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サッカー

しかし、注意を払うべきは藤堂だけではない。

「あら、ごめんなさい。見えなかったわ」

体育の時間。

私は芝生に尻もちをついたまま、あざけるように笑う郡山を見上げた。

「手を貸しましょうか?」

手を差し伸べる郡山を無視して、私は立ち上がり、お尻をパンパンとはたいた。

「いいえ。お気になさらず」

その時ピーと笛の音が響いた。

「練習はここまで。サッカーの試合を開始するわよ。みんな集まって!」

先生がクラスの女子を集めた。

「フェアプレーを心がけてね。特に郡山さん、ボールを持っていない相手に思いっきりぶつかるのは頂けないわよ」

「はーい。気をつけまーす」

数分前の練習試合で、私を思いっきり突き飛ばした本人は、生返事をしている。

藤堂は、怪我をしたくないからと、取り巻きの女子たちと共に、温かそうな毛布にくるまりながら、近くのベンチで見学をしていた。そして、郡山にいたぶられている私を見ては、楽しそうに声をあげて笑っていた。

笛の音が大きく鳴り、試合が開始された。

味方チームには、サッカーが苦手なクラスメートが多く、ボール運びが中々うまくいっていない。しかし、今回のチームには私を無視するような子は少なく、フリーになった私めがけてパスをしてくれた。

足元にボールが当たり、私の心が嬉しさで飛び跳ねた。バスケが一番好きだが、球技であればなんでも得意だった。足で軽くボールを転がしてみる。

(…よしっ!)

私は心の中でガッツポーズを作った。

白石透の足ではボールは操れないのではという心配は一瞬にして吹きとんだ。

相手のチームが私の方めがけて走ってくる。もちろんその中には郡山もいた。私は、ゴールまでの動線を確認すると、一直線にゴールに向かって走り出した。

ボールを巧みに操り、2人3人と間をすり抜けて行く。

「すごい、白石さん!」

後ろの方で同じチームの子が叫んでいるのが分かった。

「調子に乗るんじゃないよ!」

目の前に、郡山が立ちはだかった。彼女の目線はボールに注がれている。一瞬、後ろに戻すと見せかけて、私は横へパスした。

「きゃ!」

いきなりパスされたクラスメートは驚いた様子だったが、私が近づくとすぐにパスを返してくれる。

「ナイス」

私は小声で呟き、そのままゴールへ向かってシュートを打った。

しかしその時、足首に何か固いものが当たったのと同時に、私はうつ伏せに倒れた。郡山が足を引っかけたのだ。私は咄嗟に、手を出して顔を守る。

「あら、そこにいたの?」

上から郡山の声が降って来た。

しかし、私の頑張りは実ったようで、ゴールは入ったらしい。先生の笛が大きく吹かれるのが聞こえた。

「見えなかったわ」

「貴女にフェアプレーを期待する方が無駄のようね」

私は立ち上がり、体に付いた草を払い落としながら言った。そして、郡山が何か言う前に自分のチームのゴールまで運ばれたボールを追いかけに行った。

「白石さん!お願い!」

間一髪でゴールを死守したキーパーが、私に向かってボールを投げた。

「ありがとう」

私は胸でそれを受け取ると、近くのチームメイトにパスしながらコートの真ん中までボールを持って行く。それ敵陣のコートでは、運動能力の高い郡山が待っている。

「あんた何かに負けないわよ」

私を睨みながら、郡山が吐き捨てるように言った。

(凄い嫌われようだな)

「パ、パス!」

少し前の方まで進んだクラスメートが私に言った。郡山が前にいては抜けないと踏んだのだろうか。

「白石さん!一人でボール持ってないで!」

先生がそう叫ぶ声が聞こえた。

私はクラスメートに届くように思いっきり、ボールを蹴った。

ボールがもらえた女子生徒は、一瞬嬉しそうな顔をしたが、それもすぐに消えた。私が蹴ると同時に駆けだした郡山が、それを取りに行ったのだ。

「どきなさい」

郡山はクラスメートに体当たりし、ボールを奪うとすぐさまゴールに向かって行く。

(やはり良い運動神経してる)

彼女に合わせて走りながら私は足元を見た。

(でも、まだ隙だらけ)

私は走っている郡山の横を通り過ぎると見せかけて、ボールを取った。

「はあ!?」

郡山の怒りに満ちた声が聞こえたが、私は敵のゴールに向かって全速力で走った。

後ろから郡山が追いかけて来るのが分かった。しかし、その前にゴールを決めた。

先生の笛が鳴った。

「し、白石のくせに。卑怯な奴!」

はあはあと息を切らしながら郡山が私を睨んだ。

「あら、貴女に言われたくないわ」

私も肩で呼吸をしながら言い返す。

「あくまで私は実力で、貴女に勝ったんだもの」

「こ、この…!」

郡山が私の襟を掴んだ。

「そこ、止めなさい!」

何かを感じ取った先生が、何度も笛を鳴らして駆けて来た。藤堂たちは何事かと、ベンチから立ち上がりニヤニヤしているのが見えた。

「こら、郡山さん!」

郡山は小さく舌打ちをすると、手を離した。

「白石さん…」

私までも何か注意されるのか思っていると、先生が青ざめながら首を振った。

「足、血が出ているわ」

下を見ると、膝から血が垂れていた。

(あ。ほんとだ)

さっき、転ばされた時に擦りむいたのだろうか。

「もうなんでいつも私の授業で流血事件を起こすの…」

どこか泣きそうに先生が言った。

「白石さんは、いますぐ保健室に行きなさい。郡山さん、今日はもう試合に出さないわ」

虐める相手のいない試合など無意味だと言うように鼻を鳴らすと、友人たちの方へと駆けて行った。

「ちゃんと、手当してもらうのよ」

先生は私の背中を軽く叩き、私は保健室へと向かった。


(またるーちゃんの体に傷をつけてしまった)

少し落ち込みながら、保健室のドアをノックした。

(もう私ってば、ボールを前にすると我を忘れてしまうんだから…)

「あら、白石さん。あら、あら!」

私が入って来たのを見ると、保健室の先生は嬉しそうに笑ったが、膝から血が滴り落ちているのを見ると、驚いたように目を見開いた。

「早く、ここに座って」

てきぱきと消毒の用意をしながら、先生が言った。

「今度は何?」

「サッカーです」

消毒液が傷周りに吹き付けられる。痛みに顔をしかめながら、私は答えた。

「白石さんが、サッカーか。面白い組み合わせね」

先生は慣れた手つきで、透明な軟膏を塗ったあと、大きな絆創膏を貼った。

「でもそんなに頑張らなくていいのよ」

私の肩を軽く叩くと、ベッドの方を指さした。

「今日も休んでいきなさい」

三つ並んだベッドに目を移すと、今日は真ん中のベッドにカーテンが引かれていた。

時計を気にしている私を見て、先生は安心させるように言った。

「この時間だけでもいいから、体を休めて」

白石透と付き合いが長い先生は、体の弱さを心配しているのだろう。

私は大人しく頷き、ベッドへと寝ころんだ。

体は全く疲れていないと思っていたのに、全速力で走ったせいか、布団をかけた瞬間あっという間に睡魔に襲われた。


―白い世界に一人佇んでいた。

(ああ、夢か)

私は辺りを見渡した。誰もいないが、向こうの方に何かがぽつんと浮かんでいるのが見える。

近づいてみるとそれは、胸の高さまで浮かんだ丸鏡だと分かった。

そこを覗き込んで私は、はっと息を呑んだ。

短髪の黒髪に浅黒い肌、一重で切れ長の瞳が私をじっと見つめていた。26年共に過ごした、杉崎凛子の姿が写っていた。

「私だ…」

私は手を鏡にかざした。全く同じ動作をするかと思っていたのに、鏡の中の自分は動こうとしなかった。その代りに、にこりと笑い、聞き覚えのある自分の声で言った。

「そろそろ解放されていいのよ」

思わず息を呑み込んだ。

「あ…」

まるで言葉を盗まれたかのように、何か言いたくても声が出て来ない。

「もう、何度も思い出さなくても大丈夫。私の為に生きなくても大丈夫」

生前の自分の声なのに、話し方はどこか落ち着いていて、まるで気品のあるお嬢様のような…

(貴女は、もしかして、貴女は…!)

私は鏡に手をかけた。

しかし突然、鏡が霧に包まれ始めた。鏡の中では、まだ何か伝えたいことがあるのか、杉崎凛子の声が聞こえたが、何一つ聞きとれなかった。

「ま、待って…!」

手を伸ばしたところで、私は目を覚ました。荒い呼吸を落ち着け、もう一度瞳を閉じた。しかし、思い出そうとすればするほど、砂のようにサラサラと消えて行く夢。

(大切なものだった気がするのに…)

しかし、諦めて再度目を開けた。見覚えのある白い天井が目に入った。

(あ、そうだ。保健室にいるんだっけ・・・)

「大丈夫?」

突然目の前に顔が現れ、私は「ぎゃあ!」と飛び上がった。

心臓がはち切れんばかりに脈打っている。

「そんなに驚く?」

どこかしょんぼりした顔で、五十嵐が言った。

「な、なんで、あなたが…」

「後から来たのはそっちでしょ」

隣のベッドに腰かけながら五十嵐が言った。閉じられていたカーテンは今やオープンになっている。

「話し声が聞こえたから、起きちゃったんだよね」

「…え?」

嫌な予感がしながらも、五十嵐の視線の先を辿ると、椅子の上で不機嫌そうに足を組んでいる天城がいた。

(先生―!もう婚約者じゃないって知っているのに、なんて呼んじゃうかなー!!)

私は布団に突っ伏し、一旦深呼吸をする。それから、バッと顔を上げて天城に顔を向けた。

「ごめんなさいね。次回からは呼ばないように、先生にはちゃんと言っておくわ」

「手」

聞いているかのかいないのか、天城が低い声で言った。

「手?」

そう言われて私は自分の手を見た。私の左手が、しっかりと天城の手首を握っていた。

「あ、ごめん…なさい!」

慌てて手を離す。

(ヤバい。他にも何か失態犯してないでしょうね。ああ、だから人に寝ているところ見られるの嫌なんだよ~)

穴があったら今すぐ入りたい面持ちで、私はベッドに沈み込んだ。

「じゃあ、俺はこれで」

天城はそのまま立ち上がり、さっさと保健室を出て行った。

意外とあっさりその場からいなくなった天城に、私はどこか拍子抜けした。

「あれ、てっきり怒られるかと…」

例えば、「汚い手で触るな」とか「俺は暇じゃない」とか言いわれるかと覚悟していたが。

「なんか後ろめたいことがあるんじゃない」

どこか楽しそうに五十嵐が言った。

「君、本当飽きないね」

「さいですか…」

とりあえずそう返しておいた。

天城の行動に私は首を傾げたが、余計なお叱りを受けなかったことに安心していた。




*おまけ*(サッカーのエピローグ)

授業中にふと外に視線を向けると、白石のクラスがサッカーをしているのが見えた。あんなに嫌いだった体育を見学もせず、むしろ生き生きしながら参加しているのも驚きだが、そのサッカーの技には、目を見張るものがあった。

いつの間に練習したのか知らないが、あの技術を習得するには、相当な時間が必要だろう。

(努力が嫌いな奴だったのに…)

天城は、サッカーボールでリフティングをしている白石を見つめた。

相手チームの女に何度も反則行為を仕掛けられている。それでもめげずに立ち上がり、点を取っている。しかし、中盤から様子がおかしくなった。笛が鳴り、先生が何かを伝えている様子を見ると、どこか怪我をしたようだ。

(ったく…)

天城は、はあとため息を吐くと、すっと席を立った。

「天城?どうかしたのか?」

黒板に向かって、歴史の年代を書き込んでいた先生が振り返った。

「ちょっと具合が悪いので、保健室へ」

「おい!大丈夫か!どこが悪いんだ?」

そう言ったのは、先生ではなく蓮見だった。

「俺も行こうか?」

「一人で行けるか?」

蓮見の言葉を無視し、先生が言った。

「一人で行けます」

「俺も!先生、俺も海斗の付き添いで!」

「蓮見、お前は席に着け」

一連のやりとりを背中で受け止めながら、天城は教室を後にした。保健室までの道のりが遠く感じる。少し歩く速度が早くなったものの、保健室の手前で足を止めた。

ふと不安になった。

最近では、どんなに話を聞く姿勢を見せても、断固として隠していることを教えてくれない。

保健室まで押しかけた自分を見て、迷惑がられたらどうしようと考えてしまう。

(拒否されるのが怖いのか、俺は)

しかし、拳をぎゅっと握り締めると保健室のドアに手をかけた。

「あら、天城くん」

保健室の先生はすぐに気がつき、一番奥のベッドを指さした。

「さっき、寝たばかりのようだから、静かにね」

小声でそう注意されたあと、ゆっくりとベッドに近づき、カーテンを引いた。

相変わらず青白い顔をしている小柄の白石が静かに眠っていた。悪夢を見ているのか、眉間には皺が寄っている。近くにあった椅子に座り、天城はじっと眠っている元婚約者の顔を見つめた。

「元、婚約者か…」

半ば自嘲気味に天城は、はっと息を漏らした。

本当はもっと違う結果を予想していた。婚約破棄をすると言えば、絶対泣き崩れて懇願するか、親に何とかしてもらおうと行動に移すかだと思い込んでいた。しかし、現実は全く違った。

「あんなにあっさり、受け入れるなんてな…」

ぼそりと呟くと、隣のカーテンが開かれ、五十嵐が顔を出した。

「後悔してるでしょ?」

「何を」

全く驚く様子を見せずに、天城は言った。

「またまた~。婚約破棄したこと」

天城は答えなかった。というより、答えられなかった。

自分の気持ちがまだよく分からない。

昔は本当に憎くて仕方なかった。毎日付きまとわれてうんざりしていたし、顔を見るだけで嫌悪感を覚えることも多々あった。しかし、今は心のどこかで、あの日のことをなかったことにしたいと思っている自分がいることも事実だった。

「気になるんだ、白石ちゃんのこと」

「は?なんだそれ」

天城は眉をしかめた。

「そういうお前はどうなんだ?」

五十嵐は前髪をかきあげた。くっきりとした二重に青い瞳が面白そうに細められる。

「気になるね。とっても」

天城の眉間にさらに皺が寄った。

「でも恋愛感情というより、近所の猫みたいな」

何やら胸の奥がもやもやする。

五十嵐の言葉にイライラするのか、自分の声が聞こえると必ず反応していた白石でなくなったせいでイライラするのかは、区別がつかない。

この場から離れようと、椅子から立ち上がった時、細い腕が伸びてきて手首を掴んだ。

一瞬ぎくりとしたが、ただ寝ぼけているだけだと分かると、そのまま椅子に腰を下ろした。

「あれ、戻らないんだ?」

からかうように五十嵐が言うと、天城は眉をひそめた。

「強く掴まれている」

当たり前だが、か弱い手に掴まれているのでは簡単に振りほどける。しかし、心のどこかで目覚めるまで側にいたいと思っている自分がいた。

白い細い手が、必死に自分に掴まってくれると思うと、心の奥が何か温かいものが流れた。例え、目覚めている時は一瞬たりとも頼ってくれなくても、眠っている今この瞬間は、自分の近くにいる気がした。

*おまけ終わり*

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