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いちご牛乳

ペンキの事件は免れたものの、藤堂の虐めは更に頻度を増すようだった。

ある日のランチ時間。いつものように、食券を買い、一人で食事をしている私を気の毒がった食堂のおばちゃんにイカフライのおまけを貰っていると、後ろから藤堂の声が聞こえた。

「あ~嫌だわ。なんで、あんな子がいるのかしら」

鈴の音のような声が食堂内に響く。

「食事が更に不味くなるわ」

私は彼女を無視して、端の方に空いている場所を見つけ着席した。

(こういう雰囲気だから、るーちゃんは外で食べるようになったのか)

ぼんやりと外を眺める。

(確か、食堂裏にベンチがあったんだっけな)

ふとそんなことを考えながら、食事を終え、お盆を片づけていると、目の前に藤堂とその取り巻きが立ちはだかった。

「何かしら」

私は聞いた。

「白石さん、いちご牛乳はお好き?」

藤堂は太陽のようにまぶしい笑顔を作った。

(いちご…?今日がいちご牛乳の日だからか?)

週に一度、コーヒー牛乳やバナナミルク、いちご牛乳などパックの飲み物が無料で配られる日があるのも、真徳高校の特徴だ。そして今日はいちご牛乳が貰える日だ。

質問の意図は分からないが、私は頷いた。

「ええ。好きですが、それが?」

「そう」

藤堂は満足そうに笑うと、後ろの取り巻きが持っているいちご牛乳のパックを取った。

「では遠慮なくどうぞ」

そう言われたと思うと、突然、頭全体に液体をかけられた。

「…はっ」

口から空気が漏れ、一瞬言葉を失った。今しがた起きたことを、脳が処理するのに時間がかかった。いちご牛乳の甘ったるい匂いが鼻腔を刺激する。

「どう?美味しいかしら?」

藤堂がそう言い、後ろの取り巻きがクスクスと笑った。食堂はしんと静まり返り、何事かと学生たちの視線が私たちに集中していた。その中に教師陣の姿も見えたが、生徒同士のいざこざに関わりたくないのか、見て見ぬふりをしている。

(どこの世界も…)

私はふうとため息を吐いた。それから藤堂の腕を掴むと、彼女が持っているいちご牛乳のパックを奪い取った。残り少なくなった牛乳がパックの中でパシャンと揺れた。

私がにっこりと笑いかけると、藤堂の顔が引き攣った。

「こんな美味しいもの、独り占めなんて勿体ないわ」

そう言いながら、今度は藤堂の前髪から顔にかけて、ゆっくりといちご牛乳を流した。

「きゃー!何するのよ!」

藤堂は叫んだかと思うと、近くにあった水飲み用の紙コップをいくつか私に投げつけた。

「この最低女!」

そう吐き捨てるように言うと、そのまま走って食堂から立ち去った。

「それはこっちのセリフ」

私は嵐のようにその場から逃げて行く藤堂と取り巻きの背中を見送った。

「はあ…。どうするかな」

ため息が止まらない。頭や顔はベタベタするし制服からも鼻を付く甘い匂いが漂ってくる。

「だ、大丈夫かい。お嬢さん…」

振り返ると、今日もオマケをくれた食堂のおばちゃんがタオルを差し出していた。青ざめているところから察するに、一連の騒動を見ていたのだろう。

私は慌てて頭を下げた。

「すみません。食べ物を粗末にした上に、床まで汚してしまって。雑巾を貸して頂ければ綺麗にしますので…」

「いいから!あんたは、まず自分を綺麗にしな!」

半ば押し付けるような形で、おばちゃんは白いタオルを私に渡した。

「ありがとうございます」

私は頭や顔を拭くが、ベタベタした感触は落ちない。

(やはりシャワーを浴びるか…?)

しかし、今日は体育がない為、着替えを持っていない。

(このまま授業を受けるのは嫌だけど、かと言って早退も出来ないしな~)

勝手に早退したことが母親の耳に入ったら、ロクなことにならない。

「それにしても、あんたは強いね」

モップで床を掃除しながら、おばちゃんは言った。

「あんな子に屈しちゃダメよ!」

背中をバシンと叩かれ、私は前のめりに転びそうになった。おばちゃんは小さい身長の割に力が強い。70歳を超えていそうなのに、全く年を感じさせず元気に笑っている。

「そうですね。絶対に屈しません」

私は小さく呟いた。



「白石ちゃん!どうした!?」

食堂からの帰り道、この汚い格好で一番会いたくない人たちに遭遇してしまった。

「なんでもな…」

「ない訳ないだろ」

いつものように流そうとしたが、天城に先回りされてしまった。

「なんか甘い匂いがする」

五十嵐がそう言いながら顔を近づけて来た。

「離れろ」

天城が五十嵐の首根っこを掴み、私から引き離す。

「これ、いちご牛乳?」

私の制服についた染みを見ながら、蓮見が言った。

「何があった?」

天城が眉間に皺を寄せ、私を睨みつける。

「手が滑ったのよ」

我ながら下手な言い訳に聞こえるが、事実を言うつもりはなかった。

最近、初期設定である白石透嫌いが崩れ始めている天城たちとは言え、弱みを握られるのも、恩を売られるのも嫌だった。もし、手の平を返された時に、面倒なことになりかねない。

「手が滑って頭からかぶったのか。ずいぶんと斬新な飲み方だな」

全く信じた様子のない天城が言った。

「そう、斬新な飲み方をしたの」

私は肩をすくめた。

「まあ、確かに」

蓮見がうんうんと頷いた。

「風呂後のコーヒー牛乳を飲む時は、手元が狂うと顔にかかることもあるよな」

頼んでもいないのに実演をしている蓮見を横目で見る。

「こう、腰に手を当ててぐいっと飲むからな!」

「その体勢は絶対なの?」と五十嵐。

「当たり前だ!じゃないと、湯上りの雰囲気が出ないだろ!」

「ちょっと言っている意味が分からない」

そんな呑気なやり取りをしている二人から視線を外し、私は「じゃあこれで」とその場を離れようとすると、天城が言った。

「着替えはあるのか」

私はまた肩をすくめた。

「ないけど、仕方ないわ」

「えっ!そのまま授業受けるの?」

蓮見が驚いたように言った。

「くさそう…」

五十嵐が顔をしかめた。

二人の反応に、私は少し傷ついた。

(いや、確かに時間経った牛乳は臭くなるけども。それは知ってるけど!いちご牛乳ならそこまで臭わない…と、思いたい!)

「着替え貸してくれる子いないの?クラスメートに」

蓮見が純粋な気持ちから言っているのは分かっているが、私には若干嫌味に聞こえてしまう。

(いたら苦労しないわ…)

「僕のジャージ貸そうか?」

五十嵐が珍しく優しい提案をした。

「いつ使ったのか覚えてないけど」

「あ、結構です」

私は素早く答えた。

(それは確実に別の意味でにおうやつ)

「ほら」

天城が私の目の前に、何かを差し出した。

「置きジャージ」

しばらく天城の姿が消えたと思っていたが、その隙に着替えを教室に取りに行っていたらしい。私は天城と渡されたジャージを交互に見つめた。

「これ、ちゃんと洗っ…」

「俺が汚れたものをロッカーに入れておくと思うか?」

天城の声色にかなり苛立ちが含まれている。

「だって、五十嵐さんは…」

「コイツと一緒にするな」

「え~。酷いな~」

「俺だって使ったのは置いてかない派よ。俺はきれい好きで通ってるんだから」

蓮見が、天城の肩を組みながら言った。

「嘘吐くな」

「嘘は良くないよ、壮真」

「えっ二人ともひどくない?」

三人で楽しげに遊び始めたところで、私は「ありがとう」と呟き、体育館横にあるシャワー室へと向かった。念入りに洗い流したおかけで、スッキリして授業を受けることが出来た。もちろん授業に遅れてしまったが、理由を知っている先生は何も言わなかった。郡山が私のブカブカのジャージ姿を見て、友達に「何あれ、ダサい」と言っている声だけが聞こえた。藤堂はと言うと、早退したのか、そのあとの授業では全く姿を見せなかった。


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