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中間の世界

気がつくと、見覚えのない場所で真っ赤なソファーに座っていた。

天然の木目が美しい目の前の壁に、大きな黒文字で〈待合室〉と書かれている。

(ここ、どこ…?)

横隣を見ると、私と同い年くらいの男女が数人、無言で座っていた。ファッション雑誌を食い入るように読んでいる女性もいれば、着ているワイシャツの袖を異様にチェックしている男性もいた。

その時、左手にあるドアが勢いよく開いた。びくっと肩を強張らせ、ドアの方に目を向ける。

「やってらんねーよ!」

まだ20代半ばだろうか、背中に大きな虎の絵が描かれたジャケットを着た青年が、大声でわめきながら出て来た。しかし、目の前からふっと姿を現した、黒のスーツに身を包んだ男性二人に両腕を掴まれると、声の音量が少し小さくなった。

「な、なんだよ!」

虎の青年はいきなり身動きが出来なくなり焦った様子を見せたが、静かに座っている私たちの視線に気がつくと、チッと舌打ちをした。

「馬鹿どもが、見てんじゃねーよ!クソが」

「はい。次の方~」

男性の大声にかぶせるようにして、部屋の中から明るい声が響いた。ドアは閉じているのに、まるでスピーカーを通しているかのようにハッキリと聞こえて来る。

こんなヤンキー騒ぎの後に続きたい人などいるのかと隣を見るが、みんなが私を凝視している。

(え、なぜ…?)

しばらくの間、無言で私と残りの人たちは見つめ合っていた。

「次の方?」

少し苛立ちを含んだ声が部屋の中から聞こえてきた。

私は一度ドアに目を向け、それから座っている男女を懇願するように振り返った。しかし全員の瞳が“お前が行け”と言っている。

私は渋々腰を浮かし、ぴったりと閉じている木製の扉の前に立った。視線が背中に突き刺さるのを感じながら、二回ほどノックし、私は金色のドアノブをゆっくりと回した。

部屋の中は、外からでも予想出来るほどにシンプルな造りになっていた。部屋は広いものの、無駄な装飾はされておらず、頭上にあるシャンデリアだけが異色を放っている。壁には、有名人なのか大柄な女性の絵が飾られていた。

「そこ、座って」

高く積まれた書類の後ろから、指示される。

私は灰色の絨毯の上をゆっくり歩き、長机の前に置いてある一人用のソファーにおそるおそる腰を下ろした。腰が沈みこむほどにふかふかした椅子だった。

机の端に置いてある、薄緑色のオブジェが風もないのにずっと回転している。私は意味もなく、なぜか惹きつけられる奇妙なオブジェを見つめていた。

「うんうん。面白いね」

書類の向こうから何やら呟き声が聞こえる。そして、目の前の大量の書類を思いっきり横にスライドさせた。

「え!」

私は思わず手を伸ばして落ちそうな書類を受け止めようとした。しかし、驚いたことに書類は床につく前に全て姿を消した。かろうじて掴んだ書類も手の中から消えて行った。

「良い反射神経してるね。杉崎さんは」

私は顔を上げた。

目の前の男の子はどう見ても、10歳くらいにしか見えなかった。丸っとした顔に横を刈り上げた黒髪。サスペンダーをつけているため、山なりに膨らんだお腹が目立っている。

「杉崎凛子、26歳。倉庫作業中に地震が来て、荷物の下敷きになったと。後輩の身代わりになったのね」

手元の紙を見ながら、少年は呟くように言った。

私は無意識に膝の上に置いていた手に力が入っていた。

「あの、ここはどこなのでしょう?」

書類から顔を上げた赤い目の少年と視線が交差した。不自然なほどに赤い光を放つ瞳だったが、不思議と怖くはなかった。

「ここはどこか。んーいい質問だね。しいて言葉にするなら、どこでもない場所かな」

言葉の意味が分からず私は、少年をじっと見つめた。

「天国でも地獄でもない。この世でもあの世でもない。“中間の世界”」

「で、でも私は、死んだんですよね?」

男の子は椅子に寄りかかると腕を組んだ。少年の倍はある革の椅子がぎしっと鳴った。

「確かに今、君の魂は体を離れている。それを死と呼ぶなら、そうだね」

「それで私はこれからどうなるんですか?ここで裁きを受けるんですか?」

「裁き?」

少年の瞳が大きく見開いた。そしていきなり大声で笑い出した。

「なんで?誰かが言ってたの?」

「い、いえ。でもさっきの人がどこかに連れて行かれましたし…」

「ああ~」

ぷっくりとした小さな手で頬をつきながら少年は言った。

「彼は生前の行いが悪くてね。ここで100年修行をするか、今すぐ生まれ変わりたいか聞いたんだ。人間は無理だけどね」

「100年の修行…?生まれ変わる…?」

背筋に冷たいものが流れ、唇が渇いて来た。

「ま、修行するって言っても、雑用をこなすだけ。生前、彼が嫌いだった仕事を100年間やるって感じ。彼の場合は、トイレや下水の掃除とか、金属の錆をひたすら落とすとか、国語辞典を全ページ書き写すとかね。もちろん、輪廻転生も選べるんだよ。でも彼の場合は、選べるものも多くない。昆虫とか、まあ良くてせいぜい蛙かな」

「か、かえる…?」

情報量が多くて頭が処理出来ない。

「うん、蛙。それも嫌だって言うから、別の世界に送ることにした」

そう言って彼は下を指さした。

「彼みたいなタイプをうまく扱える奴がいるからね」

これ以上は聞いてはいけないような気がして、私は口をつぐんだ。目の前の無害そうな子供がいきなり機嫌を損ねて「君は、セミね」って言い出したらと考えるだけで心臓が凍る。

私の顔が青ざめたのが分かったのか、少年はにっこりと笑った。

「君は大丈夫。100年の修行もないし、下に送ったりもしない。ただ、難しい選択をすることにはなると思う」

「選択…?」

緊張で全身の筋肉が硬直した。

少年は手元の書類に視線を落としながら、頷いた。

「君に与えられた選択は、杉崎凛子として生きるか、白石透として生きるか。この二択だね」

頭を石で殴られたような衝撃を覚えた。

「白石透…?あれは、夢じゃ…」

喉がカラカラに乾き、声を絞り出すのに苦労した。

「はい、水」

どこから出したのか、少年がガラスのコップに入った水を差しだした。私は受け取ると一気に飲み干した。

「落ち着いてね」

少年はそう言うと、椅子からぴょんと飛び降り、壁のカーテンを引いた。てっきり窓があると思ったが、カーテンの後ろから出て来たのは小さな扉だった。少年はターコイズブルーのドアを押し、その向こうに声を掛けた。

「おいで」

ヒールの音を響かせ扉から出て来た少女の姿に私は息を呑んだ。腰まで伸びた栗毛色のウェーブした髪に、雪のように白い肌。睫毛の長いくるみのような瞳に、桃色の唇。花びらをあしらった春らしいピンク色のワンピースを着ている。蝶々の飾りが付いたハイヒールを履いているのに、自分の顎までしかない低身長が見てとれた。

「る、るーちゃん…?」

無意識に言葉が飛び出した。

生きたフランス人形のような白石透は、その言葉を聞くとクスクスと笑った。

「未だにそのあだ名、聞きなれないわね」

透明感のある澄んだ声に、全身が震えた。

「ほ、本物…?」

「ええ。本物よ」

白石透がそう言うが早いか、私は自分の両頬を思いっきりひっぱたいた。

その行動に、男の子と白石透がぎょっとしたのが分かったが、今はそんなことを気にしているヒマはない。

「い、痛くない…。やっぱり夢…?」

「魂が肉体から離れている状態だから痛みは感じないだろうね。るーちゃん、そこ座って」

ぷっくりとした手で私の隣を指し示しながら、少年が言った。

いつ出現したのか分からないもう一つの一人用ソファーに、ちょこんと白石透が座った。気のせいだろうか。彼女から甘い花の香りが漂って来る。

(ち、近い…)

凝視したい衝動と、眩しすぎて目が向けられない葛藤で、全身から変な汗が噴き出した。

(そこいらの芸能人より緊張する…!)

震えている手に気づかれないように、強く拳を握りしめた。

「あの。凛子さんと、呼んでもよろしいですか?」

「え!はい!もう何とでも!ちゃん付けでもいいですし!むしろ、呼び捨てでも!」

私は隣が向けずに、少年に顔を向けたまま大声で言った。

「…ちゃん付け」

白石透が首を傾げている様子が、目に浮かぶ。

「凛ちゃん?」

「はいっ!最高ですっ!」

私は勢いよく立ち上がってしまった。

「君、面白すぎるでしょ…!」

もはや少年は机に突っ伏して爆笑している。

「す、すみません。つい興奮してしまい…」

恥ずかしさで顔に血が上るのが分かった。しずしずと椅子に戻る。

「ここまで好かれてるって珍しいことだよ」

指で涙を拭きながら少年は、白石透の方を向いた。

「ええ、そうね。彼女で本当によかったと思うわ」

それから細い手を私の手に重ねた。あまりの白さに自分の手がより黒く見える。

「ずっと貴女とお話がしたいと思っていたの」

「わ、私もまさかるーちゃん本人と話が…」

そこまで言いかけて、私ははたと止まった。

「あれ?でも、るーちゃんは漫画の中の人物で、架空の…」

頭が混乱して来た。

「そうだね。まずは、そこから話そうか」

少年が何やら機械を取り出し、後ろのスクリーンに映像を映し出した。杉崎凛子と白石透、二人の年代表が大きくアップされた。

「白石透は実在する人物なんだ。だけど、君も知っているように一度命を落としている。偶然にも、君、つまり杉崎凛子も同じ日の同じ時間帯に事故で亡くなっているんだ」

「実在…?ということは、漫画は事実を描いていたということ?」

私は隣に座っているフランス人形を見つめた。彼女はゆっくりと頷いた。

「ええ。そして、あの漫画は描いたのは貴女もご存じの人」

「私も知ってる人…?」

あんなに綺麗な絵を描ける人が近くにいたとは。

脳内で出会った登場人物を思い返してみるが、思い当たる節はない。そして、白石透の口から思いがけない人物の名前が出た。

「伊坂さんよ」

「い、伊坂さん…!?」

驚きのあまり声が裏返った。

「ええ。漫画では登場しなかった彼女だけど、実は卒業まで同じ真徳高校にいたわ。ただ、彼女とそこまで仲良くした覚えはないのよ。一度家に招待したことがある程度で」

「ちょ、ちょっと待って。どうして…」

聞きたいことが多すぎて言葉にならない。頭に手を当て、今聞いた言葉を整理しようとする。

「るーちゃんもその他の登場人物も実際に存在する人で、ウェブ漫画の〈悲劇のフランス人形〉は伊坂さんの手によって描かれたもの?」

「ええ。厳密に言うと、私の日記を、伊坂さんが勝手に漫画にしたのだけど。私は自分のことフランス人形なんて言わないわ」

小馬鹿にしたように笑う白石透の顔を見つめた。その笑顔の奥に、人との接し方を知らずに横柄な態度を取っていた昔の白石透を見た気がした。

「私は学校や家で受けた嫌がらせを日記に書きなぐっていた。私が自殺したあと、伊坂さんが私の部屋でその日記を見つけた。それを彼女は、きっと良かれと思って勝手に漫画にしたのね。だいぶ脚色されていたけど、あんなに絵を描くのが上手だなんて知らなかったわ。そもそもそこまで仲良くなったから、何も知らないのは無理もないわよね」

白石透は頬に手を当て、自問自答している。私は構わず続けた。

「でも待って。もし事実を描いていた漫画なのであれば、実名を使われている人、例えば西園寺や藤堂、もちろん天城にも気づかれるんじゃない?そしたら絶対に問題に…」

婚約者を呼び捨てにする私がおかしいのか、白石透は一瞬頬を緩めた。

「その通りよ。だから、今はネット上から完全に消されてる。西園寺は今でも血なまこになって原作者を探しているようだけど、伊坂さんはうまいこと姿を隠しているみたい。危険を犯してまで、あんなことをするなんて変な正義感でもあったのかしら?」

白石透はどこか他人事で小さなため息を吐いている。

私はというと、何となく漫画が描かれた経緯が理解できたものの、まだ頭の中は混乱状態だった。

「続きを話してもいいかな?」

私たちの会話が途切れるのを待っていた少年が口を開いた。

「実は君たち二人とも、上からもう一度同じ体に転生することが認められていたんだ。ただ、同じタイミングで転送日が決まったせいか、魂の入れ違いが発生した」

「た、魂の入れ違い?」

「そう。本当はね、凛ちゃんは杉崎凛子に、るーちゃんは白石透に戻る予定だった」

少年は続けた。

「上から転生先と転送日が発表されると、“転送カプセル”に入ることになる。そこに転生先と日付を入力し、魂が転送されるシステムになっている。君たちの場合、悲しい事故を事前に防げるように少し時間を巻き戻していた。凛ちゃんの場合は、事故が起こる数日前に。そしてるーちゃんの場合は、まだやり直しが利く年に」

少年は続けた。

「しかし、そこで入れ違いが起きてしまった。僕が少し目を離した隙に、凛ちゃんが間違ってるーちゃんのカプセルに入ってしまった」

「わ、私が…!?」

自分の口があんぐりと開くのが分かった。

「本来なら一人ずつ転送するからこんなことは起きない。でも今回は特例で、二人同時に転送する予定だった」

そう言った時、少年がちらりと白石透を見たのが分かった。

「だから、用意されたカプセルも二つだったんだ。そして、僕が気づいた時には、既に凛ちゃんは転生先に送られ、白石透として目覚めていた。完全に僕の監督が行き届いてなかったんだ。ごめんね」

目を伏せて謝る小学生に、心が痛くなる。

「いや、間違えたのは私で…」

少年は、苦笑いしながら頭を掻いた。

「最初は慌てたけど、白石透になった凛ちゃんの生活をしばらくここから見守ることにした。もちろん、ここに残されたるーちゃんと一緒にね。君をこの世界に連れて来るには、もう一度、生死の境を歩まないといけないから。それはさすがに可哀想だと思って。まだ倉庫で下敷きになった記憶も新しいのに」

「な、なるほど…」

(私の手違いでるーちゃんの体に転生してしまい、西園寺に突き落とされ危篤状態になったことによってまたこの中間の世界に戻って来た、ということか)

私の考えはこの世界では筒抜けになるのか、少年が頷いた。

「そういうこと。だからこそ、選択肢が増えてしまった。杉崎凛子に戻るか、白石透として生きるか。この二択」

「で、でも、そもそも私がカプセルを間違えてしまったせいで、るーちゃんの人生を奪ってしまったんだよね。私は杉崎凛子に戻る選択肢しかないと思うんだけど・・・」

少年の瞳が私から隣に移った。

「彼女はそう言ってるよ。やっぱり二人で話した方が良さそうだね」

「ええ。そうね」

静かに聞いていた白石透はすっと立ち上がると、私の方を向いた。

「少しお話する時間を頂けない?」



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