プールパーティー
「お嬢さま、おはようございます」
翌日。平松がそう言いながら、後部座席の扉を開いた。
お辞儀をしながらも、母親の言いつけ通り高級ブランドを身に着けているかしているかチェックしているのが分かった。あとで、報告をする気だろう。
私がちらりと視線を投げると、平松は言った。
「プレゼントも用意してあります」
さすがに手ぶらはまずいかと、事前に平松に頼んでおいた。
「ありがとう」
「よ、よろしくお願いします」
私の後ろから緊張した様子の伊坂が続いた。
いつもお喋りの伊坂がずっと黙っていたため、車中は静まり返っていた。
(伊坂さんには申し訳ないけど、長居はしないからね・・・)
心の中で謝罪しながら、車を走らせること数十分。
白石家に似たモダンな造りの豪邸の前に停まった。
「お帰りの際は、またお呼び下さい」
そう言うと平松はさっと帰って行った。
(本当に無駄がないよね。サイボーグみたい)
走り去る車を眺めながらそう思っていると、伊坂の焦った声がした。
「し、白石さん!インターホンを押せばいいの?押していいの?」
「ええ、お願い」
既に門の前で待機している伊坂に近づいた。
『はーい。どなたですか?』
インターホンを押してしばらくすると、機械越しにくぐもった声が返ってきた。
「あ、あの!1-Cの伊坂です!あと、白石さんもいます!」
緊張しながらも必死で答える伊坂の後ろに立った。
『おー白石ちゃんじゃん!今、開けるから入って入って!』
蓮見がそう言ったのと当時に、がちゃんと音がして門が自動で開いた。
門をくぐると、丁寧に刈り取られた芝生と、松の木が目立った庭に出た。そして、石畳の上を歩くこと数歩。大きな二階建ての家全体から、微かに音楽が聞こえて来た。巨大な窓から中の様子がうかがえるが、なぜか人は見当たらない。
「入っていいのかな?」
「暑いわ。入りましょ」
勝手に玄関の扉を開けて入ると、激しめの音楽が一層大きくなった。人が3人腕を広げて並んでも余裕のある玄関には、既に色々な靴が散乱していた。
(ああ、嫌な予感しかしない)
「沢山いそうだね…」
同じことを思ったのか、伊坂も不安そうに言った。
人の声がする方へ向かうと、リビングを超えた先に、巨大なプールが出現した。その周りには一クラス分はいるだろう人数が水着姿で踊ったり、話したり、何か食べたりしていた。飛び込み台から勢いよく飛び込み、大きな水しぶきを上げて楽しんでいる人たちもいる。
(パリピの世界に来てしまった)
リズミカルな重点音の音楽が、腹の底に響く。
「なんか凄い場違い感がする」
隣で伊坂が顔を曇らせたまま呟いた。
「私ももう帰りたいわ。挨拶だけしてくるから、少し待ってて」
「え!白石さん行っちゃうの?」
一人残されるのが嫌なのか伊坂は、慌てて私の腕を掴んだ。
(そう言えば、前回も一人の時に絡まれたんだっけ)
藤堂のパーティーでの出来事を思い出し、伊坂に言った。
「一緒に蓮見さんを探してくれる?」
「もちろん!」
大勢の人を避けながらプールサイドを歩き、蓮見を探すが、誰が誰だかよく分からない。みんな似たような背格好に加え、サングラスをしている人が多く、顔が分からない。
(見分けが付かん・・・)
プール内では浮き輪やボールで遊んでいる子たちがはしゃぎ回るので、あちこちに水しぶきが飛び散る。極力濡れたくないと避けて通るが、この行為が全く意味をなさなくなることに私は気づいていなかった。
じりじりと焼け付く太陽が、体力をしぼり取っていく。
「…暑いね」
パラソルの下に避難しながら、私は伊坂に言った。
「白石さん、大丈夫?」
心配そうに伊坂が顔をのぞき込んだ。
(夏は大好きだったのに。るーちゃんは夏が苦手だからかな)
「あ。あそこに蓮見くんがいるよ!」
まだまだ元気な伊坂は、プールを挟んだ反対側に蓮見がいるのを発見したらしい。
「はぁ行くか…」
まるでサウナの中にいるように呼吸がしづらい。
「これ、プレゼント?持っててあげる」
体調が悪いのが顔に出ているのか、伊坂が気を遣ってくれる。
「ありがとう・・・」
「渡してきてあげようか?」
お願いしようと口を開けたその時、頭がピリッと痛んだ。
久しぶりの「記憶」が流れこんで来る。
バシャーンと何か重いものが水に落ちる音が響く。
〈誰よ、いきなり飛び込んだの!〉
〈今の白石さんじゃなかった?〉
〈危ないなー〉
〈暑いからってダメよね〉
〈マナーは守って欲しいわ〉
〈なんか、様子がおかしくね?〉
〈上がってこない・・・〉
〈これ。ヤバいんじゃねーの?〉
〈白石って泳げなかったっけ〉
〈おい、誰か・・・!〉
私は呆然とその場に立ち尽くしていた。
(…なに、今の。るーちゃんが、自らプールに飛び込んだ?いや、絶対そんなことはない。もしかして…)
「白石さん?」
伊坂に名前を呼ばれて私ははっと我に返った。
「大丈夫?私が蓮見さんにプレゼント届けるから、家の中に入ってる?」
「え、ええ。お願いするわ」
未だに痛む頭を押さえ、伊坂とは逆の方向へ足を向けた。
とりあえずクーラーの効いた涼しいところに行けば、冷静に物事が考えられるだろう。
―そう思っていたのだが。
「あら!白石さん!」
鈴の音のような声がして目の前に藤堂が立ちはだかった。
上下が分かれた白を基調としたセーラー服のような水着から、細いお腹が見え隠れしている。ゆるく三つ編みした髪には、赤いドットのリボンを付けており、本日もお洒落番長はバッチリ決め込んでいる。
「欠席するかと思ってたのに。いらしていたのね」
「ええ。でももう帰りますわ」
「あら、もう?もっと夏を楽しみましょうよ」
明るい色を使った夏仕様のメイクをした藤堂の大きな瞳が細められた瞬間、悟った。
彼女が先ほどの〈記憶〉で透をプールに落とした犯人だと。
「いえ、帰りますわ」
私がそう言うと、意外にも簡単に藤堂は道を譲った。私が数歩歩いたところで、藤堂は後ろから言った。
「そう言えば。向こうで伊坂さんが誰かに怒られてましたわよ」
「え?」
そう振り返った瞬間、誰かに腕をトンと押され、いきなり視界が揺れた。
大きな水しぶきを立ててプールに落ちる。
(…今の位置的に、取り巻きの片方か)
水中に沈んでいきながら、私は冷静に考えていた。
(やはり藤堂のやつ、前以て計画立ててたな)
生前は泳ぎも得意だったし、水が怖いということもない。
むしろ小学生の頃、息継ぎもしないで何メートルも泳げることから付いたあだ名が「マーマン」だった。男の人魚という意味とは知らず、そのあだ名で呼ばれながら何年も過ごしていた。
(誰が男だ)
心の中で昔の同級生にツッコミを入れる。
まだ空気の余裕はあるため、プールの底であぐらをかいて座る。上方を見るとのぞき込む人が集まり始めているのが分かった。
(誰か助けてくれるのか・・・?そんな訳ないか)
さっきの「記憶」では、皆ザワザワとしただけで、誰も助けに入って行く様子はなかった。
(あの後、るーちゃんはどうなったのだろう)
漫画にはないストーリーが展開されている為、この後何をしたら正解なのかが分からない。
(一応、これも一種のひずみなのだろうか)
そろそろ白石透の体的に限界が来ていることを悟った私は、浮上する用意をしようと足に力を入れた。その時、驚いたことに、誰かが水中に飛び込んで来た。
お互いの目が合い、口から空気の泡が出た。
私は大丈夫だと手を振ろうとしたが、それがパニックに陥っていると思われたのか、相手は思いっきり腕を引き、私を抱き寄せた。
そして一気に浮上していく。
水から顔を出すと、視界がいきなり明るくなり、暑い日差しが照りつけた。
勢いよく空気が肺に流れこみ、はあはあと息を吐く。
「おい、大丈夫か!二人とも!」
プールサイドで蓮見が大声で言った。
そこで気づいた。飛び込んで来た天城が、未だに私の体を支えていることを。
「もう、平気ですわ」
天城が私の腰から手を離したと同時に軽く泳ぐと、自力でプールサイドへ上がった。
少しも濡れたくないと思っていたのに、今や全身ぐちゃぐちゃだ。
「タオルを貸していただけない?」
泣き顔の蓮見が、うんうんと頷いた。手を出し天城をプールから引き上げてから、言った。
「二人とも、こっち来て」
水を滴らせながら、私たちは黙って蓮見の後ろをついていく。
私が通されたのは蓮見の部屋だった。
バスタオルと男性用の黒いTシャツ、そしてジーンズを手渡された。
「ごめん、これしかなくて」
「いいの。気にしないで」
濡れた状態でいるよりはマシだと、私は素直に受け取った。
乾いた服に着替え、髪の水をある程度絞りきるとふっと体の力が抜けた。
そばにあった蓮見のベッドに腰を降ろす。
意外な出来事が二つあった。
一つは、藤堂茜。彼女があからさまに白石透を虐め始めるのは、高校2年の夏頃だった。それまではずっと親友面をして、仲よさそうにしていたはずなのに。それが、まだ高校1年の夏だというのに、分かりやすく手をかけて来た。これは、ストーリーが少し変更したと見ていいのだろうか。そして二つ目は、天城。まさか、私を助けたのが天城だとは。天城は生涯白石透を嫌い続けるだろうと思っていたが、私の見込み違いか。
(…いや、違うな)
ふと止まり、考え直す。
(体育の時と同じ、世間体を気にしていた可能性がある)
まだ婚約者という立場上、大勢が見ている前で溺れている婚約者を見捨てることは出来ない。そう考えると天城の動きは、納得出来る。
(そもそも、なぜ原作にもない「記憶」が流れて来たのだろう)
自分の記憶違いでなければ、プールで溺れる白石透など覚えがない。
(忘れているだけ・・・?)
とにかく現状では、ストーリー通りに進行しているのか、変化が見られ始めているのか判断が付かない。
「やはり2年まで待つ必要があるか・・・」
コンコンとドアがノックされ、私は物思いに耽っていたところから現実に引き戻された。
「どうぞ」
遠慮がちにドアが開かれ、入って来たのは、驚いたことに天城だった。
相変わらず無表情で、何を考えているのかは分からないが、嫌悪感はまだにじみ出ていない。
しかし、それも時間の問題だ。同じ空間にいたら、すぐに睨まれること間違いなしだ。
私はすっと立ち上がり、にこやかに言った。
「今、出ますわね」
「・・・水は怖いんじゃなかったのか?」
通りすがりに天城がぼそりと言った。
「何の話かしら?」
質問の意図が分からなくて思わず聞き返す。
「水中で、何をしていた?」
(溺れていないのをやっぱり気づいていたか・・・)
「様子を見ていましたわ」
「様子を・・・?」
天城の目が大きく見開かれる。
「ええ。ただの好奇心です。お気になさらないで」
私は立ち去る手前で、再度天城の方を見た。
「必要ありませんでしたが、一応言っておきますわね。助けていただきありがとうございます」
結局、なぜ溺れていないと知っていながら私を助けたのか分からずじまいだったが、驚いた様子の天城の顔が見られたことは一つの収穫だった。
(やられっぱなしの白石透はもういない)
軽い足取りで、伊坂を探しに向かった。
白石透とは入れ違いで、蓮見が姿を現した。
「何があったのか皆に聞いてみたけど、誰も見てなかったって。でも白石ちゃんがいきなりプールに飛び込むとは思えないんだよな~」
自分のベッドにどかっと座り、蓮見は言った。
「どうしたの?」
立ったままでいる天城に声をかける。
「白石ちゃんと何かあった?あ、もしかして、泣いちゃって、面倒くさいことになった?やっぱ、プールパーティーに呼んだのは間違いだったか~」
「あいつ、水が怖いって言ってなかったか?」天城が聞いた。
「うん。かなり苦手だったね。小学生の時、あまりにしつこく付きまとってくるから、水かけて追い払ったよね。あのとき、大泣きしてたっけ。カナヅチだってのも知ってたから、俺たちいつもプールか海に逃げてたしね」
天城は蓮見の方に顔を向けた。
「あいつ、水の中で何してたと思う?」
「え、溺れてたんじゃないの?だから、お前が助けたんじゃ・・・」
驚いたように蓮見は天城を見つめた。
「様子を見ていたんだと」
「どゆこと?」
「好奇心で、水中から周りの様子を見ていたらしい」
「は?」
理解出来ないと蓮見の表情が物語っている。
「俺の助けなんか必要なかった」
手を額に当てて蓮見が天城を制した。
「ちょ、ちょっと待って。確かに、海斗の言う通り、最近の白石ちゃんは雰囲気が以前と違うなとは思っていたけど。水中で様子見って・・・もはや、全くの別人じゃん!誰それ!」
「本当にあいつが白石透かを確かめる方法が一つある」
「・・・あれをやるの?」
蓮見が聞いた。
「いいの?大事にならない?」
「どう転んでも俺には害はない」
「ま、海斗がそう言うなら別にいいけどさ。あまりかき回さないでよ。最近の白石ちゃん、面白いんだから。また以前のウジウジしつこい白石に戻ると嫌だな~」
「分かっている」
天城は小さく呟いた。




