の手を握った。それから不安そうな私に向かって、優しく声を掛けた。

「本当に記憶を消さなくていいの?嫌な思い出は消すことが出来るのよ」

私は大きく頷いた。

「私が杉崎凛子として生きていたことも、ここでるーちゃんと出会ったことも全て覚えていたい」

「え!ここでの記憶は消すよ?」

カプセルに何やら打ち込んでいる少年は驚いたようにこちらを向いた。

「消さないで欲しいわ」

「シン君と出会ったことも覚えていたいのに」

戸惑っている少年に向かって、私たちは懇願するような表情を作った。

「ダメ!そんな顔をしても、ダメなものはダメ!」

そして設定が終わった「杉崎凛子」のカプセルに入るように白石透を呼んだ。

「ほら、るーちゃん。行く時間だよ。ご希望通り、事故の一日後に設定しておいたから」

白石透は私の手を離すと、カプセルの中に入った。

「凛ちゃん、また会いましょうね」

そう言って笑顔を作った。

「うん、絶対に」

私がそう答えたのと同時にカプセルの扉が閉まり、カプセル内が真っ白になった。そして濃い靄が晴れた時には、白石透の姿はどこにもなかった。

「さ、今度は凛ちゃんの番だよ」

シン君が機械に入力しながら言った。

「時間は戻さなくていいよね。また突き落とされるのは嫌でしょ」

何が面白いのか、にやりと笑っている少年を私は睨みつけた。

「そうだね。すぐにここに戻ってくることになるもんね!今度は私が、“るーちゃん版杉崎凛子”の人生を観察しようかな」

「あはは。それもいいね!」

嫌味が通じてないのか少年は愉快そうに笑っている。

「昏睡状態どれくらいがいい?事件解決も期待して、2か月くらい寝とく?」

「お任せで」

冗談まじりに言っているシン君を横目に、私はカプセルの中に入った。

「これで良し。それじゃあ、今度は長生きしてね」

シン君がそう言うとカプセルの扉が閉まった。心臓がドキドキし体が震えていたが、それもすぐさま収まり、私は深い眠りに就いた。



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