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風邪

「あの母ちゃん、化け物か」

私は机に突っ伏した。

修学旅行から帰宅してから、既に一週間が過ぎようとしていた。その間にも、何度かまどかと接触出来ないか試みたものの、母親はまどかを一人にしないように慎重を期しているようだった。まどかの習い事にも同行し、帰宅するとすぐに私の目に触れないように部屋に追い込んでいる。

「あの暇人め…」

もはや母親からの嫌味や、水やワインをかけられるのは慣れた。しかし、妹から引き離さられるのは我慢がならない。

「まどかが恋しいよ~」

修学旅行で買って来た土産すら渡せていない。旅行前にはあんなに目をキラキラさせていたのだから、土産話も期待しているはずなのに。

「何、独り言?」

隣の席に座った榊が私に声をかけた。

「そう、独り言」

私はそっけなく答えた。

「悩み事でもあんの?聞いてやろうか?」

私は顔を上げ、榊の顔を見た。相変わらず派手な金髪をハーフアップにし、耳にはいくつものピアスが光っている。カラコンを入れた紫の瞳と目が合った瞬間、私は首を横に振った。

「いや、いい」

「あ、お前。今俺の外見で判断しただろ!」

榊が声を上げた。

「こう見えても俺は、聞き上手なんだぞ」

「見たまんまだと思うけど」

私が言うと榊がふうんと嫌味な笑いを漏らした。

「こんな俺に自分の秘密をベラベラ喋っちゃった人は、どこのどいつだっけ?ねえ、凛子ちゃん?」

「ちょっ!声がでかい!」

私は飛び上がり榊の口を塞いだ。

榊は楽しんでいるのか私の手の中で何かモゴモゴ言っている。

「いい加減、その話忘れてくれない?」

「ふに!」(無理!)

その時、チャイムが鳴り先生が入ってきた。

「おーい、席に着け」

私は榊から手を離し、手の平をハンカチで拭くと椅子に座り直した。

「おし、全員いるな。じゃあ、ここからは文化祭委員」

先生がそう言うが早いか、藤堂が立ち上がった。教卓に着くと、教室全体を見渡して言った。

「では、これから文化祭の出し物を決めたいと思います」

(…もう文化祭の季節か)

懐かしい響きに私は頬が緩むのが分かった。クラスや学年の垣根を超えて、学校全体が一体となるお祭りだ。学生時代も、怪力が功を奏して裏方としてかなり役に立った。また、文化祭当日は身長が高いからと男装をさせられ、それもまた女子たちの間で好評だった。

色々なアイディアが上がり、藤堂の取り巻きが黒板に書いていくのを眺めながら私はふと思った。

(しかし…修学旅行から帰ったばかりなのに、忙しいな)

よくよく考えてみると、11月上旬に行われる文化祭まであと3週間ほどしかない。

(勉強する時間あるの?)

大きなイベントである文化祭の準備が近づくと生徒たちは、たちまち学業に手がつかなくなるだろう。

(大丈夫なのかな?)

ぼんやりとそんなことを考えていると、いつの間にか話は進み、クラスメートの多数決により、2-Bはメイド喫茶をすることに決まった。

学業に割く時間がないのでは、という私の心配は杞憂に終わった。というのも、ほとんどの家庭には白石家同様、執事やら家政婦たちがおり、学生に代わって彼らが文化祭の準備を行うという意味の分からないことをやっていたからだ。

(準備が一番楽しいんだけどな~)

学生はというと、全てが用意された形で、当日にクラスごとの出し物を担当するだけらしい。

(なんだかなあ…)

文化祭の準備にあまり関与しない真徳生を見て、呆れかえってしまう。

しかし、校内にクラスの出し物のチラシがあちらこちらに張り出され、プロの手によって精密に作られた「真徳祭」の看板を見た時には、私も興奮が隠しきれなかった。

「とうとう来週ですね、文化祭」

車の中で平松が言った。

「そうね。まどかも来られるといいけど」

「そうですね」

平松の答えを聞くに、それは期待できないらしい。

未だに母親との攻防は続いていた。どうにかまどかに近づきたい私と、それを阻止する母親。彼女の方がいつも上手で、私の行動を把握しその隙をついて、まどかをその場から離れさせる。時折、言い争う声が聞こえたのは、きっとまどかも抗議しているのだろう。しかし、その努力が実ることはなく、まだ修学旅行のお土産は引き出しの中にしまったままだった。

(まだ西園寺は動いていないけど…)

普段は学校にいない西園寺も、一大イベントが近いせいか最近は姿を現すようになった。以前と変わらず天城の隣にいるが、時々一人でいるのも見かけた。

(文化祭には必ず参加だろうな)

大きなイベントは休むことがない西園寺だ。何かを仕掛けてくる可能性はある。今回も、念のため妹に協力をお願いしたいのだが、話す機会が巡って来ない。

私は、はあと大きなため息を吐いた。

「着きました」

車が停まり、平松が言った。

窓の外を見ると、見たことのない豪邸が立っていた。白いモダンな造りの一軒家に、西洋風の大きなバルコニーが目立っている。

「ここは?」

電気が全くついていない真っ暗な家を凝視しながら、私は聞いた。

「あれ、奥様から聞いてないですか?」

平松が振り返った。

何を、と聞くまえに平松が言った。

「天城様宅です」

「はい?」

訳が分からず反応した私に、平松は私に鍵を渡した。

「天城様が風邪を引いているらしいので、お見舞いに行って下さい。こちら合鍵です」

(な、なんで私が…?)

押し付けられた鍵と平松を交互に見つめる。

「天城家にはご本人以外誰もいないみたいです。奥様より看病して来なさいとの伝言です」

「…はい?」

まだ状況が掴めていない私を半ば強制的に下ろすと、平松は非情にもさっさと帰って行ってしまった。

「嘘でしょ…」

私はしばらくその場に立ち尽くしていた。



ピンポーン。

天城と書かれた表札の横にある呼び鈴を押してみるが、何の返事もない。

(本当に人がいるの…?)

門の左側には、車が3台入りそうな大きな車庫があるが、シャッターは閉まっている。

「お邪魔しま~す」

ゆっくりと門を開け、庭へと足を踏み入れた。綺麗に刈り取られた芝生が一面に広がっている。豪邸へと続く、ゆるやかなカーブを描いたレンガ道を、音を立てずに進んだ。

(不法侵入だと思われたらどうしよう)

全く人のいる気配のしない玄関ドアの前に立ち、預かった合鍵を差し込もうとした時、ポケットの中でスマホが震えた。

液晶には「蓮見」と出ている。

「もしもし?」

何用かと、電話に出ると、焦った声が返って来た。

『あ、白石ちゃん?俺、蓮見!今、どこ?』

「どこって…」

場所を言おうかどうか悩んでいると、蓮見が聞いた。

『もしかして、海斗ん家?』

「ええ。でも、なぜ…?」

『ごめん!俺のせい!』

突然電話越しに勢いよく謝罪され、私は驚いた。

『海斗が風邪で休んでるって、旭と話してたのを、母ちゃんが聞いてたみたいで…』

(ああ…。そこから、こっちの母親に話が言ったのね)

どこから母親が天城の病気を知ったのかが不思議だったが、これで納得した。

『白石ちゃんに迷惑がかかるかと思って急いで連絡したんだけど…。もう遅かったね。ごめん』

「別にいいわ」

むしろ人を気遣えるようになった蓮見を褒めてあげたい。自分の何気ない一言が、私に被害をもたらすことに少なからず気づけたようだ。

(今後はもっと慎重になってくれるでしょう)

以前、蓮見の誘いを断ったせいで、それを聞きつけた母親に水をかけられるハプニングも、まだ記憶に新しい。

(しかし、情報源はいつも蓮見母だから、婚約破棄の件も蓮見母に知られたら最後だな)

いきなり黙った私に蓮見が心配そうな声を出した。

『し、白石ちゃん…?俺もすぐそっちに行くから、何か必要なことがあったらメールして!』

「ありがとう。助かるわ」

私は短くそう言うと、電話を切った。

(蓮見が来るなら、私の看病などいらないのでは…)

ふとそう思ったが、さきほど車の中で平松に言われた言葉を思い出した。

―これも奥様からの伝言ですが。天城様が回復するまでは帰宅するなということです。

私は大きなため息を吐き、扉を開けた。

家の中は真っ暗だったが、センサーが私を感知したおかげで、どこもかしこもパッと明るくなった。間取りは白石家とは違うものの、無駄に広く、誰もいないもの悲しさがある点は似ている。天井に取り付けられたシーリングファンはゆっくりと回り、よく分からない銀色のオブジェが棚の上でゆっくりと動いている。リビングには、コの字型のソファーが置いてあり、まるで映画館のような大きなスクリーンのテレビの下には、小さな暖炉があった。綺麗に整頓されて過ぎているせいか、展示場のモデルルームを思わせた。本当に人が住んでいるのかどうか疑ってしまうくらい、生活感のない家だ。

(使ってないな、これは)

私は無駄に広い対面キッチンを見て、そう思った。

(それか、掃除担当の人が相当磨いているか)

私は埃一つないキッチンやリビングを見渡しながら、思った。

(家族は住んでいないの?)

考えてみると、天城のことを全く知らないことに気づいた。

漫画では、「白石透の婚約者」として登場し、散々透を突き放した挙句に強敵の西園寺と婚約するという結末しか描かれていない。

「天城の家族構成って、原作にあったっけ?」

正直漫画の内容よりも、絵柄がドスライクでファンになっただけあって、細かい設定や内容などはあまり重要視していなかった。

「私が覚えていないだけかなぁ?」

私は首を捻った。そして、リビングの向こうには何があるかと向きを変えた時、何か温かい柔らかいものを踏みつけた。

思わず悲鳴が私の口から飛び出した。

「ぎゃ!」

小さな動物でも踏んでしまったかと焦ったが、踏みつけたのは床に倒れている天城の手だったと分かった。

「なんだ。天城…って、え!ちょっ…!」

私は慌ててしゃがみ込み、天城の背中を突いてみる。しかし、彼は床に顔を伏せたまま動く気配はない。

「もしかして、行き倒れた…?」

天城の体の向きからして、キッチンに何かを取りに来た時に倒れたようだ。

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

自分より大きい体を動かすのは、かなり骨の折れる作業だった。何とかして、天城を仰向けにし、肩を叩く。

「天城?大丈夫?天城!」

心臓が早鐘のように打っている。

「頭とか打ってないよね…?」

まさかこんな状態になっていると思わなかった私は、心臓が飛び出しそうだった。

(意識不明だったら、どうしよう…)

全身の毛穴から汗が噴き出しているのが分かった。

その時。

「……う…」

天城がうめき声を上げた。

「て、天城!大丈夫?どこか打った?」

私は慌てて聞いた。

うっすらと目を開けた天城だったが、「…いや」とだけ言うとまた目を閉じた。

「ちょ…」

呆然としたまま私はその場に座っていた。

(…この時って救急車なの?)

その時、ポケットのスマホが震え、蓮見から電話がかかって来た。

『あ、白石ちゃん?さっき、言い忘れてたんだけど…』

「は、蓮見!」

私は思わず声を張り上げていた。

「天城が床に倒れていて、どうしたらいいか…。救急車を呼んだ方がいい!?」

一瞬蓮見が無言になるのが分かった。

『海斗、どこか怪我してる?』

落ち着いた声で蓮見が言った。

「い、いえ。見たところは…」

私は天城の額や首筋、手足を見てみるが怪我は見つからない。

『じゃあ、いつものようにリビングへ行く手前で力尽きて、寝ころんだだけだな』

「そ、そうなの…」

『海斗は、あまり風邪にかからない分、引いた時はかなり高熱出すんだ』

そう言いながら蓮見が苦笑している様が目に浮かぶ。

『でも熱出した後は、すぐ良くなるから。って伝えたかったんだ』

「じゃあ、救急車は…」

『呼ばなくても大丈夫だよ』

電話の向こうで蓮見が私を落ち着かせるように言った。

『怖がらせてごめんね。買い物終わったらそっち行くから』

そう言うと、蓮見は電話を切った。

私は安堵のため息を漏らした。

とりあえず、天城は死にかけていないということに安心した。

(いや、死にかけてはいるけど…)

Tシャツにスウェットのズボンという姿で、床に倒れている天城を見て思い直す。

しかし先ほどの焦りはなくなった。

「…よし」

苦しそうに息をしている天城を床に転がしておくもの可哀想だと、私は彼を部屋へ連れて行くことにした。彼の部屋が一階にあったことが救いだ。リビングから彼の部屋への動線を確認すると、私は天城の腕を取った。ずしりと彼の体重が、背中にのしかかる。

「重っ…」

途中何度か諦めそうになったが、私は意地でも天城を連れて行った。

(元怪力女をなめんなよ…!)

そして、数分かけて私は天城をベッドまで運んだ。

肩でぜいぜいと呼吸しながら、床にへたり込んだ。

「るーちゃんの体だとしんどい…」

学生時代、貧弱な男子であれば持ち上げることが出来たあの日が懐かしい。昔は軽々と出来ていたことが出来なくなったというのは、どこかもどかしいものがある。

「まあ、そもそも女子は人を持ち上げないか」

怪力が故に、当時気になっていた男子にさえ「怪力女」と呼ばれたのだ。

(また嫌な記憶を思い出してしまった…)

その時、天城がまた苦しそうに唸った。

「あ、ごめん」

天城をそのまま放置していた私は慌てて布団をかけてあげる。

「失礼しますね~」

小さく呟き、私は天城の額に手を当てた。

「熱、だいぶあるね」

辺りを見渡し、散乱している服の山から適当なタオルを見つけ、キッチンへと向かった。冷たい水でタオルを冷やし、絞ってから、私は天城の部屋へと戻った。大量の汗をかいている顔や首を拭いてあげていると、なんか言葉に出来ない気持ちが心の底から沸いてきた。

(天城のこと未だによく分からないけど)

目の前で苦しそうに喘いでいる、まだ幼い子供を見つめた。

(病気の時に一人って辛いだろうな)

普段は無表情で何を考えているのか分からず、最近の謎な行動も理解できないが、きっと根は悪い奴ではない。助けて貰ったことも何度かある。

(そういや、面と向かって嫌いって言ったことあったな)

天城に嫌いと言われ、自分も嫌いと答えていた、去年の体育祭のことを思い出す。あの時は、それでも本心で言ったものだったが、今はあの時とは違う気持ちを抱えている。

私は、いつも以上に顔をしかめながら眠っている天城を見た。

彼を見ていると沸き上がるこの気持ちは一体なんなのだろう。

「可哀想…」

ぽつりと言葉が漏れた。

(ああ、哀れだ。私は天城を哀れに思っているんだ…)

「あースッキリした!」

天城に対する気持ちが明らかになり、気分良くタオルを洗って来ようと立ち上がったところで、いきなり腕を掴まれた。

「また、夢に出て来たのか…」

天城が低い声で言った。

「え?」

私が反応するより早く、ベッドの方へ引き寄せられた。

病人とは思えない力の強さで、私は身動きができない。

「行くな…」

そう呟く天城のしかめっ面を見て、私はため息を吐いた。

(誰かと間違えてるな…)

ふと修学旅行で、西園寺が天城に言った言葉を思い出す。

―いきなり、他に気になる人が出来たからと言われても…。

(つまり今私は、その誰かと勘違いされているのか)

しかし、高熱を出し朦朧としている病人相手に暴力で訴えるのも良心が咎める。

「ったく、今日は許してやる…」

今までに何度か窮地を救ってくれたお礼に、私はしばらくこのままにしておくことにした。



*おまけ*

修学旅行が終わり、数週間経った頃。

「海斗。寝不足?」

壮真が俺の顔を覗き込んだ。

その質問には答えなかったが、実は最近ずっと眠れない日々が続いていた。

(修学旅行のせいだ…)

理由は分かっていた。リネン室で、二人きりになった時に自分の気持ちにも気づいてしまった。その時から白石とどう接したらいいか分からなくなった。

(だから、どうした。小学生のガキじゃあるまいし…)

しかしやっていることは、ガキっぽいと自分でも自覚していた。白石が榊と一緒に話しているところに遭遇しては、壮真を使って邪魔をしたくなる。

しかし、それに気がついたのか榊がにやりと笑って言った。

「透は、言わないと何も気づかねーぞ。鈍感だし」

そして付け加えた。

「それにアイツは、人には言えない大きな秘密を抱えてる。お前にそれが引き出せるか?」

意味深な言葉を残していったが、それが忘れられない。

下の名前で呼ばせていることにも腹が立つが、何より誰にも見せない表情を榊の前では平気で出す白石にも苛立つ。

榊は白石を恋愛対象ではないと言っていたが、アイツの行動を見ているとそれも疑わしく思えてくる。

そんなことを考えているせいで、最近はずっと夢に白石が出て来る。寝不足が続いたと思ったら、数年ぶりに風邪を引いてしまった。

(これで、また榊に先を越される…)

働かない頭でぼんやりとそんなことを考える。

体中が熱くて、苦しい。

ふと冷たいものが額に当たるのを感じた。優しく汗を拭いているのが分かった。

(母…ではないな)

物心ついた時から、両親が家にいたことはなかった。幼少期の時でさえ、側にいなかったのだから、今さら息子が風邪を引いたからと言って戻ってくることなどあり得ない。

薄目を開けると、ふわふわと広がる栗毛が見えた。

(ああ、また夢に出てきたのか)

手を伸ばし、細い腕を掴んだ。

(やけにリアルな夢だな…)

夢の中でさえもいつもそっけない態度の白石だが、今回は凄く大人しい。

(やっぱり夢だ)

そしてそのまま、深い眠りへと沈んで行った。

*おまけ終わり*


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