蘇る記憶2
何度かお世話になったジムは、きれいに片づけられ、大きなテーブルを囲って皆で楽しく宴会を開いていた。その間を忙しそうに食事を出したり、片づけたりしている女性はきっと幸田の奥さんだろうか。幸田は、靴を脱ぐとすぐにその女性の元に駆け寄り、飲み物を下げる手伝いをしていた。手が空いたところで、幸田は未だにドアの近くで立っている私を皆に紹介した。
「こちら、白石透さん。拓也のお友だち」
「あら、可愛い子ね」
「こっちへいらっしゃいな」
ジムのトレーナーらしき男性もいたが、ちらほら女性も混ざっていた。親戚で集まっているのだろうか。私は手招きされた方へ向かい、そこに座った。
「お酒、飲める?」
「はい」
自分が高校生という事も忘れ、久しぶりのアルコールを前に私は頷いていた。
「おいおい。未成年だろ」
上から声が降って来たと思ったら、榊が私のコップに手をかざしていた。見た目とは異なり、この辺はしっかりしているらしい。
既に酔いが回っている女性は、ごめんごめんと私の肩を叩いて笑った。
「じゃあこっちね」
そう言い、私にオレンジジュースを渡してくれた。
(今日はオレンジジュースの日か…)
さきほどカウントダウンと共にオレンジジュースを飲んでいたのを思い出した。それでも一人ではない分、少し美味しく感じた。
「こうちゃん、お酒のおかわり!」
「さっき買ってきたのがそこにある」
買い出し班だったのか、幸田は忙しそうに買ってきたばかりのビールやらつまみを皆に渡している。
「この子、どこで拾ってきたの~?」
私の頭を撫でながら、隣の酔っぱらった女性が幸田に聞いた。
「さっき、公園でばったり」
「なんでわざわざ公園なんか?反対方向だろ」
別の男性が幸田に聞いた。
「なんか凄く騒がしかったら、様子を見に行ったんだ。公園を汚されるのも嫌だし」
(たくや君がよく遊んでいる公園だからか…)
目の前に座った責任感のある父親を見つめた。
「そしたら、彼女が酔っ払いに絡まれてた」
「マジかよ」
左隣に座っている榊が反応した。
「声掛けられただけ」
私はオレンジジュースをちびちび飲みながら言った。
「ただ、俺が入っていかなきゃ、酔っ払いの方が危なかったかもね」
何やら楽しそうに幸田が肩を上下させながら笑った。
「白石ちゃん、キレると怖いから」
一心不乱にパンチを打ち込む様子を何度か見ているからだろうか。
「確かに筋はあるよね。真剣に習ってみる?」
幸田の隣に座っているトレーナーの一人が言った。
「ボクシングなんて、ダメよ。こんなに可愛いんだもの~」
隣の女性が私の頭を撫でる。
「彩那、あまり絡むな」
彩那と呼ばれた女性は、渋々私から手を離した。
「さて、白石ちゃんも来たことだし、乾杯でもしようか!」
「あれ、たくや君は?」
私は辺りをきょろきょろと見渡した。
「さっきまで思いっきりはしゃいでたけど、今は事務室で寝てる」
榊が私に耳打ちするように言った。
「ああ、まあそうか」
時計を見ると、もう深夜の1時を回るところだった。
「皆、新年明けましておめでとう!そして残念ながら、明日帰国してしまう、かっくんにも乾杯!」
全員がそれぞれ自分の飲み物を高く掲げ、それを飲み干した。
「帰国、明日なの?」
「おお」
どこか嬉しそうな榊に、私にはピンと来た。
「誰か会いたい人がいるんでしょ?」
榊の顔が一気に顔が赤くなる。
「な、なんで!」
「顔に書いてあるよ」
「嘘つけ!」
「さ。誰が待っているのか、吐いてもらおうか。その愛しの人の名前は?」
「言うか!」
しかし、口角が上がっている様を見るとまんざらでもないようだ。
「青春してるな~」
「青春ね~」
榊とそんなやり取りとしていると、既に出来上がった大人たちが私たちを見てはにやにやしていた。
(私もそっち側の人間なのですが…)
「白石ちゃんとかっくん、お似合いだと思うんだけどね~」
「でも、かっくんには想い人がいるし」
榊に好きな人がいるのは、ここにいる人全員が知っているようだ。
「かっくんの好きな人はどんな人ですか?」
私は身を乗り出して、聞いた。
「かっくん、言うな!」と榊。
「それがね~。私たちにも教えてくれないのよ」
「意外と秘密主義でさ~」
こんな風に話していると、榊がいかに親戚の人たちに大事にされているかが分かる。
「なんか羨ましい」
私はぼそりと呟き、目の前に置いてあった漬物をポリポリとかじった。
(美味しい…)
部屋中に充満する温かい家族の雰囲気と熱気に、次第に体がぽかぽかして来た。
「お前は、家族と年越さなくていいの?」
榊が私を気遣ってか、そう聞いた。
「私だって…。私だって家族と過ごしたいに決まってるじゃん!」
幸田が慌てて言った。
「なんかね。白石ちゃんを残して、海外旅行に行っちゃったみたい」
「あー…」
榊はしまったという顔をしているが、私は気づかない。
「私も何度も田舎に帰ろうとしたけど、でも、無理だった。だって玄関で追い返されたら、もう立ち直れない!…手紙だって出したのに、返してくれないし!」
「なんの話?」
困惑している榊が言い、幸田が「もしかして」と声を上げた。
「お酒飲んじゃったんじゃ…?」
「わ、私じゃないわよ!」
右隣で彩那が慌てて言い、それからテーブルの上を見渡した。
「ちょっと待って。これじゃない?奈良漬…」
お酒を飲んだ痕跡はないが、目の前に置いてあった奈良漬だけはかなり減っている。
「まさかの奈良漬」
困惑した幸田が呟いた。
「わたし、お酒は強いんです。酒豪なんれすよ!」
何だか分からないが気分がとても良い。体が宙に浮いているようだ。
「あ!でも、今は高校生でした!」
きゃはははと笑いが漏れた。
「かなり酔っているわね」
彩那は私が食べた皿を確認しながら、ぼそりと呟いた。
「目の前にお酒があるのに、飲めないなんで拷問ですか!」
テーブルの上にあるビール瓶を指さしながら私は叫んだ。
「でも、高校生はお酒飲んじゃダメなんだから…」
そしてまたもや奈良漬に手を伸ばした私の手を、彩那が軽く叩いた。
「こら、もうダメ!」
「え~!ケチ~」
「ほら、キュウリでも食べてなさい」
「キュウリも好き!」
「…少し頭を冷やせば、正気に戻るかな」
しばらく私の様子を見ていた榊が、幸田に聞いた。
「かもしれないね。外に行くならコート着てね。かなり寒いと思うから」
「おい、行くぞ」
私は榊に腕を掴まれ、無理やり立たせられる。
「どこ行くの~?」
「頭を冷やしに」
「あ、バスケするか!」
「今の状態で出来るかよ」
「私は常にスタメンだったからね!負けないよ!」
「もう会話にならん…」
そうこうしながら、凍てつく風が吹く外へ向かった。
ジムが入っているビルの前には3人掛けのベンチがある。そこに乱暴に座らせられた。
頭をグラグラと動かしている私に向かって、榊はため息交じりに言った。
「お前、こんな状態で家帰れるの?」
「どうせ誰もいない家よ…」
帰りたい家があるのに、今はもうない。会いたい人たちがいるのに、もう二度と会えない。
「はあー泣きそう」
「また?俺、慰め方知らないぞ」
「あんたに期待なんてしてない」
私がふんと鼻を鳴らすと、榊に酔っ払いめ、と頭を小突かれた。
「ねえ、あんた明日出発なんでしょ?戻ってくるの?」
しばらくの沈黙のあと、私は口を開いた。
「もう戻ってくる予定はない。向こうで叶えたい夢があるから」
冬空を見つめながら榊は言った。
「じゃあ、私の秘密を話してもいいか」
私はすくっと立ち上がった。
「は?」
「私、本当はね。白石透じゃないんだ」
「はあ?」
榊の瞳が呆れかえっている。私はふっと笑った。
完全に酔っぱらいのたわ言だと思われている方が、心の内が話しやすい。
「本当の名前は杉崎凛子。ある日事故死して、それ以来、白石透として高校生活を送ってるの。驚きでしょ?」
榊が黙っていることをいいことに、私は話し続けた。
「本当は身長178センチあって、バスケも得意だったし、スリーポイントシュートなんてバンバン入れてたんだからね!ほぼ男として皆に扱われるほどに、運動は得意だったんだよ」
それから私はベンチに座った。
「るーちゃんになって楽しいことも、嬉しいことも経験したけど、私は今後どういう風に生きていったら分からない。るーちゃんを幸せにしたい一心で過ごして来たけど、私はまだどこか杉崎凛子なんだ。自分というものが最近分からなくて、ずっとモヤモヤする。自分じゃない誰かになるって、凄く大変でしんどい…」
そこで私の記憶は切れていた。
どうやって家まで帰って来たのか全く覚えていない。つまり、その後、榊が休日の平松を呼び出し、私を送ったということだ。
私は言葉を失っていた。
アルコールが入っていたとは言え、自分のことをべらべらと暴露してしまった。
(あの時の自分をぶん殴りたい…)
「お。思い出したようだな」
青ざめている私を見て、満足そうに榊は笑った。
(しかも酒豪と呼ばれた私が、奈良漬で記憶を飛ばすとは…)
私は両手で顔を覆う。
「大丈夫か?おーい」
この状況が楽しくて仕方ない榊が私の肩を叩いた時、幸田の運営するジムに到着した。
「なんか凄い殺気を感じるのは僕だけかな」
真っ赤なグローブを装着し、制服姿のままサンドバッグに向かって一心不乱にパンチを繰り出している私を見て、小声で幸田が言った。
「今、自分と戦っているんすよ」
榊がおかしそうに言った。
「あの酔っ払い具合を心配してたけど、元気そうでよかった」
幸田は安心したように言うと、トレーニングを受けている人たちの方へと向かった。
「おい!ミット打ちやるか?」
動きやすい服装に着替えた榊が、私に向かって叫んだ。
一旦手を止めてから、私はにやりと笑った。
「上等!」
私はスパンといい音を立てて、グローブを叩き合わせた。
しかし数十分後、私はぜいぜいと肩で息をしながら壁に手をついた。
「ちょっと、休憩…」
「おい、こんなもんか?」
額の汗を袖で拭いながら、楽しそうに榊は言った。
「さっきまでの勢いはどうした」
ニヤニヤと笑う榊に挑発されていると分かってはいるが、体がついていかない。
「…化け物みたいなあんたの体力と一緒にしないで」
ペットボトルの水を飲み、息を整える。
幸田の話によると、榊は親父と喧嘩して日本へ帰国後、毎日のようにボクシングジムで筋トレやミット打ちをしているらしい。
(そんな奴と体力勝負して勝てる訳がない…)
「運動能力が高いのと、体力が自慢じゃなかったっけ?」
床に座り込んだ私に合わせて、榊はしゃがんだ。
そんなことを言った覚えはないと、言い返そうとした時、私の額を榊が小突いた。
「26歳の凛子ちゃん」
一瞬にして言いたい言葉が消えた。
榊の紫色のカラコンに、自分の困惑した表情が写っているのが見えた。
それが面白いのか、榊は「顔やば」と言いながら笑っている。
私は足にぐっと力を入れ、立ち上がった。
「お」
私の表情が変わったのに気づいた榊はミットを構えた。そこに私はまたもやパンチやキックを打ち込む。さっきまでの威力とは格段に劣るが、まだ余力があったことに自分でも驚いた。
「あ…あの日のこと…は…忘れて」
少しジャブを打っただけで、息が上がって来る。なんでもいいからそれっぽい言い訳を考えたいのに、頭が回らない。
「印象的すぎで忘れられないね」
「あんな…酔っ払いの…言う事…を信じる方が…おかしい」
「そうか。今まで一番、本音で話していると思ったけど」
荒い呼吸を繰り返しながら、酸素が薄くなった頭で、榊が黙ればいいのにとぼんやりと考える。
「それで、何で俺は学校でお前に話かけちゃいけないの?」
ふと榊が聞いた。
疲れている今なら、何でも正直に話すと踏んでいるのだろう。そして、その作戦は見事成功した。
「あんたを守るため」
私は焼け付くカラカラの喉から声を絞り出した。
「守る?」
榊の瞳が細められた。
「私の近くにいると、いつか目を付けられる」
私はジャブを繰り出していた手を止めた。
「私だって唯一の友達がいた。でも私と一緒にいたせいで、彼女は突然転校を余儀なくされた」
「なに、俺のこと心配してんの?」
突然、榊が片手で私の首を勢いよく掴んだ。その力強さに私は思わず足元をふらつかせた。目の前の男が大量の汗を流しながらも余裕の表情であるのことに苛立ちを感じる。
榊から逃れようと力のない腕で押すが、びくともしない。
「離せ…」
「可愛いところあんじゃん!」
乱暴に私の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
「このクソガキ…」
そう小さく呟いた声が聞こえたのか、榊は笑って言った。
「確かに10歳も離れてたら、ガキだな!」
この言い方に、完全に榊は私の言葉を全て信じたことを悟った。
(もう誤魔化せないか)
「安心しろ。俺は大丈夫だ」
にやりと笑う榊の表情には、自信が溢れていた。
「俺が、お前の友達になってやる」
頭の中では否定をしたいのに、悔しいが「友達」という言葉に心が動いてしまった。
「あー!かっくん、白石ちゃんに何てことしてんの!」
私が首を絞められていると思った幸田の慌てた声が、ジムに響いた。




