クリスマスパーティー
12月に入ると完全に冬の気候に突入した。
私はそこで新たな問題に直面していた。
(ひー寒い!足が凍るー!!この冬将軍めー!)
丈の短いスカートの間を凍るような風が吹き抜ける。高校時代のように下にジャージを履いている女子は一人もおらず、また白石透も履くことは絶対ないだろうことから、我慢するしかなかった。
上半身はマフラーや分厚いコートで守られているが、なぜか下半身だけ丸腰の気分である。
(女子高生は強いな…)
こんな寒い気温の中、生足を外気に晒していても、いつも通り楽しそうな女子生徒を恨めしげに見つめる。
(その元気分けてほしい…)
足の感覚がそろそろなくなりそうだと思っていた時、後ろから突風が吹きつけた。
「ひぃーーー!」
(寒い、寒い、寒い!)
スカートの後ろを押さえる手すら、凍えている。
(もう無理。冬、無理…)
すでに戦闘力ゼロで瀕死状態の私に追い打ちをかけるものがいた。
「ごきげんよう、白石さん」
さっさと校内に入ろうと足を速めていたところを、誰かの腕が絡んできた。藤堂の取り巻きである二人だった。しかしなぜか、藤堂本人の姿はない。
(出会ったらすぐさま問いただしたいことがあったのに)
取り巻きが全てを知っている訳がないと思った私は、心を落ち着けて挨拶に答えた。
「どうもごきげんよう」
「今日も寒いですわね~」
何かを企んでいるに違いないが、寒さに動じた様子のない二人の制服姿を思わずチェックしていた。なんと、真っ黒の温かそうなタイツを履いている。
(その手があったー!!)
私は心の中でも悶えた。
(るーちゃん、タイツとか全く持っていないから気がつかなかったよ!)
今日にでも裏起毛のタイツを購入しよう、と意気込んでいると取り巻きの一人が言った。
「…なの?」
全く話を聞いていなかった私は聞き返した。
「え?」
「まあ、隠さなくてもよろしいのに。婚約破棄したとは言え、やはり天城さまなの?」
取り巻きの一人が右から言った。
何の話をしているのか、さっぱり分からない。
「どの子がお誘いしても、全てお断りしているとか」
今度は左隣から話かけて来る。
「でも、もう婚約者でないのだから、問題ないわよね?ねえ、貴女から口利きしていただけない?藤堂さまがどうしても天城さまとパーティーへ参加したいって仰ってるの」
「ぱ、ぱーてぃー?」
「ええ。私たちはちゃんとお願いしたわよ」
「忘れずによろしくね」
用が終わった二人は、私の腕をぱっと放したかと思うとさっさと校舎へと入って行った。
「やばい。話が全く見えなかった…」
私は玄関口で立ちつくしていた。
ある放課後。
「平松、買い物に行きたいのだけど」
迎えに来た平松に、車の中でそう伝えと、平松はすぐさま頷いた。
「はい。奥様から言付かっております」
「え、お母さまから…?」
母親が絡むと良いことは一つもない。
(絶対タイツとは関係なさそうだけど…)
しかし、平松は無言でいつものように高級デパートへと車を走らせた。
「こちらはいかがでしょうか?」
鏡の前に立たされ、いくつものドレスを試着させられていた。
(やっぱりタイツは関係なかったか…)
私は黙ったまま、言われた通りにする。
『ダメね。赤いのを見せて頂戴』
どこから掛けて来ているのか不明だが、母親がビデオ通話の向こうから言った。平松は、電話を掲げ私の姿がちゃんと見えるように位置を移動していた。
(そこまでやるか、平松)
母親の合格が出るドレスが見つかるまでに優に2時間以上はかかった。試着したドレスの数はもう覚えていない。
やっとのこととで解放された私は、店内に用意されたソファーに倒れこんだ。
『必ず、天城さんのエスコートで行くのよ』
そう最後にそう言い終えると、すぐに電話を切った母親。相変わらず自分中心の生活を送っているようだ。
「平松、一体これは何?」
会計を済ませ、店員から荷物を受け取っている平松に私は声を掛けた。
「何を言っているんですか。真徳高校のクリスマスパーティーを忘れたのですか?」
(クリスマスパーティー…)
そう言われ、一気に蘇る記憶があった。
高校3年の冬、自らの命を絶った白石透。その決定打となったのは、自分を階段から突き落とし瀕死の状態にまで追い込んだ西園寺響子とパーティーへ行った天城の姿を見たからだった。
どんなに西園寺響子に貶められたと言っても、天城は一切聞く耳を持たなかった。それどころか、白石透とは性格が真反対の西園寺響子へ好意を持ち始めていた。そのパーティーで、天城は西園寺響子と婚約すると発表したのだ。
「中等部の頃から楽しみにしていましたよね」
駐車場への道を歩きながら、私は上の空で答えていた。
「そうね」
「天城さまの一件は、いかがいたしましょうか」
婚約破棄の件を知っている平松が、私を見た。
なぜかまだ母親の耳にまで入っていないのか、母親は天城と行くものと思い込んでいる。
「証拠が必要なのよね。どこかで機会を作るわ」
「そうして頂けると助かります」
どこかホッとしたような平松とは反対に、私は心臓がどくどく打っていた。
(西園寺。まだ今年は仕掛けて来るとは思えないけど…)
一抹の不安がよぎった。
「ひぃーさみぃー」
私はまたもや同じことを繰り返していた。
結局クリスマスパーティーに気を取られ過ぎて、タイツを買うことなど頭から完全に吹っ飛んでいた。そして妹に真徳高校のクリスマスパーティーが何たるかを聞いて、さらにタイツなど重要ではないと思ってしまった。
早歩きで校舎に向かいながら、どうしたものかと考えていた。
妹によると、真徳高校のクリスマスパーティーに参加する人は必ずパートナーを連れて行かなくてはならないらしい。パートナーがいない人が参加できないという決まりではないが、〈カップルチケット〉と呼ばれるチケットが手に入らないそうだ。そのカップルチケットがないと、今年のキングとクイーンに立候補もできず、投票も行えない。それに選ばれることが、生徒たちの間でも一種のステータスであり、選ばれた男女は学校内のトロフィールームに写真付きで永遠に飾られることになる。他にも、学食が当分の間無料だったり、映画のペアチケットがもらえたりと、金持ち校にしてはささやかすぎる景品ももらえるそうだ。
学生たちだけでなく、生徒の親たちも自分たちの娘や息子が選ばれることに躍起になっているという。
(…はあ、面倒くさい)
考えるだけでため息が出るが、白石家にはかつての栄光としてキングとクイーンに選ばれた親がいるため、一人でパーティーへ参加することは許されない。
〈天城さまでなくても良いので、必ず誰かと行って下さい!〉
平松が車を降りるたびに、そう念を押す。
意識してみると、周りは一気にクリスマスムードになっていることに気づいた。
女子生徒のはしゃぎようだけでなく、構内もそういった飾りつけが施されている。園芸部が大事に育てている木々にもクリスマスのオーナメントが飾られており、色とりどりのライトが点滅していた。
「白石ちゃーん!」
首元に腕が回され、いつもの三人が登場したのが分かった。
しかし、普段よりは不快な気分にならなかった。後ろを歩いている天城と五十嵐が巨大な盾となって、北風を受けていているからだ。
(ここで役に立つとは…)
「いい天気だね~。めっちゃ寒いけど」
朝から元気いっぱいの蓮見が、なぜか嬉しそうに言った。
「ごきげんよう」
とりあえず挨拶は返しておくが、理解できないことがあった。
(私、この人たちと関わらない宣言したはずだよね?)
もう婚約者でも何でもないし、白石透に構う理由もないのに、何かと関わってくるのはなぜだろう。
(アホ、なのか?)
「あ、今失礼なこと考えたでしょ!」
私の顔を覗き込んだ蓮見が言った。
「いえ。そんなことは」
「白石ちゃんはいつも顔に出るよね」
私は思わず自分の両頬に手を当てた。
(そんなつもりはなかったけど、気をつけよう)
「ねえねえ。パーティーには誰と行くか決めた?」
「…あ、そうだ」
蓮見の質問には答えず、私は足を止めた。
後ろを振り返り、天城を見る。
「クリスマスパーティーなのだけど」
私に倣い、立ち止まった天城は、無表情のまま私を見下げている。
「藤堂さんをお誘いして下さらない?」
「とうどうさんって?」
天城の隣で、眠そうにしていた五十嵐が欠伸を噛みしめながら聞いた。
「あなたたちと同じA組の藤堂茜さん。目が大きくて可愛い…」
「ああ!白石ちゃんが飛びかかりそうになった子ね」
蓮見が手をポンと叩きながら、余計なことを言った。
「あの件はどうなったの?」
「もう大丈夫ですわ」
私は早口で答え、それからもう一度天城を見た。
「藤堂さんとパートナーはいかが?ああ、もちろん返事は直接彼女に伝えて下さい。私から言われたと伝えてくれると、なお嬉しいわ」
(お願いだから、これ以上面倒なゴタゴタに巻き込まないで)
期待を込めた目で天城に笑顔を向ける。
天城の眉間にしわが寄ったかと思うと、バチッと音が鳴り私の額が刺すように痛く熱くなった。
「…いっ!」
(何、今デコピンされた…?)
痛みに額を押さえている私を置いて、天城はその場から歩き去る。
「え?なに、今の!」
明らかにこの状況を楽しんでいる蓮見は、爆笑寸前の顔をしている。
「おい、海斗。待てって~」
(あんのクソガキ~!)
男にデコピンされるなんて、人生初だ。しかも手加減なしで。
「大丈夫?絆創膏いる?」
五十嵐が私の顔を覗き込みながら聞いた。
「結構よ」
私はすぐさま答えた。
おでこに絆創膏なんて貼っていたら、郡山や藤堂になんて言って馬鹿にされるか。
「かなり赤くなっているけど」
額を見ながら五十嵐が言った。
(思いっきりやってくれたからね)
前髪をかき集めて額を隠すのを、五十嵐も黙って手伝ってくれている。
「あ、そうだ。五十嵐、…さん」
校舎に向かって歩き始めながら私は声を掛けた。
「なに?」
隣を歩いている五十嵐は寒そうにマフラーに顔を埋めているため、顔がほとんど見えない。
「あなたもパーティーに参加するの?」
「考え中」
「そう」
押し黙った私の方を見て、五十嵐が頭をぽんと叩いた。
「一緒に行ってあげようか?」
「本当?助かるわ」
(よし、これで第一関門クリア!)
私は心の中でガッツポーズを作った。
「最初だけでいいの。あのチケットを貰ったら、すぐに帰ってもらって問題ないわ」
「そうする」
興味なさそうに欠伸をしながら、五十嵐は自分の教室へと向かった。
しかし、この時の私は何も知らなった。ただの高校生のクリスマスパーティーだと軽い気持ちでいたが、泣きをみることに。




