お誘い
「食堂、でか・・・」
モダンな円形造りの建物である食堂は、カフェも併設している為、学生のだけでなく教員も利用する憩いの場となっている。天井まである大きな一枚窓からは、園芸部が力を入れている春の花が満開の庭園も見える。ベンチや芝生に座ってお弁当を楽しんでいる学生もいるようだ。
「もはや大学規模ですやん・・・」
漫画で既に知っている建物とは言え、いざその場にいると不審者のようにキョロキョロしてしまう。
白を貴重とした丸いテーブルや四角いテーブルが並び、対照的なカラフルな椅子が配置されていた。なんとソファー席まである。高い天井では、いくつものシーリングファンが回り、学生たちの話す声で聞こえにくいが、微かにジャズのBGMもかかっている。
お腹が鳴り、私は我に返った。
「ぼうっとしてる場合じゃない。時間がなくなっちゃう」
近くに食券の販売機があったはずと、私は辺りを見渡すと、数人の生徒が並んでいる列を見つけた。小走りに駆けて行き、最後尾へと並んだ。
「確か、学生証がお財布代わりになってたはず・・・?」
ちらりと前方の生徒達を見ると、やはり券売機に学生証をかざしている。
自分の記憶力にガッツポーズをし、ポケットから学生証を出そうとしたとき、頭がちりっと痛んだ。
(また・・・?)
そう考えるより先に、話し声が頭の中に流れ込んでくる。
〈白石さ~ん!席取っておいたわよ。一緒に食べましょう〉
〈茜さん!ありがとうございます!〉
嬉しそうな透の声が脳内で響く。
〈ね、白石さん。来週の土曜日、私の誕生日パーティーがあるのだけど〉
〈ええ、招待状ありがとうございます。ぜひ、行かせて頂きますわ〉
〈白石さんに、お願いがあるの〉
〈何でしょうか?〉
〈白石さんって、芸能人の知り合いが多いですわよね?〉
〈え?ええ、まぁ・・・〉
〈ね、お願い。俳優の土古路啓二を呼んでくれないかしら?私、大ファンなの〉
〈・・・えっと、それは、む、無理かも知れないです・・・〉
〈どうして?芸能人のお友達が沢山いるって言っていたわよね?あれは嘘?〉
別の女子生徒が不満な声で返している。
〈い、いいえ!芸能人のお友達はいますの!土古路啓二さんも知り合いです!ただ、彼はとても多忙と言うか。今回は難しいと思いまして・・・〉
〈もういいわ〉
茜が機嫌悪くため息を吐いた。
しばらくの間、沈黙が流れた。
〈じゃあ、天城さまをお連れになって〉
〈え?〉
〈婚約者さまだもの、難しいことではなくて?〉
〈天城さまがいらっしゃれば、五十嵐さまも蓮見さまも来ますわね!〉
〈もう貴女は、五十嵐さまがお好きだからって〉
〈ねえ、白石さん、約束して下さる?〉
〈え、ええ・・・〉
「おい、早くしろ」
いきなり後ろから声をかけられ、私は我に返った。
いつの間にか、券売機の一番前にいた。
「ああ。ごめんなさい」
慌てて券売機に学生証をかざし、カレーを選んでその場からそそくさと離れた。
トレーの上に水やスプーンを用意しながら、先ほどの会話を思い出す。
(確か、その誕生日会に天城は行かなかった。いや、るーちゃんは彼を誘うことすら出来なかったんだっけ)
湯気の立つカレーを受けとり、空いている窓際の席へと向かった。
(なんか、るーちゃんは酷い目にあった気がするんだけど、思い出せない!)
この誕生日会で何かが起きた気がするのに。
(くーっ。私の記憶力頑張れ!)
「白石さ~ん」
どこからか藤堂の声がした。
わざと聞こえないふりをして、3人掛けの丸テーブルに座った。
(要は関わらなければ、問題ない)
黙々とカレーを食べていると、目の前がふっと暗くなり、藤堂の甘い声が上から振ってきた。
「もう、白石さんたら。さっき呼んだのに~」
顔を上げ、藤堂の顔を見上げる。
「ごめんなさい、聞こえなかったわ」
「いいわ、許してあげる」
それから取り巻き二人も呼び寄せ、自分は私の隣に座った。
(回避は無理か・・・)
座る席が足りないので、女子生徒二人は藤堂の隣に立っている。
「ねえ、白石さん」
テーブルに肘をつき、藤堂は私の顔をのぞき込んだ。大きい瞳でキラキラした視線を送ってくる。
「来週の土曜日、私の誕生日パーティーがあるのだけど」
「ええ、存じてますわ」
カレーに視線を落としたまま、私は答えた。
先ほど見た「ストーリー」のまま、話は進んでいくのだろうか。
―このまま、何もしなければ。
「白石さんに、お願いがありますの」
そこで私は顔を上げた。
「ごめんなさい。来週の土曜日は、急用が入ってしまって、参加出来なくなってしまったの」
「・・・え?」
茜の顔が明らかに固まった。
「招待状も頂いたのに、申し訳ないわ。ぜひ素敵なパーティーを」
私はすっと立ち上がり、呆然としている生徒3人をその場に残して足早に食堂を出て行った。
(よし、これで悪い予感しかしない誕生日会は回避できた)
今日何度目か分からないガッツポーズを心の中で作った。
しかし、この時の私は考えが甘かったと後で知らされる。
「失礼します。田中先生は、いらっしゃいますか?」
なんとか5限目の授業を乗り越え、戦闘力0のまま職員室へやってきた。
数学の先生であり、担任でもある田中は入り口に私が立っているのを認めると、こっちへと進路指導室へと誘導した。
「白石。お前は、理系と文系どちらに進むつもりだ?」
てっきり朝の授業のことで呼ばれたと思ったが、進路指導だったようだ。
私は考えながら、口を開いた。
「どうでしょう・・・」
(理系か文系かなんて、漫画に出てきたっけ?そもそもるーちゃんはどの教科もまんべんなく出来ないから、どっちに行っても苦労しそうな気がする・・・)
そんなことを考えていると、田中が中学時代の成績表を見ながら言った。
「この成績じゃ、理系でも文系でも、お前は苦労するだろう」
(エスパー)
「将来の夢はないのか?」
「…将来の夢、ですか」
白石透には将来なんてなかった。大学に行くことも、ましてや社会人になるなんて。
(もしるーちゃんが生きていたら、どんな人生を歩んでいたのだろう)
田中は椅子に寄りかかり、ふうと息を吐いた。
「確かに、高校に上がったばかりで、いきなり将来の夢なんて言われても困るよな」
黙ったままの私に向かって田中は言った。
「高校生活を送りながら考えれば良い。ただ、文系へ進むか理系へ進むかで、今後のカリキュラムが変わってくるから、そこはすぐに回答が欲しい」
私は自信なさげに頷いた。
「はい」
「一度、白石の両親とも話したかったんだが、忙しいと断れてな。こちらで決めたことに従う、と言っていた。お前の意見を尊重すると。いい親に恵まれて幸せだな」
(お前の目は節穴だな)
私は先生としてまだ初々しさが目立つ若い男を見つめた。
娘の進路に興味がなく、放ったらしにしていると、つまりネグレクトだとは、この新任教師は分からないようだ。
(見たところ、私より年下だし)
教師に何かを期待する時代なんてとっくのとうに過ぎた。
「どちらか決めたら、報告しますわ」
私はお辞儀をし、進路指導室から静かに出て行った。